終わらぬ輪廻 ― ループの再来
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終わらぬ輪廻 ― ループの再来
魔鯨との死闘を経て、王子たちは勝利を掴んだはずだった。
港に虹が架かり、人々は涙ながらに「新王国の未来」を讃えた。
しかし――翌朝。
王子は目を覚まし、見慣れた天蓋付きの寝台の上で天井を見つめていた。
昨日の戦いの記憶は鮮烈に残っている。ステイシアの魔法、娘の護符、魔鯨の断末魔……。
だが、窓から差し込む陽光は、なぜかすべてを夢と断じるかのように眩しかった。
宮廷の鐘が鳴る。
王子は思わず耳を疑った。――その音は、あの日、娘の誕生日を祝う鐘と同じ響きだった。
「まさか……」
城の広間では、笑顔で祝福を受ける娘の姿があった。
五歳の誕生日。民が集まり、花を投げ、歌声を響かせる――昨日と寸分違わぬ光景。
ステイシアでさえ、何も覚えていないように自然な笑顔を浮かべていた。
「昨日は……魔鯨と戦ったはずだ。だが、なぜまた同じ日が……」
王子の背筋を冷たいものが這い上がる。
やがて水平線が盛り上がり、再び港に黒き巨影が現れた。
――魔鯨。昨日と同じ絶望の光景。
違うのは、王子だけがこの「輪廻」を知っていること。
「これは……終わらぬ輪の呪いか」
王子は剣を抜き、覚悟を決めた。
たとえ何度同じ日を繰り返そうとも、必ずこの因果を断ち切ると。
彼の眼はもはや恐怖ではなく、静かな決意で燃えていた。
――こうして物語はまた同じ場所から始まる。
だが今度は、王子一人がループの真実を知る者として戦うのだ。
夜が明けた――はずだった。
しかし、王子が目を開けると、そこにはまた同じ光景が広がっていた。
冷たい石造りの城壁、同じ朝の鐘の音、同じ鳥の鳴き声。
そして、遠方の水平線に、あの巨大な鯨の影が姿を現していた。
「……まただ」
王子は思わず拳を握りしめた。
昨日、確かにあの魔鯨を討ち果たした。剣を突き立て、その巨体は大海へ沈んでいったはずだ。
だが気がつけば、世界は逆戻りしている。
彼の隣に眠っていた妻ステイシアも、娘も、まだ何も知らずに穏やかな寝息を立てていた。
王子は胸が潰れそうになった。
自分一人が、この悪夢の繰り返しに囚われているのではないか。
「なぜだ……どこで間違えた」
声に応えるように、娘が夢の中で小さな声を洩らした。
「……お父さま、見えてるの……光が」
王子は娘を揺り起こした。
「光? どんな光だ」
娘は目をこすりながら、指を窓辺に向けた。
「鯨の傷口の奥……赤くて、揺れてる……」
王子は息を呑んだ。
昨日の戦いでは、鯨を倒すことばかりに気を取られていた。
だが、その奥に潜む“何か”を見落としていたのかもしれない。
⸻
再び戦の準備が始まった。
兵士たちは同じ台詞を繰り返し、同じ士気を鼓舞する。
王子の耳には、まるで台本をなぞるようなその声が、不気味に響いた。
「すべてが……同じだ」
ただ一人、王子だけが異常を知っている。
ステイシアがそっと彼の手を握った。
「あなた、怯えているのね」
「……怯えているというより、迷っているんだ」
「なら、信じて。あなたが選んだ道こそが、答えになる」
その言葉が、王子の心に小さな火を灯した。
今回は、ただ斬るだけではない。
真実を暴き、この輪廻を断ち切らねばならない。
⸻
戦いの海へと船が進む。
波間から現れる巨影。海を割って姿を現したのは、全長百メートルを超える魔鯨。
その眼光は、すべてを呑み込む夜のように暗かった。
「来たか……」
王子は剣を抜いた。
だが、娘の言葉を思い出す。
――傷口の奥に赤い光。
王子は仲間に叫んだ。
「鯨を仕留めるな! ただ傷を広げろ!」
兵士たちは戸惑ったが、王子の迫力に従った。
矢が雨のように飛び、魔法の炎が閃き、鯨の巨体に裂け目を刻んでいく。
その奥、確かに赤い輝きがうごめいていた。
それは心臓ではない。禍々しい石――聖者の石に似た“呪詛の核”だった。
「やはり……原因はお前か!」
王子は海に飛び込んだ。
荒れ狂う波をかき分け、鯨の傷へ潜り込む。
暗闇の中、赤い石が脈動していた。
触れた瞬間、無数の声が彼の頭を満たした。
――間違えている
――お前はまだ選んでいない
――誰を救う? 誰を捨てる?
王子の視界が歪み、時間が乱れた。
今までの戦い、失った友、去っていった許嫁たちの姿が次々に浮かぶ。
すべてはこの石に縛られていたのか。
「なら……今度こそ、選ぶ!」
王子は剣を石に突き立てた。
轟音とともに、赤い光は砕け散った。
魔鯨が最後の叫びをあげ、海の底へ沈んでいく。
王子は剣を突き立て、赤い石を砕いた。
轟音が世界を裂き、魔鯨の咆哮は波間へと消えた。
そして、静寂。
――終わった。
誰もがそう思った。
兵士たちは歓声をあげ、ステイシアと娘は王子に駆け寄った。
「やっと……時が進む」
王子は安堵の笑みを浮かべ、空を仰いだ。
だが、そこで彼の呼吸は止まった。
空には、太陽が昇っていなかった。
闇の帳が裂けることもなく、夜が続いている。
遠くに浮かぶのは、欠けた月のような黒い球体――まるで太陽を偽る影。
「……なぜだ」
王子の呟きは震えていた。
兵士たちの歓声は次第に困惑と恐怖に変わっていく。
「夜が……明けないぞ……」
「おい、どうなっているんだ!」
娘が王子の袖を掴んだ。
「お父さま……石を壊したから……隠されていたものが……」
波間から、不気味な音が響いた。
――ドクン。
大地そのものが鼓動するような、低く重い震え。
やがて海が割れた。
そこから現れたのは、魔鯨ではなかった。
さらに巨大で、輪郭すら掴めない黒い影。
空を覆うその存在は、月の光をも喰らい、闇を濃くしていく。
ステイシアが息を呑んだ。
「……これは……鯨ではない。もっと古いもの……」
王子は理解した。
石を砕いたことで、時の鎖は断ち切れた。
だが同時に、それを封じ込めていた“本当の闇”までも解き放ってしまったのだ。
「朝が来ないのは……俺のせいか」
彼は剣を握り直した。
背後で兵士たちが次々と膝を折り、祈るように頭を垂れる。
だが、王子の瞳にはまだ光が宿っていた。
「ならば、進むしかない。
この闇を斬り裂いてでも――朝を連れ戻す!」
その声は、夜の深淵へと響き渡った。
囮 — 夕闇の策
夜は、いっそう深くなった。
空は黒い布のように世界を覆い、太陽は戻らない。街の灯りはいつもより弱く、風は冷たく重い。王都の広場に立つ王子は、剣の柄を握りしめたまま、ただ一点を見つめている。
「…このままでは、国も人も、滅ぶ」
彼の声は低く、震えていた。だがその震えの中には、決意も混じっている。聖者の石を砕いた代償として解き放たれた闇は、ただ巨大な怪物の姿を取るに留まらなかった。影は夜の根源そのものを貪り、あらゆる希望の芽を摘もうとしている。
ステイシアが王子の横に立ち、そっと腕を回す。娘は寝台で眠っているはずだったが、今は王宮の小さな聖堂の一角で、護符を胸に固く抱えて目を閉じている。ルミナはまだ幼い。だがその小さな体の内側に、光の素質があることは間違いない。王子はそれを知っているからこそ、最も守らねばならない。
「囮にする…というのか?」と、魔女アリシアは問い返す。
その瞳は夜の色を反射し、王子を見据える。策は一つではなかった。力のぶつかり合いだけでなく、幻術、魂を使った誘導、そして『象徴』を利用した作戦が考えられる。だが、どの道もリスクを伴った。
「生身のルミナを前線に出すつもりはない」王子は断言した。だが口にする言葉は冷たさだけでなく、必死の綯い交ぜである。彼の胸中で渦巻くのは、父としての本能と王としての責務の間の引き裂かれだ。どうしても甘くはできない現実がある。
ステイシアが静かに提案した。
「ルミナは『象徴』になる。だが姿は幻にする。私が結界を張り、アリス(アリス役の案内人)とネズミ戦隊が幻影を作る。ルミナ本人は、私たちの最も堅い護衛に守らせる。もしも何かあれば、私が盾になる。」
魔女アリシアが呪文を紡ぎ、ネズミ戦隊の狡猾な小隊が道具を仕込み、エルフが自然の精霊を呼び寄せる。王子部隊は再び隊列を作る。みなが口々に安全策を重ね、できる限りの防護と分散策を用意した。だが、最終的な「象徴」として世に示されるのは、ルミナの姿の幻影――王国の希望そのもの、ということになる。
ルミナ自身は、父と母の相談を聞いていた。幼いが芯の強い少女は、父の顔をじっと見つめると、静かに言った。
「私が囮になる? 見せかけにするならいいよ。みんなが安心するなら、私も怖くない」
その言葉は、王子を一瞬で凍りつかせた。ルミナの眼差しには恐れよりも覚悟が宿っていた。父は一歩後ずさり、ステイシアは用意していた詠唱を止める。彼らは、娘が「志願」しているのか、自分たちにそれを演じさせているのかを見極めたかった。
「君はまだ子だ」と王子は掴むように言った。
ルミナは小さく笑い、手の護符をぎゅっと握り返す。
「父上、私は王国の姫です。光が必要な時に、隠れるだけでは何も変わらない。けれど、わたしが見えるなら、皆は立ち上がるでしょ? それで…いいんでしょ?」
王子の胸が締め付けられる。父として娘を抱きしめたい気持ちと、王として賢明な判断を下さねばならぬ責任がぶつかる。だが、その混沌の中に、もうひとつ見えたのは、娘の言葉が持つ「象徴としての力」だった。人は、形を見ることで希望を得る。見えるものがあるからこそ、兵は防御を固め、民は灯りを絶やさぬ。
作戦はこうだ。ルミナの幻影を港の桟橋に出現させ、影の注意をそこに集中させる。だが実際のルミナは、城の地下聖域に張られた多重結界の内部に隠され、護衛たちが厳重に守る。そして、囮に見せかける「光」は魔女と魔導師、そしてルミナ自身が短時間だけ参加する、精神的な共振を使った「分身(象徴)」だ。分身は本物と見紛うが、物理的に実体を持たない。影を引き寄せるには十分だが、致命的なダメージは受けない。
その夜、港は静かに、だが確実に準備された。既に何度も失敗と再挑戦を繰り返してきた王子は、今回ばかりは万全を期す。ネズミ戦隊は影の足跡を撒き、海の上には偽の船影が並ぶ。エルフたちは水面に霧を張り、敵の視界を操作する。魔女アリシアは言葉少なにルミナの護符を持ち、軽く祝福の印を刻む。ステイシアは王子の肩をそっと抱き、二人で一度だけ目を合わせる。互いの瞳に、言葉を超えた約束が宿る。
港に祭壇のように設えられた桟橋の先端に、白い光が立ち昇る。霧の中で揺れるその光は、まるで少女そのものの輪郭を映し出す。民はその姿を見て泣いた。兵はその姿に鼓舞され、盾を高く掲げる。影は反応した――暗闇の渦がうねり、港に向かって波立つように押し寄せる。
「今だ!」王子の声が響く。だが彼は前に出るのではない。剣を掲げ、魔力を石と結びつけ、周囲の魔法陣を同期させる。目的は誘引を利用して、闇の核に直接断を打つことだ。囮が注意を引く隙に、特攻隊が闇の中心へ到達し、破壊工作を行う――それが王子の本意である。
宵闇を裂くような叩きつけが続いた。影は囮の光に一直線に向かい、港を覆い尽くさんばかりに波を打ち上げる。だが分身は実体ではない。影が触れると、白い光は瞬く間に溶ける演出がなされる。民の間にざわめきが走るが、すぐに静まる。王子は胸の内で冷や汗を流しながら、遠路から来た特攻隊の進路を確認する。
特攻隊はネズミ戦隊が先導し、魔女アリシアが結界を切り裂き、エルフの矢が護りとなる。隊は闇の壁をくぐり抜け、ついに闇の核心へ達する。そこに在ったのは、鯨の傷口とは比較にならぬほど深い闇の瘤。瘤は生きているかのように脈動し、黒い血で海を潮のように濁らせていた。
「王子、今です!」と、ネズミ戦隊の声。王子は口を噤み、アリシアの詠唱に合わせ、剣を大地に突き立てる。世界が一瞬、静止し、聖なる回路が光を帯びて反応した。闇の瘤に向けて、集中された光の矢が放たれる。瘤は叫びにも似た音を上げ、ひび割れて行く。黒の塊が崩れ落ち、暗闇の渦は収縮を始めた。
囮にされた(と思われた)光の像は、民の目に最後の希望のように映った。ルミナは安全圏の奥からその様子を息を呑んで見守る。彼女の胸は高鳴っているが、護衛の腕の中で安堵の涙を流すわけではない。幼いが、彼女はこの国を想う気持ちが強く、だからこそ象徴でいることを選んだのだ。
やがて闇の瘤は崩壊し、空はわずかに明るみを帯びた。小さな白い光が海面に反射し、民は嗚咽混じりの歓声を上げる。王子は剣を下ろし、全身を震わせた。ステイシアが駆け寄り、ルミナを抱き締める。アリシアは静かに呪文を解き、ネズミ戦隊は泥にまみれて笑った。
勝利の余韻は甘くもあり、苦くもあった。王子は深く息をつき、膝をついた。父として、王として、彼は問いかける。――この勝利は、正しい選択だったのか。娘を象徴にすることは、彼の心の中で消えない影を残す。ルミナの眼差しは、誇りと責任を同時に父に向ける。
夜が明けたのは、その後すぐだった。太陽はゆっくりと、だが確実に空を照らし出し、ルミナリアの街角に温かい光を落とした。人々は疲れ切っていたが、生きていた。王国はまた一歩、再生へと向かう。
だが王子の心には、次の決意が芽生えていた。
「もう、娘を囮に使うようなことはしない」
彼はそう誓い、自らが先頭に立って次なる脅威へ向かうことを決めた。ステイシアは頷き、ルミナは小さく手を振った。民衆の中からは拍手と歓声が上がるが、王子の目は遠くの horizon を見据えていた。
その夜、王子は小さな寝間でルミナの手を引き寄せ、囁いた。
「今日は…よくやった。父はお前を誇りに思う。だが、もう二度とそうはしない。次は父が、お前を守る番だ。」
ルミナは眠たげに微笑み、父の胸に顔を埋めた。父の心はひたすらに暖かくなる。希望を掲げる象徴の重さ、それに伴う痛みと責任。王子はそのどちらも受け止める覚悟を新たにする。
⸻
エピローグ的余韻
ルミナを「囮」に見せる作戦は功を奏し、王国は夜の闇を一つ退けた。だがその代償は、王子の心に小さな裂け目を残した。彼は学んだ――象徴は強いが、守るべきものたちは実在する。以後、王は自ら先頭に立ち、国を守るための犠牲は自分が引き受けると誓う。家族と国民をどう守るか。力だけでなく知恵と絆を以て、彼らは進む。
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