第36話 山犬兄弟
「文を見逃してた……」
意気消沈と言った様子で戻ってきた昴の後ろで、満面の笑みで腕を組んでいる青藍。
どうやら、文自体は届いていたようだ。
あんまりにもしょんぼりした様子の昴を見て、咲良は思わず彼に駆け寄った。
「お忙しかったし、お身体も調子悪かったですし……」
「そう言ってくれるのはおぬしくらいだ」
そう言ってほほえむ彼は左の指に包帯を巻いていた。
指でも切ったのだろうか。
「その子が人間の娘だな……へぇ、なるほど。ついに昴も独身貴族を返上か」
「なんか後ろで白い子犬がキャンキャン言う声が聞こえるなぁ……咲良、ちょっと海辺に散歩でも行くか?」
「子犬だと!? おいてめぇふざけんじゃねぇぞ!」
「ああ? 事実を言って何が悪い!」
兄弟はまたしても言い争いを始めたので、咲良は元の席に戻ることにした。
粋の隣に腰掛けると、彼は咲良をフォローしてくれた。
「まあ、山犬の兄弟なんてあんなもんだ。喧嘩しながら育っていくから、たまに顔を合わせると……あいさつがわりに喧嘩する」
すっと志乃が立ち上がって手をぱんぱん叩いた。
「はいはいはいはい、ふたりともその辺にしな。青! あんたお邪魔してる立場なんだからもう少し静かにしなさい!」
「うん……ごめん」
「謝るのはあたしじゃなくてここのみんなにでしょ!」
「はい……」
青藍は主人に叱られた犬のようにシュンとして見せた。
(か、かわいい……!)
大の男が奥さんに叱られてシュンとしているさまはなんだか見ていてほっこりした。
ふたりを部屋に案内した後、出かけていた隆爺が戻っていたので経緯を説明すると、驚きの声を上げた。
慌てて仕事に戻ろうとした隆爺であるが、はっと気になることを思い出して、咲良は隆爺を呼び止めた。
「あの、ちょっとお時間いいですか?」
「お、おう。どうした?」
咲良は彼を自室に引っ張っていった。
「なんで、双子の弟さんなのに年上に見えるんですか? それに、志乃さまも……」
双子の弟が、幕末に人間を娶った。それを聞いた時点で咲良は、もう妻は亡くなっているのではないかと思っていたのだ。
そんな彼らが、今日現れた。
咲良より十歳くらいだろうか、少し上くらいの見た目の年齢で。
「ある程度の神通力を持った神や神使は、伴侶にした人間に自分の寿命を半分与えることができる。神通力を分け与えられた人間は、人間をやめることになる」
「な……そんなことが」
「昴さまとか、青藍さまなら可能だ。おれも昔は神使だったが、そこまでの神通力はねぇな。他よりはちぃっと長生きできてるが」
驚きだった。
だから青藍は双子の兄である昴より老けて見えるのだ。
「おれも聞いた話だが、志乃さまは青藍さまの寿命をちぢめたくはなかったそうだ。だけど、酷い労咳になってな」
「労咳って結核のことですよね?」
「ああ、そうだ。今はそう言うんだったな。特効薬が出たのは最近だからな……当時はそうせざるを得なかったって聞いてるな」
寿命を半分与えるなんてこと、できるとは思っても見なかった。
咲良は隆爺に礼を言うと、厨房に戻った。
***
その後。夜。
咲良が向かった場所は昨日龍一行が使っていた一番大きな宴会会場だ。
昴と青藍ふたりが肩を並べて膳の前に座っている。咲良は志乃のたっての願いで彼女の隣である。向かいには隆爺に粋とおと。
「志乃さま、ここにはどうやってきたんですか?」
「現世に出て、とりあえず東京駅まで出て……常磐線の特急乗ってきた」
「な、なるほど……」
現世に出て、公共交通機関を使ってきたと言うのが面白い。
「青ひとりなら四つ足で走ってきただろうけど、あたしがいるとどうにもならないから」
「二本足って限度ありますよね」
「本当にねぇ」
彼女はそう言って、ころころと笑った。
さっぱりした気のいい美人。それが、咲良が志乃に抱いた印象だ。
乾杯は、ふたりが持ってきたビールで始まった。前菜をつまみながら皆で歓談する。
グラスを早速空にした青藍が昴に視線を向ける。
「なんだ、さっき志乃から聞いたが、婚約の件は嘘っぱちか……山の年寄りたちがギャーギャー大騒ぎしてるから来たのにな」
「大騒ぎ? どっちのだ?」
「やっと昴が身を固める気になったのかってみんな安堵して、見てこい! ってな。騒ぎって言っても肯定的な方だ」
(そうか……そうだよね……)
彼は、一度婚約者を亡くしている。もはや、長老たちからすれば、相手が山犬でなくても結婚してくれたら安心、というフェーズに入っているに違いない。
「おれは一生独身だから安心しろ」
「ジジイたち黙ってねぇぞ」
「ほっとけ。どうせ老いぼれどもの妄言だ」
「ちげぇねぇな」
青藍は豪快に笑った。
ふたり、見た目はそっくりだが、性格は少々違う気がする。
青藍の方が子供っぽいというか、豪快。昴の方がもう少し慎重派に咲良の目に映った。
「ところで、咲良と言ったか? 厨房で働いてるらしいな。料理がうまいらしいと聞いたぞ」
すかさず昴が口を挟む。
「料理もできるし飲み物もうまい。ワインや酒の知識もある。みずちの毒でひっくり返ってる時に作ってくれた甘酒で作った卵酒が絶品だった。おれは感動した」
そんなにほめてもらっても困る。確かにあの卵酒はまあまあ自信があるが、だからといって特別なものでもなんでもない。
「いえ、そこまでのものでは……」
咲良が謙遜して言うと、青藍は腰を上げて近寄ってきた。
咲良はなにがどうなっているんだと硬直する。彼はそばに腰を下ろしてあぐらをかいた。
「その卵酒、おれに作ってくれ」
「えぇ!?」
「副頭領がビール注いでやるから頼むよ」
彼はビールの瓶を手に取った。だめだ、これは拒否のしようがない。とりあえず咲良はグラスを手に取った。並々注がれて溢れそうになって慌ててグラスに口をつける。
「おい、青!」
不機嫌そうな昴の声が飛んだ。
「え? なに?」
「あんまり飲ませんな!」
「別にお前の女じゃないんだろ? 頼む、おれも咲良の卵酒、飲んでみてぇな」
青藍はそう言って昴を見やって、わざとらしく咲良の肩を抱いてきた。背中がぞわりと粟立つ。
(苦手だ……)
昴にも今まで散々手を取られたり触れる機会などいくらでもあったが、彼の時とは全然違う。
ここでも昴が好きなのだと自覚してしまい、咲良の顔が曇ったその時のことだ。
昴が音もなく立ち上がって、ずかずか畳の上を進んだかと思うと青藍の胸ぐらを引っ掴んだ。
「てめぇ何気安く触ってんだぶった斬るぞ」
「おうやれるもんならやってみろよ」
売り言葉に買い言葉。挑発された昴は、青藍から手を離して己の左腰に手を伸ばした。
刀を抜くため鞘を握り、そして気づいたようである。
彼は今、三十センチくらいの短刀を腰に刺しているだけであった。彼は外を指差した。
「表出ろこの野郎!」
「ああ? 骨の二、三本折れても知らねーぞ!」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎! 負け犬がキャンキャン吠えんなよ」
「誰が負け犬だこの野郎!」
怒鳴りつけ合うふたりの顔が近い。昔ドラマで見た、いにしえのヤンキーのようである。
兄弟は確実にヒートアップしていた。もう誰にも止められないだろう。
向かいにいた粋と隆爺がすっと立ち上がり、慣れた手つきで縁側への障子をすぱんっと開けた。まるで用意されたコントのようだ。
「どうぞ暴れるなら外で!」
ひゅるりと風が舞い込む。障子の向こうは、美しい日本庭園だ。
美しく剪定され、冬でも緑をたたえる松の木や大小さまざまでごつごつとした石や品のある石灯籠。錦鯉が悠々と泳ぐ池、玉砂利が敷き詰められた地面……。
真っ暗で、よく見えないが。
(庭がはちゃめちゃになるって!)
咲良は慌てた。
だが、止める間もなかった。
昴は真っ黒な山犬の姿に変化し、青藍は真っ白な山犬の姿に変化した。
実に美しい山犬兄弟たちである。
どちらも牙を剥き背中の毛を逆立て、尾を立てて睨み合う。
次の瞬間、二頭の山犬たちはミサイルのごとく庭に吹っ飛んでいってガウガウギャンギャン言いながら猛烈な喧嘩をはじめた。
「あーあ……山犬の兄弟ってのは喧嘩っ早くていけないね」
「本当に……」
志乃は呆れたように言うと、グラスのビールを一気に飲み干した。咲良も愛想笑いをする。
「奥方さま、さく、あのおふたりはおれたちが見てるんで……場所を変えては?」
おずおずとそう提案してきた粋。
その後ろで、すぱんと障子を占める隆爺。なおも、外からはギャンギャン喧嘩する声が聞こえてくる。
まるで、野良犬の喧嘩である。レディの乾杯の席のBGMとしては最悪だ。
「じゃあ、おとちゃんと三人で飲み直そっか!」
志乃の提案に、咲良は首がもげるほど頷いた。
ちょっと心配だが、兄弟喧嘩だ。大事には至らないだろう。
そう彼女は思ったのである。




