1-5 黛良太②
良太は下校後、本屋で目的のマンガを購入して、ついでとばかりにレンタルショップに行ってアルバムを数枚借りた。
倉田叶が学校に来たことで、少しずつ黛良太の日常が戻ってきた。
だけど、彼女に対して、どこか、小さな、小さな変化が感じられた。
人は日々変わるものだと良太も理解している。
叶に感じたのはそういう類のものではない。もっと根本的な、根源的なところの変化だ。ただ、違和感を抱いた良太自身、それがどういうものかわからない。
――どうなんだろうな。
今日一日の彼女の様子を思い返して、考えてみるがまとまらない。
考えをまとめるには、駅前商店街の喧噪は煩すぎた。
住宅街から外れたところに公園があったはずだ。
思い出してゆっくりと歩き出す。
少しでも思考の邪魔する雑音を排除するために、携帯音楽プレイヤーを取り出した。カナル式のイヤフォンを耳に付けて音楽を流す。
流れ始めた曲が気に入らなかったので、数曲スキップして静かめの曲を選択した。
息を吐いて、空を見上げた。
――夜空ってこんなに星の光が弱かったっけ?
光が落ちてから、街の灯りは闇に抵抗するように、力強さを増している。
そんな街の灯りも中心部から外れてしまえば徐々に弱くなる。良太が目的地にした公園は中心部から外れたところにあり、月明かりでどうにか遊具が見えるぐらいだ。
普段からあまり人気がない公園だったが、今日は普段にも増してそう感じられた。
それだけならよかった。
状況から考えれば、公園に踏み込んだ時に、何かおかしかった。
同じ公園なのに、いつもと違う。
どこかが違うのかをちゃんと考えもしなかった。
そもそも、どうすれば、この状況を回避できたのか?
公園に向かうことを止めればよかったのか?
いや、そうなると、倉田叶のことで頭を悩ませることを止めれば良かったのか?
どうだろうか?
そう、どうであろうと、この状況への疑問は解決できないだろう。
へたり込んだ自分に対して、なぜ人狼が牙を剥き出しにしているのだろうか。
日常において、こんなことがあるか? その答えを得るためには、先ほどの疑問に対して、解決しなければならない。
いつ、どこで、どうして、自分は非日常に迷い込んだ?
人狼は唸りをあげて、良太を威嚇する。
逃げ出したい。
そう思っても身体が動かない。
情けないことに恐怖で身体が硬直している。
仮に動いたとしても、人狼に背を向けた瞬間、鋭利な爪で切り裂かれることになる。
人狼は痺れを切らしたかのように、右手を振り上げた。
その動作一つで、良太の緊張の糸を切るには充分だった
「うわあああああ!!」
叫び声を上げながら、目をきつく瞑った。
けど、いつまで経っても痛みがこない。
――まさか、死の間際は、スローモーションに思えるというアレか?
恐る恐る、目を開ける。
人狼は上半身から順に黒い粒子になって、夜空へ消えていった。
視線を右に動かした。
そこには一人のセーラー服の女性が紅い宝玉がついた杖を片手に立っていた。
月光を受ける紫色の髪が揺れていた。目深に被った三角帽子、そのせいで彼女の瞳は伺うことは出来ない。けれど、三日月のように紅い弧を描く唇が印象的だ。
はっきりとは見えないが、おそらく同い年ぐらいだろう。もしも想像しているよりも、年上となると、二十歳前後の女性がセーラー服をきて、コスプレしていることになるだろう。
助かった事実を嚥下して、礼を口にした。
「あ、ありがとう」
「なんで……なんでこんなところにいるの?」
声からしてどうやら、相手の年齢は自分の想定の範囲内に収まりそうだ。しかし、なぜ相手の女性は困惑しているのだろうか?
それに、自分はこの声を知ってるような気がする。
いや、違う。
声だけではない、この立ち姿を知っているような……。
疑問がわき出る中、彼女の問いである、なぜここにいるのかを説明しようとした。
「それは……」
どう説明すべきか。考え始めた途端、疑問の矛先は自分だったのか疑問に至った。
彼女の質問は自分に向けられたものだったのだろうか? それとも人狼へのものだったのだろうか?
考え始め、続く言葉が出ないでいると、
「ここは危ないから――」
彼女は困ったような声色で、髪をくるくると指に巻き付けて、言葉を続ける。
決してこちらを見ない。
夜の闇と目深に被った三角帽子のせいで、彼女の瞳を伺うことはできない。
「早く出て行った方がいい」
「……う、うん。ありがとう。えっと……」
お礼を言おうとして、相手の名前を知らないことに気が付いた。それを察したのか、
「ロザリア」
「ありがとう、ロザリア」
良太はロザリアの忠告に従って、足早に公園を後にした。
公園から出ると、ザッと視界に一瞬だけノイズのようなものが走った気がした。
「なんだ、今の? テレビの砂嵐のような……そんなわけないか」
普段使いもしない頭を行使したせいで、疲れているのだろうと決めて、公園を振り返った。
「あれ?」
公園には先ほどのロザリアと少女の姿はなかった。公園から出てまだ一分も経っていない。姿を消すには短すぎる。
「まさか夢だったとか?」
あはは、と冗談のように笑うが、良太自身つい先ほどまで経験していたことを夢だと思っていない。あの時感じた人狼の獣臭さ、背筋が冷えていくあの恐怖、これら全てが夢だって?
「夢なわけないか」
自己否定し、良太は帰路についた。