夜影団との戦い前夜ー
前回のお話は?
― 夜影団との戦い前夜
春の嵐が山を覆い、雨粒が岩を叩く音が谷間に響いていた。
宿場を離れたシオンとセリアは、濡れた道を急ぎながらも、互いに一言も交わさずにいた。
沈黙を破ったのはシオンだった。
「……あの仮面の連中、知っているのか?」
「夜影団――王国を蝕む闇の一派だ。彼らは密偵であり、暗殺者であり、裏の商人でもある。だが、なぜお前の指輪を狙う……」
セリアの声は険しかった。彼女は許嫁を持ちながらも、国に忠義を尽くし、常に任務を優先してきた。だが今、目の前にいる少年の存在が、彼女の心をかき乱していた。
焚き火の前に腰を下ろすと、シオンは木箱を抱き締めるようにしながら呟いた。
「この指輪は、俺の血に宿る契約を呼び覚ます。だからこそ、奴らは手に入れたいんだろう」
「契約……?」
「詳しくは話せない。だが一度これを使えば、もう後戻りはできないんだ」
シオンの瞳は蒼く揺らぎ、雨に濡れた炎の光を反射していた。
セリアはその瞳を見て、ただの少年ではないと確信する。同時に、自分がこれ以上深く関われば、任務も許嫁も裏切ることになると直感していた。
夜が更け、二人は谷の洞窟で休むことにした。
雨音が遠ざかり、静寂が戻ったとき――不意に外で枝が折れる音が響く。
セリアは即座に剣を抜いた。
「……来たか」
闇の中から、仮面を被った影が次々と姿を現す。
その中心に立つ長身の男が一歩前へ出た。黒い外套の裾を翻し、深紅の仮面が炎に照らされる。
「蒼き契約の継承者……ようやく見つけたぞ」
シオンは立ち上がり、木箱を背に隠した。
セリアが彼の前に立ち、剣を構える。
「これ以上は通さない」
仮面の男は嗤った。
「女騎士よ、忠義と恋慕のどちらを取る? その心が揺れるほど、我らに隙が生まれる」
挑発に、セリアの胸はざわめいた。
だが同時に、彼女は己の覚悟を固める。
「迷いは剣に映さない――それが、私の誇りだ」
洞窟に緊張が張り詰める。
嵐の夜、契約を巡る最初の大きな戦いが始まろうとしていた――。
― 夜影団との最初の激戦
洞窟の入口を覆うように、仮面の兵たちがずらりと並び立った。外套に仕込まれた刃、毒を塗った短剣、光を吸うような黒い弓――その全てがシオンとセリアに向けられる。
火の粉がぱちりと弾けた瞬間、最初の矢が闇を裂いた。
「下がれ、シオン!」
セリアが剣を振るうと、火花と共に矢は弾かれ、岩肌に突き刺さる。直後、仮面の影が二人に飛び掛かり、鋭い短剣が閃いた。
シオンは咄嗟に木箱を抱えたまま、背を洞窟の奥に押し込む。
「くっ……!」
セリアは剣を半月の軌跡で薙ぎ払い、二人をまとめて弾き飛ばす。甲高い金属音と共に、仮面が岩に叩きつけられた。
だが、それはほんの始まりだった。
「囲め!」
仮面の長身の男が命じると、十数の影が一斉に散開し、狭い洞窟を完全に封鎖する。火の粉が揺れ、岩壁に影がうごめく。
セリアは短く息を吸った。
(狭い場所では多勢に無勢……剣筋を封じられる……でも、退くことはできない!)
矢雨が襲いかかる。
セリアは岩壁を蹴って跳躍し、刃を弧を描くように振り下ろす。二人の仮面兵が血飛沫と共に崩れ落ちた。だが、その刹那、背後から影が迫る。
「セリアッ!」
シオンの声。彼は思わず身を投げ出し、仮面兵の腕を掴んだ。短剣が火花を散らし、危うく心臓を貫くところを逸れる。
「バカ、無茶をするな!」
セリアが怒鳴り、逆袈裟に斬り払った。敵は呻き声をあげて倒れる。
だが、シオンの手の甲には深い裂傷が走り、血が滴った。
その血が地面に落ちた瞬間、木箱の奥で「蒼き指輪」が淡く光を放った。
仮面の男の瞳がぎらりと光る。
「……目覚めかけているな。やはり“継承者”は貴様で間違いない」
圧倒的な魔力が洞窟を震わせた。
長身の仮面の男は外套を翻し、両の掌に紫の炎を宿す。炎は蛇のようにうねり、洞窟の岩肌を灼き溶かしていく。
セリアは剣を握り直し、全身に力を込めた。
「シオン、私が前に出る。お前は絶対に箱を離すな!」
「……分かった!」
炎蛇が襲いかかり、剣と火が衝突する。轟音と共に洞窟全体が震え、岩片が雨のように降り注いだ。
セリアは全身で炎を受け止め、剣を煌めかせて一歩ずつ前へと押し出す。
その背を見つめながら、シオンは唇を噛み締めた。
(このままじゃ……彼女が焼き尽くされる……! だけど、この指輪を使えば……俺は……)
蒼き光が、シオンの指にまとわりつくように揺らめいた――。
― 蒼き契約の解放
蒼き光はまるで意思を持つかのようにシオンの傷口から流れ込み、体の奥底を震わせた。心臓の鼓動が異様に早まり、視界の端で洞窟の闇さえ淡い蒼に染まっていく。
「シオン、何を――」
セリアが叫ぶよりも早く、光は指輪から溢れ出し、彼の全身を包み込んだ。
仮面の長身の男が炎を振りかざし、嘲笑を浮かべる。
「契約を起動するか……愚か者め。未熟な体でその力を扱えば、己を焼き尽くすだけだ!」
炎蛇が再び襲いかかる。しかし、その瞬間――。
シオンの前に蒼き結界が展開し、炎を吸い込むように消し去った。轟音は静寂に変わり、ただ蒼の輝きだけが残る。
「……っ、これが……俺の……力……?」
シオンは手を掲げると、空気が震え、岩盤を砕くほどの衝撃波が放たれた。仮面兵が数人まとめて吹き飛び、壁に叩きつけられて動かなくなる。
セリアは驚愕に目を見張った。
「まさか……蒼き契約は、こんな力を……!」
だが、シオンの顔は苦悶に歪んでいた。
体の中で暴れる力は制御不能の奔流となり、血管を裂かんばかりに荒れ狂っている。
(ダメだ……このままじゃ……!)
長身の仮面の男が冷笑を浮かべる。
「見ろ。力に飲まれ、己を失う様を。これこそが我ら夜影団の望んだ結末だ」
その言葉を遮るように、セリアが前に飛び出した。
「黙れッ!」
剣が閃き、紫炎を裂いて男へ肉薄する。だが、仮面の男は手をかざすと、炎の壁を生み出して応戦した。二人の刃と炎が激突し、洞窟が再び揺れ動く。
その隙に、シオンは必死に意識を繋ぎとめる。
(制御するんだ……俺が……俺自身で……! 指輪じゃない、力そのものでもない……)
瞼を閉じた時、彼の脳裏に一瞬だけ幻が浮かんだ。
――蒼い空を見上げる幼い頃の自分。
――剣を握る父の背中。
――そして、いつも隣にいてくれたセリアの笑顔。
「……そうだ。俺は……俺であるために、使うんだ」
次の瞬間、暴れる蒼光が収束し、刃のように形を変えた。
シオンの右腕に蒼き剣が具現する。
「――蒼き契約」
その名を告げた瞬間、洞窟全体が閃光に包まれた。
仮面の男が思わず炎の壁を解き、怯む。
「馬鹿な……完全な覚醒だと……?」
セリアが驚愕の表情で振り返る。
「シオン……!」
少年は蒼き剣を握りしめ、静かに答えた。
「行こう、セリア。俺たちで終わらせるんだ――!」
洞窟の奥で、決戦が始まろうとしていた。
― 仮面の男との死闘
洞窟の空気が一変した。
シオンの蒼き剣が放つ光は、ただの魔力の奔流ではなく、存在そのものを揺るがすほどの「意思」を持っていた。岩壁に映るその輝きは、まるで夜の闇を拒む太陽のようだ。
仮面の男は低く笑った。
「ようやく目覚めたか……蒼き契約者。だがそれで終わりだ。貴様の血筋は、この世界を縛る楔。我ら夜影団の使命は、その楔を断ち切ることにある」
その言葉にセリアの眉が跳ね上がる。
「血筋……? どういう意味だ!」
男は答えず、ただ両腕を広げた。
轟音とともに炎の巨人が顕現し、洞窟全体を赤く染め上げる。炎の塊は武器を持たずとも猛々しく、吐息ひとつで岩を溶かす。
「これが我が契約、《赫炎の巨像》。さあ――蒼の小僧よ、その剣で抗ってみせろ!」
炎巨人が拳を振り下ろす。
シオンは蒼剣を構え、必死に受け止めた。刹那、衝撃で洞窟の天井が崩れ、無数の岩が降り注ぐ。
「ぐっ……!」
全身に響く衝撃。剣が折れそうなほどの重圧。
セリアは横合いから岩を斬り払い、叫ぶ。
「シオン、踏ん張れ! ここで倒れたら全部終わりだ!」
蒼き光が脈打ち、シオンの瞳に力が宿る。
「終わらせる……俺の手で!」
次の瞬間、剣から蒼光が奔流となって解き放たれた。
炎巨人の腕を切り裂き、その勢いのまま仮面の男へ迫る。
男は舌打ちし、炎で壁を作ろうとする――だが遅い。
蒼剣の一閃は仮面の表面を掠め、裂け目を走らせた。
「……っ!」
仮面が砕け、露わになった顔は――
黒髪の青年だった。シオンとそう年齢は変わらず、しかし瞳は異様な紅の輝きを宿している。
「……やはりか」
セリアが息を呑む。
「あなた……王国の禁忌実験で失われたはずの……」
青年は嗤った。
「その通りだ、俺は“失敗作”として葬られた者。だが夜影団が拾い上げた。貴様ら王族が築いた腐った秩序を滅ぼすためにな!」
紅き瞳と蒼き瞳が、洞窟の暗闇で交錯する。
二人の存在はまるで鏡合わせのように、互いを否定し、同時に引き寄せられていた。
「……なら、俺はお前を倒して証明する」
シオンは剣を握り直し、低く呟いた。
「俺は俺の生き方を、選ぶんだ!」
蒼と紅――二つの光が衝突し、洞窟は閃光に包まれた。
―――――
次回も楽しみに




