戦場の蟻
マンションから近くの山の麓で二人は止まり、その黒々とした影を見上げた。
生暖かい、どこか血臭を感じさせる臭いに顔をしかめながら、龍風がため息をついた。
「くっせー。しっかり力を溜めてやがったか。」
「ま、京まで行かなくてすんだって思えよ。」
「嬉しくねえよ。空間捻じ曲げるくらい力が戻ったってこったろ?」
苦々しく雀景が笑った。
「そう考えないようにしてたんだけどなぁ。」
「現実を見据えろよ。」
龍風もぎこちなく笑う。
「行くか、龍風。」
「生きてろよ、雀景。」
同時に、二人は山に足を踏み入れた。
ぬるりと違和感が全身にまとわりつく。
いや、違和感と言うよりは殺意だろうか。鳥肌が立つような空間が広がっている。
どのくらい走っただろうか。
不意に、異質な匂いが鼻を突いた。
どこか懐かしい、あの匂い。
「・・・水の匂いがする。」
「ああ。ってこたぁ、もう近くだぜ。」
くん、と匂いを嗅ぎながら、龍風が笑った。
「足元見てみな。」
視線を下に移すと、雀景は苦笑した。
今まで黒い空間だったはずの足元が、いつの間にか橋になっていた。ぎしぎしと鳴る音も感触もすべてが本物に感じる。
次第に行く手を遮っていた霧が晴れていく。水の香りも濃厚になってきている。
と、敏感に何かを感じた龍風が叫んだ。
「気をつけろ! 来るぞ!」
そう叫ぶが早いか、目の前の霧から突如、河童が何匹も躍り出た。
瞬時に力を解放した。二人から眩いほどの光が立ち上る。
龍風は青い光を風のように操り、かまいたちを起こした。
雀景はまるで羽根のような真紅の光を操り、矢のように敵に飛ばした。
じゅ、と音がして何匹かが蒸発した。だが、その向こうからわらわらと際限なく飛び掛ってくる。
「人海戦術で来やがったか。」
「妖海戦術の方がいいんじゃねえか?」
まだ冗談を叩けるだけの余裕はあるが、どれほど持つかはわからない。早急に橋姫にたどり着かなければ、力がもたない。
ぎりと歯噛みした龍風の横から、いきなり水虎が爪を振りかざして襲い掛かった。
「うわっ!」
咄嗟に体をひねり、巨大な風で引き裂いた。
耳を劈くようなひどい叫びをしながら、水虎は霧に沈んでいった。
「この霧、まずいな。どこから来るのか検討もつかない。」
「大方、これも妖怪だろうな。煙々羅か?」
とりあえず霧に向かって攻撃してみるが、やはり何も無い。
「煙々羅だったら攻撃しても意味がねえよ。くそ、ただ漂ってるだけの奴かと思いきや、こんな使い方があったなんてな。」
ちっと舌打ちしてから、横から飛び出してきた河童をかまいたちで引き裂いた。
切りつけながら、あたりを鋭く見回す。先ほどからずっと、嫌な違和感があったのだ。
何かを見逃している気がする。見落としてはいけない、何か。
「気をつけろ、雀景。何か変な――」
言いかけた瞬間だった。
足元にぬるりとした感触が走った。
はっとして下を向いた刹那、それがぐるりと動き、足元をすくわれてしまった。
「うおわぁ!」
「りゅうほっ・・・うわ!」
二人の足に巻きついていたのは、濡れ女という蛇に似た妖怪の体であった。太く巻きついているそれは、生半な力では引きちぎれない。
天地が逆転した二人に、にやりと濡れ女は笑った。
「くそ・・・煙々羅を使いやがった本当の目的はこれか。」
「ちくしょー、制服で来るんじゃなかったぜ。」
スカートがめくれないように押さえながら、龍風は睨みつけた。
にやにやと笑っている濡れ女の隣に、酷い妖気が立ちこめた。
反射的に二人は臨戦態勢を取った。
この妖気、懐かしい。
「ちっ・・・姫のお出ましか。」