ボクとお古
動物園の熱帯エリア、ボクはそこで新しく入ってきた大きな白い蛇を見ている。
しばらく見つめ合っていると、突然蛇がボクの身体に巻きついてきた。
徐々に蛇がボクを締める力が強くなる。痛みに声を上げようとしても上手く声が出ない。
やがて限界を迎えたボクの身体が折れ……
そこであまりの痛みに耐えかねて、ボクは幸せな夢から強制帰還させられた。
「ってててて! 痛い痛い! ネィさん! ギブ、ギブッ!!」
ボクは身体をへし折らんばかりの力で巻きつくネィさんの尻尾を、バシバシ叩いてネィさんを文字通り叩き起こした。
とても緩慢な動きで上体を起こしたネィさんは、カエルどころか人を射殺せそうな眼でこちらを睨みつけながら、
「あ”? 誰だお前? 何処から入ってきた?」
聞き覚えのあるセリフを、聞いたことの無いようなドスの利いた低い声で言い放つネィさん。
「ちょっ、ネィさん! ボクですよ、育ですって! 昨日ここで寝るように言ったのはアナタでしょ!?」
拘束が緩んだ尻尾から、這い出るように抜け出しながらボクは叫んだ。
そう、昨日ボクがネィさんの提案を受けた後のことだ。
これからここに住むということで、二階の空いている部屋を貸してくれたんだけど、その部屋は物置になっていてとてもじゃないけど寝られる状態じゃなった。
そこでネィさんは「片付けは明日やればいいだろ。とりあえず今日はアタシの部屋で寝ればいい」と言ってくれた。
お言葉に甘えて布団だけ運び込み、ネィさんの部屋で一緒に寝かせてもらったというわけだ。
ちなみに、ネィさんの部屋は全体的にピンクでフリフリ、大量のぬいぐるみが並んでいるという、絵に描いた様な少女趣味な部屋だった。もの言いとのギャップに思わず笑ったら、すごい勢いでガンを飛ばされた。
「あー……なんだ、イクか。そうだったな……じゃあお休み」
「えぇ!? 朝ですよ、朝! 起きましょうよ」
「……んー」
なかなか起きようとしてくれないネィさんの身体を揺すろうとして、
「冷たっ!」
触れた肩が思いの外冷たくて手を放した。
そこでボクは気がつく。ネィさんはラミア、多分変温なんだろう、どおりでここまで寝起きが悪いわけだ。
ワニよろしく日光でネィさんの体を温めようと、ボクはカーテンを開け、
「うわぁ……」
窓から見える景色を見て、ボクは絶句した。
眼下の裏には家庭菜園らしき畑、その角に離れと倉庫のような建物があり、近隣のには、ごく普通の家屋が並んでいる。この辺りはボクの住んでいた世界と何も変わらない景色。なるほど、ここだけ見れば並行世界と言われるのも納得の変化の無さだ。
でもボクが絶句した理由はそこではなくその奥、立ち並ぶ家々に阻まれても見える、巨大な"山"としか形容できないような、黒い塊が鎮座していたからだ。
そしてバケツを逆さにしたような"それ"から視線を外すと、住宅の間にやたら背の高く太い、バオバブの樹を立てに引き伸ばしたみたいな樹が群生している地区が見えた。
その樹々の上の方にはログハウスが引っ付いていて、そこから人型の影が飛び立っているのが見える。きっとあそこには鳥と人を合わせたような種族もいるんだろう。
「おーい、大丈夫か?」
いつの間にか起きていたネィさんの声が、呆然としたままのボクの意識を引き戻す。
「あ、ネィさん起きたんですね。おはようございます」
振り返ってネィさんに挨拶をする。でも意識は後方、窓の外に向いてしまっていた。
樹は鳥人系の種族が住んでいるんだろうと予測がつくけど、異様な存在感を放つ黒い山が気になって仕方がない。ボクは窓の外に見えるそれを指さしてネィさんに尋ねる。
「ところであの黒い山って何なんですか?」
「んー、あれか? あそこは龍のじいさんの家だな。昔転移事件が起きた時に、じいさんの住んでた家ごと隣界からこっちに飛んできたんだってよ」
「家!? あんな大きいのが? それに事件って?」
「朝から質問が多いなぁ……事件ってのは30年ぐらい? 前に初めてこの世界と隣界が繋がったときに、世界中で一斉にデカい転移が起きたって事件らしい。まー、アタシが産まれた時にはもう繋がってたからな、詳しいことは知らねぇよ」
ネィさんは面倒くさそうに文句を言いながらも説明してくれた。やっぱりこの人は結構お人好しなんだろうな。
……30年前にあった事件、いきなりあんなものが現れたなら、きっとその当時は大パニックだったはずだ。
でも、昨日ネィさんがボクをの話をあっさり受け入れてくれたことを考えると、30年の間に当たり前のことになってるんだろう。
ボクがネィさんの話を聞いて一人そんな考察していると、視線を感じて顔を上げる。ネィさんが苦い顔をしてこっちをじっと見ていた。
どうしたんだろうと首をかしげると、ネィさんはガッとボクの肩を掴んで回れ右させる。
「えっ、どうしたんですか?」
「イク、お前寝汗がすごいから風呂入ってこい。着替えは用意しといてやるから」
ネィさんはボクの背中をグイグイ押してながらそう言って、部屋から追い出そうとする。
寝汗の原因は多分ネィさんだと思うんだけどなぁ……
ボクは口には出さず、心の中だけで抗議した。多分そんなことを言ったら怒られる。触らぬ何とかに祟りなし、だ。
ボクは抵抗するのをやめて、大人しくお風呂へ向かった。
裏庭の離れにあるお風呂場の脱衣所。そこは昨日ボクがネィさんに出会った場所だ。
もしかしたらあの時と同じことをしたら何か起こるかもしれないと、試しにトイレに出たり入ったりしてみたけど、特に何も起こらなかった。
うーん、ネィさんにお世話になることになったけど、そのうち戻る方法も探さないとな。幸い、父親の元を離れてからは、殆ど実家に戻ってないし、哀しいことに連絡を取り合うような仲の友人も皆無だ、しばらくは問題ないだろう。
お風呂はネィさんのサイズに合わせてあるのか、かなり広い。というか、昨日見たアパートのお風呂と同じものだった。
案外あっちと同じ部分も多いのかもしれない。などと考えていたら、脱衣所から声がした。
「替えの服ここに置いとくからな? アイツの着てた服だから少しサイズが合わねぇかもしれねぇけど、我慢してくれ」
「はーい、ありがとうございます」
湯船に浸かってリラックスしていたせいか、間延びした返事をしてしまった。
あまり待たせるのも悪いだろうし、そろそろ出よう。
お風呂から上り脱衣籠を見ると、ボクの着ていた服が無くなって、代りに折りたたまれた群青色の作務衣が入っていた。
作務衣に袖を通すと少しサイズが大きく、手が出るくらいまで袖を折る。裾も同様に折り、腰ひもを少しきつめに絞った。
うん、多少不恰好にはなるけど着れないこともない。ご丁寧に履いていたサンダルの代わりに草履まで用意してあった。それを履いて外に出ると、待っていたとばかりにネィさんが店の裏口から出てきた。
「スマンな、アイツいつもそれしか着てなかったから、他に見つからなかったん……ブフッ! け、結構似合うんじゃないか?」
「あ! 今笑いましたね!? なんで笑うんですか!?」
「笑ってない、笑ってないって! ただ祭りに行く子供みたいに見えただけで……ブハッ! ダメだ!」
「なっ、これでもボクは21歳ですよ!」
確かにボクは身長も低いし髭だって生えてない、働いてた時も「職場体験? えらいねー」とか「オウ、お前何中だよ?」とか言われたりしたけどさ。
……あ、ちょっと嫌な記憶を思い出して軽くへこんだ。
「うわ! ゴメンって! 何も泣くことねぇじゃんか……」
「え?」
連鎖的に嫌な記憶を思い出していたら、どうも涙が出てたみたいだ。ネィさんがやり過ぎたって顔でアタフタしている。
「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと昔のことを思い出しただけです。」
「そ、そうか? イクが大丈夫ならいいんだけどさ……そうだ!朝飯だ!そう言えばまだ食べてなかったよな、朝飯にしよう! な?」
ネィさんは必死に話題を逸らすみたいにそう提案してきた。
実際朝ごはんはまだ食べていないし、昨日の夜も軽食みたいになってしまったので、お腹は空いている。断る理由もないだろう。
「そうですね。ところでネィさんはいつも朝何を食べてるんですか?」
「肉!」
「肉……」
即答だった。昨日「いつも食べてる」とは言ってたけど、まさか毎食生肉だけ食べてたのか?この人。
普通の蛇ならともかく、肉以外も食べれるみたいだし栄養が偏ったりしてそうで心配だ。これからはボクが作ることになるだろうし、あまり偏らないようにしないとね。
ボクは厨房へ向かう間、そんなことを考えていた。