海底
これは日記。
二度目のトイレに立った時、居酒屋の窓ガラスに流れる水滴に気づいた。出かける前に確認した天気予報では曇りのはずだったのに、ひどい大雨だった。グーグル天気を開くと、ずっと前からこういう予報でしたよ、と言わんばかりに素知らぬ顔で今後一時間以上の降水予報を示していた。折り畳み傘を持ってこなかったときに限って雨に降られる。人生の一時も気を抜いてみろ、抜いたらすぐにそこに付け込んで幸せを奪い取ってやろう、と私に常に卑しい目を注ぎ続ける神様にでもストーキングされているのかもしれない。
雨が弱まった時を狙って、飲み会をお開きにした後、小走りで駅へ向かった。春の雨だった。
四十分、ほろよい加減で雨降りの車窓を眺めていると、桜はもう散ったろうなと、ふと思った。今年もまともな花見ができなかったとか、死ぬまでにあと数えるほどしか見ることができないんだから、ちゃんと見ておくんだったとか、なんかその気持ちって限定品に飛びつく盲目な消費者に似てるな、とかどうでもいいことが頭に浮かんでは消えた。一緒に飲んでいた大学の同級生は、もらった内定を見せびらかしては喜んでいた。会社のネームバリューか、それともビシバシ鍛えられてスキルアップすべきか、もらえるお金の量か、そういうものに悩まされているそうだった。私は春が来るずっと前に、そこそこの仕事量、多めの休暇、そこそこの賃金の会社に入社を決めていたから、時々相槌を打ちながら、でもどこか他人事として冷めた態度で話を聞いていた。最近、誰と飲んでも、どの飲み会でも、さほど楽しんでいない自分に薄っすらと気づき始めていた。
自宅の最寄りの駅に着くと、案の定まだ雨は降っていた。家までは走れば5分もかからないし、コンビニでビニール傘を買うほどでもない。ただ、鞄に入れた本が濡れるのが心配だったので、しかたなくコンビニに寄り、欲しくもないカップラーメン一つのおまけにビニール袋を手に入れた。ビニール袋で鞄の中の小説をくるんで気持ちばかりの防水を施した後、私はとんと爪先で道を蹴って走り出した。
アルコールで血流が良くなっているところに追い打ちをかけるように、普段滅多にしない運動なんかしたものだから、私の心臓は大慌てで血液を体に押し出した。マンションのエントランスに来た時、両頬は信じられないほど熱く紅潮し、耳の奥ではどくどくと血流の音が聞こえていた。
部屋に入り、明日も予定はないし、そのまま寝てしまおうかという怠惰を振り払い、手早くシャワーを浴びた。体が熱いのか、気温を正しく感じ取る能力が弱まっているのか、その両方なのかはわからないが、私は今年初めて半袖のTシャツとハーフパンツのパジャマを身につけた。
布団にもぐりこんで目を閉じた。すぐに眠りに落ちるかと思ったが、今日は違った。血管の中をごうごうと血液の急流が流れていた。何度か寝返りを打ち、掛布団を体に掛けたり、足だけ出したり、腕で掛布団のひんやりした表面をなぞったりしてしばらくもがいていたが、結局私は、それから一時間以上も眠りに落ちることはなかった。
ベッドサイドのランプを点け、スマホを手に取る。なんとなく動画視聴アプリを開き、「眠れる 音楽」と検索して、一番上に出てきた長尺の動画を再生した。ぎりぎりまで音量を絞って、目を閉じる。
深い、水の底に沈んでいくようだった。水というより、何層にも重なった膜を自分の体が押しのけて、下へ下へと沈んでいくような感じだった。私はあおむけの状態で、首の後ろをゆるやかに伸ばした格好だった。両手両足はふわりと自然体に伸ばされ、肩と首が一番下になって重力に体を任せている。膜はまるで網目のように細かな四角形の集まりで構成され、伸縮性があり、やわらかいけれど破けない方眼紙の真ん中をペンで押したときのように私は沈んでいた。
その方眼紙は黄色、紫、赤、ピンクのやわらかな色をしており、穏やかな春の小川の底から木漏れ日を見たみたいに、色がゆっくりと揺らいで変わっていた。
目を瞑っているのだから、色なんか見えないはずだ、とほろよいの私は思った。でもすぐに、そうか、これはもう夢の中だから色が見えて当然だ、とやや見当違いの納得をした。
私は自分の体で方眼紙を押しのけながら、下へ下へと沈んでいった。やがて、方眼紙がふっと破けた。箸のような細長い棒でゆっくりととがらせていた膜が、自らの伸びやすさの限界を迎え、ぱちんと消えるように、一斉に方眼紙の膜は泡になった。泡はすべてクラゲの形をしていた。クラゲは水面へと上昇していった。普通の水の中で泡が発生して水面に上昇するときの速度より、ずっとゆっくりとした速度で、大小さまざまなクラゲが上昇していった。まるで、重たく、とろりとしたオイルの中で発生した気泡が、緩慢な動きで水面を目指すような速度だった。
私は目を瞑ったままクラゲを眺めた。映画撮影で1カメと2カメを切り替えるかのように、私は私が思う通りの視点からクラゲと私を見ることができた。落ちていく私を真上から眺めたり、私の肩越しに水面を仰ぎ見たり、私の真横から私と泡を眺めることもできた。沈んでいるのは確実に私自身であることははっきりわかるのに、私は沈んでいく私自身ではなく、私の客観的な観察者であったことに今更気付く。沈んでいく方の私の容姿をよく観察してみようとしたが、今までさんざん目に入って来ていたはずなのに、その姿はとても捉えどころのないものだった。白く細い手足がむき出しに水中にさらされていることはわかるが、体はどんな服を着ているのか判別できない。裸かもしれないし、白いワンピースのようなものを身に着けているのかもしれない。髪は白い光に近い色をしていて、水中に揺れている様子を見るに、肩より短いボブといったところだった。
何層にも重なった膜を抜けた後、私は速度を変えず、さらに下へ下へと沈んでいった。さっきまではあたたかな赤や黄色の色が視界にあったが、今は深い青、紺、藍がひどく静かにそこにあった。
ふわり、と私の体はついに海底にたどり着く。首と肩から柔らかな砂に着地して、その後ゆるやかに背中、お尻、そして後頭部とかかとが接地する。手の指はいつの間にか胸の前で組まれていて、肘と同時に胸の上に落ち着いた。海底の砂はものすごく細かく、私の着地でふわりとあたりに舞い上がった。砂はゆっくりと海底に寝そべった私の存在を受け入れ、その周りに堆積した。
そこで、微かに聞こえていた音楽がふつりと途切れて終わった。静寂の中、ベッドの上の私は、海底の私と同じ格好でしばらく呼吸をしていたが、やがて眼を開けた。雨による湿気のせいか、火照った体のせいか、体の表面が隈なくしっとりとしていて、私は布団から出た。部屋の照明を点け、洗面台に行き、冷たい水で手を洗った。音楽を聴き始めてからかなりの時間、海中を沈んでいたような気がしていたが、実際には10分そこらしか経っていなかった。音楽が途切れたのは動画をすべて再生し終わったからではなく、単にスマホにかけていた使用制限の時間が来たまでのことだった。
不眠症、という言葉が創作物の中のような言葉のように私の頭に浮かんだ。昔、恋をすると花を吐いてしまうという創作上の病気を美しいと思ったのに似た、奇妙な感覚だった。夜というミステリアスで孤独で、どこか洒落た時間に、眠りたくても眠ることもできず、ぼんやりすることを強いられることが、不謹慎ながらも、花吐き病と同じ棚に並べられそうな気がしていた。
私はベッドに戻り、スマホをいじった。使用制限をいつものように解除し、何の気なしに、先ほどまで再生していた眠れる音楽のコメント欄を開いた。そこで私は、美しい海底を見た。
へとへとに疲れた人、会社でミスをして不眠になった大人、いじめられたストレスで眠れなくなった少年、特に原因はわからないけれど朝が怖い人、明日に手術を控えた人、大事な人を失った人、社会に関われずに無力感を抱える人、自分の事が嫌いな人。その人たちが思い思いに自分のことを語り、最後は必ず、明日も頑張りたいと思う、という内容で締めくくる。誰もその不幸を比べようとしないし、静かに共感を示したり、応援の言葉を送りあっていた。
まるで、海底で光る砂粒だった。誰かに積極的に知ってもらいたいと思いながらではなく、独り言のようにそれぞれの人が自分の光る砂粒をそこに置く。やがてたくさんの砂粒が決して互いを邪魔することなく近い場所で寄り添いあい、その光は、同じ海底にたどり着いた者にだけは必ず届く。たくさんの人に届けようと思うんじゃなくて、誰かはわからないけど同じ夜を共有するその人だけに届いてほしいと願いながら。
インターネットも捨てた物じゃないな、と私は思った。ようやく私が眠りに着いたのは、カーテンの隙間から朝日が差し込んでくる頃だった。




