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蚊帳の外

作者: 夜凪
掲載日:2026/03/26

背中を、嫌な感じが這い上がる。蜘蛛の巣に絡め取られて、気付かないうちに身動きが取れなくなるみたいだ。

こんな空気になる理由ってなんだろう。最近ずっとこうだ。

きっと私の知らない何かが起きている。それがなんなのか、話してくれるまで聞くまいとしている自分が馬鹿馬鹿しくなる。

そんなのでごまかせているつもりなのが、最高に笑える。

話さないことも、知らないことも、相手にとっての幸せだと信じて疑わないみたい。好意も、愛も、憎しみへと変わっていくのが、わかってしまう。

ピピピピピピッ——耳をつんざくような音が鳴り響く。手を彷徨わせながら、なんとかアラームを止める。また、朝が来たのか。

最近ずっとクラブの活動に行くのが億劫だ。人生楽しいことばかりじゃないが、楽しくもない活動に通い続けている自分が、ひどく滑稽に思われる。

活動が嫌で、外出するのも憂鬱になるなら、元も子もなくないか?

ため息が漏れる。

荷物をまとめ、外に出る。元気な人間の隣で、自分の憂鬱さが鮮明になる。

街の中を歩く小学生や中学生が、楽しそうに行き交う。バタバタと走る音も、イライラしている雰囲気なんか微塵もない。

今日は珍しく晴れて、空気もカラッとしている。風が髪を揶揄うように、脇をすり抜けていく。

幸せを幸せと思えないことが、一番の不幸だろうか…。

気づけばクラブの活動場所に着いていた。どうやってここまで来たのか記憶がない。

習慣って恐ろしい。

活動は毎回同じように繰り返され、つまらない。気づけばもう活動時間だ。ああ嫌だ——ため息が漏れる。

扉を開けると、空気が重い。顔ぶれはいつもと同じ。でもなんだか違和感がある。

「……なんだ、今日は。」

心の中でそう呟く。嫌な感じがして、入り口で立ちすくむ私の手を、すぐそばに座っていた先輩が掴んだ。今日は特に様子が変だ。

会話に付き合ううち、先輩は途中で泣き出してしまった。

何を言っているのかは聞き取れるが、支離滅裂で、何が言いたいのかわからない。

別の先輩がやってきて、「言いたいことがあるならハッキリ言って」と言った。

それでも先輩は、まだモゴモゴと私の後ろに隠れようとする。

一体、全体、本当になんなんだ。

このまま活動を続けられないと判断したのか、後輩たちは一旦帰され、話し合いが始まる。

「何が言いたいのか」「これが不満なのか?」と促されても、泣きじゃくる先輩は「違う」「もういい」の一点張り。

もちろん、それで他の先輩が納得するわけもなく、苛立ちはさらにエスカレートしていた。

私は三人を宥めながら、無理やり笑顔を張り付け、大きな声を出す。シリアスな場面でニコニコする自分が——気味が悪かった。

結局、二人で話したいことがあるということで、二人以外は外に出ることになった。

二人にして大丈夫だろうかという気持ちと、ここから逃げ出せるという開放感が混ざる。

結局何があったのか、その日も分からず、何もなかったみたいに家に帰った。

けれど心はクラブに取り残されている。泣き腫らした先輩の目、苛立った声、「ごめんね」というか細い声——頭から離れなかった。



あの日のことが嘘みたいに、それ以降、大きな問題は起きなかった。先輩たちは活動を終えた。それでも、あの重苦しい空気は、トラウマのように付き纏う。

ふとした瞬間に、静まり返ったクラブの空気や、イライラした先輩たちの声が耳の奥に木霊する。

正直、先輩が活動を終える時、寂しいと同じくらい、これで解放されるという気持ちがあった。

それほどまでに、私にとってあの時間は苦痛以外の何者でもなかった。



みんなで集まろうと誘う後輩たちの連絡。反応はちらほら。一方で、輪から離れようとする先輩もいる。連絡に一切反応を返さない人も。

いつもより強張った笑顔、とってつけた声、視線や仕草から溢れる距離感——微妙な緊張が漂っていた。

嫌そうにしている人を放っておくこともできず、私は先輩と後輩の間に入る。

自分の身を分け与えているような気分になる。

泣きじゃくった先輩は、なぜか気づくと私のすぐ近くにいて、その存在感が胸をざわつかせる。

あの日と同じように、私の顔には笑顔が張り付き、大きな声を出す。

その時は、ただあの日や去年の真相を断片的に聞いていただけだった。

しかし、家に帰るとあの日の記憶が脳を蹂躙するように押し寄せる。

私のしてきた気遣いが、まるで罰ゲームの一部だったかのように思えて、胸の奥で煮えたぎる苛立ちが、抑えきれず表面へ吹き出す。

◇頭の中では、怒りと裏切りの感情が絡み合い、理性は霧の向こうへ消えた。部室の空気も、先輩たちの声も、刃物のように私の耳と肌を刺し、胸を締め付ける。入部当初から「仲がいい」という体裁のもとで繰り返されていた、一年生の勧誘も、すべて嘘だったんだ。(冷静になって考えると、思考が飛躍していただけだった。)

全てが毒を孕んで私の胸を抉る。

問い詰めずにいられなかった。

ただの八つ当たりだとわかっていても、内側から溢れ出す何かが体を震わせ、世界をぐにゃりと歪ませた。


「私はそんなことに巻き込まれていたのか!」その思いが理性を引き剥がす。

先輩たちの姿も、声も、空気も−−全てが崩れ、波打ち、私の怒りの前に溶けて消えた。

世界は私の胸で煮えたぎる「裏切られた」という感情に飲み込まれ、現実は破片となって散乱する。

視界の端で揺れる影や、耳に刺さる声も、全て私の怒りの餌食だった。


息が重く、心臓の鼓動が頭蓋を震わせ、世界が怒りの色に染まる。――いや、違う。怒っているだけじゃない。


あの時、何も知らずに笑っていた自分。

場を取り繕って、あの空気をなかったことにしようとしていた自分。


全部、全部、滑稽だ。


喉の奥に絡みついた感情が、言葉にならないまま腐っていく。

いろんな感情が喉に引っかかって、吐き気に変わる。


気づいていなかったわけじゃない。

ただ、踏み込まない方がいいと判断しただけだ。

あの空気の中で、それ以上触れることが、どんな意味を持つのか、分からなかった。

声をかければ、波風が経つのは目に見えていた。

でも、知らないふりをすることも、一つの選択だった。

自分を守るために、相手を守るためにー―誰も傷つけずに済むために、私は沈黙を選んでいた。


けれどその時の私は、血の湧き立つような衝動に、正気を失っていた。


「なんで仲違いしてたの教えてくれなかったんだ。何にも言ってくれないんじゃ、私は何もわからない――」先輩の一人に、そんなことを言った気がする。

詳しくは覚えていない。

それだけ、その時の私は、まともじゃなかった。


返ってきたのは、とても穏やかで、でも冷たい返信。


「私も、ものすごく悩んだ。私にできることは、やったつもりだから……何を言われても、私は変わらないよ。迷惑をかけたのはごめん。でも、これは私たちの問題だから、とやかく言われたくない――」


その言葉を読みながら、自分の中で何かがひび割れる音がした。

“迷惑をかけたのはごめん”――でも、“これは私たちの問題”

その冷たさの隙間に、私は落ちていくようだった。

私は、どうしていいのか分からなかった。

誠実であるべきなのに、どうすればよかったのか、全てが瞬間、霧に消えた。


「ごめんなさい。こんなふうに言うつもりじゃなくて……自分でも、なんでこんなことを言ったのかわかりません。最近、精神的に参っていて……感情のブレーキが効かなくて……忘れてください――」


言葉を吐き出すと、胸の奥で何かがぐつぐつ煮え立ち、ざわつき、吐き気に変わる。

頭がぼんやりして、視界が波打つ。呼吸は浅く、心臓は耳に届きそうなほど鼓動している。


それでも先輩は、静かに、淡々としていた。


「偽善者って言われるのなれっこだから。私は大丈夫だから、自分のことを大切にしてほしいな――」


“偽善者”—―その言葉が、私の胸に杭のように刺さった。

抜けずに、じわじわと心を蝕んでいく。

なぜこんなにも嫌悪が湧くのか、理由は分からない。

突き放されたようで、

必要とされないようで、

自分の苦しみを“正しいこと”として押し付けられている感覚が、許せなかった

――ただ、それだけは確かだった気がする。

怒り、悲しみ、苛立ち、裏切られたという感覚――

それらが喉に絡みつき、言葉にならないまま腐っていく。

胸の中で、ぐつぐつと音を立て、全身に重くのしかかる。


私は、この違和感を伝えたかった。

その行動はおかしい、と言葉にできるなら伝えたかった。

でも、相手を傷つけ、自分が理解されず、拒絶されることも分かっていた。

だから、この議論は続けなかった。

自分が正しい、という確信も持てなかった。



みんなが楽しそうに話している。

その異常さに目を背けられなくなっていた。

あの輪の中に入れなくても——知らなければよかった、とは思えなかった。

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