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黒猫

 絢香がメイク直しに、とトイレに立った。

 ……ボクはきちんと彼女を慰められただろうか?

 最後には絢香は作り笑顔じゃない笑顔で笑えていたように思う。それはつまりきっと、最善でなくとも、間違えてはいなかったはずだ。

 もうとっくに飲み干してしまったミルクティのカップを手元で弄ぶ。


「……なんか、まだ足りない気がするんだよな」


 一方、絢香の飲んでいた紅茶は半分ほど残っている。紅茶の琥珀色が、まるで鏡のように天井にある照明を反射し、写し込んでいる。


 ──思い出すのは今日感じた、数々の違和感。

 覚えていない、泣きたくなるほどの悪夢。

 玄関にあった靴。

 一ヶ月前には無かったはずの洋服屋。

 映画館で感じた煙の匂い。

 絢香も見るという悪夢。

 そして時たま見せる絢香の意味深な発言。


 ……その全てが偶然で片付けられることだ。けれど。偶然が重なりすぎて不安感が募る。

 ボクが悪夢を見たのは偶然? 同じタイミングで絢香も悪夢を見ているのは偶然? もし偶然じゃないとしたら、考えられる可能性は──?


 『呪い』と思い付いてしまったボクはバカなんだろうか? ……でも呪いや幽霊の類いじゃないと、同じ時期に悪夢を見るなんて無いだろう?

 一ヶ月前にはなかった洋服屋はボクが来ていない間にコンビニが潰れ洋服屋になっただけ? でもそんなに早く建て変わるものかな……?

 映画館で感じた煙は……あ。そうだ! あの匂いは線香だ! お墓や神社に行くときとよく似てるから間違いじゃないはずだ。やっと思い出せた。

 少しだけすっきりした。……うん、だとしたらどう説明する?

 葬式に行って匂いがついたまま映画に来ていた人がいた? くそぅ、しくったな。それなら喪服の人がいるか確認しておくべきだった。


 そして一番の疑問点は、朝の玄関にあった仕事用の靴だ。

 日曜日の今日、なんで靴が用意されていたのか。土曜日だったら寝惚けて用意していた可能性がある──今までそんなことは無かったけれど──としても、今日は日曜日。

 もし、ボクが何かの間違いで用意していたとして、絢香が片付けてないというのがおかしい。

 昨日の夜は絢香と一緒に寝た、それもいつもどおりだ。そして絢香のほうが先に起きてる。それもいつもどおり。

 なら、夜中のうちにボクが準備していたとしたら、絢香はそれを知ってるはずなんだ。なぜ? って言われると戸惑ってしまうし、絢香だから、なんて根拠もない答えをいうしかないけれど。

 それでも絢香は靴を見つけたら片付けているのがボクの中では確定事項だった。……いったいボクは、いつ靴を用意したんだろう。

 そんな思考の海を漂っていたら、ぱたぱたぱたーっと足音が近づいてきた。


「おまたせっ。次はどこにいこっか?」

「絢香……」


 戻ってきた絢香は向かいの席に座りなおした。

 ボクは無理矢理に、不安を飲み干す。そうだ、絢香は不思議に思っていなかった。ならば寝惚けてボクがやったんだ。そうに決まってる。よし、解決。

 それに靴が用意されていたからなんだというんだ、明日の用意が一つ減ってむしろ万々歳じゃないか。

 他のことも大丈夫。偶然だ。少し深読みしたところで何かが変わる訳じゃない。何かができるわけじゃない。

 映画じゃないんだから、裏に潜む敵と戦うわけでもないんだ。ほら、『悪いことは重なる』っていうじゃないか。今まさにそれなだけなんだ。

 ボクは絢香の顔を見て、その笑顔を見てつられるようにして笑顔を浮かべる。


「どこに行きたい? 今の時間だと、ご飯は混んでるだろうね」

「とりあえずお店見て回ろう」


 絢香は残っていた紅茶を一気に呷った、男らしいその仕草に苦笑いしつつ「落ち着きなよ」と助言する。口元に残った雫をちゅるりと舐め取る綾香は、見惚れるほどの笑顔で言った。


「だって海太と少しでも長くデートしたいじゃない?」


 ……そう言われてしまうと、その思いを無下にできないもので、ボクも伝票を持って立ち上がる。

 もしボクがイケメンだったら、絢香がトイレに行っている間にお会計を済ませるのだろうが、親と同じかそれ以上にボクのことを知っている絢香のことだ。見栄を張るだけ失敗して恥をかく。


『そのままの海太が好きなの』


 そう言った彼女の表情は今でも思い出せる。

 だからボクは変に気取ることなく、あくまで自然体で絢香に接することにしている。それで今までやってこれたのだ。

 停滞は良くないが、焦るのはさらに良くない。……ね?

 会計をささっと済ませて大通りへ出る。お互いの存在を確かめるかのように指を絡め、手のひらを重ね、腕を抱き寄せる。その一連の行為を済ませたあと、どちらからともなくゆっくりと歩き出す。


「ね、どこ行く?」

「そうだなぁ。……インテリアでも見てみる? 写真立てとか、買ってもいいだろうし」


 その言葉を言った瞬間に、周囲の温度が一℃程下がった気がした。


「──コスプレ写真、消してよ」

「……ははは」


 絡めていたはずの右腕が捻られる。関節技に近いその技をかけられた右腕は、痛いというより先に感覚が無くなっていく。

 心の中で、死にゆく右腕に、敬礼! 左手で失礼。なんちゃって。

 同時に足りない頭で必死になって言い訳の言葉を考える。

 目標はコスプレ写真の永久保存で、最低条件は写真消去の阻止だ。つまり目標は最低条件。


(いけるいけるいけるボクならできるボクならできるッ! 今まで何度乗りきってきたのかを思い出せ──!?)


 表情。笑えない。

 台詞。浮かばない。

 覚悟。そんなのない。

 右腕。もう感覚がない。

 ないないづくし。全くもって最高の状態だ。そしてボクは、口を開く。


「……だめ?」

「ダメ」


 終わった。

 目の前が真っ暗になった。

 膝から崩れ落ち──かけるが、そんな悪ふざけをすると右腕にさらに負荷がかかりそうだったので、足に力を入れて耐える。


「それじゃあ飾らないよ。個人的に楽しむだけにする。……だめ?」

「──ダメ」


 少し迷う気配があった。

 これはあれだ。いくつか条件があるけど許す、けれど譲歩するんだしもう少しご褒美が欲しいな……ってことはおねだりする時だ。

 しかもこういう時にボクが諦めると拗ねるんだ。何度もやって来たからいい加減学んだぞ。


「ボクしか知らない絢香の写真だ、消したくない。それにボクの思い出は色褪せることが無いとしても、思い出は思い出で、きちんと形に残るものとして残すことによって数年後、数十年後に見返して二人で赤くなりながら笑う。……それってとても幸せなイダダダダ!?」

「口だけは上手なんだから……」


 つねられたわき腹が痛む。それ以上に塞き止められた血液が右腕に流れ込んで激痛。

 ……けれど、そんなことよりもニマニマした顔を抑える絢香に抱きつけないこの世界が憎い! なんで人が多いんだ! いい子はおうちに帰るの時間のはずだろう! 少し早いがみんなファミレスでも行ってくれ! さもなければボクが絢香を路地裏に引き込むことになってしまうぞ!?

 っと、冗談はそこまでにして。



「絢香、こことかどうかな?」

「んっ、入ってみよ?」


 ボクはちょうどとおりがかったファンシーショップを指差す。

 女の子はぬいぐるみが好きで、絢香もぬいぐるみが好きだ。特にウサギの、大きめの奴が。

 ショーウィンドウには黄色のフェルトで作られた時計を片手に、黒いシルクハットを抑えるウサギがボクたちを見つめていた。

 まるで『デートの残り時間は短いぞ?』と言っているように見えるが、生憎とボクたちは結婚してるんだ。学生たちのように別々の家に帰る必要は無く、言わば起きてから寝るまでがデートなんだ。

 勝ち誇った顔をウサギに向けた。

 まるで生きているかのような完成度ではあるけど二万円とか高すぎないかい、君?


「見て見てっ! カバのぬいぐるみっ」

「なんで実物大なんだろうね、あと色合いがリアルぅ……」


 ぶよぶよしてしわ寄った皮とか、よく見ないと作りものだとは思えない出来栄え、流石の四万円さん。

 どうやらその口も開閉できる仕様らしく、大きく口を開けさせると牙まで作り込まれているようだった。綿の内容量で堅さを変えてるのか…… どこを目指してるんだこの『ファロール』って会社は?

 他にも『ファロール』が作るぬいぐるみは数多くあり、専門のスペースさえ用意されているほどだった。

 絢香だけじゃなく、数名の女性はまるで夢の国に初めて入った子供のように、はしゃぎながら物色している。最低でも一万円はする特大サイズのぬいぐるみたちに囲まれると、ファンシーショップから動物園にワープしたのではないかと錯覚させるほど。

 そんな中で、ボクは一匹のぬいぐるみに興味を引かれた。


「……ねこ?」


 そう、ただの黒猫のぬいぐるみだ。

 大きさは手のひらに乗るくらいのサイズで、完成度はお世辞にも高いとは言えない。

 中学生に「頑張りました」と渡されたほうが納得のできるぬいぐるみが、たくさんの動物に見つからないように身を小さくして、丸まっていた。

 それを、ボクが偶然見つけられた。


「これも、『ファロール』の商品なんだ……?」


 生えるお尻から生えるタグには確かにそう書いてある。

 それも百五十円+税。天と地ほどに差がある値段設定だ。

 なぜこの猫だけこんなに可哀想な扱いをされているんだろう? 他の動物たちみたいに全力を尽くせばよかったのに…… そう思わずにはいられない。

 一度見つけたこの子を、手放すことが酷く可哀想なことに思えて仕方がない。そっけない、まるで「構わないでくれ」と言っているその猫の不器用な表情も、本心の裏返しに見えて仕方がない。


「海太、それ、買うの?」

「うん。……ダメかな」

「ん、可愛いと思うよっ?」


 彼女のために入ったはずのお店で、結局ボクだけが買い物をした。


 スマホにキーホルダーは着けない主義だったのだけれど、この子だけは着けたくなった。

 ポケットから顔を出す黒猫を、絢香は指先で撫でてくれた。

会社名が……あぁ……ボクのSAN値も残り僅かか……。



次回投稿は19日の正午です。


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