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御冗談を

「申し訳ありません。急用なもので」


 ファウストが恭しく頭を下げる。

 その声音は相変わらず落ち着いていたが、対する鹿の王は苛立ち交じりの声で返す。


「何が急用よ。どうせアンタの急用は―――」


 不自然に言葉を切った鹿の王は、ようやくジークリンデの姿を見つけたようで、ぐっと顔をジークリンデの目の前まで寄せた。

 赤い目がぎょろぎょろと観察するように、あるいは見定めるように動いていたかと思えば、三つの目が一斉にきらめいた。

 ジークリンデは思わず息をのむ。


「あらやだー! こんな可愛い子、どこから連れてきたのよ。まさかアンタの隠し子?」

「違います」


 ファウストは表情ひとつ動かさずに即答した。その顔にはありありと「そんなわけないだろう」とでも書いてあるようだった。


「そうよねぇ」


 鹿の王は愉快そうに喉を鳴らす。


「アンタと全っ然顔も似てないし。それに、アンタと違って素直そうだわ。ねぇ?」


 ジークリンデは返事に困った。ここで肯定するのも否定するのも間違いのような気もして、小さく頭を下げる程度に留めた。

 鹿の王は三つの目を細めて、面白がるように声を上げた。


「それで? アタシに何の用かしら」


「調査のためしばらく森を離れます。その間、この森をどうぞよろしくお願いします、という挨拶を」


「それから?」


 ファウストは再び頭を下げる。


「……加護を、私の護衛であるこのジークリンデに授けてはいただけませんか」


 鹿の王は首を傾げ、口元をにやりと歪めた。


「いいわよ」

「はっ……?」


 あまりにもあっさりとした返答に、ファウストは言葉を失う。ぽかんと口を開けたまま、思わず鹿の王を見上げた。

 心外だったようで鹿の王は不愉快そうな顔をする。


「何よその顔。アンタがいま授けろって言ったんじゃないの」

「申し訳ありません。……私の時は、加護をいただくまで三年かかったので」

「アンタはアタシの好みじゃないもの。何よりあの男の弟子っていうだけで嫌」


 鹿の王は鼻を鳴らし、わざとらしく顔を背けた。

 ファウストの眉間にわずかな皺が寄る。その顔を見て、鹿の王は先ほどよりも口角を上げた。


「あらやだ、嫉妬? 女の嫉妬はつまらないけど、男の嫉妬は醜いわ。いつの時代もね」


 神獣のような荘厳さをまとっているその姿は、ファウストとのやりとりの中ではどこか人間臭く、ジークリンデは見てはいけないものを垣間見てしまったような、居心地の悪さを感じて身じろいだ。


「でもそうね……簡単な腕試しは必要かしら」

「腕試し……?」


 ジークリンデが小さく呟く。


「鹿型のプラッシーを一体狩るの。狩った証拠に角を持って帰ってきてちょうだい」

「ジーク、プラッシーは分かるかい?」


 ファウストが視線を向ける。


「はい。ほかの生き物に擬態する魔獣だと聞いています」


 ジークリンデは記憶の奥底から、その魔獣についての情報を引き出す。


「それぞれ擬態できる型は決まっていて……鹿型なら鹿、鳥型なら鳥。鏡に映せばその正体が露見する、というものですね」

「流石、その通り。だからこそ昔から鏡は魔除けに使われているという話だね」


 鹿の王がぐるりと三つの目を回し、露骨に顔をしかめた。そして忌々しげに吐き捨てる。


「アンタのその喋り方、気持ち悪いわね。あの男を思い出して踏み潰しそうだわ」

「御冗談を」


 ファウストは穏やかに笑みを浮かべたが、その笑みが余計に鹿の王の神経を逆撫でしたようだ。

 鹿の王が「噛み殺したほうがいいかしら……」と呟いたのを、ジークリンデは聞き逃さなかった。思わず首をすくめる。

 ファウストにも聞こえていたはずだが、何事もないようにジークリンデに語りかける。


「それはそれとして、いいかいジーク―――」

「余計なことは言わないでちょうだい」


 鹿の王がぴしゃりと遮る。


「そしてアンタは何もしないで。これは腕試しだと言ったでしょう」

「……かしこまりました」


 ファウストは苦笑いで片手をひらひらと宙で振った。


「じゃあ私は手伝えないけれど。ジーク、頑張って」

「ありがとうございます。頑張ります」

「制限時間は無いけれど、夜になる前には戻ってきてくれるかしら。アタシも暇じゃないの」


 有無を言わさぬ命令のようなニュアンスに、ジークリンデは大きく一つ頷いた。

 ファウストは皮肉めいた笑みでジークリンデを見送る。


「鹿の王もお忙しいみたいだから、頼んだよ」

「いちいち癇に障る言い方するわね。やっぱり滝に沈めて殺そうかしら」

「ハハハ、御冗談を」


 ジークリンデは場の空気に押され、つい声を裏返らせてしまった。


「……い、いってきます……!」


 本当にこの二人をここに残して大丈夫なのだろうか。胸の中に不安を抱えながら、ジークリンデは森の奥へ駆けていった。




 その背が木々に呑まれて見えなくなった頃。鹿の王は器用に六本の足を折り畳み、音も波紋も立てず水面に腰を下ろした。そしてぽつりと呟いた。


「ここ最近、誰かがこの森の結界を解こうとしているわ」

「異端審問塔でしょうね」


 ファウストの声音はさして驚きもなく、最初から分かっているとでも言いたげだった。


「今回森を離れるのも、異端審問塔からの依頼という名の命令があったからです。私たちが森を離れている間に、結界を破られ侵入される可能性は高い」

「アンタ、とうとう何かやらかしたのね」


 鹿の王は面白がるように笑いながら目を細めた。ファウストはゆっくりと首を振る。


「違います。異端審問塔の執行官の私情です。“ファウスト”の闇を暴きたいのでしょう。ジークリンデはそのために、私の元へ派遣された密偵です」

「分かっててアタシのところに来たの?」


 ファウストは困ったような顔で肩を落とす。


「私の意思ではありません」


 そう答えて空を仰ぐ。雲ひとつない青空が広がり、白い光が彼の顔を照らし、その眩しさに目を細めた。


「おそらくではありますが……我が師からの伝言です」


 鹿の王は顎を引いて続きを促した。


「ジークリンデが夢で誰かと会ったらしく。そして隠しているはずの部屋の存在を言い当て、あなたに会うように言われたと言うのです」


 ファウストは再び鹿の王に向き合った。


「この二つのことを知っているのは、私か我が師のどちらかですから、考えられるのは師ではないかと。……どのようにしてジークリンデと接触したかは分かりませんが」


 ファウストはそこで口を噤み、わずかに唇を歪ませた。皮肉めいた笑みにも、子供のように拗ねたような表情にも見えた。

 本心を測りかね鹿の王はしばしファウストを観察したが、あえて指摘はせずに視線をそらした。


「そう。……それで、侵入者はどうする?」

「殺していただいてけっこうです」


 笑みを絶やさないままで間髪を容れずに返されたその言葉に、鹿の王は楽しげに喉を鳴らして笑った。


「いいのかしら、殺しちゃっても」

「かまいません」


 その瞬間、ファウストの顔から柔らかさが消え失せた。

 花のようにほころんでいた温かみは消え、氷のように冷え切った無表情が見えない敵を見据える。



「―――私たちの森を穢す輩を、生かしておく必要がどこにあるというのです」



 


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