30.ここはきっと天国です!
目覚めると、スイリの目にまず飛び込んできたのは、黄色いお花だった。
そして、目の眩むほどの甘い花の香りがあたりを漂っていた。
むくりと起き上がってみると、そこは不思議な光景が広がっていた。
スイリは花畑の中心部におり、その半径10メートルくらいまでは、色とりどりの花が咲き乱れているのだが、それを超えると鬱蒼とした森に切り替わる。
まるで、誰かがそこだけ切り取ったような不思議な空間になっていたのだった。
(ここは・・・・天国かしら?)
スイリがそう思ってしまうのも無理はなかった。
どこか異質さを感じさせるような空間だった。
天国であれば、母が迎えにきてくれるかもしれない。
そんな期待を抱きながら、座ってお迎えを待つ。
だが、明るかった空が夕暮れ時に代わっても、母はもちろんの事、誰もやってこなかった・・・。
肌寒い風が、スイリの体を震えさせる。
座りっぱなしだったスカートは、花弁の鮮やかな色がぐしゃっと付着していた。
そして、空腹も感じる。
なんだかおかしい。
スイリがここは現実世界だと確信したのは、大分日も暮れてからであった。
だからといって、できることは何もない。
令嬢として過ごしてきたスイリには、サバイバルの知識は皆無だ。
これが現実であったとしても、どうすればいいのかすら思いつきもしなかった。
(もうどうでもいいわ・・・)
あっさり諦め、そのまま花畑の真ん中で眠りについたスイリであった。
大層疲れていて、熟睡するのであった。
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翌朝目が覚めると、今度は花畑ではなく固いベットの上だった。
(ここは・・・どこ?)
部屋を見渡すと、殺風景な場所だった。
勿論、天国的な要素は、見るからに皆無だ。
ベット、暖炉、机、ソファ、キッチンそれ以外何もなかった。
更に、部屋には誰もいない。
どうすればいいのかわからず、とりあえず起き上がる。
ぐっと背伸びをする。
そのタイミングで、一人の青年がノックもせずに入ってきた。
急な男の人の登場に、スイリは『きゃ~っ!』と声を上げ掛布団を引き寄せたのだった。
実際には、声は出ておらず、ベットの上でおびえた感じでいた。
すると、スイリが起きたことに気が付いた青年は、お構いなしにズカズカ近くまでやってきた。
自然と身構えるスイリ。
すると、「昨日あんたが花畑で倒れてて、声かけても起きないから俺の家へつれてきた」と事情を話してくれた。
口ぶりからして、どうやら好意で助けてくれたらしい。
それを感じ取ったスイリは、お礼を言おうとするが、やはり口がパクパクするだけであった。
その様子を見た青年は、おもむろに机に向かうと、ペンと紙を持ってきてスイリに渡した。
スイリはペコリと頭を下げ、お礼とともに公爵家の事は伏せ、花畑にやってきた事情を記した。
《助けていただきありがとうございます。私はスイリと言います。実は、偶然拾った石が、願いが叶うといわれる緑の石でした。それを知らずに、結婚が嫌でどこかへいってしまいたいと願ったら、叶ってしまい先ほどの花畑にいました。私は、ここがどこだかわかりません・・・。》
貴族の結婚は政略結婚がほとんどだ。
それを放棄するなんて、わがまま令嬢だと思われてしまうんだろうなっとスイリは思っていた。
手元の毛布をつかむ手に力が入る。
「・・・今後どうするつもりだ」
《わからないわ・・・本当は天国に連れて行ってもらうつもりだったの、願い事の仕方を間違えてしまったわ》と正直に書くことにしたのだった。
「そうか・・・」
そう言うと、青年はじっとスイリを見た。
ため息を一つ落とすと、
「わかった、暫くここにとどまればいい。ただし、自分の事は自分でやるように」
そういって滞在を許してくれるのであった。
スイリはホッと胸をなでおろしたのであった。
この青年は、アルと名乗った。
彼は、それ以上自分の事を離さなかった。
そして、スイリの事も詮索しようとしなかった。
ただただ、家へ置いてくれたのであった。
だが、公爵令嬢だったスイリ。
自分の事は召使がしてくれるのに慣れており、初日から、汚れた服を脱ごうとするも一人では脱げなかった。
(どう頑張っても、後ろ側が脱げないわ・・・)
恥ずかしかったが、しかたなくアルに助けを頼むことにした。
《一人で服が脱げないから、途中まで手伝ってほしいのです・・・》紙を見た時のアルの顔は目を丸くした。よく見れば、頬に赤みがさした。
それをみて、余計恥ずかしさが増すスイリであった。
結局、アルに後ろのボタンをはずしてもらい、なんとか外側にあったワンピースを脱ぐことができたのであった。
そんな感じで始まった二人の共同生活は、前途多難に満ちていた。
スイリは、水を汲みに行くと自身ごと水溜まりに落ちてしまったり、アルの用意していた罠に引っかかってしまったりと、最初は散々であった。
アルはそのたびにため息をつきながら、スイリのフォローをしてくれるのであった。
だが、スイリも頑張った。
ここで捨てられては、行くあてもないため、自身ができそうなことを片っ端から教わっていった。
その熱意にほだされて、アルの結局スイリを追い出すことなく、根気よく教えていったのであった。
一年経つ頃には、スイリ一人でも山菜や食べられる木の実をとってこれるようになっていた。
アルは狩りで、鳥やウサギを捕獲し、二人で確保してきた食材を合わせて、食事を作ってくれるのであった。
来た当初、アルはスイリに料理を教えようとした。
手順もきちんと教えたのだが、スイリがやるとなぜか手順通りでも、最後は生煮えか真っ黒こげ二択にになるのであった。
スイリは回数を重ねれば、きっと改善するはずと思っていたが、10回目の黒焦げ作品をみたアルは、遂にスイリに料理禁止令をだしたのであった。
「スイリ、もう料理はするな」
普段寡黙なアルフが言葉を発するとなると、それはとても重かった。
こうして、スイリはそれ以降台所に立つことは諦めたのだった。
そんな穏やかな日々を過ごす中で、時折アルは町へ買い物に出かけた。
自身が狩った毛皮や薬草を売って、パンや雑貨類等森では手に入らない物を購入してくるのだった。
スイリが転移してきた時も、早々に必要だろうと洋服類も調達してくれたのであった。
今まで、自ら買い物リクエストしたことのなかったスイリは、どうしても欲しい物があった。
それは、裁縫道具だった。
アルの服が所々破けていたので、補修したいのだがこの家には裁縫道具がなかったのだ。
アルに尋ねてみると、裁縫が不得手で縫うと余計にひどくなるからとのことだった。
スイリはそれを聞くと、待ってましたとばかりに、裁縫道具を頼んだ。
《私、こう見えても裁縫得意なのよ》
そう口パクで伝えるも、胡散臭げにスイリを見てくるアル。
普段の行いから、とても手先が器用そうに見えないとのことだった。
渋るアルに、とにかく買ってきてと念押しし、送り出すスイリであった。
夕方アルが帰ってきた。
いつも通り大量の荷物を背負っていた。
その中にあるのかと思っていると、なんと右手に立派な裁縫セット一式を持っていたのであった。
驚いてアルを見ると。
平然と「これが欲しかったんだろ」といって渡してくるのだった。
スイリはてっきり、針と糸だけだろうと思っていた。
だが、裁縫道具と聞いてもピンとせず、お店の人に勧められた商品を買ってきたとのことだった。
鋏、縫い針、待ち針、糸、刺繍セット等色々詰め込まれていた。
スイリは思いがけない一式のプレゼントに、思わずアルに抱き着いた。
そして、嬉しいっと感情を込めた目でアルを見上げる。
アルはさっと視線をそらし「・・・よかった」と呟くのであった。
翌日からスイリさっそく、アルの破けた衣服の補修を始めた。
破けた箇所がわからないくらいの見事な腕に、アルは感嘆したのであった。
初めてこの家に来て、褒められたと感じたスイリ。
気合を入れ次々に服を直していった。
どうしても、補修できない箇所は充てぬのでさらに刺繍を施して元の状態よりもおしゃれな形へリメイクしていったのであった。
何気なく施した刺繍が、後の人生の転機となるとは、この時スイリは思いもしなかった・・・。




