ステラとダイアナ
少女の正体とその背景、依頼と顛末の裏事情
淡いピンクの花を胸に抱え、商業都市に向かって走る少女ケイティ。
否。彼女の本当の名前はステラ。彼女は5歳上の従姉、ダイアナが大好きだった。
ステラにとって、ダイアナは私心の無い、出世欲のない、ただ「世の中のため」「誰かのため」に献身的に働く、生きる規範のような素晴らしい女性だった。
そのダイアナは今日で商業都市を離れ、王都に行ってしまう。
何も悪いことをしていないのに、ダイアナが一角獣の乙女などと祭り上げられ、軽薄な言葉を次から次へと紡ぐ男たちに取り囲まれる姿を見るのは辛かった。
そんな中、王都の老紳士の申し出を受けたという話はステラにとって少なからずショックだった。
周囲から聞こえてくる陰口も背中を後押しして、ステラは生まれて初めてダイアナに怒りをぶつけた。
ダイアナの「いいえ違うわ、私は望む居場所を得たのよ。ステラ」という一言で怒りを呑んだ。
あんなに凪のように穏やかで静かなダイアナ姉さまは初めてだった。
姉さまの言う望む居場所と言うのはよくわからないけど、それで姉さまが幸せになるのなら。
幸せになってほしい。そう伝えよう。ステラは考えた。
でも、この思いを口にするのは、求婚してきたあの男たちと同じように陳腐な気がした。
スカシユリが咲き始めるころから、ステラはスターローズを捜して群生地に何度も足を運んだ。
どうしてよ。なんで見つからないのよ。そんな苛立ちがあった。
こんなに探しているのに。
たぶん、今年は咲かないのだ。そんな諦めが芽生えていたステラの目の前に、ギルド旅団課の事務員と話し込む赤の舞踏の姿が飛び込んできた。
ダイアナの幸せを願う反面、意に染まぬ結婚を受ける原因をつくった赤の舞踏だけは許したくない。ステラはなんとかして赤の舞踏に一矢報いたかった。
そこで思い立ったのが、一か八か。スターローズを捜す手伝いを頼むこと、だった。
だから、ギルド旅団課の事務員が離れ、赤の舞踏が一人になったのは本当に千載一遇のチャンスだった。
嘘を付くのは大の苦手だ。
最初に、ステイシーかステファニーじゃないかと聞かれた時、本当は、私の事をステラだと知っているんじゃないかと胆が冷えた。
咄嗟に思いついて名乗った偽の名前ケイティと呼んで赤の舞踏が親し気に話しかけてくるたびに、気付かれないよう拳を握りしめていた。
そうして、何度目かのスターローズ探し。
あったのだ。オレンジの海に紛れ込むように一輪だけひっそりと咲く、淡いピンクの、7枚の花弁のスカシユリが。
「ケイティ。そっちにはあったかい?」
そう言ってスカシユリを掻き分けて赤の舞踏が近付いてきた時、ステラは本当に心臓が張り裂けそうだった。
なんとしても、赤の舞踏に気付かれてはいけない。
とっさに口走った。
「は、花を摘みに」
嘘が苦手な性格が裏目に出た。
どうしよう。ステラは悔しさに涙をにじませ唇を噛みしめる。
その様子をこれ以上踏み込むべきでない合図だと、隠喩だと受け取った赤の舞踏が離れていく。
良かった。分からないけど、上手く誤魔化せた。
気付かれないようにその場を後にして、商業都市に停泊する御座船に向かうステラ。
これであの赤の舞踏は一世一代のお姉さまの晴れ姿を、その目にすることなく、人づてに伝聞で聞くしかなくなる。
歴史的瞬間を見逃すの。
ステラは一世一代の仕返しを果たしおおせたのだ。
ダイアナは、四角四面生真面目な性質の持ち主だった。規律を守り、秩序を重んじる。それが己に出来る社会奉仕だと、確固たる信念があった。
故に彼女は仕事を片手間に甘い噂話に花を咲かせる同僚たちの心情が理解できなかった。
浮ついた話に興じることは彼女にとって職域への冒涜だった。どんなに軽微であれ、ミスをするということは真摯に業務に取り組んでいない証左だ。そんな姿勢を崩すことはなかった。
故にギルドでも周囲と合わず、浮きがちな存在だった。
そんな彼女に、思ってもいなかった望まぬ転機が訪れ、ダイアナは一角獣の乙女として神格化された。
神聖なる純潔という肩書に寄ってくる異性が心底疎ましかった。求めていない記号的虚飾を、理想のお仕着せを、年頃の女の子ならさもありなんと普遍的な願望のように押し付けてくる有象無象に反吐がでそうだった。
「君のような聖なる乙女は、もっと輝ける場所に立つべきだ」
「その清潔さ、純粋さを、僕がずっと閉じ込めておきたいんだ」
「君は美しい社交界の華となるべき存在だ、僕が全ての手筈を整えよう」
「他の男には、君のその神聖な価値は分からないよ。僕だけが、君を正しく愛してあげられる」
そんな中、リウエン老紳士は、ダイアナの貢献的な精神に、それ故の生き辛さに理解を示した。
「あなたは、この申し出を滅私奉公、自己犠牲を以て務める義務、取引と受け取ってもらって構いません。ただ、私の隣にいてくれるだけでよいのです」
その言葉はダイアナにとって衝撃だった。
今までの生き方を、在り方を初めて理解された。
ダイアナはそう感じ、リウエン老紳士の申し入れを受けたのだ。
今まで群がってきた男たちは手の平を返して「やっぱり金目当てだったか」と陰口をたたいた。
ダイアナの耳にもそれは届いていたが、彼女は歯牙にもかけなかった。
色とりどりの紙吹雪が茜色の空を彩る中、御座船ハルモニアにタラップがかけられると、熱気は最高潮を迎えた。
満月の光を受け、緋色の絨毯をゆっくり歩む、純白のドレスに身を包んだダイアナ。烏の濡れ羽色の結髪に銀のティアラを被り、誇らしげに白い貌を挙げ、背筋をすっと伸ばして堂々と進む姿は、まさに月の女神の降臨と呼ぶに相応しい美しさだった。
ダイアナは御座船にかかるタラップを一歩一歩進んでゆく。
タラップが外され、甲板に立つダイアナが振り向くと、誰からともなく歓声が沸き上がった。
歓声をかき消すようにシンフォニア、ハルモニアの両船が出航の汽笛を鳴らし、滑るように静かに動き出す。
その様子をステラは少し離れた波止場からしっかりと目に焼き付けた。
一生忘れない。そう心に誓った。
姉さま。
どうか、幸せになってください。姉さま。
ウェディングドレス姿のダイアナが御座船ハルモニアの甲板を引き揚げ、船室に戻ると、介添人が、微笑みながらお部屋にサプライズがごさいますよ、そう申し添えてきた。
花嫁のために用意された御座船控え室にの豪華な調度品の丸い窓際のデスクに、一通の封書と花瓶に差したスターローズが一輪。
送られた者は幸せになるという言い伝えの花。
「可愛らしい妹さんの贈り物です」
ダイアナに妹はいない。それくらいの年頃の少女に心当たりはあるとすればステラだけだ。
四角四面、規範こそが全てのダイアナを師として仰ぎ、慕ってくれた小さな従妹。
介添人が部屋を後にする。
震える手でダイアナが封書を開けると、そこにはたどたどしい筆致で記されていた。
【何処にいても姉様の幸せを祈っています 姉さまの親愛なるステラ】
手紙には小さな砂粒が、瑞々しい花には、微かな潮の香りが残っている。
白い月の光が差し込む窓辺に佇んで、ダイアナは一人静かに嗚咽を漏らした。




