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SF短編集

人生の結晶

今回は、人生と芸術の話。最高の人生って、一体、どんな形をしてるんだろうな?

 僕の仕事は、死者の人生をファイリングすることだ。


 この時代、人の一生は、死後に一つの「芸術作品」へと結晶化される。


 生まれてから死ぬまでの全記憶、全感情、全経験。その膨大なライフログデータを、巨大な量子変換炉「メメント・モリ」に投入する。すると、その人の人生が、唯一無二のオブジェや、音楽や、香りとなって出力されるのだ。


 波乱万丈の冒険家の人生は、荒々しい彫刻に。情熱的な恋愛に生きた詩人の人生は、甘美な旋律に。穏やかな農夫の人生は、温かい光を放つ球体に。


 それらは「ライフクリスタル」と呼ばれ、美術館に収蔵される。僕は、その美術館の、しがない学芸員だった。


 ある日、美術館の倉庫の奥から、百年前に記録された、古いライフログデータが見つかった。


「被験者:スズキ・イチロウ。職業、市役所職員。特記事項、なし」


 記録によれば、このスズキさんという人物は、歴史上、最も「平凡」で「退屈」な人生を送った男らしかった。大きな喜びも、深い悲しみもない。趣味もなく、友人も少なく、ただ毎日、同じ時間に起きて、同じ電車に乗り、同じ仕事をして、同じ時間に寝る。その繰り返し。


「こんな男の人生が、どんな作品になるのかね?」

「どうせ、ただの石ころみたいなもんだろう」


 所長たちは、歴史的資料として、スズキさんのデータを「メメント・モリ」に投入することを決めた。


 僕たちは、固唾をのんで出力ゲートを見守った。


 変換炉が、静かに駆動する。だが、待てど暮らせど、何も出てこない。やがて、全てのプロセスが終了したことを示すランプが灯った。


 出力ゲートは、空っぽだった。


 ただ、床に、ごく微量の、灰色の塵が落ちているだけ。


「失敗か。やはり、平凡すぎる人生は、芸術にさえなりえないのだな」


 所長は、そう言って肩をすくめた。スズキ・イチロウの人生は、「作品化失敗」として記録された。


 僕は、その日、眠れなかった。


 平凡な人生は、無価値だったのだろうか。何も残せない、空っぽの人生だったのだろうか。


 僕は、規則を破り、夜中の美術館に忍び込んだ。そして、スズキさんの残した、あの灰色の塵を、高感度の分析装置にかけた。


 その塵は、物理的な物質ではなかった。それは、変換されきれなかった、情報の残滓。僕は、その情報を、再構成し、モニターに表示させた。


 そこに映し出されたのは、一つの、シンプルな「概念」だった。


『無』


 僕は、最初、その意味が分からなかった。だが、分析を続けるうちに、戦慄した。


 メメント・モリは、失敗したのではなかった。成功したのだ。


 スズキ・イチロウの人生は、あまりにも平穏で、満ち足りていた。彼は、何も求めず、何も望まず、ただ、在るがままの日常を、静かに受け入れ、生きていた。


 彼の心には、波風一つ立たなかった。それは、仏教で言うところの「涅槃寂静」の境地。あらゆる煩悩から解放された、究極の精神状態。


 メメント・モリは、その「完璧な心の平穏」を、完璧に作品化したのだ。


 その結果、生まれた作品は、「無色」で、「無音」で、「無臭」で、「無形」の、人間の五感では決して捉えることのできない、究極の「無」だった。


 それは、石ころなどではない。これ以上ないほどの、完璧な芸術作品。だが、それは、あまりに崇高すぎて、我々凡人には、認識することさえできないのだ。


 翌日、僕は、一枚のプレートを、美術館の、一番目立つ場所に設置した。


【スズキ・イチロウ氏のライフクリスタル(認識不能)】


 人々は、何もない空間に置かれた、そのプレートを見て、首を傾げている。


 それでいい。


 最高の芸術とは、きっと、目に見えるものではないのだから。

何もないこと、平凡なことこそが、一番の価値を持つのかもしれない。皮肉だよな。

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