トカゲと鍋
二階の居住スペースの真下、一階の店に当たるフロア。ボクからのお礼、ということで三人にはカウンター席に座って待っていてもらっている。
鍋を囲うつもりだから、本当はテーブル席の方が理にかなっている。まぁテーブル席が軒並み壊れてて使えないんだから仕方ない。
床も所々ボロボロだし店を再開するつもりなら、フロアを全体的にリフォームする必要があるんじゃないかな?
厨房に入りエプロンをつけたところで、三人が興味津々といった顔でボクを観察するように見ていることに気がついた。二人はともかく、ネィさんは昨日も今朝もボクが料理するところは見てるんだし、そんなに見なくてもいいのになぁ。
それにカウンター越しとはいえ、三人から注目されながら料理をするのはちょっと恥ずかしい。そんなにじっと見ないください。
でもいつまでも気にしていても仕方ない、ボクは背中に刺さる視線は極力無視するように努めることにして料理を始めることにした。
さて、鍋を作るんだからまず出汁を準備しないとね。棚から土鍋を引き抜いて水を張り、軽く拭いて適当に切った昆布を沈めておく。少し水に漬けておいたほうがいいだろうし、とりあえずの準備はこれでいいや。今のうちに何を入れるか考えよう。
「……はぁ」
冷蔵庫の扉を開けると、今朝と変わらぬ物量の食材がボクの視覚をお出迎えをしてくれた。使えなくなってる食材も少なくないだろうし、そりゃため息も出るよ。
ボクは気を取り直して鍋に使う食材を吟味しつつ、容量の大きいごみ袋にダメになった食材を放り込んでいく。途中見たこともない食材もあったけど、熟れ過ぎていたり見るからにヤバそうなものは容赦なく捨てていく。冷蔵庫の奥の方には袋の中で溶けた野菜もあった。本当に店主がいなくなった日から全部貯めこんでたのかな……
ダメそうなものを軒並み捨てて吟味した結果、白菜、ニンジン、ネギ、えのき、生姜、あと変わり種でカボチャも入れてみることにしてみる。豆腐がダメになっていたのは残念だけど、代わりに油揚げで我慢することにした。
そろそろ頃合いだろう、鍋を火にかけその間に野菜を切っていく。白菜は適当にざく切りにして、ニンジンとかぼちゃは薄く、ネギは斜めに大きく切る。油揚げを油抜きしたあたりで、クラクラと鍋のお湯が沸騰し始めた。
昆布を取り出して火の通りにくい野菜から順に入れていく。白菜の芯、ニンジン、カボチャ……残りは後でもいいや。
あ、そういえば肉のこと忘れてた。何を入れよう?
何があるかなと冷蔵庫を確認すると、隅を占領するように大きい何かの肉塊が二種類。一つは見た目からして牛肉だと思う。でもこれは鍋に入れるようなものじゃないよなきっと……うん、これは別の機会に回すことにしよう。
もう一つの肉塊は多分鶏肉だ。多分というのは、その鶏肉の見た目に問題があったからだ。
それは身の色がマグロのような鮮やかな赤色をしていた。濃いピンク色とかじゃなくて、文字通り真っ赤。形が鶏肉の体を成してなかったら牛肉と間違えていそうなほどだ。
形的には多分もも辺りの部位だと思うけどサイズが大きい、スーパーで売っているもも肉の5倍以上はある。
少なくともボクが知っている鶏肉じゃないから、一応何の肉なのかだけ聞いておいたほうがいいかな?
「ネィさーん、この鶏肉って何の肉なんですか?」
ボクのことを観察し続けている三人に向かって、鶏肉を見せつける。
「さぁ?」
いや、「さぁ?」ってネィさん。ここはあなたの店でしょう……
「あー、それは怪鳥の肉だな、足のあたりじゃないか? そこそこお高い肉だぜそりゃ。そういや育のいた隣界はいなかったらしいな」
「そうですね、もっと小さい鳥が普通でした。それにしてもこれが怪鳥……」
ボクの脳裏に巨大文鳥の姿が過る。あの顔を思い出すと食べる気が失せてしまいそうだ、考えないようにしよう。
しかしお高い肉と聞くと、本当に鍋に入れていいものかと悩んでしまう。
ためしに少しだけ切ってお湯に通して食べてみた。思いの外弾力が強いものの、高いだけあってか、しっかりとしたコクのある味をしている。でも鶏肉というより牛肉に近い感じだな、これは。
予定変更、薄めに切ってしゃぶしゃぶみたいに食べることにしよう。
鶏肉をまな板に広げるとまな板からはみ出すほど大きさまで広がる。包丁を入れると熱を加えた後の弾力が嘘のようにすんなりと刃が通り、さくさく切れた。
適当なサイズに薄く切った鶏肉を皿に並べると、色も相まってレバーのようだ。
これで準備は終わったので、まだ入れていなかった火の通りやすい野菜を入れて蓋をする。これでしばらく煮たらたら完成だ。
煮立つまでの間に皿を用意しようとカウンターの方を一瞥すると、既に食器が並べられていた。
「あれ? ネィさん準備してくれてたんですね」
てっきり座って待っているだけかと思ってた。
「いや、やったのはアタシじゃなくてリズだ」
「あの……すいません……」
「うわっ!」
突然後ろから声が!
振り返ると知らない間に厨房に入ってきてたらしい、リズちゃんが食器を持って立っていた。驚いた、動作に全く音がなくて気付かなかった……
「っと、ごめんね? 驚いちゃって。ありがとう、後はボクがやっておくよ」
「はい……」
リズちゃんは音もなく席へ戻っていった。
そんなことをしていたら鍋の蓋がカタカタ音を立て始めた。そろそろいいかな?
味見をしてみるとかなり薄かった。でもその分野菜から出た旨味は引き立ってると思う。これくらいならネィさんが食べられるだろうし、味は昆布出汁だけでもいいかな。味は自分の取り皿でつければいいや。
鍋と一緒に棚に置いてあったカセットコンロに乗せて、ネィさんたちの元へ運ぶ。
入りきらなかった材料はざるに入れて厨房に置いておこう。
「お、出来たか! 早くくおうぜ、アタシ腹減っちまった」
ネィさんが取り皿を箸で叩いてチンチンと音を鳴らしている。行儀が悪いからやめようよ。
ボクが呆れている間にもリズちゃんはコンロをセットしてくれている。ボクが言うのも何だけど、この子を雇えばいいんじゃないかなと思ってしまう。
準備が終わり席について、全員で手を合わせて「いただきます」の挨拶をする。カウンター席なので、リズちゃん、ガズさん、ボク、ネィさんの順で四人横並びに鍋を囲む|(?)という面倒なことになっているけど仕方ない。
「あ、ボクがよそいますね」
ボクはそう言ってネィさんの器に野菜を盛っていく。肉だけ食べようとしてたみたいだけどそうはいかない。
「あ! それぐらい自分で取れるってのに……」
「それぐらいの野菜はちゃんと食べてくださいね?」
「……わかったよ」
ネィさんはそういってしぶしぶ食べ始めた。
ボクも食べるとしよう。まず試しに薄切りにした肉を一枚潜らせて食べてみた。
うん、この食べ方は正解だったみたいだ。牛肉っぽい味と硬めの弾力、味をつけて野菜と食べると丁度いい。
「二人共味が薄かったら何か付けて食べてくださいね?」
ボクはそう言ってポン酢を差し出したけど、
「いや、このままでいい。育、お前なかなかいい腕してるな。店主とは大違いだ!」
「あの……私も大丈夫です……とっても美味しいです……」
どうやら二人共ネィさんと同じような味覚らしかった。
皆お腹が空いていたのだろう、しばらく四人揃って黙々と食べていた。
ふとガズさんが口を開いて言った。
「それにしても育、お前凄いな。行くのいた隣界は人間しかいなかったんだろ? それなのにオレ達に合わせて料理作れるなんてよ」
「いやいや、ありがとうございます。そういえばガズさん、ボクが別世界から来たって知ってたんですね?」
多分ボクが気絶してる間にネィさんが話したんだろうな。ガズさん達からしたら、見知らぬ人間がネィさんの家で寝てたわけだし説明くらいするだろう。
「そりゃお前、普通この街に人間なんて来ないからな。姐さんが拾ってくれなきゃ野垂れ死にか、隣界管理委員会が話を信じても実験動物だったかもしれないぞ?」
「実験動物!? リカイインって……?」
話の流れ的にいきなり理科委員が出てくるわけ無いから、なにかの略称だろうけど……
「あぁ、聞いてなかったか。リカイインってのは臨界管理委員会の略だよ。アイツ等が臨界を管理してるから転移事件がほとんど起きなくて済んでるとか言ってるけど、ドコまで本当だかな……」
臨界管理委員会……ガズさんの言い方からしても、あんまりいい組織じゃないらしい。状況的にネィさんの所に残らなかったらきっとそこのお世話になるしかなかったんだろうな。
そう考えると改めてネィさんに感謝しないとなぁ……
そんな話をしていたら鍋の中身がほとんど空になっていた。
新しい具を入れてこようとしてボクが厨房に回ると、ネィさんが残った中身を取ろうとして身体を伸ばしている。
「ネィさん、危ないですよ」
「しょうがないだろ? 鍋が遠いんだから」
テーブル席が使えないせいでカウンターに横並びになっているから、仕方ないといえばそうだけど……
そこでふと疑問に思ったことがあった。
「そういえばこの店、なんでテーブルとか床がこんなにボロボロなんですか? 店主さんがいなくなったのってまだ一ヶ月くらい前なんですよね?」
「いや、まぁそうだけど……」
なんだろう、ネィさんがとてもバツの悪そうな顔をしている。いったい何をしたんだ?
そこでガズさんが会話に切り込んできた。
「いやぁ、店主が出てった直後はヤバかったな。姐さんが三日三晩暴れまくって止めるのが大変だったのなんのって――」
あ、これってしちゃマズイ話なんじゃ……
「……オイ。ガズ、ちょっとツラ貸せや」
しみじみと語るガズさんの話を、怒気を全開にして目を釣り上げたネィさんが遮った。
「え? え? 姐さん? ちょっ、なにすんです――
「オラアァァ!!」
「うおぉっ!?」
地雷を踏んだであろうことの自覚がないガズさんを、ネィさんが尻尾を使って円盤投げの如く投げ飛ばした。
「グアァァァ!!」
巨体の重さを感じさせない鮮やかな投げを食らい、吹っ飛んだガズさんは盛大な音を立ててテーブル席の一つを再起不能にして目を回してる。
なるほど、これだけのパワーで暴れれば店も半廃墟にもなるか。未だ怒りのオーラを纏うネィさんと目を合わせないようにしながら、ボクは一人納得した。
「兄さん……」
流石のリズちゃんもガズさんの自爆行為に、眉間に手を当てて呆れた顔をしている。
うーん、これは早いところ本格的にリフォームする必要があるんじゃないかな?
怒るネィさん、目を回すガズさん、呆れるリズちゃん。彼女達を見ながらボクはそんなことを考えていた。