二匹の狼
「肉を寄こせ」
……あれ?
今、俺の上のでかくてふわっふわの白い化け物みたいな犬がしゃべった?
「肉を寄こせと言っている。ないのならば、不本意ではあるが貴様を喰らうぞ」
「うそーん!? 犬がじゃべった!?」
今、この瞬間において俺の中では恐怖より驚きが勝っていた。
いやちょっと待って。なんで犬が喋れるの?
声帯の形とかそのへん諸々違うはずだからじゃべれないはずでしょ?
だがさらにその犬は言葉を発した。
「あぁ? しゃべって何が悪い。人間のくせに生意気な」
首だけ動かしてその犬の顔を見ると、きらんと光りそうなほど鋭い犬歯が覗いていた。
一気に恐怖心が戻ってきた俺は、エアリーには可哀想だが言ってしまった。
「あ、どうぞ。そこのケバブ全部どうぞ」
「えっ!? ダメだよ? これは私のだからね!」
「どけ小娘!」
ごめんよエアリー。
食料と俺たちの命、どっちが大事かと言われたら命だと迷いなく言える男なんだ。
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「うわーん。ばかばかばかばかぁーー」
ポコポコという擬音が似合いそうな感じでふっさふさの白い犬を連打しているエアリーを余所目に俺は思う。
もう驚いたら人生負けじゃないかと思います!
例えば喋る犬が目の前にいても。
今更過ぎるけどなんで異世界で言葉が通じるのかも。
なんでいろんな種族がいるのに人間と同じ感性で生きているのかとかも。
記憶喪失なのになんで記憶を取り戻そうとしてない俺がいるのかとかも。
恐怖ですべての感情が押し流されて、恐怖マックスで冷静さ100%になったいまだからこそいえることだがな。
「小僧、肉の礼に何か一つ願いを叶えてやろう」
「いや、そんなもんいらないんでさっさとどっか行って下さい」
いくら人気のない外れのほうとはいえ、ときおり通る人はいるわけで。
そんな人らがこの犬? を見るたびに怯えた表情で走り去っていくわけですよ。
まあ、見た目がフェンリスとかいうのにそっくりだというのもあるんでしょうが。
だけどな、危険度は全然違うよ。
危険度SSS+、これは俺的に最高ランクではないかと思う。
これってレターグレードだってSが最高なのにSSS+とか論外的なランクじゃん?
「ではな、またどこかで会おう」
「会いたくねえよ!」
犬? は再び暗闇の中へと消えていった。
……あれ? 単純に食料持ってかれただけじゃね?
ああくそ、せめて金を返せとでも言っておけばよかった。
ついでにぷくーっとした顔でむくれてるエアリーもいるじゃん。
フグかお前は。
というかどうやってご機嫌をとりましょうかね?
「甘いものでも食べに行くか?」
とりあえずだ、今の俺が思いつくのはこれくらいだ。
いらいらしたときは甘いものが定番だ。
「うん!行こう!」
そう言うとエアリーは俺の腕に自分の腕を絡ませてきた。
大胆だな……。
まあ、高校生くらいの俺と中学生くらいのエアリーだ。
身長差はあるし、なんか妹的存在なわけでもあるので変な方向に感情が傾くことはない。
デートというよりは妹に引っ張って行かれる兄貴的状態だな。
再び屋台のあるほうに戻る。
今度はゆっくり歩きながらいろいろと眺める。
ほんとにいろいろあるな。
カラーヒヨコ、ハムスター釣り、おいおいこれは愛護団体がキレるぞ。
そしておとなり金魚すくい……じゃないな。
なんだあれ? ……いつかのピラニアじゃねえか!!
よしよし、これは見なかったことにしよう。
そのお隣、チョコバナナ……? じゃねぇ!!
バナナにあんな凶悪な口はないはずだ。
商品名を見れば「キラーバナナのチョコ固め」と。
……ウィリスたちがユグドラシルで狩ってたのはこのためか?
無視だ。隣からキラキラした視線があるけど無視だ。
「あ、あれ食べたい」
どれどれ、なんぞや?
「生きたままどうぞ、カラメルプディング」
はい?
そんな思い切り怪しい看板の下を見れば……うん、これも見なかったことにしよう。
某幻想に出てくるまんま某お菓子の形をした某モンスターだよ。
んなもん食えるか。逆に喰われるわ!
「ダメです」
「え~~」
そんなこんなで歩き続けてフードコートにたどり着いた。
いい匂いがするけども。
そこを囲む店は……。
「キラートマトの丸ごと煮込み」
「水龍の地獄焼き」
「スケルトンスープ」
「スコヴィルブレイカー」
エトセトラ、エトセトラ。
なんとも店の名前からして危ないものばっかりだな。
とくに最後のやつなんか店の前で早食い大会やってるけど倒れてる人がいるよ?
そしてその端っこに何ともまともそうなパンケーキ屋台があった。
というか、あれ以外にまともなところが見当たらない。
「あそこに行くか?」
「パンケーキ? 行ってみたい」
リュックから金貨を取り出して、屋台へと向かう。
そういや、金貨一枚で食糧一日分買えるとかだったな。
これじゃ多すぎかな? どっか両替できそうなところは……。
「おーい、アキト」
探しているとすぐ近くのテーブルから声が聞こえた。
でもテーブルの上にはクリームの山しかないんだが。
「お前ら、これ食え」
と思っていたら、山の後ろからクロードが顔を出した。
クリームの山と思っていたものは下のほうに六枚のパンケーキが敷かれ、その上に山盛りホイップクリームとジャムソースがかかったものだった。
見るだけで胸焼けがしそうな一品だ。
「食えって……、お前が食べたくて買ったんじゃないのかよ」
「いや……ダブルホイップマウンテンとかいうメニューみてレイズが注文したんだがな、食べる間もなく係員に連行されていったんだよ」
「なにやってんだ……。エアリー、食べるか?」
と、目を向けると。
「はぁぁ~~~~」
目が星になってました。
そんなに食いたきゃ食え!
「いただきまーす!」
勢いよく食べ始めた。
が、さすがに量が多いのですぐにはなくならない。
「なぁなぁ、アキト。この娘はどこで誘拐してきたのかな?」
「……誘拐じゃねえ! エアリーだ! あのハーピー!」
「…………」
かなり疑わしい眼差しで俺のことを見てくる。
真実なんだからどうしようもない。
「……いや、あれがありならこれもありか。なるほどな。それじゃな、ロリコン野郎」
そう言って立ち去ろうとしたクロードの肩をがっしり掴んで引き寄せる。
「だ・れ・がロリコンだってぇ?」
「いや、お前が……おい、なんか変なのが来たぞ」
いきなり真面目な声になる。
顎でくいっと後ろを示されて振り向くと、確かに異質な何かが近づいてきていた。
背中の翼と服装から竜人族の女の子だってことは分かるけど、明らかにおかしい。
体全体から真っ赤なオーラみたいなのが立ち上っていて、片手には血の滴る鉈を持っている。
そしてそれを俺たち以外、誰も気にしていない。
「なんだ?」
「解析してみる」
そしてスキルを使おうとした、ちょうどその時、掠れた声が聞こえてきた。
「みーつけたぁー、きりさきあきとぉー」
解析を使うまでもなく、その人の顔を見れば誰かはすぐに分かった。
クレナイさんだ。
「うちのリナに変なことしたってぇー」
足取りのしっかりしていない一歩が踏み出される。
「それもしあいちゅーに、おーぜいがみてるなかでー」
ピチョンと血が落ちて、鉈がギラリと光を反射する。
「これはさー、殺してもいいよね? ウィリスとリナは半殺しにしたからゆるすって言ってたけどさー。
いろいろとあたしとしては許せないんだよねー」
あれ? なんかデジャブが。
俺はK1ではないですよ。あなたはレナかもしれませんが。
その惨劇をすでに引き起こしてきました感満載の鉈でさらに惨劇を引き起こそうっていうんですかい?
そしてその鉈は幻覚ではなくてものほんだよね?
全然宝探しをするために持ってきたものじゃないんだよね?
「や、やばくないっすか?」
「俺は知らん。狙いはお前だろ? だったら自分で何とかしやがれ」
クロードは椅子に座って完全に傍観ポジションに入った。
俺はどうするか?
戦えば真っ二つか首と体が永遠のさようならを言うことになるから、逃げる!!
「まってよ、ねぇー」
昏い。声がヤンデレのように超昏い!
てか怖い! いつかの堕天使より怖い!!
「そっちにいっていいのぉー」
気づけば屋台のある場所から離れてきていた。
だんだん人通りがなくなってきて、篝火すらない場所を走っていた。
ときおり後ろを振り向けば、真っ赤に立ち昇るオーラが見える。
くそっ、人気のない夜に殺られたら目撃証言がでないだろ!?
俺が誰にやられたかくらいみんなに知っておいて……ああ、クロードがいたか。
だが、今エアリーはクロードと一緒にいる。
さっきの人攫いを売り払ったクロードの行いを見ていると全然安心できねぇ!!
絶対逃げ切って生きて、五体満足で生還するぞ。
「それ」
「うわっ!」
宣言した端からころばされた。
足元を見れば不自然にうねる雑草。
それが絡みついて足を離さない。
これはよくわかる。
俺も使う生属性の魔法だ。
「な、なあ、クレナイさん? ちょっと落ち着いて話合いをしませんかね? こんな風に一方的な惨劇をしても意味がないと思うんだよ」
「へぇー、じゃーあんたはうっかりで女の子を辱めてもいいっていうんだぁー」
「あ、いえ、そういうわけじゃなぎゃああああぁぁぁっ!!」
は、はは、まだ生きてるぞ。
俺にも白刃取りはできた。
血で少しばかりすべるが、これで俺に鉈が突き刺さることはない。
でもやばい。だんだん腕の力がなくなってくる。
さすが竜人、人間なんざとは比べ物にならない馬鹿力だ。
「誰か助けぇぇぇぇぇぇて!!」
「だーれもこないよー」
「いやいやいやいやいや、待って、ほんとに待って!!」
「しかたない……」
そう言うとクレナイさんは両手で握っていた鉈から、左手を放して上に掲げた。
一瞬赤い光が眩くと、その手にはハルベルトが握られていた。
…………マジで終わった? さすがにそれは受け止められねえぞ?
「アヴェス! 征け!」
どこからともなく声が聞こえて、真紅に燃え滾る小鳥が飛んでくる。
狙いは寸分違わずクレナイさんだ。
「っ! だーれぇー? じゃましないでよぉー」
クレナイさんが俺から飛びのきながら声がしたほうに向きなおる。
「無所属、レベル13の火属性」
あれ? この声聞いたことがあるぞ。それも割とごく最近。
「やろうっての? ここは交戦禁止地帯だけど」
鉈を捨ててハルベルトを両手で構える。
さっきまでのヤンデレ風から真面目状態に切り替わっている。
「構わないさ、そこの方に”承認”してもらわなければどのみち死ぬことになるのだから」
「あっそ。それじゃ、そっちから仕掛けてきて、あたしは自己防衛のために応戦したってことで」
「勝手にしろ。勝ったほうが正義、それが理だろ? さあ、お前も名乗れよ、殺し合いの名前を」
「はぁ……。紅龍リーダー、属性とレベルは知ってるよね?」
「ああ、それじゃ、始めようか」
瞬間、暗闇の中から黒い布を身に着けたやつらが続々と出現した。
あ、思い出した。
ついさっきクロードたちに連れていかれたカテドラルとかいうとこの連中だ。
「来たれ、万物を灰に帰す魔人よ」
「「「水の被召物。すべてを洗い流す者よ」」」
さて、俺はどさくさに紛れて逃げるとしようか。
中空に紅く細い糸で魔法陣が描かれ、全身が赤く焼けた巨人が出でる。
大地から染み出した水が人の形を作る。
相反する属性がぶつかり、辺り一面が蒸気に包まれ、戦闘は始まった。
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少し前。
「おい、クロード、スコール。そいつらどうすんだ?」
レイズは人攫いを攫って移送中のクロードたちを見つけた。
問われたクロードたちはレイズの近くによって周りに聞かれない程度の声で話す。
「適当に売り払おうかと。ここって奴隷制度はあるんだろ?」
「あるが……大聖堂のようなでかい勢力のやつを奴隷として買うやつはいないぞ」
「やっぱりか……」
どこの勢力も、四大勢力の一つをささいなことで刺激しようなどとは思わない。
四大勢力とは、セインツ、ヴィランズ、カテドラル、そしてもう一つ、少人数ながら精鋭揃いのものがある。
最後の一つを除いて、いずれの勢力も小規模勢力を配下に置いている。
そんなやつらに万が一にそれで報復されでもしたら割に合わない。
ハイリスク・ローリターンの駆け引きは誰もしたくはないものだ。
「なんだったらオレがもらおうか? 適当に処分しといてやるが」
「あー、だったら頼む。面倒事は嫌だからな」
「よし、そんじゃこいつらはまかせろ。それと、これ、お前らの分」
「なんだこりゃ?」
「賭けてただろうが、その勝ち金だよ」
そう言ってレイズが渡した金貨の入った袋。
それを遠巻きに見ていた絶賛奴隷になりかけの連中は”自分たちはたった今、買われた”ものだと思った。
「へぇ、結構あるな」
「まずはそこからテメェの借金を返せよ」
「はっ?」
「はっ? じゃない。アキトのとお前のは条件が別だ。テメェはテメェで返しやがれ」
クロードの顔には暗いを通り越して真黒な笑みが張り付いた。
「こ、この量で足りるのか?」
「さあ? さっさと数えて持って来いよ。利子は一十だ」
一十、一日十割。決して十一ではない。
「ひどくね!?」
「あ、スコールも手伝ってやれよ。ゲートを設置するまでちょっとかかるから」
それは暗にちょっとくらいは仕事しないと帰してやらないと言っているようにスコールには聞こえていた。
二人は顔を見合わせると、暗い、いや、真っ黒な顔でその場を走り去った。
そしてレイズは絶賛勘違い中の連中に言った。
「さて、お前たちの処遇だが。たった今から奴隷だ。わかるな?
奴隷ということは所属は自動更新で無所属だ。
そうなると、どこのやつらに何されても文句は言えない。だから選択肢をやろう」
全員がこちらを向いていることをさっと確認。
「一つ、今日中に霧崎アキトの勢力に加入する。あいつは、もし困ってるやつがいたら俺のところに連れてこい、奴隷でも受け入れる。と言っていたからな」
もちろん嘘である。
「そしてもう一つ、これから人体実験で苦しみながら死ぬ。どっちがいい?」
白い悪魔の囁きによって彼らは全員、前者を全力で選択した。
全員知っているのだ、この世界の常識ではレイズは最も関わってはいけない者の一人だと。




