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仮面の対談

 異端審問塔。

 それは王都にあり数多くの魔法使いを統括し、各国の危機に魔法使いの派遣などを行う組織である。

 魔法学校を卒業した生徒の多くはこの塔で従事を希望するものも多い。それだけ異端審問塔の王都における権力と実績は大きいものでもあった。


「わざわざご足労いただきありがとうございます。ファウスト殿」


 応接室の空気がぴんと張り詰めた。異端審問塔の最高執行官であるヨハンは端正な顔に不釣り合いな、含みのある笑みを浮かべる。

 七十に近いながらに歳を重ねる度に品格と色気を増していると噂される美貌で、テーブル越しに座る青年へと挨拶を送る。


「こちらこそ学術調査の出発の目処がなかなか立てられず、ヨハン殿への報告が遅くなり申し訳ない」


 ファウストも柔らかい声音で応じた。

 言葉遣いも態度も丁寧そのもの。しかしその言葉の端々には、氷のように冷たい棘が潜んでいた。

 二人は笑っている。だが、そこに温度はない。例えるならば二頭のドラゴンが向かい合っているようなものだ。


 張り詰めた空気のなか、使用人や塔の職員たちは息を潜め、わずかな物音さえ立てまいと気配を消している。

 ファウストはゆったりと足を組み替えながら、口の端をわずかに持ち上げる。だがその笑みも、どこか計算された鋭さを含んでいた。


「ヨハン殿のアドバイスもあり、今回は護衛をギルドの方に依頼しまして。ようやく条件にあう者が見つかりました。……ジーク」

「はい」


 ファウストが手を軽く振ると、それに呼応するようにジークリンデはおずおずと一歩を踏み出す。緊張を隠しきれないまま、まっすぐにヨハンを見据える。


「今回私の護衛となったジークリンデ・ワーグナーです。若いですが剣の腕は確かです」


 ファウストの紹介に、ヨハンがわずかに眉を上げる。


「若い娘と二人で調査ですか」


 その問いかけには、露骨な含みがあった。


「ご心配なく。ヨハン殿が思っているようなことは何もありません」


 ファウストは軽く笑ってみせる。


「疑うのであれば、ここで切り落としましょうか」


 何を、とは言わなかったが、その一言の意味は明白だった。室内の数名の男性がそっと内股になり、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。


「私はファウストの名を継ぐと決めたその日から、生涯を研究に捧げると決めています。今さら女性にうつつを抜かすなど、先代たちに顔向けができません」

「歴代のファウスト殿も、貴方のような若くて優秀な弟子が継いで鼻が高いことでしょう」


 ヨハンが微笑を崩さずに返すが、その声音にはどこか皮肉めいた響きが含まれていた。


「もったいないお言葉です。先代からも何かあったら志高い魔法使いであるヨハン殿を頼りにしなさいと言われていました」

「彼がかね?それは皮肉が多分に含まれている気がするが……」

「先代は口は悪いですが、素直な方でしたので本心かと」


 言葉を交わせば交わすほど、室内には冷たい緊張が充満していった。

 そのやり取りを傍で聞いていたジークリンデも、握った手に力を込めた。まるで剣のように鋭く、盾のように重い、言葉の応酬だった。


「物は言いようですな」


 ヨハンが目を細め、やや乾いた笑いを漏らしながら立ち上がる。


「ではファウスト殿。旅の無事をお祈りしております」

「ありがとうございます。必ずや良い結果を報告いたします」


 互いに形式どおりの言葉を交わし、ヨハンたちは背を向ける。

 重々しい扉が閉じる音が、部屋の中の空気を一層静かにした。残されたのはファウストとジークリンデだけだ。

 次の瞬間、ファウストは大きく息を吐き出した。肺の奥に溜まっていた全てを押し出すように。


「―――チッ」


 それは小さな音だったが、ジークリンデの耳にはやけに鋭く響いた。舌打ちだったのか、それとも別の感情の漏れた音なのか。

 ジークリンデはファウストのうなじの辺りに視線を移す。うつむいた顔は見えないが、その肩越しに漂う気配から、先ほどまでの張り詰めた仮面が剝がれ落ちているのを感じた。


「……お疲れ様でした、先生」


 少し迷ってから声をかけると、ファウストはゆっくりと振り返った。その顔には先ほどまでヨハンと話していた時の、作り物じみた笑みはもうない。そこには柔らかな親愛を含んだ笑みがあった。


「君もお疲れ様、ジーク。何か食べてから帰ろうか」

「はい」






 二人は塔を出ると、まだ昼の喧騒が満ちる通りを抜け、ファウストの行きつけだという食堂へ向かった。

 昼時ということもあり、店の外まで談笑する客の笑い声が溢れていた。店の中に入ると皿を抱えて忙しなく動く店員の姿が見えた。


「あら! お久しぶりです、先生!」


 テーブルを拭いていた丸顔の女が手を止めて手を振った。年齢はジークリンデと同じくらいだろうか。


「こんにちは、ヘレナ」

「いつものパスタでいいですか?」


 手際よく注文を取ろうとする彼女に、ファウストは横目でジークリンデをうかがった。


「ジークは好き嫌いはあるかな」

「いえ、大丈夫です」

「では二人前、お願いします」

「はーい! マスター! 先生のスペシャルパスタ2人前!」


 ヘレナが厨房の方へ注文を伝えると、奥から渋い声が返ってきた。

 二人は陽光が差し込む窓際の席に腰を下ろした。


「……あの、先生はヨハン執行官と仲が悪いのでしょうか」


 ジークリンデは周りを確認しながら、少し声を落として尋ねた。


「君が見ての通りだよ」


 ファウストは頬杖をつき気怠げに答える。


「ヨハン殿と私の先代は馬が合わなくてね。親が憎けりゃ子も憎いんだろう」

「先代は……お父様だったのですね」

「そうだよ。私に譲ってからは、さっさと出ていってしまって。今ごろあっちこっち旅をしてるんじゃないかな」


 何でもないことのように答えるファウストに、ジークリンデはぽつりと尋ねた。


「……先生は寂しくないのですか」

「全然。賑やかだしね」


 その一言に、ジークリンデはクゥの姿を思い浮かべた。この食堂の喧騒にも負けないあの明るさを思えば、確かに寂しさなど入り込む余地はなさそうだ。


「……確かに賑やかですね」

「そうだろう」

「クゥ先輩たちとは長い付き合いなのですか?」


 ファウストにとっては予想外の質問だったのか、一瞬瞬きを忘れたように固まった後、肩を揺らして笑った。


「ああ、クゥは何も言っていなかったんだね」

「え?」

「犬のクゥもメイドのリズも、ホムンクルスといって私が作った存在なんだよ」


 さらりと告げられた言葉だったが、しかしその意味は重かった。頭の中に浮かぶのはあの人懐こい犬と、無表情ながらも几帳面に給仕をこなすメイドの姿。


「……本物ではないのですか」


 自分でも声が小さくなったのが分かる。


「本物に近い偽物だね。でも、私はまだ未熟だから、それっぽく作ることしかできないんだよ。定期的に調整とかもしないといけなくてね」


 ファウストは窓の外に目を向けながら淡々と言った。






「お待ちどうさまでした!」


 しばらくすると声とともに二人の間のテーブルに山が現れた。いや、山のようなパスタだった。皿からあふれんばかりのパスタがこんもりと積み上がっている。

 周りの客たちもぎょっとした顔で手を止め、二人とパスタを交互に見比べる。


「……多くないですか?」


 ジークリンデが震える声で恐る恐る問いかける。


「いえ! 先生なら余裕で食べますから大丈夫です!」


 ヘレナの明るい返事に、ジークリンデは目を丸くする。


「君も遠慮せずに食べるといい」


 ファウストはすでにフォークを手に取り、早くも一口目を巻き取っていた。


「いっ……いただきます……」


 ジークリンデは崩れないかと心配しながらも皿に取り分ける。

 向かい側ではファウストがリスのように頬を膨らませ、黙々と食べ進めている。


「先生、食後はコーヒーお待ちしますか?」


 ヘレナが通りすがりに声をかける。


「お願いするよ。彼女の分も」

「はーい!」


 ヘレナは注文を受けると、別のテーブルへパタパタと向かっていった。


「……コーヒーも飲むんですね」

「コーヒーが好きだからね」


 さらりと返された弁当に、ジークリンデは「あれ?」と首を傾げた。


「でも先生、家にいる時はずっと紅茶ですよね?」


 その問いにファウストは瞬きを二、三度繰り返す。


「君はよく見ているね」


 照れくさそうに口元を緩めた笑顔は、いつもよりも柔らかい。


「紅茶は私の師が好きだったんだ。特にミルクティーにして飲むのが好きだった」


 ファウストは優しい眼差しを手元に落とした。一言ずつ懐かしさを噛みしめるように言葉を重ねる。


「あの人は料理でも何でも魔法でやってしまうけれど、紅茶を淹れるのと、私の好きなスープを作ってくれる時は、自分でやっていたよ」

「先生はお師匠さんが大好きなんですね」


 ジークリンデがそう言うと、ファウストの顔は喜びで彩られた。



「……ああ。私にとっては最も尊敬する人だからね」



 その顔は、ただ一人の弟子の顔をしていた。






「満足したかい?」


 フォークを置き、笑顔でファウストが問う。


「……満足すぎです」


 ジークリンデは胃のあたりを押さえ、深く息を吐く。ヘレナの言った通り、パスタの山はほとんどファウストの腹の中に消えていた。皿の上はもはやソースの名残しかない。


「いい食べっぷりでしたね」


 ヘレナが湯気の立つコーヒーを置きながら笑った。


「ヘレナ、レオは元気かい?」


 ふとファウストが問いかけた。


「レオ?」

「ヘレナと小さい頃から一緒にいる子でね。人懐っこい犬なんだ」


 ファウストは何でもない世間話のように言ったが、明るかったヘレナの表情が、影を落とすように曇った。


「……レオは半年前に病にかかったんです」


 ヘレナは視線を足元に落とした。


「治療師からも回復魔法は気休めにしかならないと言われているし、治療も望めず……。年も年だから本当は二ヶ月が限界だと言われたのですが……」


 その声は震え抑えた苦しみがにじんでいた。ジークリンデは胸の奥が重くなるのを感じる。

 長い苦しみの中で生きるということ、それは飼い主にとっても動物にとっても過酷な時間だ。

 だがまだ生きていてほしいという思いと、このまま苦しめ続けることへの葛藤がヘレナの中にはあるのだろう。


「……レオの好物を買っておいで」


 静かにファウストが言う。


「コーヒーを飲んだら君の家に行くから。君が家にいなければ私たちは帰るよ」

「……少し、時間をいただけますか」

「勿論。家族とゆっくり話し合うんだよ」


 ヘレナは深々と頭を下げ、厨房に一言だけ声をかけると、急ぎ足で店を出ていった。ドアのベルが乾いた音を響かせ、その姿が通りに消えていく。


「……治すんですか」


 ジークリンデが、確かめるように尋ねる。


「違うよ」


 ファウストはカップを置き、その瞳に意志の炎を宿したまま、はっきりと言った。



「殺しに行くのさ」



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