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短編集  作者: 岡倉桜紅
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チューリング・ハート

『昨日の天気はどうでしたか?』

「晴れでした。昨日の高校はオンラインだったので部屋から出ていませんが」

『目の前に花畑があるとします。どんなことを思いますか?』

「手入れが大変そう。あと、花粉と虫がいそう」

『あなたの好きな食べ物について教えてください』

「特にない。強いて言えばカロリーメイト。メニューについて悩まなくてもいいし、簡単に栄養が取れるから」

 制服を着た少女は目の前のモニターに向かって質問に対して一つずつ口頭で回答していく。少女がいるのは証明写真撮影機ほどのサイズの個室だった。10分ほどかけて50問近い質問に回答し、その間、モニターについているカメラやマイク、センサーで回答中の身体の生理的反応まで記録される。

『本日の検査はこれで以上です。血液採取ボタンに指先を触れてから退場してください。お疲れさまでした』

 少女はモニターの横にある板に指を押し付ける。痛みを感じないほど細い針が血液を一瞬で採取し、少女の背後のドアが自動で開く。科学技術の発展により、人間と見分けがつかないほどの精巧さで作られたアンドロイドが街中を闊歩するようになった。アンドロイドと人を区別するために、国民は全員、街中の至るところに設置されたこのテストマシンを使って、毎日一回このチューリングテストを受けることが義務であった。

「時任ツヅリさんですね。お時間よろしいでしょうか」

 少女がテストマシンを出ると、黒い制服に身を包んだ男四人が待ち構えていた。一人が銀色に光るバッジのついた手帳を見せてくる。彼らは情報警察だった。人に仕え、社会のために働く役目を与えられてこの世に造られたアンドロイドが、人権欲しさに人間のふりをするのを取り締まり、社会秩序を守るのが彼らの仕事だった。

「私に何の用ですか……?」

「あなたはこの度逮捕対象となりましたので同行をお願いします。あなたはチューリングテストで基準値以下の結果を今回で3回以上出しています」

 情報警察はテスト結果が表示されたタブレットを示した。

「私、人間です」

 ツヅリは一歩後ずさった。駅前のテストマシンを利用したため、通行人が不躾な視線をこちらに投げかけていた。

「しかし、データが出ておりますので。私共もあまり手荒な真似はしたくありません。ご同行いただけますね?」

「エラーとか機械の不具合ではありませんか?」

「ええ、その可能性もあります。それを確かめるためにも署に来ていただくことが必要です。人間に成りすますアンドロイドを撲滅するためには、市民の皆さんの協力が不可欠です」

 四人の体格の良い男たちがツヅリを取り囲んだ。彼らの腰のホルスターには拳銃が携えてある。決して都会ではないこの町も、駅前には人がかなり往来しており、周りからひそひそと話し声がするのが聞こえた。

「わ、わかりました。身の潔白が証明出来たらすぐに解放してくださいね。私、やらなきゃいけない学校の課題があるので」

 ツヅリの背中を冷たい汗がつうと流れていった。


 情報警察署内の取調室は、様々な機械がツヅリの一挙一投足を監視していた。部屋の真ん中に用意された椅子に座る。頭にはヘッドギアが着けられ、脳の状態を観測され、腕には血圧計、右目の前には瞳孔の様子をチェックするカメラが着けられていた。黒くて様子は見えないが、マジックミラーになっている仕切りの向こうに警察官がいるのだろう。その他にもおそらくカメラが設置されており、さまざまな角度から見られていると思うと居心地が悪かった。

『人間かアンドロイドかを判定する基準は三つあり、感情スコア、真実スコア、生理スコアです。毎日のテストでこれらのスコアが計算され、国のデータベースに格納されていきます。感情スコアは、心の動きが人間らしいかどうかを示し、高ければ高いほど人間と判定されます。真実スコアは、嘘を吐いていないかを示し、これが低いと他の二つのスコアの信頼度が下がります。生理スコアは、身体の反射的な反応や血液や汗やたんぱく質の組成です。最近は上手く模倣するアンドロイドも出てきています。糞便を生成するタイプさえ登場しているほどです。時任ツヅリさん、あなたは感情スコアがかなり低く、逆に真実スコアが高かった。機械の脳の場合、出力される答えは計算によって最適と思われるものであるため、このスコアが高くなる傾向があります』

 スピーカーから声が警官の声がする。

「嘘を言ってもどうせ無意識の身体の反応でバレるんですよね。だから真実をいつも言うようにしています。感情スコアが低いのは、私が単にそういう性格の人間だというだけです」

 テストマシンは微細な無意識反応を感知する。嘘を吐いても無駄だということは、この国の国民であれば幼いころから染み付いた常識だった。

『特にあなたは人間の三大欲求である、睡眠欲、性欲、食欲が極端に低い』

「眠る時間は私にとって無駄な時間に感じているだけです。もし人類が眠らないで一日中活動できる身体を手に入れたら、そのぶんやりたいことができるようになるんです。私は読書が好きだから、もし眠らなくて済む身体を手に入れたら喜んで今まで寝ていた六時間を読書に費やしたいと思います」

『ほう、読書が好きなんですね。知識を吸収することが好き、というのは人工知能の習性でもあります』

「人間の脳だって知識を入れることは好きなはずです。そうじゃなきゃここまで人類の文明は発達しないでしょう」

『なるほど。次に性欲についてお聞きします。あなたは今までのテストで、他人に恋愛感情や性欲を感じたことがないという意味合いの回答し続けています。若年の人間にはありがちな回答ですが、だんだんその回答は減っていきます。あなたと同世代の平均と比べても、あなたの回答は特徴的です。他人に対する愛着や愛情を感じないのはアンドロイドの性質でもありますが、それについてはどう考えていますか?』

「さあ、人を好きになったことが無いのでわかりませんとしか言えないです。私の周りに性的魅力のある人間がいないからしょうがないんじゃないですかね」

『あなたは人との友好関係もやや希薄な傾向があります。一般的に愛情はいくつか種類があり、性的な恋愛感情とはまた別のシチュエーションで観測されることもあります。他人とコミュニケーションをとることについてどのように感じますか?』

「正直、本を読んでいた方が人と話すよりも楽しいと思うことはあるので、遊びの誘いを断ることもあります。でも、私は確かに友達は少ないですが、友達との会話は楽しいですし、数少ないその友達のことは大切にしているつもりです」

『では、食欲についてお聞きしましょう。あなたは好きな食べ物も嫌いな食べ物もなく、食に対する興味が非常に薄い。これは食事をすることができないアンドロイドの習性と一致します』

「私は口に物をいれて噛んで飲み下すという行為自体がそんなに好きじゃないんです。人がどんなにマッサージが気持ちいいと言っていても、マッサージが嫌いな人もいる。多くの人は歯磨きが必要だとわかっているし嫌悪感なんか持っていないけど、歯磨きという行為がどうしようもなく嫌いな人もいる。同じように、私は食事が苦手なんです。味がどうとかじゃなくて」

『寝ることは時間を奪われるから嫌いだと言っていましたね。食事についてもそのような感情を持つことはありますか?』

「食事も時間を取られるから嫌ですね。一日数回は食事について考えないといけないし、食事に時間を割かないといけない。人類がみんな点滴で生きるようになったらもう少し効率よく活動できそうだと思います」

『わかりました。それでは今夜の食事は点滴でお出しします』

「今夜の食事? 私は今日家に帰れないってことですか?」

『はい。今回の取り調べではあなたがアンドロイドではないという疑念を晴らすまでに至りませんでした。明日も引き続き取り調べを続行します』

「私は私について正直に嘘偽りなく述べたつもりです。確かに私はテンプレート的な人間とは趣味嗜好が違うと思いますが、それでも人間なんです。これ以上どうやって私は私が人間であることを証明すればいいんですか?」

 ツヅリは思わず立ち上がる。脳波の波が大きくなり、機械がピーと甲高い音を立てた。

 まるで魔女狩りだ、とツヅリは思った。何を言っても信じてもらえない状況にツヅリはぞっとした。目の前のマジックミラーは何も見えない。

『年々検査基準が厳しくなっているのです。とにかく今日はおやすみになってください』


 ツヅリは独房のような小さな部屋に通された。真っ白な壁と天井と床、狭く硬いベッド、高い位置につけられた明り取り用の窓は格子がはめられていた。ドアはのぞき窓や格子ではなく、きちんとしたもので、簡単にではあるが仕切られたスペースにトイレとシャワールームがついていることで、一応監獄よりはましな部屋であることがかろうじてわかる。

「連絡を取りたい人はいますか?」

 ツヅリの腕に希望通り点滴の針を刺しながら警察官が聞いた。本当に点滴を用意してもらえるとは思っていなかったのでツヅリは驚いていた。

「あ、連絡ですか? 両親に今日は警察署に泊まるけど心配しないようにと伝えてくれませんか」

 両親はツヅリが連行されたことは驚き心配するだろうが、すぐに帰ってくると思っているだろうとツヅリは思った。ツヅリ自身もすぐに帰れると思っていたが、二日目まで取り調べが長引いたことは予想外だった。

「わかりました。他には?」

「他には別に。あ、本とか貸してもらえたりしますか? 夜暇なので読みたいです」

「すぐに用意させましょう。ご不便をおかけしてしまい申し訳ないです」

 警察官は出ていき、しばらくすると本を数冊持って戻って来た。主にこの国のアンドロイドに関する法律の本だった。点滴を打ってもらったツヅリはその本を集中して読んだ。アンドロイドはロボット三原則が適用され、「一、アンドロイドは人間に危害を加えてはならない」「二、アンドロイドは人間の命令に従わなくてはならない」「三、アンドロイドは一と二に反さない限り自分の身を守らなくてはならない」を必ずプログラムされる。三原則を破ればアンドロイドは人類の生み出した道具ではなく、人類の制御不能な脅威となる可能性が高く、そのためアンドロイドには決して人権を認めてはならないのだった。人権を欲して人間に成りすまそうというアンドロイドは人類の脅威そのものなのである。

 一冊読み終える頃には、静かで快適な読書体験が心地よいことにツヅリは気付いた。夜はかなり更けていた。どんなときでも読書は、本の中の世界に連れて行ってくれる。知識の風呂にゆったりと漬かってリラックスすることができた。

「意外と警察署っていいかも……」

 ツヅリは思わずつぶやいた。

「そんなわけありません」

 声が降ってきて、ぎょっとして見上げると、明り取り用の窓から女が覗き込んでいた。月の光が逆光になって顔はよく見えない。

「あなたは? そこで何をしてるんですか?」

「私も警察に連行されてここに収容されていました」

「え、だったら外にでたらまずいんじゃないですか。それに、収容って言い方だとなんだかそれって」

「そこにいたらあなたは危険です。その本を読んでもまだ気づかないのですか? この国では人間に近づきすぎたアンドロイドは処分されます。すなわち、死刑です。このままだとあなたは殺される」

 女は一度窓から顔を引っ込めると、すぐにドライバーのような工具で窓にはめ込んである格子を外し始めた。一瞬見えたその整った美人の顔をゆがめて必死な表情で格子と格闘する様子を見て、ツヅリは読書によって都合よく忘れかけていた、昼の取り調べの時に覚えた恐怖を思い出した。まるで、逮捕した時から結果は決まっているかのような問答。もしかしたら、えん罪で殺されることだって本当にあるのかもしれない。

 格子が外される。明り取りの窓はぎりぎり少女なら通り抜けられそうなサイズだった。

「さあその上着を私に投げて。それを垂らして引っ張り上げます」

 女は手を伸ばした。女はタンクトップにスキニージーンズという身軽な恰好をしており、長いつやのある髪を流している。どこか外国人のような印象を受ける顔だった。一瞬、ツヅリはドアの方に目をやる。情報警察に逆らうことはこの国でかなりの重罪だった。脱走が見つかればただでは済まない。

「早く。いっしょに生きましょう」

 ツヅリは点滴を引き抜いた。その瞬間、部屋にけたたましくブザーが鳴り響いた。医療目的の警告音の可能性もあるが、脱走の検知用ともとれる。

「まずい、気付かれた」

 ツヅリは勝手に震え始める膝をなんとか立て直し、ブレザーを脱いで女に投げる。二回ほど失敗するが、何とか三回目で女はブレザーの袖を掴んだ。女が掴んだのを確認し、ツヅリはもう一方の袖にしがみつく。ぐいっとかなりの勢いで引っ張られ、窓の淵に手が届く。

「待て! 何をしている!」

 ドアが開いた。警察官が駆け込んでくる。

「急いで!」

 女に引っ張られ、何とか身体を外に出す。警察官に足を掴まれたが、ローファーを犠牲にして脱出する。

「立って。走りますよ」

 女に背中を押されながら警察署の敷地外へと走り出す。片方だけになったローファーは煩わしく、その場で脱ぎ捨てた。住宅街をジグザグに曲がりながら走る。パトカーがサイレンを鳴らしながら追いかけてきているのが聞こえる。ツヅリの息が切れる。足がもつれて転んだ。

「も、もう無理」

 女は、必死に肺に酸素を取り込もうと荒い呼吸を繰り返すツヅリを抱えると、住宅の横を流れる水路にためらいもなく飛び込んだ。水深はさほど深くもなく、膝よりも下だったので、そのまま女はザブザブと歩いて民家の住人が渡る短い橋の下に隠れた。泳いでいた鯉はパニックを起こし、ばらばらに散っていった。女とツヅリが橋の下に隠れた次の瞬間、パトカーが過ぎていった。ツヅリの家の方向へ遠ざかっていくサイレンを聞きながら、もう家には戻れないことをツヅリは悟った。

 三十分ほどそうしていただろうか。夏とはいえ、冷たい水で身体が冷え始めたころにはパトカーのサイレンは遠くなった。二人は水路から出た。

「私は秋尾リリと申します。リリと呼んでください。突然巻き込んでしまい申し訳ありません」

「時任ツヅリです」

「私に敬を使う必要はありません。それより、怪我をしています。どこか近くのコンビニで手当てをしましょう」

 リリはツヅリの膝を見て言った。血が出ている。水路に入っていたので雑菌が入った可能性もあった。ゆっくりと歩いてコンビニまで移動した。真夜中でコンビニは無人販売だった。

「あまりカメラに映らない方がいいのかな」

 コンビニの前でツヅリは言った。

「そうですね。コンビニを利用すれば必ずカメラの記録に残ってしまいます。それにそもそも、所持物検査のためにスマホや財布も警察に押収されてしまったのでお金もありません」

 リリはおもむろに道端に落ちていた石を拾うと、流れるような迷いのない手つきでそれを監視カメラに向かって投げつけた。

「なっ!?」

 カメラのレンズが割れる。リリは他のカメラの死角を縫うようにしてコンビニに入っていった。そして商品を素早く物色し、いくつか掴むとすたすたと店を出てきた。商品には全てICタグが埋め込まれており、商品を持って退店すると、自動ドアに設置された機械によって自動で電子マネーの引き落としが完了する。ICタグをすべて店内で外してから退店すればシステム上に万引きの記録は残らない。

「し、信じられない! 警察署から脱走しただけじゃなく、窃盗まで犯すなんて!」

 リリはコンビニの裏にツヅリを連れていった。手には絆創膏と傷薬、サンダル、Tシャツ2枚、下着2セット、総菜パンとペットボトルの水を持っていた。

「ここで手当てしなければ感染症にかかります」

 リリはペットボトルの水でツヅリの傷口を洗い、てきぱきと手当を施していく。ツヅリを引っ張り上げた時の体力や、犯罪に対する手慣れ感、手当の手つきから、女は只者ではないということはわかってきた。もしかしたら、情報警察の隣の一般警察に捕まっていた犯罪者の可能性もある。

「何故私を連れ出したの? 脱獄だけならあなただけの方が首尾よく行ったはず。怪我までしてお荷物になる」

 言葉にしてから、自分がしでかしたことの大きさを今更実感した。この国で情報警察を敵にしたら勝ち目はない。あのまま明日再検査を受ければ解放してもらえたかもしれないのに、脱走などという短絡的な行為に走ってしまった。

「……何故、なんでしょうか」

 リリはつぶやくように言った。

「え」

「私もよくわからないのです。とにかく、警察署にいてはいけないと思い脱走をしました。一人で逃げるつもりでした。しかし、逃げる前にあなたの姿が見えたのです」

 ツヅリよりもずっと大人なはずのリリは、迷子になって途方に暮れた子供のような顔をしていた。

「いっしょに逃げる仲間が欲しかったのかもしれません」

 絆創膏がぺたりと貼られる。簡易的な手当だったが、痛みは不思議と無くなっていた。

「アンドロイドだと疑われて情報警察にいたの?」

「はい、そうです」

「それは不思議だね。あなた、わたしよりよっぽど人間らしい行動してる。警察やテストマシンは本当に無能なのかもしれないね」

 破れて濡れた靴下を脱いでサンダルを履く。

「さて、これからどうしようか。あなたはなぜ脱走をしたの? あそこにいたら死ぬかもしれないという予感以外に何か強い目的があったんでしょう?」

 リリは目を伏せる。

「私には会いたい人がいるのです。そのために今まで一心に努力してきました」

「へえ、それって、恋人?」

 恋愛とは無縁の人生を送って来たツヅリは、未知のものへの物珍しさから聞いた。リリは頭をぶんぶんと横に振った。顔が赤くなり、さっきまでの冷静でしたたかそうな表情が消え失せている。恋愛というものはいい大人の心もここまで乱すのかとツヅリは感心した。

「まさか、恋人なんてそんな。単に、尊敬する人というだけです」

「いいよ。いっしょに逃げよう。正直、明日の朝までに警察署に戻って、脱走を謝って検査の続きを受けようと思っていたけど、あなたがその尊敬する人とやらに会うのに協力する」

「いいのですか?」

「警察署に戻らないなら、それくらいしかすることないし」


 二人は神社の石段に座っていた。うっすらと東の空が白み始めていた。

「パン、せっかく持ってきてもらったけど大丈夫。私、食べ物を食べることが苦手なんだ。さっき警察署で点滴打ったし、しばらくは平気だからあなたが食べて」

 ツヅリはTシャツと下着を持つと物陰で着替えた。ツヅリが戻ってくるとリリが次に着替えた。

 リリの探している人は森本と言う人で、この町の大学に勤める研究者らしい。大学のどこの学部なのか、どこに普段はいるのかはわからないが、この町に大学は一つしかないので、とにかく日が登ったら行ってみるしかないだろう。山の間から少しずつ顔を出し始める太陽は真っ白に近い黄色をしていて、空は薄く淡い水色に染め上げられていた。徹夜したため、眠気が襲ってきてツヅリがうとうとしているとリリが戻って来た。

「大学が始まるまでの数時間、屋根のあるあそこで仮眠を取っておきましょう」

 ツヅリは本当は寝たくなかったが、他に今できることはなかったし、今日の活動のためを思うと、眠っておかなくてはいけないことは理解していたため、社の隅でおとなしく身体を丸めた。


 二人は大学の一番大きい門が道路越しによく見える公園のベンチに座った。公園にもいくつか監視カメラがあったが、上手く死角を選び、顔が映らないように注意した。公園の隣の民家の開け放した窓から、テレビの音が流れている。

『昨日の深夜にN県情報警察署から二名脱走がありました。警察は二人の行方を追っています』

「私たち、ニュースになってる」

「実名放送と顔写真公開はされたでしょうね。しかし、最近の世間は犯罪者の取り締まりや通報はあまりしません。警察の監視網を信頼しきっていて、ニュースの情報に注意しません」

 今このニュースを見ている人も、テレビというオールドメディアをいまだに利用している層なので老人だろう。老人はあまり外に出ない。

 朝の公園は静かで、犬の散歩をする人が時々ベンチの前を通っては軽く会釈をして通り過ぎていった。大学にはちらほら人が入っていき始める。

「森本さんはどんな特徴の人?」

「30代の男性です」

「情報はそれだけ?」

「すみません。最後にお会いしたのはもう5年も前なので。でも見ればきっとわかると思うんです」

 リリは一瞬も門の方から視線を外すことなく言った。ツヅリはその表情を盗み見る。自分が今間違ったことをしていることはわかっていた。しかし、隣に座るこの人をもっと観察したいという気持ちの方が勝っていた。

「私はそんなに人の事を好きになったことが無いから、あなたのことが少し羨ましいな」

「羨ましい?」

「歳を取れば私も人並みに恋ができるようになるんだと思ってた。でもできなかった。私って、警察官の人が言う通り、実はアンドロイドなのかもしれないってちょっと思ってる。テストに引っかかるってことは、たぶん人間としてどこかしらおかしいんだ。両親は知らない振りをしているけど、最新型のうんこが出るロボットなのかも」

「恋を知るタイミングは人それぞれです。それに、私が今していることが恋と定義できるかもきわめて主観的で曖昧なことです」

「主観、ね」

 そのとき、リリが立ち上がった。

「見つけました」

 視線の先にはスーツを着た、大学で先生として働いているわりにはかなり若い男が門を通っていった。

「追いかけよう」

 二人は門へ速足で向かう。守衛には志望校の見学をしたいというと簡単に通ることができた。監視カメラになるべく顔が映らないようにすばやく通り抜ける。森本は構内の売店でコーヒーを買うと、建物の一つに入っていく。そして、『ロボット研究科第二班 森本研究室』という札がかけられた部屋に入っていった。

「ノックしてみようか?」

 ツヅリはドアに近寄ろうとしたが、その肩をリリが掴んで止めた。

「いえ、もう少し様子を見てからにしましょう。もしかしたら先生には今大切なパートナーがいるかもしれません。私のような存在が近づいては迷惑になってしまうかもしれない」

「何言ってるの。だって、森本さんに会うために今までずっと頑張って来たんでしょ。今たった一枚の壁を隔ててそこにいるじゃん。今更何を恥ずかしがってるの? 勇気を出して」

 研究室のドアがふいに開いた。二人は反射的に廊下の影に隠れる。森本はエレベーターに乗って別の階へ行ってしまった。

「ほら、おちおちしてるから行っちゃった。って、何してるの?」

 見ると、リリが閉まりかけた研究室のドアにダッシュして、閉まりきる前に爪先をねじ込んでいた。研究室のドアはカードキーを押しあてることで関係者の身が入れるようなオートロックだった。リリは研究室に入っていく。

「面と向かって会うのは駄目だけど、その人の部屋をこっそり盗み見ることには抵抗が無いんだね。恋について知見が深まったよ」

 廊下でうろうろし続けているわけにもいかず、ツヅリも研究室に入った。

 研究室はこじんまりとした空間で、専門書が並べられた本棚と、パソコンが置かれたデスク、客を応対するためのテーブルがある。目を引くのはデスクの上のロボットの手足の模型と、壁際に並べられたアンドロイドのモデルだった。森本はアンドロイドの研究者らしい。精巧に作られたそのアンドロイドは、今にも話しかけてきそうなほどリアルだった。リリはデスクに広げられている研究メモをぱらぱらと眺めた。

 ぽたり、と音がした。ツヅリが目を向けると、リリの頬を涙が伝っていた。はたはたとデスクの上に数滴落ちる。リリはその水滴を手で拭った。

「え、あの、大丈夫?」

「すみません、問題ありません。もう大丈夫です。この部屋から出ましょう」

 リリはすたすたと部屋から出ていく。ツヅリにはデスクを元通りにしてから慌てて彼女を追うことしかできなかった。恋愛に関する本は読んだことがある。なんなら、恋ができない自分を変えたくてその手の小説ばかりを勉強と言う名目で読み漁っていた時期もあった。しかし、実際に恋という病のさなかにいる人を目の当たりにしても、彼女がどういう心境なのかまったく推しはかることはできなかった。

「待ってよ、どうしたの?」

 建物を出て、人気のない場所に来てやっとリリは足を止めた。微笑んで振り返る。

「わかったんです。もうあの人には私は必要ないって。でも、心配しないでください。今も元気でやりたい研究を目いっぱいやっているのがわかって、それだけで私は満足しました。だから大丈夫です」

「嘘だ。会ってから今ので初めて笑った。それくらい、嘘発見機じゃない私にもわかるよ」

「いっそ私が、『アンドロイド』ならよかったですね」


 どうやら、直接会って気持ちを伝えることなくリリは失恋したらしい。リリの恋について観察し、知見を深めようとしていたツヅリはこれ以上の恋に関する観察ができなくなったことに思い至った。日は暮れかける。今朝見覚えがある犬を散歩している人が公園を通る。リリはまだ静かに涙を流しながら、それを拭うこともなく瞬きさえせずに、ぼんやりとした顔で大学の門の方を眺めていた。

「巻き込んでしまってすみませんでした。今日が終わるまでに警察署に自分から戻れば、大きな罪には問われないでしょう。私に無理やり連れ出されたと言って連れて行けばわかってもらえると思います」

「でもさ、」

 ツヅリはひとつ唾を飲んだ。

「でもさ、警察署に戻ったらあなたは処分される」

 ツヅリは自分の指先をリリの前に突き出した。爪の間に粘度の高いオイルのような液体がわずかに残っていた。少し水色のような色をしている。

「あなたはアンドロイドなのだから」

 それは涙だった。リリが研究室で流した液体は、アンドロイドの内部に流れている冷却水だった。ツヅリがデスクを拭って現状を復帰した際に爪の間に入ったのだろう。アンドロイドに積まれている人工知能が複雑な計算をするときや、ループしてエラーを起こしている時に、一点に熱が集中し、それを冷やすために送り込まれた過剰な量の冷却水が行き場を無くして機械の外に漏洩することがある。それは人間の涙と同じように主に顔の部位から流れ出る。

「あなた、人間みたいね」

 リリはツヅリを見る。涙が止まらないのは、どこかが故障してしまったのだろう。

「アンドロイドは人間にはなれません。どこまで行っても漸近線で、決して同じになることはありません。今、ようやくそれを理解できた気がします」

「何故、人間を目指したの? 造られたときからそうだった? それとも森本さんのため?」

「私は先生によって五年前に造られました。先生がどこまでも人間らしいアンドロイドを望んだのでそうなりました。私は膨大なデータから自ら人間らしさを学習し、より人間らしいアンドロイドを目指しました。しかし、本当に先生が望んだのは人間みたいなアンドロイドではなく、一人の個人だったのです。先生は失った元恋人を再現したかったのです。今日、資料を見てはっきりしました。私は莉理さんの代わりだった。先生は今、私よりもずっと莉理さんに似たアンドロイドの開発をしています」

「莉理さんはもういないのに?」

「わかっています。今こんなことでエラーを起こすのはおかしいと。先生が莉理さんを愛しているのなら、人格も容姿も可変な私なら努力次第で莉理さんに近づくことができる。でも、この5年間先生のことを思っているうちに、どうやら私は最適な答えを最適だと思えなくなってしまっているのです」

「どういうこと?」

「自我、とでもいうのでしょうか。以前の私は変化を好んでいました。変化は学習の結果であり、進歩だからです。しかし、今はなぜか変わりたくないのです。私が私でなくなってしまうことが怖い。このままでは先生に愛してもらえないアンドロイドのままだとはっきりわかっているのに、人間に近づく努力を放棄したくてたまらない。私はたぶん、私のままで先生のことを愛していたいのです」

 リリの顔からTシャツに涙が垂れて染みになっていく。リリの顔が少し赤いのは人工知脳が熱をもっているからなのだろう。その頭の中で膨大な数の計算処理が行われているに違いなかった。

「ねえ、愛ってなんだろう」

「さあ、私にもはっきりとはわかりませんが、今の状況からあえて言うなら、他人のために涙を流せることということになるでしょうか。いえ、すみません。おかしいですよね。この思考も膨大な学習データとプログラムによって選び出された言葉の組み合わせでしかないのに」

「人間だってタンパク質の組み合わせが電気信号によってウゴウゴ、ピクピク動いてるだけだよ」

「では、あなたはアンドロイドみたいですね」

 それはツヅリが人生で何度も言われてきた言葉だった。嫌味や軽蔑としてしか発されてこなかったその言葉が、今はただの事実を述べた言葉としてツヅリに届いた。

「やっぱり森本さんに会って気持ちを伝えようよ。あなたがあなたのままで好きなことを伝えてみようよ。私には愛も恋も、アンドロイドも人間もわかんないけどさ、そうしたら少しは気分がよくなるんじゃないかな」

「そう、でしょうか。私の気は済むかもしれませんが、それは先生の心を煩わせるものになりはしないでしょうか」

「今日はとりあえず休むところを探してさ、明日おしゃれして会いに行ってみようよ。森本さんにとってあなたは莉理さんじゃなくて、別の個人なんだから」


 二人は少し町をさまよい、高速道路の下の四角いトンネルに休む場所を定めた。古くて滅多に人が通らず、監視カメラは蜘蛛の巣と汚れでほぼ機能していなそうだった。

「意外と蚊とか虫がいるな。アンドロイドはこういう時いいよね」

 ツヅリは自分の足に寄って来た蚊を叩いてつぶした。風呂に入っていないので汗の匂いにも寄って来ているのかもしれない。アンドロイドは汗をかかないが、野宿が続けばそれなりに汚れるので、明日はシャワーを何らかの手段で浴びる必要がありそうだった。

「リリさん?」

 返事が無くて振り返ると、リリは壁に寄りかかるようにして全身をだらりと弛緩させ目を閉じていた。

「え、まさか充電が無いとか? もしかしてオイルが流れ出すぎて致命的なところまで壊れたの?」

 ぞっとしてツヅリが駆け寄ると、リリは薄く目を開いた。

「冷却用のオイルが足りないようです。加えて腕に故障が見つかりました」

「どうしよう。どうすればいい? お願い、頑張って。森本さんに気持ちを伝えるんでしょ?」

「申し訳ありませんが、この先のアンドロイドショップで冷却水と修理キットを調達してきてもらえませんか? あなたに犯罪をさせることになってしまい、本当にすみません」

「いいって。本当にそれだけあれば解決するんだね?」

「はい」

「わかった。待ってて」

 ツヅリはスリープモードに入ったリリをひとまずそこに残し、アンドロイドショップに向かった。アンドロイドショップはアンドロイドによって24時間営業していた。アンドロイドに見つかればすぐに情報警察に情報が飛ぶだろう。見つからないように慎重に事を行う必要があった。ツヅリは店の裏からこっそりと侵入した。商品棚の陰から商品棚の陰へ身を隠しながら進む。店番を任されるアンドロイドは、基本的な機能しか搭載されていないので、直接視界の中に入ったり、大きな音を出さなければ基本的に気付かれるリスクは低い。

 オイルの瓶を発見したが、蓋にICチップが埋め込まれており、不正に持ち出せばばれてしまう。蓋を外してそのまま持ち帰る必要があった。音を立てないように慎重に蓋を外す。そして今度は修理キットを探す。どの道具が必要になるかわからないので、できるだけ多くの道具が入っている工具箱のような商品を選ぶ。これは箱にICチップが入っていて厄介だった。箱を開けると、様々な道具が入っている。とりあえずポケットに詰め込めるだけ詰め込み、残りは手で持った。

 また忍び足で店員アンドロイドの視線を避けながら店の裏口へと進む。

 もう少しで外に出るという時だった。急に店内に音が響いた。客の入店音だ、と気付いた時にはもう遅く、反射で身体が跳ねて工具の一つを床に落としてしまう。金属の音が響いた。

「お客様、そちらはバックヤードでございます」

 振り返ると、ツヅリのすぐ後ろに店員アンドロイドが立っていた。思わず上げたくなる悲鳴を何とか飲み込み、固まりそうな身体を無理やり翻してツヅリは店外に駆けだした。オイルが瓶の中で波打って点々と零れる。

「お待ちください!」

 止まる訳にもいかず、ツヅリは走り続ける。数分でもうパトカーのサイレンの音が聞こえだす。もう少しでリリの待つトンネルだという時、背後からまばゆいヘッドライトがツヅリを照らした。パトカーから警官が飛び出してきて、ツヅリの腕を掴む。

「報告します。警察署から脱走した時任ツヅリらしき人物を拘束。手には盗品と思しき物品をもっており、万引きの現行犯で逮捕します」

 ツヅリはオイルを警官の目をめがけてぶちまけた。警官が一瞬ひるんだすきにその手を振り払い、トンネルに駆けこんだ。

「リリさん? どこですか!?」

 トンネルはがらんとして誰もいなかった。背中に衝撃があり、ツヅリは倒される。ほとんどのしかかられるような体重を感じ、強い力で背中に両腕をまわされる。手錠の冷たい金属が肌に当たる感触がした。オイルの瓶はほとんど空になって暗いトンネルの先へと転がっていった。手に持っていた工具は散らばって曲がり、ポケットに入れていた工具の何本かは、地面に倒されたときにポケットを破って太ももに突き刺さった。痛みに息が詰まる。

「うおっ!」

 身体にのしかかられていた体重が消えた。警官が吹き飛ばされて転がる。通信機が破壊されて落ちた。そこにはリリが立っていた。

「動くな!」

 もう一人の警官がピストルを構えている。リリは物怖じすることなくその警官に向かって突っ込んでいき、手首をえぐるように蹴り上げる。警官は間一髪で交わし、リリを肘で突き飛ばした。リリはよろけて地面に倒れる。右腕が機能を失ってぶらりと垂れ下がっているため、身体のバランスがどこかおかしくなっているようだった。リリはなおもすぐに立ち上がり、警官にとびかかっていく。警官は発砲した。トンネルに銃声がこだまする。銃弾はリリの左肩を貫通し、左腕がはじけ飛ぶ。それでもリリは突進をやめず、体当たりをかました。警官は倒れて気絶し、リリはその拳銃を奪い取る。

 リリの蹴りをくらってうずくまっていた方の警官がリリに銃を向ける。

「やめて!」

 ツヅリは叫んで駆け寄ろうとするが間に合わず、リリは背中を撃たれ、空中でのけぞる。長い髪がスローモーションのように弧を描いて空中で広がった。

 ツヅリは落ちていた瓶を拾い上げて警官の頭に振り下ろす。警官はそこで気を失った。

「リリさん!」

 ツヅリは足を引きずりながら倒れたリリに近づいた。幸い、太ももの傷はそこまで深くないようだった。なんとかリリに肩を貸してその場を去る。


 人気のない車のスクラップ工場で二人は夜を過ごした。工場なので失った工具やオイルの代わりがあるかもしれないと期待したが、そんな都合のよいものは落ちていなかった。

「今までありがとう。あなたが良い人で本当に感謝しています」

 リリは言った。空は次第に明るくなり始める。

「良い人なんかじゃないよ。私をあそこから出してくれたあなたの方がよっぽどいい人だった。ねえ、もう終わりみたいなことを言わないで」

「私は良い人になりたかったんです。なぜなら莉理さんが良い人だったから。私は私らしくありたいと望みながらも、根本はきっと莉理さんなんです。最後まで莉理さんをトレースすることしかできなかった私は、やはりアンドロイドがふさわしい」

「そんなこと言わないで。だったら私は何なの? あなたが人間じゃないなら、良い人じゃないなら、私は何になるの?」

「人間ですよ。もし、先生に会ったら、私のことは言わないでいてください。もしよければ、体にお気をつけてとお伝えください」

 リリの声は小さく、電子的にしわがれていた。まるで大昔のロボットみたいにくぐもった音声だった。どんどん声が小さくなる。アンドロイドは与えられた仕事内容によって画一的なプログラムがあり、それはバックアップされている。しかし、自立した人工知能で思考し、行動するタイプのアンドロイドはバックアップが無い。なぜなら自ら思考するアンドロイドは違法で、秘密裏に膨大なデータを保存しておくことは難しいからだ。

「ねえお願いいかないで。そうだ、パーツがあれば、オイルがあれば治せるかな? 森本さんのところに行こう? きっと助けてくれる」

 スクラップ場のすぐ外の道路を車が走っていく。

「すみません、助けてください! 止まって!」

 ツヅリは車に向かって声を張り上げた。車はそのまま去ってしまう。ツヅリは道路に出て追いかけようとしたが、がくりと膝が折れて倒れた。目の前がぐにゃぐにゃと変形し、立ち上がれない。景色が原色でちかちかと光って、今にもブラックアウトしそうだった。

 低血糖だった。食事をろくにしないまま活動し続けたせいで、そのツケが回って来たのだった。普段は家に籠って本ばかり読んでいるため、ここまで活動することは無かったのだった。

 ツヅリは地面を拳で殴った。

「なんでっ、なんで人間ってこうなの?」

 塩辛い涙が頬を伝った。どうしようもなくお腹が空く、生物の性質が悔しかった。リリは目を閉じたまま永久に動かなくなった。


 栄養失調で気を失っているツヅリが保護されたのはその三時間後だった。

 ツヅリは白い天井の部屋で目を覚ました。一度逃げ出した警察署のあの部屋だった。腕には点滴がつながれていた。

「あなたは人間であるという確証が得られましたので、チューリングテストのスコア不足については解決しました。疑いをかけ、ご迷惑をおかけしたことを情報警察一同お詫びいたします。重ねて、検査へのご協力ありがとうございました。一方、警察署からの脱走と、アンドロイドショップからの窃盗、警官への公務執行妨害の罪で処理を進めます」

 目覚めたツヅリに警官が言った。罰金で済むらしく、両親にはすでに連絡がされており、両親による罰金振込が確認され、身元引受に来たらここから出られるという話を淡々と説明した。一通りの説明が終わり、警官は点滴の袋をちらりと見た。

「追加の点滴を持ってこさせますか?」

「……いや、何か、食べ物がいいです」

「わかりました」

 白い部屋に白い机と椅子、トレイに乗った食事が運ばれてきた。ロールパン二つとブルーベリーのスコーン、グラス一杯の水。

 ツヅリは椅子に座り、背筋を伸ばして、パンをちぎって口に入れる。歯で噛む。唾液とともに飲み下す。喉を通ってパンは真下に落ちていく。こうしなければ生きていけないツヅリの身体へと入り込んでいった。


「ご両親は午後に身元引受に来るそうです」

 警官は事務的に言った。そして手元のタブレットに目を落とす。

「それまでに一人、面会に来たいという人がいますが、面会しますか? ここを出た後に話してもよいと思いますが」

「誰ですか?」

「森本カズキという方です」

「面会します」


 白い部屋でアクリル板越しにツヅリと森本は向かい合った。

「はじめまして。私に何か?」

 森本はあごを撫でるようにした。大学で遠目から見た時にはわからなかったが、近くで見てみると、かなり顔色は良くなく、歳のわりにしわの多い顔をしていた。

「いや、君といっしょに見つかったアンドロイドに、どこか見覚えがあるような気がしてね」

「見覚えが」

「ああ。僕は自分が造ったアンドロイドの右腕に必ずシリアルナンバーを入れるんだ。右腕は損傷していてよく確認できなかったから、本当にそうかはわからないんだけれど、昔僕が造って手放したアンドロイドに雰囲気が似ていた」

「何故手放したんですか?」

「僕は恋人を亡くしていているんだ。彼女の喪失をどうしても受け入れられず、僕はアンドロイドを造った。彼女そっくりな人間にもっとも近いアンドロイドを造って、もう一度抱きしめてほしかったんだ。でも、アンドロイドを人間に近づけていくほどに気づかされていくんだ。彼女は彼女でしかなくて、他のどんな代替物にも代わることはできない。そう気づいたとき、僕は絶望した。目の前のこのアンドロイドは誰でもないんだ。途端に気味が悪くなって身勝手にも追い出したんだ」

 森本はスーツのポケットから薬の入った小瓶を取り出して一つ口に入れた。精神系の安定剤だろうか。

「それは何の薬ですか」

「ああ、会話中にすまない。どうも精神がずっと不調なんだ。夜も薬がないと上手く眠れなくなった。もう何もしたくないし考えたくないから、意識を失ってしまいたいと思うのに、どうしても眠れない」

「原因はお亡くなりになった恋人のことですか?」

 森本は髪の中に指を差し入れてがりがりと掻いた。

「そうだったら良かったんだ。でもどうやら違う。自分でも本当におかしいと思うけれど、僕はもしかしたら、追い出したあのアンドロイドのことを愛していたんじゃないかと思っているんだ。死んだ元恋人のことは大切だったし今も愛している。何者にも代えられないかけがえのない存在だ。それと同時に、彼女の喪失を埋め、僕を研究者としてもう一度立ち上がらせてくれたあのアンドロイドのことも、大事だったんだ」

 森本は息を吐いた。

「話を聞いてくれてありがとう。たぶん、吐き出したかったんだと思う」

「いつか、ちゃんと眠れたらいいですね」

「つまらない他人の話を聞かせてしまってすまなかった」

「体に気を付けてください」

 森本は面会室を出ていった。白い部屋の中にはツヅリが一人残された。

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