70.エピローグ
柔らかな陽射しが届く応接室の一角。
少し開いた窓からは、草木の爽やかな薫りを乗せた風がゆらりとカーテンを靡かせる。
アルフレッドの目の前に、ティーカップが置かれた。
ソーサーごと手に持ち、口に含む。
どこか甘みを含みながらも、あっさりとした口当たり。公爵である自身すら、飲んだことの無いような味に興味をひかれる。
産地を問うと、嬉しそうに男爵夫人はこの屋敷自家製の物ですと教えてくれた。
植物絡みの件については、目がないアルフレッドは、こうして男爵夫妻とお茶談義をしながら、愛しい二人を待った。
暫くすると、スキップする様な足音と小走りしている様な足音が聞こえてきた。
思わず笑みが溢れる。
お姫様二人のエスコートをすべく、アルフレッドは立ち上がり扉の前へ向かった。
片手で執事を制し、二人がノックをする前にドアをガチャリと開ける。
タイミングが良すぎて、アイリのノックが空振りしてしまい蹌踉めく。
その体を素早くイリースとアルフレッドは抱きしめた。
二人からの前と後ろからの包容に、驚きに目を見張る。
アイリ越しに、クスッと笑うあう二人。
そして、アルフレッドはそのままアイリとイリースをソファまでエスコートした。
「「お待たせしてしまい申し訳ございません」」
「いえいえ、とんでもございません。どうか、お気になさらないでください。積もる話があるのは当然ですもの」
「ご配慮感謝いたします」
「いえいえ・・・私こそイリース様に感謝をお伝えしたいと、ずっと思っておりましたの」
「えっ?」
「私の社交界での地位が向上したのは、ひとえに貴女様のおかげです。私の事を考えて作成していただいた衣装は、どれも斬新で素晴らしかったです。お恥ずかしい話し、少し前までは、地位を気にして、貴族の集まりでも縮こまっておりました。自信もなく他の貴族の影に埋もれていたのですが、貴女様の作ってくれた衣装が、表舞台に引き揚げて下さり、私に自信をつけさせてくれました。本当にありがとうございました。」
「そう仰っていただけると、刺繍師としては感無量です。夫人にはたいそう良くしていただいたご恩がございます。もしよろしければ、今後は、私の友人としてお付き合いいただけると嬉しいですわ」
「勿論ですとも、非常に光栄です」
「オプションとして、ちゃんとドレスのアドバイスも厳しくさせていただきますわ」
「是非是非、お願いいたします!」
「私達でタックを組んて、新流行を創り出しましょう」
「きゃぁ~素敵です」
男爵婦人とイリースは手に手を取り、興奮気味に頷きあった。
その様子を三者三様様々な思いで聴いていた。
一人は予算の心配をしながら、もう一人はまた服の話と呆れ気味に、もう一人は苦笑しながら、各々会話の邪魔にならないよう、焼菓子と紅茶を黙食する。
男爵領では、自家製お菓子以外食べたことのなかったアイリは、出された紅茶と焼菓子のクオリティの高さに舌を巻く。
この1年公爵領で過ごし、最高級と呼ばれるお菓子や紅茶を散々堪能してきた。
ここに並ぶのは、どれもこれもが素朴な味。
だけれども、何処か懐かしい気持ちにさせるような気がした。
「とても美味しい・・・」
黙食を心掛けていたのに、ポロッと言葉が漏れる。
その言葉に反応したのは、やはり女性陣。
「ありがとうございます。見た目は素朴てすが、私もこの味を気に入っておりますの」
その言葉につられ、イリースもクッキーを口にする。
「本当だわ!口の中でホロッと崩れる食感とアーモンドの味が濃厚」
「これ、アーモンドミルクが使われてる気がする・・・」
「アイリ様、その通りでございます!生地に練り込んでいると料理師から聞いております。もしよろしければ、後でレシピをお渡しいたしますね」
「「ありがとうございます」」
公爵家で過ごすようになってからも、食いしん坊っぷりは二人共変わらず健在だった。
和やかな雰囲気が部屋中で満たされる。
不意に、突風がカーテンを押し上げ入ってきた。
風の勢いに後押しされ、部屋に飾られていた花の香が空間に放たれる。
花瓶に活けられてた花が、イリースの目に止まる。
雪のように白い花弁に紫の萼、それが鈴なりの様に縦長に繋がっていた。
この季節ならではのサルビア。
夫人もつられて花をみる。
すると、はっと何かを思い出したように、顔を青ざめ、膝を床につけ頭を下げる。
「も・・・申し訳ございません!私とした事がなんてことを。お赦しください」
いきなり始まった謝罪に、室内にいた者は皆、呆気に取られる。
だが、イリースは違った。
慌ててその意図はないと伝え、男爵夫人を立ち上がらせようする。
「お立ちください。私そんな意図で見ていたわけではございません。見事なサルビアだったので、つい見てしまいましたの・・・」
「いいえ、いいえ、私とした事がなんという事を・・・誰か!この部屋にある花を全て片付けて頂戴」
そう夫人が声を荒げると、執事がそそくさと部屋中のサルビアを抱きかかえ、退室した。
アルフレッドは、こっそりイリースに何の事かと訪ねる。
イリースは言い難そうに、「例の一夜の花よ」とだけ告げた。
「あぁ・・・なるほど・・・でも、寄りによってサルビアか・・・」
アイリは、アルフレッドの物言いから、その発言がひっかかった。
好奇心一杯の子どものふりをして、尋ねる。
「アルフレッドさん、サルビアがどうしたの?」
子供に伝えるか、伝えないか迷っているのだろう・・・アルフレッドの視線が少し泳ぐ。
(ここで、もう一押し!)
「植物の事好きだから、何でも知りたいと思ってます・・・駄目てすか?」
母の特技を拝借し、45度首をかしげ、上目遣いお願いしてみる。
この一年で有用性は確認済み。
案の定、そんなアイリのお願いポーズに、アルフレッドは呆気なく陥落。
元々植物オタク、その特性を詳細に伝えはじめた。
サルビアは元々毒性の植物であり、今飾られているサルビアは、最も幻覚や幻聴作用の大きい花だということを教えてくれた。
(少し危ない類の花だったから言い淀んだのね)
その話を聞いて、男爵夫妻も驚く。
「そんな花だったとは・・・重ねて申し訳ございません」
「通常知られてない。それに、普通に飾る分には問題ない」
「そうなんですか・・・あっ、関係無いとは思いますが、私のメイドが『あの時』イリース様を発見した際、床一面に不自然なくらいサルビアの花が散らばっていたと申しておりました」
「もう昔のことだもの、忘れましょう」
そうイリースが話を打ち切ろうとした時、今度は緩やかな風が部屋の中に入ってきた。
先程回収し忘れた、1輪のサルビアがふわりと舞い、アイリの掌に落ちる。
「すごいタイミング!もしアナタが事の真相を知っていたら、教えてくれない?・・・なんてね」
「アイリちゃんったら・・・」と言いかけたイリースの言葉を遮るように、アイリの胸元から緑の光が溢れ出す。
首からかけていた、母から受け継いだ指輪の緑の石が反応したのだ。
周囲にいた者を緑の光で包みこむと、『例の一夜』がシアターの様に映像として写し出された。
―――
あの夜、確かに男爵はイリースを呼び出していた。
紅茶で身体の自由を奪い、ベッドに押し倒した。
メイド服を脱がしたところで、首から下げていたこの指輪が、今と同じく反応していた。
恐らくイリースの願いに反応したのだろう、サルビアが緑の光によって空に舞い上り、床にパサリと落ちた。
映像上、二人共同じベットに寝ていただけ。
だが、二人の寝顔は相反するものだった。
男爵は恍惚とした表情、イリースは苦悶の表情を浮かべていた。
二人が寝ているだけの映像は、そのまま10倍速で流された。再び標準再生速度に切り替わったのは、発見された朝の様子が映し出されたところだった。
そこで、ブツリと映像は途絶え緑の光は消滅した。
部屋に沈黙が訪れる。
それを打ち破ったのは、アルフレッドだった。
「サルビアは幻覚、幻聴の効能を持つ花。飾るだけだと無害だが、恐らく緑の石はその作用を増幅させ、二人に同じ幻覚を見せ、イリースの願いを叶えたんだな」
「・・・私もそう思いますわ」
そこまで言うと、今迄置物と化していた男爵が、ドサッと床に土下座をする。
「イリース様、あの時のご無礼をどうかお赦しください。貴女様の美しさに、目がくらんてとんでもないことを・・・深くお詫び申します。偏に私のだらしなさが原因でごさいます。妻には、なにも責はございません。至らない私についてきてくれ、日頃から懸命にサポートしてくれてます。どうか処刑は私だけに・・・何卒・・・何卒・・・」
床に額を打ち付けんばかりに、男爵は謝る。
夫人も初めて見る夫の姿に、驚いていた。
「・・・クローバー男爵、本当にいい奥様をお持ちでいらっしゃるわ。愛人を持つのは、もう終わりにしてくださるかしら?」
「勿論です。どうか、一族連座はご容赦を」
「約束ですよ」
「命に換えても約束します」
イリースは、夫人にウィンクしてみせる。
「フフフ、今回の件は、最初から不問にする予定でしたわ。・・・何もなかったですしね」
イリースは、その一言を感慨深く伝えた。
(ようやく・・・霧がはれたわ・・・)
先程から、アルフレッドの強い視線を感じる。
その眼差しをイリースは真っ直ぐ受け止め、促すようにそのまま視線を下に落とした。
そこにいるのは、銀糸の髪と水色の瞳を持つ、愛しい私達の子。
アルフレッドは、手を伸ばすとイリースとアイリをギュッと抱きしめた。
アルフレッドは、少し震えた声で話す。
「もう一度言わせてほしい・・・大分迎えが遅くなってしまった。すまない、イリース、アイリ」 と。
傍らにいるイリースもまた、泣き笑いしていた。
そんな二人の顔をみていると、アイリもつられて、泣きたくなった。
本当は、自分の出自のことを知ってから、言い表せない靄々していた気持ちを抱えていた。
母もアルフレッドも、自身のことを可愛がってくれる。
そこに不満は全然ない。
ないのだが・・・それでも気になっていた。
昔は、薬の効果が切れる時に、出自は判明するのだからそれまで待っていればいいと、割り切ろうとしていた。
けれど、その一方で本当に薬の効果が切れる時が来るのか不安もあった。
だって、過去に女性が飲んだことのない薬だからと・・・。
だけど今、自身がアルフレッドの子供だと確証を得た瞬間、今迄感じていた不安がすっと霧消した。
きっとこれは、血が繋がってる、繋がっていないは関係ない。
しいて言葉て表すならば・・・マリッジブルー。
転生してきて、前世の記憶が段々と薄らいでく中で、『自分』という存在が揺らいでいた。
愛花でも、元のアイリでもない、今の『私』には、この世界の住人として生き続けるためにも、何か確固たる裏付けの取れたアイディンティティが欲しかったんだろうと、ようやく今解った。
そして、そんな事本当はどうでもいいのだと、今伝わってくる二人の温もりから教えられた。
もう前世も、元アイリの事も気にしない。
ここにいる『私』が、この世界のアイリ。
そして、今私を包ん見込んでくれる二人が、私の家族だ。
手を差し出せば、握り返してくれる。
笑顔を向ければ、笑顔が返ってくる。
悲しいときは、慰めてくれ、嬉しい事は、一緒に喜んでくれる・・・そんな普通の家族。
ようやく手に入れた『普通』という名の幸せと共に、私はこの世界で生きていく。
澄み渡るような青空が広がる、昼下がり。
悲しみの雨は、もう降ることはない―。
長い間お付き合い頂きありがとうございました!
初小説で、途中逃亡しそうになりそうなところ、皆様の応援に支えられ、完結まで漕ぎ着けることができました。
本当にありがとうございました。




