第27話 ねぎま鍋
その後はなんとなく気まずいまま茶屋に行って、粟ぜんざいを食べた。粟餅はモチモチとして食感よく、こしあんもとても滑らかだった。絶品だ。
でも、昴の話が胸にしこりのようにひっかかっており、食べている最中も、自殺してしまったという元婚約者のお姫さまのことが咲良の頭から離れなかった。なんてかわいそうなんだろう、と。
食後に茶をすすっていると、昴が静かに口を開いた。
「おぬしはまだ気にしているようだが……世間が言うほどの人間嫌いではない。人間に個人的な恨みなんてものもない。先ほどは後味の悪い話を聞かせて悪かったが……そこまで悲しんでくれるなら、彼女も少しは浮かばれるというものだ」
日が暮れはじめる前、ふたりは錦屋に戻った。そろそろ、町の中を肉屋や魚屋、八百屋や豆腐屋が天秤棒を担ぎ、大八車を引っ張って行商を始める時間だ。
「夕餉はおれが準備する」
「え?」
「え? ってなんだ? こちとら独り身が長いんだから多少の心得はある」
どこか得意げにそう言った昴は、その後来た魚屋からまぐろを買っていた。トロと赤身の部位を半分ずつ。
咲良は何か手伝いたいと厨房でわがままを言って、適当につまみをこさえた。
今日、彼は日本酒を飲みたい気分らしい。体調は大丈夫だろうか。
昴は普通に包丁を持ってまな板に向かい、恐ろしいほど違和感なくねぎをぶつ切りにしている。
場所は、皆の憩いの場である囲炉裏のそば。
とりあえず、彼が注いでくれた日本酒で乾杯する。
久しぶりの日本酒は、辛口でめっぽう美味しかった。
咲良が鍋に視線を移すと、火鉢の上で小鍋がぐつぐつと煮えはじめていた。夜になって一気に冷え込んできたので、鍋物は本当にありがたい。
彼が作ってくれたのは、ねぎま鍋であった。
具材は、ぶつ切りにし火で炙ったねぎ、春菊と豆腐、えのき。皿には鍋に投下前の生のそぎ切りにしたまぐろがあった。
「江戸でねぎまと言えばこれだ。まぐろは食べる直前に火に入れる、これは鮮度がいいから、少し温めるくらいが美味しいだろうな」
「ねぎともも肉の焼き鳥じゃないんですね……!」
彼は菜箸でまぐろを小鍋の中へ。色が変わったくらいでお椀に野菜や豆腐と一緒によそってくれた。
聞けば、調味料は酒と醤油とみりんだけ。とてもシンプルだが、まぐろはトロと赤身が両方入っており、だしも出てつゆも味が深く、何より酒に合う。
そして、ねぎが甘い。一度、網の上で焼き目をつけているからだろう。
「美味しい……!」
「口に合ったなら何よりだ。昔、まぐろは江戸では下品な魚として扱われていた。赤身魚のまぐろは、足が早かったからな」
「今はびっくりの高級食材ですね!」
「本当に。あの頃はまぐろがこれほどもてはやされる時代が来るとは思わなかったなぁ」
酒を片手に上機嫌。銚子を手に手酌で注ごうとするものだから、咲良がそれを奪い取る。
「そんなに飲んだらだめですよ!」
「大丈夫だ、昼間元気だっただろ」
無言で盃を差し出される。手酌がだめなら注いでくれということだろう。
咲良が注げば、彼も咲良に注いでくれた。
楽しそうに鍋にまぐろを追加する彼を見る。なんだろう、今日は本当になんなのだろう。
まるで、デートしてるみたいじゃないか。
昼間、彼は変化して咲良の膝に顎を預けてゴロゴロしていた。
あの時は話があまりにも重すぎて頭もいっぱい。なんとなく彼をわしゃわしゃ撫でたりしていたのだが、あのでっかいワンコは隣にいるこの男だったのだ。
そう考えると急に意識してしまい、咲良は無心にまぐろを口に入れて咀嚼するしかない。
「なあ、咲良」
「はい」
「おぬし、現世に想い人は?」
「い、いませんよ?」
唐突に何を言うのだろうか。咲良の目が泳ぐ。
心臓がばくばくいって、言うことを聞かなかった。
「いや、もう明日にもなれば、おぬしが人間だと噂が広まってしまうだろうなと申し訳なく思ってな。あやめはことのほか大騒ぎしたし、耳のいいものには表通りからも聞こえていただろう。出入りの大工の耳にも入ったはず。きっとおれがおぬしを見初め、神隠ししたと皆が言いはじめる」
申し訳ないのは咲良の方であった。
こんな平凡を絵に描いたような人間とのそんな話なんて、彼にとっては醜聞でしかないだろう。
昴はぐい、と酒を飲み干した。
「……変態鹿野郎への口止めの意味もないだろうな」
彼は笑って欲しくてそう言ったのだろうが、あの時の小判が脳裏にチラついて咲良はまったく笑うどころではなかった。
とにかく申し訳ない。
「あんな大金……すみません」
「案ずるな、あの後すぐに金庫のへそくりの外国の金貨を何枚か持ち出して、粋に現世に行ってもらった。円に換金だ」
「へそくり……」
「昔から金貨を定期的に買っていたら、どんどん高騰していってな……大丈夫だ、金には困ってない。円をこちらの金子に変えるとさらに儲けが出る」
(投資家だ……ウイスキー以外も買ってたのか……)
咲良は気づいた。宿の経営が適当なのは、彼は正直あんまり金に困ってないからである。
社を持っているからきっとそちらの禄、つまり給金は得ているのだろう。それに、彼自身もいいところの出身。
地元には土地などの資産もあるに違いない。
おそらく、彼が真面目にやる気になって、ちゃんと考えて経営したらこの錦屋は化ける。
確実に。
彼は、とにかく頭のキレる男である。
ここ数日で、咲良はそれを身に沁みるほど実感していた。




