第23話 境界は、音を立てて歪む
異変は、音もなく始まった。
「……風が、逆だ」
境界管理領域の外縁で、監視兵が呟いた。
本来なら、こちらへ吹くはずの風が、境界の内側へ吸い込まれていく。
「気圧差か?」
「違う……匂いが変だ」
次の瞬間、地面がわずかに軋んだ。
揺れではない。沈みでもない。
――“引っ張られる”感覚。
「境界計、反応上昇!」
警告が遅れて鳴る。
数値は安定域。だが、体感は嘘をつかない。
「……来てる」
誰かが、そう言った。
境界の向こうで、光が歪む。
線だったはずの境が、厚みを持ち始める。
まるで、世界が息を止めて、吐き出し方を忘れたみたいに。
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「要請だ」
宿の扉を叩いたのは、使者だった。
国家の紋章はない。所属不明。
それが、事態の深刻さを物語っている。
「境界管理領域で、連鎖異常が発生している」
「各国では手に負えない」
「……あなたしか、呼べない」
俺は、少し考えた。
「境界は、直さないぞ」
使者は、即答しなかった。
その沈黙が、答えだった。
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境界管理領域は、中立地帯にある。
どの国にも属さず、どの国も責任を持たない場所。
だからこそ、溜まる。
「……静かですね」
エリスが、周囲を見回す。
風も、音も、妙に抑え込まれている。
「静かすぎる」
俺は、境界を見た。
見た目は、いつも通りだ。
だが――厚い。
触れていないのに、皮膚が痺れる。
時間が、遅れている感覚。
「……世界が、詰まってる」
そう言った瞬間。
「その表現、正しいです」
背後から、淡々とした声がした。
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振り返ると、一人の女性が立っていた。
無表情。
年齢は、エリスより少し上。
服装は簡素だが、身に着けている器具だけが異質だった。
「境界監視官、ユイ」
「ここで起きていることは、全部“溜めすぎ”です」
彼女は、境界を一瞥する。
「各国が安全を求めて、歪みを押し付けた」
「魔力、時間、死の残滓……全部ここに」
「結果は?」
「……破裂寸前」
エリスが、息を呑む。
「破裂、って……」
「一気に混ざります」
「生と死、昼と夜、現実と残滓」
「世界が、均される」
均される。
それは、救済じゃない。
崩壊だ。
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「止められるか」
俺が聞くと、ユイは首を横に振った。
「修復は無理」
「抑制は、私がやってます」
「代償は?」
少しだけ、間があった。
「……寿命」
彼女は、淡々と言う。
「境界を感じ続けると、身体がもたない」
「でも、止めたら、すぐ破裂する」
エリスが、思わず前に出た。
「そんなの……」
「仕事です」
ユイは、感情を乗せない。
その無表情が、一番危なかった。
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俺は、境界に近づいた。
確かに、抑えられている。
だが、それは“締め付け”だ。
逃げ道が、ない。
「……これ、止め方が違う」
ユイが、こちらを見る。
「あなたなら、どうしますか」
俺は、境界から手を離した。
「止めない」
「開ける」
彼女の目が、わずかに揺れる。
「……世界が、不安定になります」
「今も不安定だ」
「ただ、表に出てないだけ」
俺は、はっきり言った。
「溜めるな」
「流せ」
「世界にも、呼吸がいる」
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遠くで、境界が低く鳴った。
悲鳴じゃない。
警告だ。
時間は、あまりない。
「決めるのは、評議会です」
ユイが言う。
「なら、呼べ」
俺は答えた。
「世界が壊れる前に」
境界の歪みが、また一段、深くなった。
――これは、国の話じゃない。
世界そのものの、話だ。
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