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この山河は誰に傾くのだろう~  作者: 上村将幸
冬ノ歌

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第二十九話 虞美人花海の前での饗宴・後編

ジャガン平原は、昔々は死の匂いと血の匂いが充満し、血塗れだった平原であったが、今では両国の未来を証とする友好の地となっていた。


北風は解き放たれた野狼が猛スピードで駆けるようで、無意識に天真爛漫な乙女が胸に垂らした秀髪を撩き乱した。


彼女は俯いて火の如く焼けた鮮紅の虞美人を拾い上げ、後ろに来た男子を振り返り、甘く澄んだ笑い声を発した。


「見て、これ、なんて美しいの!」


男子は寵愛の眼差しで少女の頬に滲む羞恥を凝視し、彼女の頭に落ちた花弁を指先で軽く摘んだ。


「うん、確かに美しい。君と同じくらいだ。」


「陣幕に戻ろう。外は風が強いわ。」


男子は半膝を屈めて紫い袍の裾を広げ、吹き続ける寒風を遮りながら、心配そうな声で言った。


「今頃あの締結儀式は始まっているはず…早く彼のそばに戻ろう。」


「はーい!」


少女は男子が差し伸べた手に掴まり、軽やかに跳び上がって、立ち上がった瞬間には彼の腕の中に入っていた。振り返って遠くを見ると、幕布で作られた臨時の陣幕が、優瑛に揺れる虞美人の花畑の脇に建てられていた。


「もう戻らないと、お父様にまた叱られるわ。ヒッヒッ。」


言葉が終わらないうちに朔風が微かに冷え、二人が互いに見つめ合う間に十指を固く絡ませて、眉尻に桃色の甘い香りが浮かんだ。


遠くの陣幕の入口で、風に翻る三面の旗幟の下に、並んで立つ二人の影が浮かんでいた。


一人は英気凛々として、荒蕪とした野性の莽々たる北原を渡る逆行の雁のようで、群山の絶頂で孤高に鳴く勇気がある。もう一人は闇を切り拓く天神が降臨したようで、全身から放たれる威風堂々たる気迫は、蛮荒の雪川に永遠と燃える熊の炎のようで、挙手投足の間に、周囲を巡る骨髄を蝕むの蒼風までもが連続して詠吟を発した。


「遅いな。」


体格が魁偉なカイザーは腕を組み、高所から見下ろす如き身を乗り出し、甲斐の右腕を挽いて自分に向かって嬉しそうに歩いて来る娘を見つめた。


「この野蛮な天候をよく見ろ。風邪を引いたらどうするんだ?」


「もういいじゃない、お父様、怒らないで。ほら、甲斐が私のそばにいるじゃない。」


いたずらっぽく目を細めて舌を出し、レイはスカートの裾を軽く摘み、カイザーの隣に佇むズノーの前にゆっくりと歩いて行った。


「ズノー、この虞美人の花をあげるわ。見て、なんて高貴で燦爛に育っているの!」


横目で相変わらず冷たい顔のズノーを盗み見て、彼の頭に手を置くために爪先立ちになり、温婉な笑顔を浮かべた。


「いい子だから怒らないで。他の女の子にこの苦い顔を見られたら、嫌われちゃうわよ。」


「ふん、女の子に好かれる必要なんてない。」


ズノーは一歩退いて耳たぶにつけていた虞美人を取り、甲斐のそばに走って行ったレイに怒ったように白目を剥いた。軽く嘆息をし、すぐに指先で花茎を摘んで、この鮮やかな色を咲かせた花を目の前に置き、呟いた。


「他の女の子がそばにいる必要なんてない…母妃を舅父のそばから奪い返すまで、心の情念は徹底的に封存じ込めておく。」


「ハハ、親王殿下。もし長公主殿下にお会いになりたいなら、いつでも俺と共に帝都に戻ればいい。そうすれば母妃にお会いになれるだろう。」


カイザーは「ハハハ…」と大笑いし、掌でズノーの背中を叩き、勢いよく抱きしめ込んだ。俯いて親しみのこもった声で言った。


その時、ズノーは白頭鷲の鋭い爪に捕らわれた秋原犬の如く「放して!」と叫び、必死に抵抗した。一方、傍で甲斐はレイの香肩を抱き、指腹で自分の顎を撫でながらからかった。


「カイザー殿のこの提案はなかなか良い。灼眼城が正式に我々フランス公国の版図に帰属したら、僕が代わりにここに鎮守し、あなたはカイザー殿と共に帝都に戻り、マリアーナ王妃殿下にお会いになればいい…」


「ダメ、そんなことはできない。」


甲斐の言葉が完全に終わらないうちに、ズノーは地面を蹴って身を翻し、カイザーの鉄牢の如き束縛から逃げ出した。緩んだ戦袍の襟を引っ張り、浅青宝石の如き美しい瞳に一筋の明冽たる冷光が走った。


「私は…そうはできない…」


身を回して、強風に翻る「鳳凰三色旗」と「吟月鳳凰」の軍旗を仰ぎ、合わせた二本の指を高く掲げ、冷たい刃が空を切る如く鋭い声で言った。


「私の些細な私事のために、皇兄が託した使命を捨てるわけにはいかない。フランス公国の偉業を顧みずにすることはできない…そうすることは絶対に許されない、甲斐。」


「それが間違っているのは承知している。でも、君がこのまま感情を抑え続けると…」


甲斐は自らの右手を挙げ、指先を側頭部の近くに浮かべ、骨に刺さるような寒風が指先の隙間を絡むのを許した。ズノーの平穏で痛ましいほどの表情を振り返り、甲斐は眉峰を顰め、顔に濃い憂慮の色を浮かべた。


「お前の心は…いつか崩壊するだろう。」


「それは皇兄が東海岸半島を収復し、即位して王冠を戴き、御座に就いた後のことだ、甲斐。」


余光は「鳳凰三色旗」に描かれた、蒼穹に傲然と立つ赤羽鳳凰の紋様を凝視していた。その羽翼が炎を織り染めるが如く振動するたびごとに、火海に浴びる鸞鳳が幾度となく溶岩の灼熱を経て、自らの儚い躯を鍛え、遂により強靭な核を持つ聖物の如き伝説的の存在として再生する神様が見えるようだった。


この瞬間、高く火鳳を仰ぎ見るズノーは、静かに震える心神を、象徴的な『浴火重生』の精神性と融け合わせていた。


「それまで、私は絶対に自分が先に倒れることを許さない。ましてや、自分の精神と魂が先に滅びへと向かうことなど、許すものか。」


ズノーは口元に微笑みを浮かべ、身を寄せて一歩近づいた。甲斐の震える眉の間に集まる愁いを真剣に見つめ、軽く首を振り、手を彼の肩に置いた。春風の如き和煦な口調で言った。


「安心して、私はそんなに脆くないわ。それに、もし本当に理性を失いそうになった時だって、私のそばには皆が揺るがずに、支えてくれているじゃないか!」


「そうそう、甲斐、君も悲観的すぎるよ、これは君らしくないね!」


一言で、レイは活発に二人の傍に駆け寄り、清麗な顔に虞美人の如く驚くべき晴雅な笑顔を咲かせた。


「ズノー弟の傍には私たちがいるんだから。それに、マリアーナ王妃殿下にお会いになりたいなら、必ず帝都に行く必要はないわ。」


言葉が終わらないうちに、彼女は腕を組んで黙って立つ父を振り返り、霊動く大きな瞳に晶らかな星の光を宿した。


「父上、ガリレオ陛下に建白書を提出していただけませんか?陛下にお願い申し上げます。自ら軍隊を率い、長公主殿下を護衛して灼眼城へ参上させてください。そうすれば、ズノーと彼の母妃が久しぶりに再会できるでしょう。」


「そう言って進言してもよろしいのでしょうか、カイザー殿。」


聞いて、甲斐もすぐに視線を転じ、切に問いかけた。彼らの身の前を吹き抜ける涼しい風が颯々と響く中、カイザーは眉をひそめてレイと甲斐の瞳に滲む焦燥を眺め、ため息をついた。


「その方法が行不通というわけではないが、ただ…」


身を回して青空を飄逸と駆ける『飲剣蛟竜』の国旗を凝望し、彼の顔は無比に厳粛で右手を握り締めて胸を強く打ち付け、身を低くして打ち明けた。


「今は聖ゼアンとティロスの二大帝国が対峙する緊張期で、この灼眼城はちょうどティロスが約二十万の軍隊を駐屯するザイエチェン城は、隣接する地点との距離がわずか十七ファデルしかない。」


手を差し出してレイの頬を優しく撫で、指先で彼女の瞬くまつ毛を滑らせ、一房の髪を掬いて耳の後ろにまとめた。直ちに複雑な表情でズノーを見つめ、身体を折りて彼に背中を向け、千以上の生死をかけた戦役を経験した逞しい顔に苦渋の笑顔を浮かべた。


「我々が謹慎で賢叡な皇帝陛下が、どうして取るに足らない私情の為に、帝国千年の大計を枉われて顧みず、この如き無謀で軽率な建言を採用するでしょうか。」


彼の言葉は天に墜ちる隕石のようで、万物を焼き尽くす熱波を伴い、三人の波立つ心の湖に沈んだ。ズノーの震える口角に苦笑が浮かび、頭を仰いで目頭を転がす涙を堪え。


目を長く閉じ、涙がゆっくりと滲み出し、次第に奏風に浸されたまつ毛を濡らしていった。彼は長いため息をつくと、肩に掛けられた紫い袍が風に乗って翻り、頬に浮かんだ紅潮を隠した。


「大丈夫だよ、舅父にそんな手間をかける必要はありません。いずれ私が自ら聖ゼアンの帝都に行き、母妃を迎えに行くからです。」


「殿下…」


甲斐が指先を挙げた刹那、膨大な無力感が荒波の如く心に押し寄せ、またこの苦悶の絶望を感じた。自分が忠誠を捧げて補佐する少年が、目の前で悲愴な様子を見せるのをただ見ているしかない無力さ。


「主公、準備が整いました。」


ちょうどその時、金花青鳥模様の鎧を着た騎士が駆け出してき、カイザーに向かって膝を屈め、両手を胸に合わせた。身を低くして片膝を地上に突き、跪いた一瞬的、騎士の背後に纏った赤い袍が烈火が渦巻くように翻り、集まってきた悲しみに満ちた蕭々たる戚風を払い散らした。


「うん、分かった。先に退がってくれ。」


「は。」


騎士の姿は、再び『放たれ白鳩が雲へ直入する』紋様が刺繍された蘭白の幕布が、巻き起こす風浪に没し、カイザーはズノーの俊泠とした面差しに残る哀痛の色を凝視し、嗄れた声で低く言った。


「親王殿下…」


腕を半空に挙げた時突然止まり、カイザーは頭を傾けて嘆息し、歯を食いしばって鋭く言った。


「灼眼城の引継ぎ文書に調印するため、会場に入りましょう。」


「…はい、承知いたしました。お手数をおかけします、カイザー殿。」


指先が曲がる時に赤くあった目頭を軽く掠め、ズノーは甘い笑顔で、傍で自責の念に沈むレイと甲斐を見返った。


「甲斐、レイ、陣幕の中に入りましょう。」


「ズノー…あなたは本当に、大丈夫?」


レイははためくスカートの裾をきつく握りしめ、澄み切った瞳の底がズノーの口元の無理をした笑顔を見た瞬間、寂寥混じりの波紋が広がった。


手を振って、ズノーは袖口を掴んで目頭に溢れた涙を拭い去り、眉尻がわずかに垂れて薄霧に隠れた三日月の形を映し、震える顔にさわやかな笑顔を浮かべた。


「もちろんレイ、私は大丈夫よ。」


言葉が終わらないうちに、甲斐が虚空に凝らした視線が惘々たる悲風に残る孤独な後姿を追いかける前に、ズノーは既にカイザーと共に陣幕に歩み入った。


甲斐の瞳に広がる仄暗い光を捉え、レイは一歩近づいて彼の体に寄り添い、背後で翻る紫袍越しに、震える背中に指先を当て、穏やかに言った。


「甲斐、私たちも入りましょう。少なくとも…ズノー…弟を、こんな厳しい場に一人で置き去りにしてはいけないでしょう?」


言葉が終わらないうちに、血の如き深紅な花弁が地面を覆い、悲しみの川が実体化して空への熱い誘いに応じて風に舞い上がった。甲斐はレイから投げられた純粋で氷瀅な眼差しを望ぎ、瞳に残る暗い痕を払い、二人は指を絡ませて陣幕内から吹き付ける寒流を抜けた。


この瞬間、約束通り訪れた三人の若者は、野に咲き乱れる項羽と虞姫の淒悢な魂を宿した虞美人の見守る中、皇兄エドワードが悔しさを飲み込んで敗れたジャガン平原で、ズノーは南部戦区を統括するカイザー元帥と灼眼城の引継ぎについて合意に達し。


最終的に舅父ガリレオが追加した安保保障条約において、『ズノー・ガリレオ・フランス』という、新生フランス皇族の身分を象徴する名義で、皇兄に代わり、『聖ゼアン南部戦区カイザー元帥』の監督に服する追加条件を明記した文書に調印する。


この一瞬に、運命の歯車は逆転を始め、少年の人生で初めて幸運女神の加護を受ける章が正式に開かれた。


この日を待ち望んだ時は長く、灼眼城は遂にライオンハート城の勢力範囲に帰属し、フランス公国と聖ゼアン帝国の国境線は再びジャガン平原が画する南北の境界線に戻った。


一方、ライオンハート城の南30ファデルに位置する西海岸の港に連なる大型防衛要塞「聖マーゴフ城」では、ローウェンが軍隊を率いて駐屯し安全保障を提供する基盤を上で、ウルフトが自ら規模浩大な工匠隊を指揮し、数万の軍民が協力して艱難な建設工事に着手した。


フランス公国が国力を総動員して、国防事業の強化に邁進する中、遥か東方の古国「日出する国」は、歴史的な第一の転機を迎えた。

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僕は完璧な物語を書きたかったのですが、世の中に「完璧」という言葉があるでしょうか。執筆者がいかに浮藻絢爛の世界を描いても、創造主の神の万分の一にも及びません。それで、ほっとしました。普通に書くこと、理想に合った小説を書くことです。自分が描きたい壮大なシーンを、多くの人の目に映し出すことができるのです。「いやあ、実はけっこういいんですね」と言ってもらいたい。それで満足でした。
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