第2話 何も起きない一日が、一番おかしい
辺境領ヴァルナは、静かだ。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
「……今日、魔導事故ゼロですね」
昼過ぎ、点検報告書をまとめながら、エリスが首をかしげた。
「昨日も、その前もゼロだ」
「ですよね……?」
彼女は言葉を濁したが、違和感は隠せていない。
この街では、月に一度は何かが壊れる。
結界の歪み、魔導水路の逆流、街灯魔導具の暴走。
小さいが、確実に起きる。
それが――二日連続で、何もない。
「普通じゃない、ですよね」
「普通だ。壊れる前に直してるだけだから」
「それを普通って言う人、初めて見ました」
エリスはため息をつき、報告書を机に置いた。
「王都の監査官が来るそうです」
「……ああ、そう」
「反応薄いですね」
「来るだろ。数字が急に静かになれば」
王都は数字しか見ない。
だから数字が異常になれば、必ず人を寄越す。
俺は机の上に広げられた街の魔導図を見下ろした。
(……北側、水路が少し怪しいな)
「エリス。午後は北水路の点検に行く」
「え、でも昨日――」
「昨日と今日で、状況は変わる」
そう言って立ち上がると、彼女は一瞬迷ってから、すぐ後ろについてきた。
北水路の魔導制御盤は、古い。
だが、致命的な損傷はない。
……はずだった。
「これ、気づきませんでした」
制御盤を開けたエリスが、低く声を出す。
「魔力の戻り流、ほんの少し逆転してる」
「放っておくと?」
「三日後、夜。
水路が暴走して、下流の住宅地が浸かる」
彼女は顔を青くした。
「そんな……でも、警告数値は……」
「出ない。条件が揃わないと」
俺は部品を外し、流れを調整する。
やっていることは単純だ。
壊れてから直すのではなく、
壊れる形を取れないように戻す。
作業は十分もかからなかった。
「……これで?」
「ああ。もう起きない」
エリスはしばらく制御盤を見つめてから、小さく笑った。
「……だから、何も起きないんですね」
「起きない方がいいだろ」
「ええ。でも……」
彼女は言葉を選びながら続けた。
「王都の人たち、きっと分かりませんよ。
“起きなかった災害”なんて」
「分からなくていい」
「でも、それで……」
そこまで言って、彼女は口を閉じた。
俺は少しだけ考えてから言う。
「この街が無事なら、それでいい」
それが仕事だ。
夕方、役所に戻ると、見慣れない馬車が止まっていた。
「……来たな」
王都の紋章。
監査官は三人。
全員、若い。
そして、数字を見る目しかしていない。
「魔導保全官カイ・ルードだな?」
「そうだ」
「最近の事故発生率が異常に低い。
報告書の改ざんを疑っている」
エリスが一歩前に出かけたが、俺は手で制した。
「確認は自由にどうぞ」
「……随分余裕だな」
「壊れてないものを、壊れてるとは言えない」
監査官は鼻で笑った。
「では聞くが。
なぜこの街だけ、問題が起きない?」
俺は少しだけ考えた。
「壊れる前に直してるからだ」
一瞬、沈黙。
そして――
「……意味が分からない」
その反応に、エリスが小さく苦笑した。
ああ、そうだろうな。
何も起きない一日が、一番おかしい
その感覚は、現場に立たないと分からない。
王都の人間には。




