王国の芽吹き
前回までの王子は?
――王国の空に、ようやく静かな青が広がった。
長きにわたり荒廃と血の雨に晒されてきた大地は、再び花を咲かせ、収穫の歌を響かせていた。かつて剣と槍が交わされた丘には、麦畑が波を打ち、戦の記憶を知る者たちの胸に、安堵と同時に深い戒めを刻んでいた。
若き王子が成長し、やがて王座に就いたとき、王国は一つの岐路に立っていた。
戦乱を知る世代がまだ健在であるが、彼らは老い、やがて歴史から退いていく。次世代は、血と炎の記憶を伝え聞くのみとなり、安易に平和を当然のものと考え始める者も現れ始めたのだ。
宮廷では重臣たちが語り合った。
「若き王は優しき心を持つ。しかし優しさのみでは国を守れぬ」
「いや、剣を掲げるより、心を導く王こそ、この国を未来へと導くのだ」
意見は分かれ、会議の席では度々激しい論争が巻き起こった。だがその根底にあるのは、誰もが「過去を繰り返させてはならぬ」という同じ思いだった。
一方、農村や街に暮らす民たちは、戦乱で失ったものを取り戻そうと懸命に働き、子らに未来を託していた。
戦を経験した者はこう語った。
「剣を取るのは容易い。だが本当に勇気ある者は、剣を置き、畑を耕し、家族を守る者だ」
その言葉に子どもたちは耳を傾けたが、同時に彼らの胸には新しい夢も芽生えていた。剣ではなく知識を求め、魔導や学問に身を投じる若者たちの姿が王都の学び舎を満たしていったのである。
しかし、平和は決して盤石なものではなかった。
隣国からの密使が王国に忍び寄り、陰謀を企てる影もあれば、旧時代の亡霊のように「再び戦で富と栄誉を得よう」とする者も現れた。
そのたびに若き王とその側近たちは、剣と知恵の両方で国を守る必要に迫られた。
そして、王国の未来を象徴する存在として、人々の期待を一身に背負うのは――幼き王子だった。
彼の誕生は数奇な因縁と女神の影に翻弄された結果であったが、今や人々にとっては希望の灯火でしかなかった。
城下の子どもたちは彼の名を歌にして口ずさみ、兵士たちは彼の成長を励みに剣を振るった。
ある日、若き王は王子の寝顔を見つめながら、かつての戦友に語った。
「この子に剣を持たせたくはない。だが剣の意味を知らぬままに育てることもまた、罪だろう」
戦友は静かに頷き、答えた。
「ならば教えてやればよい。剣とは奪うためでなく、守るためにあると」
その夜、王城の最上階にある古き宝物庫で、若き王は一振りの剣を手に取った。
それはかつて血と復讐を誓った剣であり、同時に新たな時代を切り開いた象徴でもあった。
「これは過去だ。だが未来は、我らが選ぶもの」
そう呟いた声は、まるで大地そのものが応えるように静かに広がっていった。
――王国は生き続ける。
血で築かれた歴史も、涙で綴られた物語も、すべてが次世代へと受け継がれ、やがて芽吹く新しい未来の糧となるのだ。
― 若き王子の目覚め
城下に朝日が差し込むと同時に、王子は庭園に立ち、剣を振っていた。まだ幼さの残る身体に、重い刃は似合わぬ。しかし、その瞳にはすでに「守る者の覚悟」が芽生え始めていた。
師範役を務めるのは、かつて父王と戦場を共にした壮年の騎士。
「殿下、剣を振るとは力を誇ることではありません。力は心に従わせるもの」
王子は汗を拭いながら頷き、また木剣を構えた。
――だが、その姿を遠くから見つめる影があった。
女神の因縁にまつわる古の存在、敗れたはずの「異世界の影」の残党である。彼らは完全には滅びておらず、密かに息を潜め、復讐の機会を伺っていた。
一方で、城下町は平和そのものの空気に包まれていた。
商人たちは市場を広げ、吟遊詩人は王子の名を歌にして子らに伝えた。リィアナ妃は母として王子を抱き、民の前に姿を見せては微笑んだ。その穏やかさは、民の誰もが「この国は安泰だ」と信じるに足る光景であった。
だが、王子の胸の奥には小さな不安が渦巻いていた。
「父上……。この剣で国を守れるのですか? 僕はまだ小さいのに」
その問いに、王は優しく答えた。
「剣を持つのはお前一人ではない。仲間を信じろ。民を信じろ。お前が立ち上がるとき、必ず皆が共に立つ」
その言葉は王子の胸に刻まれ、未来の灯となった。
――しかし、その夜。
城の外れで不気味な揺らぎが生じた。かつての戦乱の残骸から、異界の魔導兵器の欠片が目を覚ましたのだ。
それを操ろうとする「影の一団」は、女神の因縁を継ぐ者と噂される。
やがて、王子の成長と共に、国は再び「影」と「光」の狭間に立たされることになる。
その始まりは、まだ誰も知らぬ小さな兆しにすぎなかった。
― 影の一団の策謀
王都が夜の帳に包まれたころ、地下水路を通じて密かに人影が集っていた。
松明も灯さず、ただ燐光石の青白い輝きに照らされた空間で、彼らは声を潜める。
「……王子が成長していると聞く。いずれ父王の意志を継ぎ、この国の守護者となろう」
「忌々しい。女神が敗れた時点で、我らの勝利は約束されたはずだったのに」
「だが、女神の魂はまだ消えてはいない。新たな契約者を得て、復活の機会を窺っている」
その言葉に、一同の目が怪しく光った。
彼らは「影の一団」と呼ばれる残党。異世界より流れ込んだ魔導兵器を操る術を知る者たちであり、敗戦後も地下に潜り続けていた。
「我らの狙いはただ一つ。この国の未来を潰すことだ」
「王子を――消すのか?」
「まだだ。幼き芽を摘めば反発も強い。だが、影を落とすことはできる。心に絶望を植え付けるのだ」
その計画の第一歩として、影の一団は王都近郊の森に「幻影獣」を放った。
見た者の恐怖を喰らい、心を蝕む魔獣。その存在は直接の被害をもたらすより、人々の不安を煽り立てることを目的としていた。
一方、王城ではリィアナ妃が夜空を見上げ、不安を感じ取っていた。
「あなた……。この平和は、長くは続かないのでは?」
隣に立つ王は、妻の手を握りしめる。
「だからこそ、我らは備えねばならぬ。王子が歩む未来に、影を寄せつけぬために」
その時、城下から緊急の報せが届いた。
――「森に、正体不明の魔獣が現れました!」
王子はまだ幼く、戦場に立つには早い。だが、彼の胸には熱い想いが芽生え始めていた。
「父上……! 僕も行きます。民を守るために!」
影の一団が放った小さな波紋が、やがて大きなうねりとなって王国を揺さぶろうとしていた。
― 王子と幻影獣の夜
王都近郊の森は、深い霧に覆われていた。
夜空に月は見えず、木々の間を流れる風は冷たく、何かを囁くように耳を撫でる。
その奥に、影のように揺らめく存在――幻影獣が潜んでいた。
「王子、危険です! まだお下がりを!」
近衛の騎士が叫ぶ。だが、王子は退かなかった。
彼の目は怯えに染まることなく、ただ前を見据えている。
「僕は逃げません。――守ると誓ったのです。民も、この国も」
その声に、騎士たちの心は震えた。幼き王子が発する気迫は、剣を携える者たちの胸を突き動かすに十分だった。
幻影獣は形を変えながら姿を現した。
それは狼のようであり、蛇のようでもあり、見る者によって姿を変える不気味な魔獣だった。
そして近づく者の心に眠る「恐怖」を形に変えて襲い掛かる。
「幻影に惑わされるな! 恐怖は己の心から生まれる!」
父王が叫び、軍を指揮する。
だが兵の中には震え、幻覚に呑まれる者もいた。
王子もその影に飲み込まれかけた。
視界の端に、巨大な黒き龍が現れ、牙を剥いて襲い掛かってくる――。
胸の奥を冷たい手が掴むように、息が詰まりそうになる。
だが、その瞬間。
背後からリィアナ妃の声が響いた。
「恐れないで……! あなたは私と、この国の未来の希望なのです!」
その声が、王子の胸を温かく照らす。
幻影が揺らぎ、消えかけた。
王子は震える手で剣を抜く。
「僕は……僕は、逃げない!」
剣が振り下ろされる。
その一閃は未熟でありながらも、確かな信念に貫かれていた。
幻影獣は悲鳴のような声を上げ、光の粒となって霧散していく。
静寂が森を包んだ。
兵たちが膝をつき、王と妃は幼い王子を抱きしめた。
「よくやった……! お前の勇気が、皆を救ったのだ」
しかしその夜、遠く地下の影の一団は嘲笑していた。
「なるほど……王子には恐怖を打ち払う力があるか」
「だが、それが希望であるならば、我らが絶望で押し潰すまで」
小さな初陣は、これから訪れる嵐の前触れにすぎなかった。
― 影の刺客と王子の試練
森での幻影獣との戦いから数日後。
王都はまだ静けさを取り戻してはいなかった。
人々の間には「王子が魔獣を退けた」という噂が広まり、希望の光となっていた一方で、影の刺客が暗躍している気配が漂っていた。
その夜、王宮の中庭に黒い霧が忍び寄った。
月明かりすら飲み込むその霧から、一人の刺客が姿を現す。
その名は ザハラ。異世界から送り込まれた暗殺者であり、影の魔術を操る女だった。
「王子よ……。お前は生まれるはずのなかった存在。女神が歪めた運命の欠片。ここで刈り取ってやろう」
ザハラは囁くように呟き、手にした黒刃を振るう。刃先から迸った影は、王子の部屋へと忍び寄っていく。
⸻
王子の覚醒
王子は眠りの中で悪夢を見ていた。
闇に覆われ、血の匂いが漂う世界。
自分が生まれなかった未来で、国が炎に飲み込まれ、人々が嘆きの声を上げている。
「これは……夢なのか?」
そう思った瞬間、王子の胸が強く脈打った。
夢の中に現れたのは、金色の瞳を持つ謎の存在――「時の神」だった。
『目を逸らすな。これは可能性の一つだ。
だが、己の意志で未来を選べるのもまた真実。
立て、王子。運命に試されているのだ』
その声に導かれるように、王子は目を覚ました。
窓辺に立つザハラの姿を見て、直感した。
――これは試練だ、と。
⸻
刺客との交戦
「王子! 危ない!」
護衛の兵が飛び込むも、一瞬で影に呑まれ斬り伏せられる。
ザハラの剣は冷たい光を放ち、彼女の瞳には感情の色がなかった。
「私の刃は運命を断ち切る刃……。抗うほどに、貴様は女神の虚構であることを知るだろう」
王子は手に剣を取る。
震えが走る――だが、逃げない。
「僕は……僕自身の存在を証明する! 生まれてきた意味を、自らの刃で!」
剣と剣がぶつかり、火花が飛ぶ。
未熟な王子の剣は押されるが、その瞳は揺るがなかった。
やがて、駆けつけたリィアナ妃と近衛たちが戦場を囲み、王子を守ろうとする。
「退け、リィアナ妃よ。王子は私が葬る。――それがこの世界の均衡だ」
ザハラの一閃が、王子の頬を掠めた。
だがその瞬間、王子の中に眠る光が弾けた。
「……っ!」
剣先から迸った光が影を押し返す。
王子の瞳が一瞬だけ黄金に輝いた。
「これは……女神の加護? それとも――王子自身の力か?」
ザハラの動きが止まり、わずかに狼狽を見せる。
王子は息を切らしながらも、剣を構え続けた。
その姿に兵も妃も心を打たれ、戦線を立て直す。
⸻
退却する刺客
「今日はここまでにしておこう」
ザハラは影と共に霧散し、夜の闇へと消えた。
彼女の声だけが残る。
「だが覚えておけ。お前はまだ“存在の真実”を知らぬ。
その日が来た時……王子よ、お前は自らを呪うだろう」
森の向こうに影が消えた後も、王子の剣は震えていた。
だが同時に、彼の中には新たな炎が灯っていた。
「僕は……逃げない。存在を疑われても、運命に縛られても。
僕は、この国と皆を守るために生きる!」
その誓いは、やがて訪れる更なる嵐への布石となった。
次回も楽しみに




