26.もうよくわかりません!
スイリの誕生日から一月ほどたったある日のことだった。
珍しく、父の書斎に呼び出された。
「お父様、失礼いたします」
「来たか、そこに座りなさい」
父は一言放つと、執事長が静かにお茶を用意しはじめた。
こんなことは、母が亡くなってから初めてのことだった。
父は立ち上がり、書斎机から応接テーブルの方に移動し腰をかけた。
そのあと一言も話さない。
ティーカップの食器音がやけに大きく聞こえる。
お茶の準備を終えた、執事がティーカップを二人の前に置き、部屋を後にした。
出されたのは、スイリが好んで飲んでいる花の香りがするお茶だった。
(お父様の好みのものではないはず・・・)
ちらっと父を見るが、無言でお茶を飲む父。
父が口を付けたので、スイリも口を付けた。
そして、ティーカップを置いた父が話し始めたのだった。
「お前の縁談を決めてきた・・・」
続きを待つも、父はなかなか話はじめなかった。
歯切れが悪い父を見るのは、スイリは初めてのことだった。
「・・・相手は隣国フォレスト国のウィルター・パルプ公爵だ。年齢は35歳。前妻は儚くなられている。一人息子は、お前と同じ年だ。」
「!!」
「これが釣書だ。目を通しておくように」
そう言うと、父は釣書を置いた。
次に、水色の大きな宝石の周りイエローダイヤがちりばめられた精巧な指輪をスイリの目の前に置いた。裏に公爵家紋章が施されているとのことだった。
「これは成人祝いだ。婚家へ持っていきなさい。指輪はお前のサイズに合わせてある」と言い席を立った。
かたやスイリは大混乱していた。
急な結婚話に、相手は父と5歳しか年が離れていない。
更に、後妻な上に同じ年の息子。
貴族の子女は、政略結婚の駒だという認識はあったが、まさか恋愛結婚をした父がこんな縁談をもってくるとは思いもしなかったのだ。
(・・・母の寿命を縮めてしまった私の存在が憎いのかしら・・・。成人祝いの宝石も、この結婚があったから用意したのよね・・・きっと・・・)
暗い気持ちになる。
俯いたままスイリは、「・・・お父様、なぜ?」そう言うのがやっとだった。
父は、「貴族の義務だ・・・婚姻は半年後。式は親族だけで行う。話は以上だ」とだけ言い席を立った。
その後、スイリはどうやって部屋まで戻ったのかわからなかった。
気が付くと、ベットの上に座っており、外も夕闇に包まれていた。
真っ暗な部屋の中に、月の光のみが降り注ぐ。
コンコンっとノックが聞こえた。
「お嬢様、お夕飯の支度が整いました。公爵様がお待ちになっております」
「・・・食事はいらないわ」
「では、お部屋に軽食でもお運びいたしましょうか?」
「今日はいいわ・・・もう下がって頂戴」
「かしこまりました」
いつも父は帰ってきも、一緒に食事はとらない。
今日に限ってどういう風の吹き回しだろうとスイリは思った。
(少しは罪悪感があるのかしら・・・)
投げ捨てた釣書はそのままに、貰った指輪を右手薬指に嵌めてみる。
いつの間に測ったのか、スイリの指にピッタリだった。
貰った時は頭が真っ白すぎて気づかなかったが、なんとなく見覚えのあるこの指輪は、宝石の種類は異なるものの母が大切につけていたものだった。
プロポーズの時に、父から貰ったものなのと生前嬉しそうに話していた母の顔が浮かんだ。
父は、この指輪を作る際、公爵家代々伝わる『緑の石』という貴重な石をはめ込んだ。
その石は、別名<望みを叶えてくれる石>と呼ばれているものだった。
過去に手に入れた砂漠の国(ザード王国)の土地を、緑の大地に変わらせたことで有名だった。
だが、現れる条件は未だに解明されていなかった。
絶大な力を秘める石は、欠片でも城一棟は立てれるくらい・・・いやそれ以上の価値がある石であった。
それを使って態々作らせたのがこの指輪だった。
緑の石は指輪の内側に嵌められていて、外部から見えない。
だから、この指輪の本当の価値を知っているのはシーナ公爵の家族のみという事になる。
そんなことを思い出しながら、スイリは指輪の内側を見た。
(きっと、緑の石は抜き取られているわよね・・・)
期待せずに見てみると、指輪の内側にひっそり嵌め込まれたままになっていた。
スイリは驚いた。
父はこの価値をだれよりもわかっているはずだ。
それに、これは母の形見でもある。
父がチェーンを付けて、肌身離さず持っていたことをスイリは知っていた。
「お父様はなぜこれを私に・・・・」
その呟きに答えてくれる人は誰もいなかった。
スイリは、混乱する頭をそのままに、眠りにつくのであった。
ーーーーーーーーーー
次の日からさっそくフォレスト国の貴族名鑑の授業や礼儀作法の授業が始まった。
スイリは感情が追い付かないまま、授業を受ける。
来る日も来る日も、食事も最低限しかとらず、言葉数も発することなくなってしまった。
空いたわずかな休憩時間は、窓の外をぼんやり眺めているだけであった。
日課の墓参りもやめ、無表情になってしまったスイリの姿を心配しながら見ている人がいた。
執事長だった。
執事長は、二人が執務室から出てきた時から、シーナ公爵の言葉足らずを察していた。
そして、日に日に無機質になっていくスイリを心から心配していた。
コンコン
「入れ」
「失礼いたします」
「爺や、どうした?」
「坊ちゃん・・・僭越ながらお嬢様の結婚の件、もう少しご説明をなされるべきです」
「・・・爺や、何度言えばわかるんだ、私はもう坊ちゃんではない・・・」
「いいえ!私はオシメの頃からみてますので、坊ちゃんは坊ちゃんです。お嬢様のあのお姿はみてられません。このままだと、完全に坊ちゃんの事を誤解されてしまいます!」
「・・・これでいい。説明したところで、あの子が嫁ぐ事実は変わらない。」
「しかし・・・」
「私がもういいと言っているだろう、下がれ!」苛立った公爵がドンと机を叩く。
「・・・出過ぎた真似をいたしました」
執事長が一礼して、執務室を出ていった。
執務室に残る公爵は、椅子から立ち上がり窓辺によった。
「私は酷い父親だな・・・そうだろう、メイリー」今は亡き妻に語り掛けるのであった。
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更に一か月が経過した。
このころになると、スイリは味がわからなくなっていた。
何を食べてもわからないのだ。砂を食むようであった。
ただ寝て、起きて、勉強して、また寝る。
その日々の繰り返しであった。
そんなある日、前回採寸に来たウェディングドレスの縫い師達から苦言を言われたのであった。
「お嬢様、婚姻時にダイエットされて綺麗に当日を迎えたい気持ちは、私共十分心得ております。しかし、お嬢様は既にとてもお痩せになっておられます。これ以上痩せては私共の作成するドレスも似合わなくなってしまう可能性がございますので、お食事をとられてください」っと・・・。
スイリは、「わかったわ」と久しぶりに声を発するのであった。
そして、あの日以来、父はちょくちょく屋敷に帰るようになってきていた。
まるで生前母が生きていた時代の様に・・・。
一緒に食卓をと執事長から進められ席に着く。
父と向かい合わせに座るが、お互い無言であった。
やがて、それぞれのリクエストに合わせたメニューが配膳される。
父はフルコースでゆっくり食事をするが、スイリは栄養化が高く、飲み込み易いものをと・・・。
スイリは流し込むように夕食を終え、そそくさと食卓を後にするのであった。
シーナ家の食卓には、依然として温かみと談笑が訪れることはなかったのであった。




