精神世界
気付けばよーく見慣れた部屋だった。
俺がずっと引き籠もっている部屋。
そうさ! 我が聖域。
コンロの上ではいい匂いを出しながらカレーが煮えている。
L字デスクの下には愛しの恋人がいる。
「あ……帰ってこれた……」
いやまて、あれから随分と立っているはずだ。
カレーは焦げているはずだし、いつも俺が作るやつとは匂いが違う。
もっと安っぽいカレーの匂いのはずだ。
それに俺のパソコンはこんなでかくはない。
デュアルCPUにグラボやらメモリやらたくさん積んで電源2つも使うでかいやつだけど、今ここにあるのは確かに別物だ。
しかも俺の部屋はこんなに綺麗ではないし、なによりも。
「なんであんたがここにいる」
俺に偽の情報を渡した堕天使が俺の椅子に座っている。
俺は騙されるのが嫌だ。
なんか遊ばれてるって感じもあるからこの堕天使は気に食わない。
「面白くないわねぇ、もう少し騙されてくれるとよかったのに」
「騙される? もしかしなくても最初のあの平原でのゲームだとかなんだとかって」
「ええ、あのためだけに魔法で作った幻影よ。なかなか面白かったわ」
「それじゃ偽の情報が書かれた魔導書も…」
「少しは楽しめると思ったからよ」
「それだけか」
「まぁ、もう一つはあなたが切り札に……」
そこまで言ったとき、部屋の壁が桃色に光った。
光の中から出てきたのは怖い人……もといベイン。
「ほんっとに面白くないわね」
「そちらこそ干渉しないでもらいたい。
お前の”遊び”で何人がつらい目にあったことか」
ベインは腕を横に振るう。
「根幹を成すもの」
重油のような黒い人型のものが虚空から溶け出すように現れた。
「ここでやりあうつもりなの?」
「必要とあらば俺はやるぞ。ディスペルが使えないこの状況ではお前のほうが不利だからな」
「あらそう、でも勝てるなんて思わないことね」
唐突に堕天使が魔法を放った。
堕天使らしい真っ黒な魔法だ。
ヘドロのような黒い塊はベインに向かって、
「で、その程度ってわけじゃないだろ」
飛んで行かなかった。
その魔法はアテリアルに吸い込まれていく。
「アキト、これに魔力をこめろ」
ベインは俺に透明な珠を投げて寄越した。
キニアスが使ったのと同じやつだ。
「さっさとしろ!」
堕天使が錫杖を振り下ろす。
ベインはバリアのようなものを作ったが、
俺の時と同じように何の抵抗もなくベインの片腕を落とした。
助けなくていいのか?
このままじゃアイツ殺されるんじゃないのか?
次々と魔法が放たれ、殆どはアテリアルに吸い込まれるが、
ほんの少しがベインの体にあたって削っていく。
「早くやれ!」
俺は言われるがまま、魔力を込めた。
珠から桃色の光が溢れて俺を包んでゆく。
最後に見えたのはベインの首が飛ぶ光景だった。
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目覚めれば何処とも分からぬ牢屋の中。
顔には涙の感触がある。
なんだよ、一瞬でも帰れたって思って気が緩んだのか。
それとも名前しか知らないやつが目の前で死んだのがショックだったのか。
ぼんやりとした視界がだんだんはっきりしてくると赤に近いオレンジ色の髪が見えた。
ん? オレンジ……フェニックス、フェネ……。
「ギャアァァァァァアアアアアアアアアア」
「…………」
俺は叫びながら鉄格子にぶつかった。
そして。
「うるせぇぞ!」
隣の部屋から一喝された。
ストレートに一喝された。これはこれで凹む。
しかもフェネのほうをみれば地味に涙目だ。
「……すみませんでした」
とりあえず謝っておく。
何事も先手必勝だろ?
「……せいで」
「はい?」
「あんたのせいで……」
なんだろうな。
目の前に怒りのオーラのようなものが溢れているんだが。
「あんたせいで! なんで私が強制契約なんか結ばなくちゃいけないの!」
は? 強制契約?
なんのこと?
俺はなんも知らないんだが。
考えているとふと真横に気配を感じて顔を向けた。
「よお」
「………首、切られてませんでしたっけ?」
なぜかベインがいた。
見た感じどこにも傷はなかった。
「あれは精属性の魔法で作った精神世界でのことだ。
まあ、下手すりゃ死ぬが結果が定着する前に逃げれば大丈夫だ」
「精神世界?」
「アキトの記憶をもとにあの堕天使が作ったんだろうな」
「てことは夢じゃない?」
「そうだ。まあ、それはほっといて。
やってほしいことがある」
その一言から後は雰囲気が一変し、くどくどと説明が続いた。
やってほしいことの内容はなんで俺が、と思うようなものばかりだった。
要約するとこんなもんだ。
現在位置はヨトゥンヘイム外周の牢獄。
そこから騒ぎを起こしつつ脱走し城壁の一部だけでもいいからできるだけ破壊する。
その後はベインの用意したゲートでアスガルドへ脱出し後は勝手にしろ。
ヴィランズのリーダーがなぜヴィランズの都市を壊すのか?
それを聞くと、「レイズに頼まれちゃー断れん」と、だけ言われた。
確かにあのレイズとかいう少女は強い。
俺だったら逆らおうとは思わん。
「ま、そうことだ。頼むぞ」
そういって俺の手に銀色の珠を握らせた。
「これは?」
「空属性の魔石だ。名前の通り空間に関するものだ。
詠唱の仕方はわかるな?」
「詠唱?」
「ん? ああ、お前はイメージで使う派か。
詠唱は使う属性の名を言って、役目を言う。
例えばこんなのだな『水の剣』もしくは『アクア・グラディウス』。
ま、基本的に意味だけあってりゃどの言語でもいいがな」
ベインの手に二つの水の剣が作り出された。
「それからイメージで使うのは少数派だな。大多数のやつは詠唱する」
そんなことを言いながら『水の剣』で鉄格子を軽く切り裂いた。
「じゃ、後よろしく」
「ちょっと待てよ!」
呼び止めるとなんかすごく嫌そうな顔だった。
「……なんだ、これから別の世界に出かけるんだ。要件は手短に」
「フェネの強制契約ってなんだ?」
「ああ、それ。それは契約者に危害を加えることが出来なくなるとかの諸々の条件を付与した契約で、被契約者側からは基本破棄できないもんだ」
それだけ言ってベインは鉄格子の隙間から出ていった。
そしてすぐに別の足音が聞こえてきた。
多分看守たちだろうな。