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知恵が足りずに生まれてきた子の生涯

掲載日:2026/01/12

 知恵が足りずに生まれてきたこの子が・・・・・・・この世からおさらばするときに世間様(せけんさま)こん子(こんこ)の不憫さばかりで()うて頷き(うなずき)認めてくださるような何れかの証(いずれかのあかし)を、片手ひとつでええですから何ぞ(なんぞ)持たせてやってはくれますまいかと、お前様(おまえさま)の亡くなったおふくろ様は・・・・・・名主(なぬし)になったばかりの小僧っ子の私の両の掌(りょうのてのひら)を掴まれて地べたを掘る(じべたをほる)ように・・・・・その薄くなった頭を下げられた。それで、今度の正月で三十路(みそじ)になるお前様には、村役人交代で務める樋の番人(ひのばんにん)終生(しゅうせい)やってもらうことにしたのです。


 となり村との月決めを取り止めて終生お前様とするにはなかなか難渋した。血で血を洗う(ちでちをあらう)水争い(みずあらそい)のあったのはふた昔も前のことでも、皆んな幼い時分に爺さま(じじさま)たちからその一部始終を聞かされておったからなぁ。

 それでも、わたしは頑張った。

 玉の汗がこめかみを伝うのも拭わんと説き伏せた。それで、毎日の天道様が真上となった(とき)内村と外村(うちむらとそとむら)おのおのが変わり番こに御山(おやま)の水を藪に隠れた樋(やぶにかくれたひ)に分ける役目は、ふたつの村いちばんの正直者に終生お任せ(しゅうせいおまかせ)すると一つにまとまった。それが名主になったばかりのわたしの初仕事になった。

 はじめ、それを言ったときはどの村の衆も口々に異論だった。が、最後には(みな)(うなず)いてくれた。おふくろ様の言うように、お前様は知恵は足りないがどこぞの甘言(かんげん)する(やから)がおってもそれになびくことはないからと、それが一番に水差配(みずさはい)の公平を保てるやり方だと頷いてくれた・・・・・・・亡くなった爺さま(じぃさま)たちも、孫子ら(まごこら)は水が()ぅなるとしって土留め色(どどめいろ)になってしまう己れの喉を皮膚を(のどをひふを)骨の髄(ほねのずい)元々(もともと)のままで潤う(うるおう)よう、打ちもの飛び道具(うちものとびどぐ)なんでも持ち出し血で血を洗って(ちでちをあらって)さらに互いをズタズタしよった醜い争いごと(みにくいあらそいごと)を二度とせんよう、絞った知恵の証(ちえのあかし)よと、伝えてくれるはず・・・・・と。

 一つにまとまったとき、村の衆はわたしを清右ヱ門の倅(せぃざえもんのせがれ)から名主の目で見てくれるようになりました。


 おふくろ様が亡くなった日もお天道様が真上に間に合うようにとその一時前(いっときまえ)に冷たくなりきらぬ(しとね)を離れ()の隠されてる御山の方(おやまのほう)藪の方(やぶのほう)へと、お前様は歩いていかれた・・・・・だんだんと小さくなるお前様の(せな)を見ていると、亡骸のおふくろ様は透きとおる羽化した蝉(うかしたせみ)に変わりお前様の背に(せな)とまったようだった。粟田のオジ(あわたのオジ)を説き伏せても強引に弔いを仕切らせてもらったのにはそうした経緯(いきさつ)もあってのこと、いや経緯は正しくはありますまい。

 恩である。

 おふくろ様は腹を痛めたたった一人のお前様の生末を案じ(ゆくすえをあんじ)初めて目見う(みまう)わたしに己れの(おのれの)渾身(こんしん)を届けられた。渾身の真(こんしんのまこと)というものを教わったのは、紛れもなくあのときのおふくろ様によるのです。この齢まで御城下(ごじょうか)に参るお勤めも幾度となくあったが、お前様のおふくろ様のように想えばいつでも素直に頭の下がるお人というものはなかなか指を数えるほどしかおらなんだ。染み込むような恩を感じるお人はおらなんだ。

 その恩がいまでもこうしてわたしを包んで(くるんで)呉れているのです。


 お喋りが過ぎたようだ。

 座らせたままで、こないな話ばかり聞かされていたのでは、お前様のお尻(おまえさまのおしり)はずいぶんむず痒くなってきたことでしょう。帰りの道すがらでよいから、もう少しわたしのお喋りに付き合っておくれ。今日も(きょうも)今日とて(きょうとて)暑くなったものよ。毎日の決まりごととはいえ、桶の向き(ひのむき)を変えるのが御山に入って藪に入ってちょうどお天道様の真上に上がったときとは。寒さ()てつく冬空であれば御身(おんみ)被る獣毛(かぶるじゅうもう)が防いでも呉れようが、刃が刺す(やいばがさす)ばかりの暑さに至ってはどうにもこうにも・・・・・背には応える(せなにはこたえる)ことでしょうな。

 お前様とていつまでも洟を垂らした(はなをたらした)ままの身体ではおられますまい。一切を孫子に(いっさいをまごこに)譲ったわたしがこうして存る(おる)のだもの、わたしより一回り上のお前様であれば(こし)といわず(ひざ)といわず、御山(おやま)に登るだけでも悲鳴を上げておるでしょう。

 ささっ、負ぶってあげましょう。なぁーに、まだまだ瘦せたお前様の身体ひとつくらい山道の下り坂であれば容易い(たやすい)こと。そうしようと、背負子を背に負ってきたのだから、だからこうして背中合わせで残りを聞いてて欲しい。面を合わせてていては出てこようとするものが引っ込んでしまいますのでな。

 ほっ、ほぉー

 こうして合わせてみますと、お前様の背中というのは案外に柔らかいものでありますな。口と心根(くちとこころね)とがいつも一緒の和らいだお顔ですから、わたしら凡人のように硬くて渇いた爺ぃなどではなく、これから実る桃の実(もものみ)のように丸い穏やかなのでありますな。


 一度、おふくろ様の背中に触れたことがあります。

 あの日いつまでも薄くなった頭を地べたを掘る(じべたをほる)ように下げられたままの身体を起こそうと、せなに触れたのです。あのときも桃の実を感じました。その丸くて柔らかな実のかたちというより果実に至らぬ桃の実の持つ揺蕩う(たゆとう)の調べを聞いていたのです。そのときおふくろ様の口から零れたように、そこには居らないお前様がすっくと現れ、わたしの背なに掌をあて、一緒に屈むように促し、わたしら三人、互いの背なに掌を当て調べは(ともえ)となりました。覚えておいででしょうか。おたしは目を瞑っても絵筆を取ってなぞれるほどその輪郭の一部始終をはっきり覚えております・・・・つい、いまじがたのように

 こうしてお前様を背負(しょ)っておると、あれからいままでの50年の移ろいが何もなかったかのようにただただ巴を聞いていたような心持ちです。

 

 藪を抜け御山を降りてきた清右ヱ門(せぃざえもん)は空になった背負子(しょいこ)を置くと、これからの樋の番(ひのばん)はひとりするものと少し西に傾きかけた天道様(てんとうさま)にそれを告げました。

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