メイドと厨房の秘密
「フィリップ様、最近様子が少しおかしくありませんか?」
メイドのひとりにそう言われて、メイド長であるエルザ・ウォーターハウスは眉をひそめた。雇い主の詮索などメイドがするべきことではない。
エルザが注意しようとすれば、別のメイドが口を挟む。
「そうそう。このあいだは厨房を貸してくれっていきなり言い出したし!」
このメイドたちの言動にはため息をついてしまう。
そんなエルザの様子を見て、一番若いメイドが唇を尖らせた。エルザの実の娘よりも若い、ほんの小娘としか言いようのない歳のメイドだ。
「エルザ様は気にならないんですかー?」
「気になりません!」
これは嘘だった。フィリップの変化にエルザは気づいていたし、その原因が何なのか、注意深く見守っていた。だがそれは――詮索とは別の行為だ。何か悪い兆しが見てとれれば、フィリップの父親であるノエル・マグリットに報告しなければならない。これもメイドの仕事のうちなのだ。
幸いにして、いまのところそのような兆候は見当たらなかった。
エルザはフィリップを幼いころからよく知っている。初めて会ったときから賢くて、聞き分けがよく、わがままひとつ言わない子供だった。
あの人形のように整った容姿も、幼いころからのものだ。小さいうちは本当に人形のようで、頬は薄っすらと赤く染まっていて、その顔を見るたびに、「私はなんて素晴らしい家に仕えることができたのだろう」とエルザの心は震わされたものだった。
そうして成長すれば、あのマルカ王立学院に入学した。しかも、平民と同じく入学試験を受けて、それに合格しての入学だ。非の打ち所のない、立派な青年に育っていた。だから本来、心配する必要もないのだ。エルザは念のために、見守っているだけだ。
エルザはメイドたちを見回して、こう言った。
「あの歳頃の男性は、急に成長したように見えるものなのです。ですからあなたたちは余計な――」
エルザの言葉にメイドたちは顔を見合わせる。
「ねえねえ、それってお気に入りの女性が見つかったからなのかもよ!」
「それっ! 男らしくなったっていうか、急に凛々しくなったしぃ!」
「もしも、もしもよ! その相手が私たちのうちの――」
「あなたたちの、なんですか?」
エルザの冷たい声に、メイドたちはピタリとおしゃべりを止めた。これはメイドとしての心構えを、また一から叩き込んであげなければならないと口を開こうとした瞬間、
「掃除の続きをしてきます」
「私は買い物に行かなくちゃ」
「あっ、それ、私も」
とエルザの前から姿を消してしまった。
メイドの心構えの講習は、機会を作って必ずやらなければならない。しっかりと頭の中のメモ帳に書き込み、しかしエルザの思考はすぐにフィリップのことへと移った。
――たしかに凛々しくなった……。
フィリップの横顔を思い出し、エルザはひとり頷く。目が輝きを増し、生き生きとして、表情豊かになった。それによりあの人形のような外見が損なわれてしまうのは、エルザとしてはいささか不満だったが、悪い変化ではない。それに整った容姿は変わっていないのだ。人間味が増したというだけのことだ。
先程のメイドの言葉を思い出す。
「お気に入りの女性が見つかったから」
――もしかするとそうなのかもしれない。
エルザはまたひとり頷いた。
それも悪いことではない。しかしそうなると、問題は相手の女性だ。言い寄ってきた女性にのめり込み、身を崩す男性の話は時折聞く。男性が貴族であれば、なおさらその危険は増すだろう。悪意を持って近づく女性も多くいる。
ここまで考えて、エルザは首を振った。
フィリップに限って、女性に騙されるなどということはないだろう。賢いだけではない。礼儀正しく、分別もある。いますぐ当主となっても立派にやっていけそうだ。女性にのめり込み、道を踏み外す姿など、想像もつかない。
――フィリップ様なら心配はいらないでしょう。
大きく頷いて、エルザも自分の仕事へと戻っていった。
***
まずは焼きたてのパンを用意し、それをふたつに割る。断面にはたっぷりとバターを塗る。いろいろな具材を挟むと素材の味がわからなくなるから、バターだけだ。
このバターの上に乗せるのは、もちろんしましまおパンティーちゃんだ。そのまままるごと食べるのは難しいので、ハサミで細かく切り刻んである。手を加えたのはそれだけだ。
パンを頬張れば、焼きたての香りが口の中から鼻へと抜けていく。馴染みのあるはずの小麦粉の香りだが、口に含んだときの濃厚で、柔らかく包み込まれるような一瞬の香りの衝撃に慣れることはない。
パンの熱で、バターはどろりと溶けている。そのまま食べ進めると、別の舌触りが現れる。先程挟んだしましまおパンティーちゃんだ。
ここでバターをたっぷりと塗ったことが正解だったと気づかされる。バターの染み込んだ布は、ほどよく滑らかな感触で、喉をするりと抜けていく。バターがなければ飲み込むのに苦労したことだろう。
飲み込む前にしっかりと噛み締めると、しましまおパンティーちゃんからドロリとバターが溢れてくる。これもまた味わい深いものだ。
普段食べている味の中に、突然現れるしましまおパンティーちゃん。日常と、それを踏み外した食感の対比。パンの欠片の間を、バターの染み込んだしましまおパンティーちゃんがぬるりぬるりと動きまわる。口の中で繰り広げられているはずのその光景を思い浮かべ、パンを持つ手が震える。ゾクゾクとした興奮が、背中を駆け抜けていく。
ところで料理とは、ただその場で味わうだけがその楽しみ方というわけではない。どのようにして作られたか、食材はどこからやってきたのか。料理が完成するまでの過程に存在する物語に想いを馳せるのも、またその楽しみ方のひとつだ。
――アリスが用意してくれた、しましまおパンティーちゃん……。
それを考えれば、またさらに味が深みを増す。
どんな表情をして、これを作ったのだろう。作り方を教えてくれたというおばと並び、しましまの布をおパンティーの形に整えていく。そのときアリスが浮かべているのはきっと満面の笑みだろう。キラキラと光の雫がこぼれ落ちているかのような、輝く笑顔のはずだ。おばと笑い合いながら、指先ではしましまおパンティーちゃんができあがっていく。
静かな興奮が――。
そしてただ作っただけではない。アリスは使ったのだ。しましまおパンティーちゃんを。
スラリと伸びた白く細い足を、しましまおパンティーちゃんがそっとすり抜ける。その動きは皮膚を撫でているかのようだ。アリスの小ぶりなお尻をしっかりと包み込み、しましまおパンティーちゃんが、あるべき場所へとたどり着く。
想像の中では何度でもその光景を繰り返すことができる。履いたり脱いだり履いたり脱いだり履いたり脱いだり。
静かな興奮が胸の奥から湧き上がってくる。
ゴクリ、とフィリップはしましまおパンティーちゃんを飲み込んだ。
なんという深い味わいだろうか。からだの内側を貫く静かな興奮と、外側を駆け巡る確かな興奮に翻弄される。これこそはどんな料理人にも作り出せなかった味、新しい世界へ誘う味だ。
――今日はこれくらいでいいだろう。
パンがなくなるとしましまおパンティーちゃんを丁寧に袋の中へ戻し、フィリップは充実のため息を溢した。一度に全部のしましまおパンティーちゃんを食べてしまう必要はない。もう十分に堪能したし、十分に興奮もしていた。
厨房は無理を言ってひとりで使わせてもらっていた。だから、フィリップの周りには誰もいない。
――ああ、まるで生まれ変わったようだ。
何もかもが、初めて見たもののように新鮮に映っている。ここは見慣れた厨房ではない。新しい世界の厨房だ。
フィリップは、ふと、厨房の流し台に目をとめた。
――例えば裸になって、流し台に潜り込んでみるのはどうだろう。そうして、勢いよく滴り落ちる水をからだで受け止めてみたら、どんな刺激なのだろうか……。
それは素晴らしいアイデアに思えた。いままでの自分になかった発想だ。つまらない常識から解放されたから、自分はこんなことを思いつけるようにもなった。
こうして振り返ってみると、なんという小さな世界で、いままで生きてきたのだろうと思う。世界は無限に広がり、無限の可能性を持っているのだ。
――アリスはこれを教えたかったのかもしれない。感謝しなければ……。
フィリップはしましまおパンティーちゃんの入った袋をしっかりと抱きしめた。
そして、残りの部位はどんな料理にしようかと考えながら、厨房を後にした。