始まりの名
やる気のない男子チームも含め、いつの間にか白熱した試合になっていた。
わあわあと楽しげに、かつ真剣にボールが飛び交う。
昔から避けるのは得意だったから、気がついたら最後の六人に入っていた。
わざと当たろうかと身体をずらしてみても、足が勝手に避ける。お陰で俺の後ろにいた男子が犠牲になった。残り五人。
「五十嵐くんって避けるのうまいね。」
吉川も残っていた。身が軽くてほいほい避けている。男子の投げるボールが吉川のときだけ優しいからかもしれない。
「あんたもね。」
「あたしは当たり前だよ。当たったら死ぬ世界にいるもん。」
「はあ?」
くすりと吉川が微笑んだ。
「きみもそうだよ。」
そう笑った瞬間、吉川の目の前にボールが飛んできた。
今までの比じゃない。明らかに男子が投げたスピード。当たればかなり痛いだろう。
だが、それだけじゃなかった。
ボールの周りに、黒い影が取り巻いているのが見えた。
あれ、なんだ?
「ちっ・・・やりやがったな。」
吉川の舌打ちが聞こえた。だが、それ以上の余裕はない。
手を前に出して取る構えを取る。ほんとに取れんのか?
吉川、と言いかけた瞬間、悪寒がした。冷たい手で背中を撫でられたようにぞくりとする。
あれ、やばい。あの黒い影、やばい。普通の人間じゃただではすまない。
そんな予感が一瞬で走った。
そう思った刹那、身体が動いていた。反射的に避けていた今までと同じように、ボールに向かって。
「えっ、五十嵐くんっ?」
吉川の声が届くと同時に、黒いものが俺の腹に直撃した。
普通のボールじゃない。まるでボーリングの玉が当たったみたいだ。あまりの重さに朝飯が飛び出してきそうだ。
全身の汗が噴き出す。息が荒くなり、意識がぼやけてきた。
それでも離さない。
―逃がすかよ。
気がついたとき、俺は膝をついてボールを抱えていた。
黒い影はいつの間にか消えていた。だが、腹の痛みだけは治まらなかった。
「五十嵐くん!」
吉川の声が上から降ってきた。顔も上げられないし声も出ないので答えられない。
「大丈夫か!?」
この剛速球を投げた主が走り寄ってきた。俺を覗き込んでくる。
こいつ、野球部エースの強肩、片岡だ。そりゃ痛いわけだ。
関東レベルのピッチャーの玉を綺麗に腹で受け取った自分を褒めてやりたい。
「悪い、五十嵐! お前、っていうか吉川さんを当てようとしたかったワケじゃないんだ! でもなんか、急に意識がなくなったみたいな感じで・・・」
「おい、片岡! てめえ、吉川さんを狙ってたろ!」
別の男子が片岡に掴みかかった。他の男子もそんな感じの目で睨んでいる。
「違うって! 俺がそんなことするわけないだろ!?」
「明らかにボールは吉川さんに飛んでったじゃねぇかよ!」
「だから違うんだよ!」
「大丈夫! あたしは大丈夫だから。五十嵐くん、立てる?」
俺の腕を取って立ち上がらせた。見た目から細いなと思ってたけど、掴んだ肩の細さは想像以上だった。ちょっと力を入れたら折れちゃいそうだ。
「あたしが五十嵐くんを運ぶから、試合は続行して。」
「で、でも―」
「いいから、大丈夫。」
有無を言わさない強い声の後、吉川はゆっくり歩き出した。俺の歩調に合わせてくれている。
その調子で校庭を突っ切り、保健室に着いたころには、すでに試合は再び盛り上がっていた。調子のいい奴ら。
俺をベッドに腰掛けさせ、そして乱暴に頭を叩いた。
べしっと小気味いい音が鳴る。
予想もしていなかった攻撃を食らい、そのまま枕に頭がぶつかった。
「ってぇ! 何すんだよ!」
「何すんだよじゃねえんだよ、秋人ちゃん。」
向かい側のイスに座り、仏頂面で睨みつけた。
「どういうつもりだよ。」
「何が?」
「あのボール。普通のボールじゃないことくらい、今のお前でもわかったろ。あれが普通の人間じゃ大怪我だぜ?」
「あの、黒い影か?」
「わかってんじゃねえか。ったく、記憶が蘇ってねえってのに無茶しやがって。ひやひやさせんなっての。」
はあ、とため息をつき、苦い笑顔を見せた。
「心配、かけさせんなよ。」
どくん、と心臓がまた鳴った。ドキドキとかそんなもんじゃない。
酷く懐かしい感覚。
また、助けられた。
誰に?
「お前・・・誰だよ。」
「あたし? 吉川春海だよ。」
わざとらしくにこりと笑う。
「そっちじゃない。」
「じゃあどっち?」
「茶化すなよ!」
声を荒げる秋人に、ふんと鼻を鳴らした。
「やっと目ぇ覚めてきたか? ま、あんな一撃喰らえば誰だって飛び起きるよな。」
俺の腹を指差し、あの鋭い瞳で見つめてきた。
「あの黒い影、消したのはお前だぜ?」
「・・・なんだって?」
「黒い影がぶつかった瞬間、お前の力が一時的に蘇ってあれを消したんだよ。今はまた眠ったみたいだけど。」
「あれって・・・?」
「あの影。あれ、邪気ってやつだよ。」
「邪気・・・?」
「悪い思念のこと。人間が発する負のオーラ。まあ人間だけじゃねえけど。わかるか?」
「まあ、なんとなくは・・・でも、あれがそうだって?」
「そう。ま、そのうちわかるけどな。」
にっと笑うと、イスを近づけた。
「よっく覚えておけよ。お前の名前。」
色の薄い瞳。その茶色い瞳に吸い込まれていきそうな気がした。
どくん、と何かが鳴った。心臓じゃない。ずっと深く根を張ってるモノ。
もっと大切な、何か。
「お前の名は、虎舜。」
さらに強く鼓動が鳴り響いた。血が熱く巡る。耳に脈打つ。
「俺の、なまえ・・・?」
「お前の始まりの名だ。」
始まり。
あの、地獄のループ。その始まり。
覚えている。
忘れるものか。
三人の義兄弟。
闇のモノたちとの争い。
どんな時代に生まれても、必ず思い出した。蘇った。
虎舜は、大切な名前だ。
俺という魂の名前。
どうして、忘れていようか。
頬に温かいものが伝った。
涙だ。
「・・・龍、風?」
知らずに口から飛び出していた。視界が溢れ出てくる涙でぼやける。
その言葉を聞いた吉川が、驚いて立ち上がった。
「虎舜!? 甦ったのか!?」
そこまで聞こえたが、その後は意識が遠のいてしまった。
それからあの日まで、この日の意識がぽっかりなくなってたってことは、今でもあいつらの語り草。
腹が立つけど、しょうがなかったんだ。
不可抗力っていうのはある。そうでしょ?




