女神の干渉と歪められた試練
前回までの王子は?
― 女神の干渉と歪められた試練
洞窟の奥で、群れをまとめつつあった俺の前に、不意に光が差し込んだ。
緑色に染まった自分の腕を眺めていたその瞬間、空気が裂けるように震えたのだ。
――女神。
黄金の光に包まれた姿。
前世で俺を翻弄し、王子誕生さえも盤上の駒のように弄んだ存在。
彼女が、このゴブリンの巣にまで姿を現すとは思いもしなかった。
「……お前がここに来るということは、やはりこの転生もお前の仕業か」
俺は唸るように声を上げる。低く濁ったゴブリンの喉では言葉すら怪しいが、それでも意志は伝わった。
女神は口元を歪めて笑った。
「面白いわ。人として王国を背負ったお前が、今はただの魔物。その矛盾、滑稽でしょう?」
「……これは試練の一環だとでも言うつもりか?」
「いいえ」
女神は白い指をひらひらと動かす。光が洞窟の壁をなめ、同胞のゴブリンたちが怯えて後退った。
「本来の試練はもっと単純だった。けれど、私は退屈なの。だから……少し遊びを加えることにしたの」
彼女は俺の記憶を覗き込むように、冷たい瞳で見据えてきた。
リディアの顔。王国の瓦礫。前世で交わした誓い――それらをあざ笑うように。
「お前が誓いを貫けるか。あるいは、魔物として堕ちるか。
私はただ、観客として楽しませてもらうわ」
その言葉とともに、洞窟が震えた。
次の瞬間、外の森に異変が起こる。
女神は試練の枠を壊し、この世界に本来存在しない魔獣を呼び込んだのだ。
――試練は試練ではなくなった。
女神の気まぐれによって、舞台は歪められ、ルールは無視される。
俺は、牙を食いしばった。
「……女神、覚えておけ。お前がどれほど試練を乱そうと、俺は抗う。たとえこの姿がゴブリンであろうとも――誓いは奪えん!」
光が消え、静寂が戻る。だが次の瞬間、洞窟の外から異様な咆哮が轟いた。
それは、女神が呼び込んだ異形の魔獣の声。
――試練は、もはや遊戯ではない。
血と復讐と、誓いを賭けた戦場へと変貌していた。
― 女神の干渉と歪められた試練
洞窟の奥は湿っていた。苔むした岩肌からは水滴が絶えず落ち、かすかな響きが耳を満たしている。
俺――いや、今は「かしん」と呼ばれる存在は、群れの中心に座し、緑色の粗末な腕を見つめていた。
(人だった頃には考えもしなかった。王子として、剣を握り、誇りを胸に戦ったあの日々……それが、今は醜いゴブリンの体だとはな)
ふと、群れの仲間たちの視線が集まる。彼らは俺に従っている。
粗暴で本能に任せて生きるはずのゴブリンたちが、俺の命令に耳を貸し、秩序を形作り始めている。
それは前世での「王」としての記憶が、無意識に滲み出している証なのかもしれなかった。
だが、その静かな支配は、一瞬で破られる。
――光。
黄金の光が洞窟を照らし、仲間たちが一斉に膝を折る。
俺は知っている。この感覚、この冷たい気配。
「……女神」
現れたのは、白い衣をまとった女神。
前世で王国を操り、俺を弄んだ存在。その冷たい微笑みを忘れたことはなかった。
「面白いわね。あなたがここまで群れをまとめるとは、想定外だった」
女神の声は透き通り、しかし残酷に響く。
俺は低く唸りながら問う。
「これはお前が仕掛けた試練か。人から魔物に落とすなど、何を企んでいる」
女神は首を傾げる。
「企み? そうね……正直に言えば退屈だったの。あなたが王子として立ち上がり、国を救い、家族を築く。それも良い劇だったけれど、終わってしまえばただの物語。そこで私は考えたの。次は、別の舞台で見せてもらおう、と」
「……ふざけるな。俺の人生も、魂も、お前に弄ばれるためにあるわけじゃない」
女神はくすりと笑う。
「でも抗うでしょう? あなたは、そういう存在だから」
その瞬間、彼女は手を掲げた。
洞窟の外が震え、空気がねじれる。
――女神が、本来この世界には存在しない魔獣を呼び込んだのだ。
咆哮が轟く。
それは竜とも獅子ともつかぬ、異形の魔獣の声。
洞窟の奥まで響き渡り、仲間のゴブリンたちが恐怖に震え上がる。
女神は囁いた。
「これは試練じゃない。ただの戯れ。あなたが誓いを守り通すか、それとも魔物として同胞を見捨てるか。私はその結末を楽しませてもらう」
光が消え、女神は去った。
残されたのは、不安に怯える群れと、迫りくる異形の咆哮。
俺は拳を握った。
(この体がどうであろうと関係ない。誓いは奪わせん。リィアナ、子ら、そして王国……すべてを背負った誓いは、この血と肉の奥に刻まれている)
ゴブリンの仲間たちに目を向ける。
「怯えるな! 俺に続け!」
粗末な武器を握り、仲間たちが震える声を上げる。
彼らは理解していないかもしれない。ただ俺が吠えるから従うだけかもしれない。
だが、それでいい。
俺たちは、女神が歪めた舞台に抗うために立ち上がる。
異形の影が、森の木々を薙ぎ倒して迫ってくる。
地響きとともに、その怪物の赤い目が闇を裂いた。
――試練はもはや遊戯ではない。
血と誓いを懸けた、生存の戦いが始まろうとしていた。
――女神の声が、風のようにかしんの頭の中を満たした。
「愚かなゴブリンよ……。力だけで仲間を守れると思ったか? 心を惑わせる誘惑に、お前はどう抗う?」
次の瞬間、試練の場は歪み、漆黒の霧が立ち込めた。そこに現れたのは、かしんと共に旅してきたはずのゴブリン仲間たち。しかし彼らの瞳は、まるで宝石のように妖しく輝き、女神の甘い囁きに縛られていた。
「かしん……もう疲れたろう?」
「女神さまに従えば、俺たちは“上位種”にしてもらえる。こんな惨めなゴブリンで終わらなくて済むんだ」
仲間の一人がそう告げ、手にした棍棒をゆっくりとかしんに向ける。その背後で、別の仲間が黄金の果実を両手で抱きしめ、狂ったように笑った。
「見ろ! 女神さまが与えてくださった力だ! これを食えば俺は……オークをも屠る王になれる!」
かしんは咄嗟に叫んだ。
「目を覚ませ! それは罠だ! お前たちを操っているだけだ!」
しかし、その叫びは虚しく霧の中に吸い込まれる。仲間たちは耳を塞ぎ、女神の幻影に跪くばかり。
女神の声が甘く響いた。
「さあ、裏切りは始まった。お前は一人で抗えるのか? それとも絶望に沈み、仲間に殺されるのを待つのか?」
仲間の一人がかしんに飛びかかった。爪が顔をかすめ、血が飛ぶ。もう一人は背後から棍棒を振り上げた。信じてきた同胞の裏切りが、かしんの胸を鋭く抉った。
だが、彼の足は止まらなかった。
「……たとえお前たちが女神に堕とされても、俺は――お前たちを守る!」
その叫びと共に、かしんは逆に拳を握りしめ、仲間を気絶させる覚悟で立ち向かう。血の絆か、それとも裏切りか。試練はますます残酷さを増していった。
――女神は楽しげに微笑み、さらに奥底の罠を仕掛けようと手をかざす。
次回も楽しみに




