第25話 境界を開くという選択
境界の前は、静まり返っていた。
音がないわけじゃない。
風もあるし、装置の駆動音も聞こえる。
だが――世界の“余白”が、消えている。
「……限界まで、あと二刻」
ユイが淡々と告げる。
その声は落ち着いているが、足元がわずかに揺れていた。
「抑制、続けられるか」
「可能です」
即答。
だが、その後に続く言葉はなかった。
続けられる。
壊れるまでなら。
---
「開放した場合の影響を整理しよう」
俺は、境界制御盤の前に立つ。
「第一に、魔力濃度の局地変動」
「第二に、時間誤差の発生」
「第三に――」
「死の残滓の流出」
ユイが補足する。
「小規模ですが、確実に起きます」
エリスが、喉を鳴らした。
「……街は?」
「被害は出る」
「ただし、制御不能な崩壊は避けられる」
完全な安全は、ない。
だが――完全な破滅も、避けられる。
---
「……つまり」
エリスが、ゆっくり言葉を選ぶ。
「今までみたいに“何も起きない”世界を守るか」
「多少壊れるけど、“続く”世界を選ぶか」
「そうだ」
俺は、はっきり頷いた。
「境界は、ダムじゃない」
「流れを止め続ける場所じゃない」
---
ユイが、制御盤に手を置いた。
その瞬間、彼女の呼吸が乱れる。
「……境界が、私を引っ張ります」
「やめろ」
俺は、即座に言った。
「制御は、俺がやる」
「でも、あなたは境界を感じられない」
「だから、壊れない」
彼女は、少しだけ目を見開いた。
「……それは」
「役割分担だ」
俺は、ユイの手を制御盤から外す。
「感じる人間が操作するな」
「止める人間が、壊れる」
それは、今まで何度も見てきた構図だった。
---
境界制御盤に、警告が灯る。
【安全制限解除まで:残り一刻】
自動解除。
評議会が用意した“最終安全装置”だ。
解除されれば、制御不能な解放が起きる。
「……もう、待てない」
エリスが、静かに言う。
「ああ」
俺は、操作レバーに手をかけた。
---
「開放角度、第一段階」
「流量制限、最低値」
境界が、軋む。
見えない壁が、ほんのわずかに“薄く”なる。
空気が、動いた。
「……風が」
エリスが、息を呑む。
吸い込まれていた風が、外へ流れ始める。
止められていたものが、動き出す。
---
「反応、安定!」
ユイの声が、少しだけ明るくなる。
「歪み、拡散中」
「集中が、解けています」
境界が、悲鳴ではなく――
**安堵の音**を立てた気がした。
---
その瞬間。
【警告:境界干渉反応】
赤い表示。
「……来る」
ユイが、顔を上げる。
「境界の向こうから、何かが出ます」
「量は?」
「……小さい」
「でも――意思があります」
エリスが、身構えた。
「魔物?」
「いいえ」
ユイは、はっきり言う。
「**残滓です**」
「“戻り損ねたもの”」
---
俺は、レバーを握ったまま言った。
「予定通りだ」
「止めるな」
「……はい」
ユイが、初めて感情を込めて返事をした。
境界は、完全には開かない。
だが、閉じきりでもない。
世界は、ようやく――
**息を吐き始めた。**
---
遠くで、境界が低く鳴る。
これは、始まりの音だ。
取り返しは、つかない。
だが――戻る必要も、ない。
「……選びましたね」
エリスが、小さく言う。
「ああ」
俺は、境界を見据えた。
「世界を、止めない選択だ」
次に来るのは、結果だ。
本話もお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、
ブックマーク や 評価 をお願いします。
応援が励みになります!
これからもどうぞよろしくお願いします!




