赤い槍雨の夜に
物語はいよいよ佳境を迎えつつあります。
深淵の扉が開かれ、タクマと仲間たちは「番人」としての宿命と正面から向き合うこととなりました。
裏切り、再生、そして犠牲。これまで散りばめられてきた謎と伏線がひとつに収束し、物語は想像を超える領域へと踏み込んでいきます。
今回の章では、友情と信念のぶつかり合い、そして避けられぬ決断の瞬間が描かれます。
夜の静寂は不自然に長く続いた
槍を掲げたまま動かぬ王と 震える剣を握る若き戦士の間に 空気そのものが張り詰めていく
蜚蠊の群れはざわめきを止め 石像のように動かず ただ幾百もの眼だけがぎらつき 闇の中で光っていた
仲間を失った兵たちは息を潜め その瞬間を見届けるしかない
戦士は一歩を踏み出す
血に濡れた足が石を滑らせたが 彼は倒れずに立った
その姿に呼応するように 崩れ落ちかけていた兵の何人かが声を絞り出す
「俺たちもまだ終わらない」
「立て 立つんだ」
声は震えて弱々しくとも それは確かに希望の火だった
闇に呑まれかけていた空気が わずかに揺らぐ
その瞬間 王の槍が低く鳴った
空気を裂くような共鳴音が谷間全体に響き 蜚蠊の群れが一斉にざわめき始める
戦士は剣を掲げ その音に抗うように叫んだ
声は血にまみれた喉を震わせながらも 闇を裂くほど強かった
「我らは滅びぬ この地を渡すことはない」
そして槍と剣が 同時に振り下ろされた
静寂が訪れた
耳を澄ませば心臓の鼓動すら遠く まるで世界そのものが息を潜めているかのようだった
足元には砕け散った石と 焦げた土が広がる
それがかつて街と呼ばれたものの残骸だと 気づける者はもういない
ひとりが膝を折り 闇に覆われた大地に手をついた
温もりはなく 冷たさだけが指先を伝う
その感覚は ゆっくりと胸に広がり 生きているのかすら曖昧にしていく
しかし闇の奥で 微かな灯が揺れた
それは焚き火でも 太陽の残滓でもなく 人の眼に宿るわずかな光だった
「まだ…終わらせない」
その囁きは風にかき消されるほど小さかったが 確かにそこに響いた
絶望に覆われた世界で それだけが唯一の色となった
影はさらに濃くなり
街の明かりが一つ、また一つと落ちていった
人々の声も消え
風の音だけが骨のように響いていた
水面は逆さまの空を映し
太陽はすでにその底へ沈んでいた
誰も振り返らない
誰も逃げられない
ただ影が伸び
沈むものを見守っていた
タクマは自分の胸に渦巻く焦りを必死で抑え込みながら周囲を見回した
仲間の顔は険しく誰一人として言葉を発さない
ただ重苦しい空気だけが漂い剣の柄を握る指の力が増していくのを感じる
「おいタクマ」
背後からかけられた声に振り返るとそこには長年共に戦ってきたはずの仲間の一人が立っていた
しかしその瞳にはかつての信頼や友情の色はなく冷えた刃のような光が宿っている
「もうお前と共には歩けない」
静かな声だが確かな決意が込められていた
その一言にタクマの胸は切り裂かれるように痛んだ
「なぜだ」
絞り出すような声で問いかける
答えは短く無慈悲だった
「お前が選んだ道は俺たちを滅ぼす」
剣が抜かれる音が夜の闇に響く
タクマは一歩後退しながらも視線を逸らさずその仲間を見つめ続けた
刃が交わる前にまだ語れることがあると信じて
だが仲間の足取りは迷いなくタクマへと迫っていた
闇に沈んだ街を、紅楼街の火は容赦なく飲み込んでいった
燃えさかる楼閣の中で、女たちの叫び声と男たちの怒号が混じり合う
燻る煙は人々の視界を奪い、熱は肌を焦がし、逃げ惑う者をさらに狂わせていく
朱鬼は立ち尽くしていた
その腕に抱いた女郎は、すでに冷たくなっていた
助けたかった ただそれだけだった
だが彼女は炎と瓦礫に押し潰され、戻らぬ命となった
「俺が…もっと早く…」
喉を裂くように吐き出した声は、煙にかき消された
その背に迫るのは、かつての仲間であり、いまや敵として刃を向ける者たち
「鬼よ その誓いを違えたか」
「仲間を捨て 女に溺れたか」
朱鬼の眼に、狂おしいほどの紅が灯った
失ったものの重さが、怒りとなり、誓いを蝕んでいく
――守ると誓ったはずだった
――けれど守れなかった
炎の揺らめきが、その心をさらに試す
刃が振り下ろされる
朱鬼は咆哮し、全てを薙ぎ払うように拳を振るった
血が舞った
炎と血と涙が混じり合い、紅楼街は地獄と化した
彼の誓いはもはや形を失いかけていた
それでも、ただひとつ――
彼がまだ守るべき者が残っているなら、その命を懸けて戦わねばならない
朱鬼は炎の夜に立ち、燃え落ちる楼閣を背に、再び歩き出した
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
仲間たちの裏切りや、タクマの苦悩は単なる戦いの描写ではなく、「人が人であるために何を選ぶのか」という問いを投げかけるものでした。
この先の物語では、さらに多くの試練と選択が迫り、最後に残るものが何なのか――それが大きなテーマとなっていきます。
次回も、タクマと仲間たちの運命をぜひ見届けてください。




