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百足の虫は死して倒れず

作者:

 人の通わぬ鬱蒼とした山に、一本だけ通っている山道の脇、少し分け入ったところに、朽ちかけた神社がある。注意深く見れば、蜈蚣神社という名が刻まれているのが確認できよう。参拝者のおらぬ社ではあるが、山道からは人ひとりぶんの踏み跡が続き、拝殿の周りはきれいに掃き清められている。通う者があるのだ。

 今日もひとの歩く振動を感じ、神社のあるじ、大百足のヤシラミは微睡みから目を覚まし、頭を擡げた。

「なんじゃ、また来たのか小娘」

「山神様」

 地鳴りの如きぶっきらぼうな呼びかけに、いらえを返したは年端も行かぬ少女、恐れる様子もなく歩を進め、竹の皮包みを差し出した。

「お供えです」

「またそれか。いらぬと言うに」

 娘は貧しい身であり、己の食事を削って彼に渡しているのは明白であった。ムカデは本来肉食の虫であり、植物質の食い物は殆ど口にしない。いらぬと何度言っても寄越す、その愚直さは好ましくもあれば、哀れでもあった。勧めても受け取らぬと見て、娘は社に包みを丁寧に置いて掃除を始める。

「やれ、我が神社の何をそのように気に入っておるのやら。加護が欲しくば他所に行けばよかろうものを。異界を見る娘なぞ、行くところへ行けば引く手数多であろうに」

「だって私、この山と山神様が好きですもの」

「かっ」

 愚かしや、と吐いて捨てたヤシラミの顔を娘は覗きこむ。

「山神様は私がお嫌いですか」

「えいやかましい。儂は神なるぞ、人間に好きも嫌いもあるか」

 娘はさして落胆した様子もなく、そうですよね、と笑い、掃除を続けた。


 娘の去る背を見送ったヤシラミはひとつ牙を鳴らし、包みへと向き直り声を上げた。

「眷属共よ、供物なるぞ。心して喰え」

途端ざわりと地面が振動し、ざわざわと黒い影が蟠って覆い隠す。地面が揺れたと見えたは虫の群れ、さばえなす八百八の眷属の蠢きが為したものであった。たちまち包みは無数の足のある奔流に覆い隠され、皮も残さず喰い尽くされて再びそのかたちを見せなかった。

「おおそれながら御前様」

 声を上げたのは眷属が一つ、ゲジの変化たる足長彦。

「あのような小娘に心をかけられては、眷属共に示しがつきませぬ。如何に我らが世と通ずるといえど、所詮は人間。儚きうつろいゆくものに過ぎませぬ」

「儚きものなればお前が気にすることもないではないか」

「我らの事ならばそう致しましょう。なれど御前様は山の主であらせられます」

「ふん、忘れ去られた山の主か。恥ずかしくて名乗れるものか」

「御前様」

 ヤシラミは黙れ、と不機嫌に唸った。

「貴様ら儂に指図できた立場か。儂は儂のやりたいようにするのよ」


 その年はいつもの年とは異なり、梅雨に入っても、常ならば梅雨が開ける時期となっても、雨が降らぬのであった。そして、3日とあけず通ってきていた娘の姿も、この天変がはじまってしばらくしてから見えなくなった。

「久しいな、小娘。儂の事など忘れたものかと思うておったが」

 久方ぶりに通ってきた娘に、そう言いかけて口を噤む。娘の顔には軽口を叩かせぬ、一種荘厳な決意が宿っていた。

「お別れにきたんです。私、もうじき糸姫様の供物になります」

 ヤシラミは息を飲む。糸姫はこの地方の水を司る龍神、地方の山神に過ぎぬヤシラミなど、相手にもならぬ強い神である。その本質は荒神であり、その力の分だけ猛々しく高慢で、しばしば理由もなく荒れ狂っては、山に人里に大きな害を成した。

「おまえ、あれは質の悪い水神だぞ。おまえなぞ喰われて骨も帰らぬぞ」

「わかっています。でも、もう決まったことですから」

「決まり。ふん、決まりか。よかろう」

 ヤシラミはぐっと身を起こした。身にこびりついた木々の根が悲鳴を上げ、みしみしと剥がれ落ちた。

「儂が嫁に取ってやる」

 村の決まりが跳ね除けられぬというならば、より身近な脅威を知らしめてやればよい。さすれば誰も逆らいはしない。眷属共が主の苛立ちに呼応して唸り声を上げる。

「文句は言わせぬ。堕ちたりといえ儂は神、人間など敵ではないわ。糸姫のみが神に非ずと彼奴らに思い知らせてくれる」

「やめて」

 娘は甲高く一声叫び、取り繕うように続けた。

「私、山神様が好きです。でも、この山も、里の皆も大事なんです。私が食べられてそれで済むなら、それが一番いいんです」

「おまえひとりでは済まぬ。あれは強欲な神だ。命を捨てたとて相応しい対価があるものか」

「私が行かなかったら、別の誰かが同じようになるだけです。それなら私が」

「しかしおまえは、おまえは儂の」

 その先を断ち切るように、娘は早口でいった。

「嫁にしてくださるって言ってくださってありがとうございます。嬉しかった。ご厚意忘れません」


「ご厚意。かっ、ご厚意とな」

 娘が去った闇の中、ヤシラミはかっとあぎとを開いた。

「雨彦、足長彦」

「はい」

「はっ」

 山神の棲まぬ山は滅びる。雨彦に足長彦、これらは山神の眷属、年ふりた変化といえど、所詮は力弱き妖かしのひとつに過ぎず、さしたる力はない。故にヤシラミは、誰に顧みられなくなってからも、長年ここに蟠っておったのである。

「儂はしばらく留守にする。後を頼む」

 しかし彼らが力をつけるまで待ってやる時間はない。今すぐに行かねばならぬ。ヤシラミはとぐろを巻いて横たわっていた身を蠢かし、幾年かぶりにその全身をあらわにした。ざりざりと音を立て、身にこびりついていた長年の土塊や苔が剥がれ落ちる。御前様、と声を上げたは雨彦、これはヤスデの変化である。

「この乾燥厳しい時分に、どこへ行かれるというのです」

「あの奢り高ぶった糞蛇めの鼻をへし折りに行くのよ」

 雨彦は金切り声で喘ぎ、足長彦が後を引き取ってまくし立てる。

「失礼ながら申し上げます。糸姫は龍神の血筋、いかな御前様とて力及ぶ相手ではございません」

「百足の虫は死して倒れずというではないか、たとえ脚を残らずもがれたとて、けして退かざるが我らの誉れよ。死ぬ時は諸共に彼奴の首獲ってくれるわ」

「あの娘がそれほど大事なのですか。たかが人間の命を数年永らえさせるために、死を賭すまでに、あれと通じ合ったというのですか」

「馬鹿馬鹿しい、人の子と通じてなどおらぬわ」

 振られてなにが通じているものかと腹の中で呟き、ヤシラミは苦笑した。

「あれは山を守りたいと、その為に命を捨てると云うたのだぞ。人に崇められぬと腐っておった儂よりも、よほど山神に相応しいではないか」

 ヤシラミが山より去って数日後、娘が供物として捧げられるよりもほんの幾日か前に、静かに雨が降りはじめた。遅れて来た長雨は、今までの欠如を取り戻すかのように、しとどに山を濡らし、里を潤した。


 それから幾年経っただろう。山は荒れ果て、見る影もなくなった。獣も少なく、妖かしの姿はない。荒れ果てた神社は朽ちて森に呑まれ、かつてそこに祠があったとわかる者は誰もおらぬだろう。

 しかし、そこには今もなお人の踏跡があり、食うものもいないというのに、いつも真新しい竹の皮の包みが置かれている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 昔話風な世界観がステキですね。文体も、雰囲気に合っていると思います。尊大なヤシラミさまと、健気な娘さんのやり取りが、ほほ笑ましく、切ないです。終わり方も、情緒があって美しいです。 [一言]…
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