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死と苦  作者: 田中慎二
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俺には文才もなかったらしい。

私の妄想は朧気で半端です。さぞ支離滅裂でしょう。

俺は今年で15だが酒と煙草にすごい興味がある。それは、酔えそうだから。なんで酔いたいかと言うと、ああそう、これは単純に悪ぶれそうで良いとか、酔っ払いとか煙草をめっちゃ吸うおっさんに憧れてたからとかじゃない。俺は依存、中毒物質は心労とか苦しみすぎた人?のために使われるべきだと思う。実際俺が考え思いつかなかっても精神病院で処方される薬はそういう感じの物らしい。俺の姉貴が不安定な時期があった。まあ薬は行き過ぎると毒になるって言うし。俺は正直云って元々家族が少々変だった。父親は柔道とか習ってたし、厳しい人だった。母は随分と子供思いだと思う。一番明らかだったのは姉貴だ。姉貴は中学受験をしたが確か半年ぐらいで精神を病んだ。病んだ理由は知らん。俺は病んだ奴の思考は分からんし、今更掘り返せん。と云うか今でも一寸不安定だし。次は兄貴だ。兄貴は屑だ。人間として塵って感じじゃなくて嫌な奴。中学三年のどっかで不登校に成った。因みに受験はしてない。高校受験は確か普通なら必死に勉強していくそこそこの所をノー勉で受験した。だが二年で出席日数が足りなくて退学した。其のことに対して父親は休学にしろって言ってたらしいけど、母が兄貴の言うとうりに退学届を出したから二度とは話さんと言っていた。それを姉貴にも言ったが数年後は気にしてないように見えた。そして前述のことがあって俺は普通だっていうほど常識がないわけじゃない。ところで、小四ぐらいで自己形成は終わるらしい。確か中学一年で習った気がする。中学に入ってから一年は無意識だった。だが、一年のときに確信を得た事がある。それは、秋だったか冬だったかの頃、付き合いのある頭の悪い奴に自分がどのような変人かと訪ねたところ、「お前?お前は変人だけど面白いよ」と言われた。私はまあまあ人生に悩む性格だったので、「面白い」なんて言葉は印象という印象は残らなかった。己が変人と言う人からの評価は今の俺の思想に明らかに反映している。二年は今の俺が体験したら間違いなく噛み締めて謳歌する程幸せと言うような一年だった。劣等感を感じる賢い頭を持った奴にもあった。充実していた。三年になると今の俺と同じような思想に成ったと思う。謂わば絶望を味わったわけだ。二年の頃に付き合っていた者は俺にとっては知り合いと言うに足り得、悩む俺に無知だった頃の幸せを味あわせてくれた。然し、当然だが悲しいことに彼らにとって俺はありふれた友達の一員だった訳だ。何なら友達ですらなかったのかもしれない。ただでさえ不安定だったと思う俺の精神はそれから更に不安定になっていった。が普通なら精神が不安定になると原因を避けるように成ったり、合理的な防御本能が働くはずだ。だが、そういうのは幸せになる覚悟がある奴だけだと思う。俺は其の頃には厭世的?に成っていた。過去縋り付くばかりで今の物に興味がとことん尽きていた。今まで俺は美しい結果だけを見てきて、いざそれを作ろうとすると苦労か醜さが際立つ。考えが「期待外れ」になっていた。分かりやすく言うと現実的になった。そうなると変な考え、行動をしだすように成った。最近思いついた変な考えは「人間失格やドグラ・マグラなどの病み小説を読むのではなく主人公に成った気持ちで読んだらどんな感想を残すのか」これは意味としては転生、転移物だからウケは全くない。変な行動とは、本を読んだり、無意味に変な連絡をしたり、自分の柄に合わないような、人を求めるような行動、淋しいのだ。それに対した俺なりの防衛本脳なのかは分からないが、独自解釈をするようになった。厨二病だと言われても仕方ないと思う。俺は人から嫌われないようにという随分窮屈な生き方に縛られていたため、何処に行っても人目を気にするようになった。そして、過大評価するものが出来た。それは、罪だ。いや、間違っている認識だということは解っているが何だか直ぐに染み付いた。(ここまでで分かるだろうがなんだか思考の中で完結しているが勘弁してほしい。)いや、ここまで来たら順当に苦しむ事に対して罪の精算、正当化を感じるようになった。苦しむと言っても色々ある。拷問、身内の死、俺にとっては精神的苦痛を指す。心を壊す。狂人になる。だけど、それを求めるのは失礼だし、非現実的だ。けど苦しむって多分自主的にそうさせる事じゃ無いと思う。では苦しむためには、俺は人目を気にしない事だと思う。俺は恵まれているくせに不幸せだ。「嫌われる自由」を読んだ事がある。「自由になるには人から嫌われてもいいという覚悟を持てば良い」俺にはあまりにも向いてない考えだった。俺のようなやつが人から嫌われてもいいと考えて行動したら、間違いなくすぐに嫌われるだろう。そして、嫌われると独りになる。俺の中での苦しみとは「人から嫌われること」「孤独」「置いていかれること」だと思う。そんな精神を抉る状況TOP3的な苦しみを味わえば心なんぞ一瞬にして壊れるだろう。だから、人から嫌われる、社会から追い出されるとは俺にとっては精神的に死を意味する。けれど、こんなありとあらゆる苦しみを味わうなら物理的に死んだほうがいいかもしれない。だって俺の考える死後は天国で幸せに暮らすことじゃない、閻魔裁判にかけられ地獄で苦しむことでもない。何も無くなる。考えも今までの幸せも悲しんでくれる家族のことも、苦しみも罪悪感も劣等感も責任もこの思想思考も、何もかもが消える。べつにそんな状態に成ったら苦しみから解放されたいで手一杯だから屹度、それを選んでしまうだろう。

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