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ジークリンデとファウスト

「……本当に足跡が見える」


 ジークリンデ・ワーグナーは手紙を握りしめながら呟いた。

 彼女の足元には青白く発光する足跡が、土や落ち葉の上に傷ひとつ残さずに刻まれていた。

 それは迷いの森の入り口から真っ直ぐに森の奥へと続いており、もはや人の通った形跡すら消えかけている朽ちた小道に、光の足跡が道標のように並んでいる。

 護衛任務採用の手紙に書いてあった内容は、どうやら本当だったらしい。


『迷いの森に来たならば、手紙に触れてください。正しい道を指し示すことでしょう。——ファウスト』


 短い案内。それでも確かな魔力が手紙から伝わってきたことを、ジークリンデは思い出す。少なくとも、何かの冗談や罠ではないと判断するには十分だった。

 風が髪をなびかせる中、彼女は手紙を外套の内ポケットにしまい足跡を辿って歩き出した。

 腰に下げた剣が急に重みを増したような気がして、ジークリンデはゆっくりと息を吐き、言い聞かせるように呟いた。


「大丈夫……大丈夫……」


 途中何匹か鹿が茂みや木の陰から覗いていたが、見て見ぬふりをした。本物の鹿であればいいが、鹿に化けた『なにか』である可能性もあったからだ。


 やがて森の木々が途切れ視界が開けた。そこには、ぽつんと一軒の家が建っていた。

 二階建ての小さな家。屋根はところどころ朽ち、壁には年月の跡が滲んでいる。豪奢ではなく、どちらかといえば質素な造りだ。だが不思議と手入れは行き届いており、住む者の几帳面さが垣間見えた。

 少し高台になっているのか、家の裏手からは王都の塔の尖塔が見える。


「ようこそ!」

「え……?」


 突然、背後から声がした。

 反射的に身を翻すが、そこには誰の姿もない。ジークリンデは視線を徐々に下に向けた。


「君が新しい助手くんだね。先生も待ってるし、早く行こう!」


 黒くて大きな犬がブンブンと尻尾を振りながら彼女に話しかけていた。

 艶のある毛並み、先が少し折れた右耳、賢そうな瞳。だが、口元が確かに動いている。


「犬が喋った……」

「僕はクゥ。君よりずっと大先輩の助手だから、先輩って呼んでもいいよ!」


 ジークリンデは思わず眉をひそめたが、その奇妙さよりも先に、彼の人懐っこい態度が警戒心を削いでいく。


「クゥ……先輩……?」


 確かめるように口にする。クゥは満足そうに尻尾をさらに勢いよく振り、ジークリンデの周りを駆け回った。


「いいね! じゃあ、案内するよ」


 クゥに導かれるまま、ジークリンデは家の中へと足を踏み入れる。

 玄関を開けた瞬間、彼女は思わず目を見開いた。

 外観からは到底想像もできないほどの広さが、そこにはあった。高い天井、奥行きのある廊下、目の前には二階へと続く螺旋階段がある。


「拡張魔法の魔道具を使って、空間を広げてるから中は広いよ」


 顔に出ていたのだろう。クゥが嬉しそうに説明する。


「先生、新しい助手くんが来ましたよー!」


 クゥが朗々と呼びかけると、しばらくして二階から誰かが降りてくる足音がした。等間隔で無駄のない動き。その足音にさえ、ある種の品格が滲んでいる。


「そんなに大きな声を出さなくても、窓から見ていたから分かるよ」


 螺旋階段を静かに降りてきたのは、銀髪の男だった。

 年は二十代後半といったところだろう。だがその立ち居振る舞いは年齢以上に落ち着いており、眼差しには冷静と柔和が含まれていた。


「はじめまして、ジークリンデ・ワーグナー。私が依頼主のファウストだ」

「お世話になります。ジークリンデです。よろしくお願いします」

「よろしく」


 頭を下げたジークリンデにファウストは穏やかに微笑んだ。威圧感を感じない笑みにジークリンデはそっと胸を撫で下ろした。






 通された部屋には、一人のメイドが待機していた。

 随分と寡黙なメイドだった。何も言葉を発することなく、優雅な手つきで紅茶をカップに注ぐ。

 ジークリンデは横目で彼女を見る。彼女の表情には感情の起伏がほとんどなかった。


「ありがとうございます」


 ジークリンデがお礼を口にするとメイドは小さく会釈し、クゥと並ぶようにファウストの後ろに控えた。


「さて、今回君に依頼したのは護衛任務だ。私はしばらく王都を離れて調査任務にあたる」


 ファウストが紅茶を口にしながら話し始めた。

 視線でジークリンデも飲むようすすめられたため、カップを手にとる。紅茶の香りは少しスパイスが効いているようだった。


「調査任務の内容はギルドから聞いているかな」

「失われた禁書の学術調査だと聞いています」

「そう、異端審問塔からの依頼でね。正式には私の研究の一環という扱いになっているが、目的はその通りだ」

「その調査中の護衛を行えばいいのですね」


 ジークリンデは傍らに立てかけた剣を見た。


「そう。私と二人の旅が嫌だというのであれば、途中で女性を雇ってもいい」

「その判断は貴方にお任せします」


 ファウストは一つ頷き、紅茶を置いた。


「ジーク、君の魔法属性は?」

「水です」

「なるほど」


 そう言うと彼は傍の棚から小箱を取り出し、ジークリンデに差し出した。


「君はこれから私の護衛担当でもあり助手でもある。その記念に受け取ってほしい」


 箱を開けると、そこには青い魔晶石が埋め込まれた小さなブローチが収められていた。水の流れを思わせる滑らかな曲線を描き淡く輝いている。


「水属性の魔力をほんの少し底上げしてくれる。実戦では些細な差が生死を分ける。君にとって役立つといいけれど」

「ありがとうございます」


 ジークリンデはそれを両手で受け取り、深く頭を下げた。

 ブローチを眺めていると、ファウストは少し視線を逸らして言葉を続けた。


「それと、私については何か聞いているかな」


 ジークリンデは顔を上げ、ほんの少しだけ言葉を選ぶように間を置いてから答えた。


「……ファウストというのは、迷いの森を管理する管理者を指すのですよね?」


 ジークリンデの言葉にファウストは小さく頷く。


「そう。そして私は十三代目のファウストだ」

「ファウスト様とお呼びすればよいでしょうか」


 ジークリンデがそう尋ねると、ファウストは肩をすくめて首を振った。形式ばった呼び名が苦手なのか、その声にはどこか気恥ずかしさがにじんでいた。


「そんな大層な者ではないよ。クゥたちには先生と呼ばれているから、呼び方に迷うなら先生で構わないさ」

「分かりました」


 ジークリンデが頷くと同時に、ファウストが軽く手を上げる。

 その仕草に応じて、控えていたメイドが静かに紅茶を注ぎ足す。湯気の立つ香り高い液体が、磁器のカップの中に満たされていく。


「出発には二週間から三週間はかかるだろう。君の部屋は用意してあるからそこを使ってもらってかまわない。出発までに君にも手伝ってもらうことはたくさんあるけれど―――」


 ふと、ファウストの視線がまっすぐにジークリンデを捉えた。アイオライトを思わせる双眸は、光を受けて紫色にも青色にも見える色を放ちながら、ジークリンデの心の奥底を見透かすように輝いていた。

 じっと見つめられると呑み込まれるような錯覚を覚える。ジークリンデは喉を鳴らしてつばを飲み込むと、言葉の続きを待った。


「異端審問塔へ、君も一緒に来て欲しい」


 ジークリンデの頬に、ぬるくまとわりつくような生ぬるい汗が伝った。

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