ボクと臨界
「……きろ…………おい……き……」
何だろう、なんだか遠くから女の子の声が聴こえるような……
痛い、何かに頬を叩かれてる……
「おい! 起きろって!」
目を開けると、女の子がボクを覗き込んで何か言っていた。
羽毛のような柔らかそうに広がる栗色の髪に、勝気なツリ目には赤みがかった鋭い茶色の瞳が宿っている。
キッとした目つきでこちらを睨んでいるのに、フリフリの可愛らしい寝巻姿と、こちらを心配するような表情というギャップが可笑しくて、思わず口の端が上向きになる。
「おう、やっと起きたか……ってなにニヤニヤしてんだよ」
「いや、可愛いなって思って」
「な、何言ってんだ! このヘンタイ!!」
彼女はそう叫びながら、顔を真っ赤にして、尻尾でボクをベシベシ叩いてくる。
尻尾で、だ。
彼女の下半身は、ガラスみたいに光を反射する、白く大きな蛇の尾になっていた。
あー、やっぱりさっきボクを縛り上げてたのはこの蛇の尾なんだよね。
思わず巻き付かれた時のことを思い出す。
……あぁ、あの尻尾はひんやりスベスベして、すごく気持ち良かったなぁ。
「なぁ、なんでアタシの尻尾を凝視してんだ? なんか息が荒くないか? おい! 不気味だからその表情やめろ!」
「あ、すいません……」
しまった、縛られた時のことを思い出して、ついトリップしかけてしまった。
「ったく……それで、なんであんなとこにいた?いや、聞くまでもないな、起きるなりこっち見てニヤケだすんだ、間違いなくヘンタイだよな?さっきはちょっとやりすぎたと思ってここまで運んだけど、間違いだったみたいだな。目も覚めたし通報していいよな?」
「ちょっ、ちょっと待って! 違うよ! ボクはただトイレに入ってただけで」
「人の家のトイレにか?」
「ちがっ、ボクは今日ここに引っ越してきたばっかりで。ていうか、アパートにはボクしか住んでないんじゃなかったの?」
「アパート? 何言っってんだ? ウチは店とくっ付いてるけど、一軒家だぞ?」
「え?」
なんだ? 話が噛みあわないぞ?
いや、それ以前にそもそもなんで下半身が蛇の人が普通にいるんだ?
ここはホントに現代日本なのだろうか?
そこまで考えて、ボクは不動産屋のおじさんの言葉を思い出した。
『ここに入居した人は皆神隠しに遭う』
もしかしてボクは引っ越して早々に神隠しに遭ったってことなのか?
ここは妖怪の国とか?
でも確かに、神隠しに遭ったのならおじさんの言っていた「深夜に部屋を出て敷地内から出ていないのに戻ってこなくなる」っていう状態に当てはまる。
「おい、聞いてんのか?」
「え、あっ、すいません」
とりあえず誤解を解かないと。
信じてもらえないだろうけど、今の状況について話してみよう。
ボクは謝るためにベッドから降りて、深々と頭を下げ礼をした。
「あの、先ほど貴女の裸を見てしまったことは謝罪します。信じてもらえないかもしれませんが、ボクがあそこにいた理由について説明させてもらえませんか?」
「お、おう。何だ突然? いい訳でもするのか?」
顔を上げて彼女の眼を見る。
「……まぁ、さっきはアタシもやりすぎたし、話だけは聞いてやる。もし苦し紛れのふざけた言い分けなら、張り倒してすぐに通報するからな?」
彼女は口を尖らせながらも、ちょっと申し訳なさそうに目を逸らして言った。
良かった、とりあえず話だけは聞いてもらえそうだ。
でも話して信じてもらえるかどうか……
「ありがとうございます。まず、多分なんですけど、ボクは神隠しってヤツに遭ったんだと思います」
「カミカクシ?」
「えぇと、神隠しっていうのは突然今いた場所から別の場所に飛ばされたりする現象です。ボクの住んでいた場所には……失礼かもしれませんが、その、あなたの様に蛇の尾を持った人は居なかったんですよ」
ボクの言葉を聞いた彼女の目線は下を向き、何か考える様な表情をしている。
あれ? 思っていた反応と違うぞ?
「……あぁ! お前もしかして隣会から来たのか? しかし飛ばされたのが一人なんて、珍しいな?」
「りんかい?」
話の流れから、電車の名前ではないと思うけど。
「ん? いや、だから隣界だって。分かるだろ?」
「すいません。よく分からないんですけど。そのりんかいっていうのは何なんですか?」
「……その表情、本気で分かんねぇみたいだな。お前、種族はなんだ?」
「種族、ですか……? えと、人間、です」
「人間!? いや、でも確かに耳も丸いし、腐ってるとかでもなさそうだしな、まさかロボってわけでもないよな?」
そう言って彼女は、ボクの頬を引っ張ってくる。
「いひゃいれす」
「うん、ロボじゃないな。じゃあホントに人間なのか? 亜人じゃなくて?」
「だからそう言ってるじゃないですか」
頬を引っ張られたので、少し反抗的な物言いで返したが、彼女は気に掛ける様子もない。
「マジか。だとすると、イレギュラーってことか……」
「あの、さっきから話が全く読めないんだけど」
「ん? あぁ、スマンな。でも分かった、多分お前は隣界のどれかから飛ばされてきたんだと思う」
「さっきから、そのりんかいって何なんですか?」
「隣界ってのはな、この世界の隣にある世界、所謂並行世界ってやつだ。あ、字は"となり"に世界の"かい"な? 人間のヤツ以外は殆ど隣界から来てる」
並行世界……
神隠しに遭った先が、妖怪の国どころかまさかの別世界だった。
「まぁどちらにせよ、アタシの裸を見たことに変わりはねぇんだ。通報しちまおうか」
「え!? ちょっ、それはやめ
グウゥゥゥ
なんてタイミングで鳴るんだ! ボクのお腹!
そりゃ昼から何も食べてないけどさ……
変なタイミングでお腹が鳴ったことに、思わず赤面して俯くと、彼女がプッと吹き出して笑い出した。
「ハハッ! 冗談だ、冗談。面白い奴だな、とりあえずついてこい」
「警察に連行だけは!!」
「だから冗談だって! ったく、腹減ったんだろ? なんか食わせてやるからついて来なって」
「え? あ、なんかすいません……」
勘違いしてしまったことも含めて謝る。
でも、なんでそこまでしてくれるんだろう?
疑問が顔に出ていたのか、彼女は頬を掻きながら、目を逸らして答える。
「まぁ、さっき絞め落としちまったお詫びってことで、な?」
彼女は申し訳なさそうな顔をしてそう言った。
さっきのことは彼女の中ではやりすぎたことになっているらしい。
ボクとしては、怪我をしたわけでもないし、人生の夢の一つを達成出来たと思えば、むしろ感謝したいくらいなんだけどな。
そんな意味も含めて、彼女にお礼を返す。
「いえ、ありがとうございます。えーっと……」
そう言えばまだ自己紹介をしてなかったな。
「ああ、アタシはネィって言うんだ」
「ありがとうございます、ネィさん。ボクは万 育と言います」
「イクか……よし、じゃあなんか食わせてやるからついて来い、イク」
そう言って部屋を後にする彼女……ネィさんの後を追い、ボクも部屋を出た。
ネィさんの性格が短編とは真逆になってしまいました……