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短編集  作者: 岡倉桜紅
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砂城のナイト

「納屋でいい。一晩泊めてくれませんか」

 一人の男が酒場の店主に言った。夜が更けていて、窓からは満月が寒々しい月光を通りに注いでいるのが見えた。

「すまんがうちではそういうことは」

 店主は断ろうとしたが男の着ている鎧を見て言葉を切った。

「あんた、もしかして砂の城の騎士か?」

「元、ですが」

 町から少し行くと、砂漠が広がっていた。砂漠の海岸沿いには砂でできた大きな城が立っていた。

「砂の城の騎士ぃ?」

 近くのテーブルで飲んでいた男がそれを聞きつけて身体をひねってこちらを見る。

「あの城で働いてるやつがこの町に来ているのを初めて見たぜ。なぁあんた、城ではどんな仕事をしているんだい?」

 鎧の男は店中の注目が自分に集まっているのを意識して、少し硬くなりながら話した。

「城では、風や波で崩れた城壁の修復をします。そして、外部からの脅威に備えて剣を磨き、訓練をしていました」

「城の中に入ったことはあるか?」

 質問が飛んだ。鎧の男は首を振る。

「城の中がどうなっているのか俺にはわかりません」

 少し酒場はざわめく。

「城には誰が住んでいるんだ?王様は存在するのか?それとも、誰も住んでいなくて、代わりになにか宝みたいなものを守っているのか?」

 鎧の男はまた首を振る。砂の城は大昔からそこに建っていて、大勢の騎士が日夜それを守っている。しかし、城の中に何があるのか知る者はいなかった。

「で、あんたはどうして城じゃなくてこの町の酒場なんかにいるんだい?」

 給仕の女が空になったジョッキを片付けながら聞いた。

「俺は逃げてきたんです」

 鎧の男は言った。ずいぶん長いこと歩いてきたようで、鎧は砂や汗で汚れ、手荷物は少ない。

「俺はあそこにいても何も成し遂げられない。この町の人たちは毎日何かを生み出し、金を稼いで家族を養って暮らしている。でも一方、俺はただ砂を積んで剣を磨いているだけ。俺はこの町の皆さんのように普通に働きたいんです。毎日手ごたえを感じ、大きなコミュニティの構成者の一員になり、社会を支える歯車となって、誰かの役に立つ実感が欲しいんです」

「城を守ることも立派な仕事だと思うけどねえ」

 給仕の女は言ったが、近くのテーブルで飲んでいた男は首を振った。

「いや、俺はそいつの判断はけっこう正しいと思うぜ。俺は城のことはよくわかんねえんだが、正直、なんでそんな城を一生懸命守っているんだかさっぱりだ。あそこで働いている若い連中はなにかの使命に身をささげてるつもりかもしれんが、こっちで労働力として働いて金を回してくれた方がありがたい」

 いくつか賛同の声が上がった。鎧の男は拳を握りしめた。

「いやまあ、あの人もお前さんの今までを否定しようと思って言ったわけじゃないよ」

 給仕の女は鎧の男の様子に気遣って言った。

「いえ、大丈夫です。本当のことですから」

 鎧の男は拳を解いて給仕の女に笑顔を作った。

「あー、良ければ明日仕事を紹介してやるよ。今日は物置を使いなさい」

 店主は鎧の男に向かって言った。


 鎧の男はパン屋の店番という職に就いた。しかし、今まで学んだことがなかったので金勘定もできず、大きすぎる鎧のせいで棚を壊す羽目になった。

「オーケー、あんたはもう外で呼び込みでもしてくれ」

 パン屋の店主に言われ、鎧の男は外に立って呼び込みを始めたが、鍛え上げられた身体や無骨な鎧、険しい目つきを怖がられ、客足は遠のいた。

 鎧の男は次は木こりとして雇われることになった。鎧の男は斧を上手く使えなかったので自前の剣で木を切り倒すことにしたが、うまくいかなかった。

 鎧の男は今度は金物工房に勤めたが、手先が不器用すぎてどの雑用もまともにこなすことができなかった。

 鎧の男は途方に暮れ、酒場に戻ってきた。

「あんたはなかなか頑張っているよ。今までの仕事があんたに合わなかっただけさ。きっとぴったりの仕事が見つかるよ」

 給仕の女は励ましたが、鎧の男は肩を落とした。

「そうでしょうか。俺はこの町に出てきて、十分すぎるほど自分が何の役にも立たないことがわかりました。騎士としての訓練しかしてこなかった俺にはなんにもできることが無いんです。他人のためになることを何一つすることができないんです」

「他人の役に立つために何かしようとする志は立派だぞ。だれでも持っているものではない」

 店主は鎧の男の肩に手を置いた。

「なあ君、砂の城に帰ってみたらどうだ?城の中に何が守られているのか俺にはわからないが、君は今までその城の中の王様を信じ、そのために自分を高め、戦ってきたのだろう?騎士の仕事だって、立派な人のためになる仕事じゃないかな」

 鎧の男は顔を両手で覆った。

「違うんです。俺はそんな立派な志を持った人間じゃなかった。騎士をやっていたのはすべて自分のためです。城の中に大事な何かがあると信じるのは、騎士という自分自身の仕事を正当だと自分に信じさせるため。心の底では疑っていたんです。だから町に来たんですよ。俺は俺を騙し続けることが苦しくなった。城の中の物を信じていることがつらかったから、その城を守るために壁を作り続けることが苦痛だったから、逃げてきたんです」

「この町なら本当に他人のためになるような仕事ができると思ったから?」

 鎧の男は叫ぶように続けた。

「わからない。本当はそうじゃないかもしれない。この町で働いていたほうが、自分を騙しやすそうだと思っただけなのかもしれない。あなたはやさしいから俺をこの酒場で雇ってくれるかもしれないけど、俺は酒場の仕事で他人の役に立つ実感をして喜べるかもしれないけど、本当は違う。本当は、俺を雇うのはただの重荷で、あなたのためにならない」

「人の役に立っている者なんてこの世にそれほどいない。多くの人は自分のために生きている」

「俺はそれが嫌なんです。自分がそうなのが嫌なんですよ」

 鎧の男は酒場を出た。月が寒々しい光を鎧の男に投げかける。鎧の男は次の町へと向かって歩き出した。


「あんたは良い鎧と剣を持っているから、猟師の護衛をしてほしい。キツネやシカを狩りに山へ向かうが、時々クマが出るんでな」

 山のふもとの町で猟師が鎧の男に仕事をくれた。

 鎧の男は襲い来るクマを見事に倒して多くの人から感謝されることができた。鎧の男はこれこそが天職であり、自分がやりたかったことなのだと思った。

「今日は天気もいいし、少し寄り道してお気に入りの場所を見せてやるよ」

 ある日、猟師の男は鎧の男に言った。二人はいつもとは少し違うルートで山に入っていった。

 しばらく登った後、猟師の男はおもむろに振り返った。山の木々が途切れた場所で、眼下を広々と見下ろすことができる場所だった。猟師の男は砂漠の方を指さす。霞の向こうに城がある。()()()()()()

「城は、一つじゃなかったのか……?」

 鎧の男はこぼした。その声は少し震えていた。自分が以前守っていた城はすぐにわかった。ずっと見てきたシルエットが見える。その奥に、いくつもいくつもの城が建っている。

「か、帰らないと」

 鎧の男は言った。どうしようもなく、その城が男の目を引き付けた。目が離せなかった。数年前、自分が逃げ出したかったあの場所が、それが目に入った瞬間、そこに行く以外のことが考えられなくなった。

「あんた、なんで泣いてるんだよ?」

 猟師の男は鎧の男の顔を見て驚いた。鎧の男は慌てて目を拭う。

「この感情がよくわからない。でも俺はあそこに帰らないといけない気がするんだ。俺はあそこでしか生きていけないとすごく思うんだ」

「無茶言うなよ、お前の居場所はここだろ。お前がいなくなったらまた護衛を探さなくちゃならなくなる」

 鎧の男は首を振った。

「俺の居場所は少なくともここじゃない。俺はここで多少役に立っているような振る舞いをしているけれど、実際にいなくなってもまたすぐに俺の代わりがいる」

「それは城の騎士でも同じじゃないか」

 鎧の男はいてもたってもいられなくなって猟師の男の制止を振り切り、山を下りて砂漠へ向かった。


 砂を踏む。砂漠に点々と足跡をつけ、男はついに砂の城まで戻ってきた。波や風が砂の城を削り、壁をえぐっていた。

 鎧の男は騎士たちに混じって砂の壁の修復作業を手伝った。しかし、鎧は錆びついて以前のように上手く動かなかった。騎士としての仕事はすっかりなまっていた。

「なあ、君はどうしてこんなに騎士として一生懸命働けるんだ?」

 鎧の男は隣で作業している若い騎士に声をかけた。

「僕は城の中のものを守りたいから。この城を創り上げたいから」

「城の中に何があるのか知っているのか?」

「知らない。でも信じているから」

「君は城の役に立っていると思うか?」

 そこでやっと若い騎士は作業の手を止めて鎧の男を見た。

「役に立つ、立たないなんて僕は気にしたことがない。そんなのは仕事の邪魔だ。僕は僕のために砂の城を創っている」

「独りよがりの自分勝手だと思わないのか?」

「独りよがりは君のほうじゃないのか?君は今、この城の騎士の中で、一番、いや、少なくとも僕よりも役に立たないよ。僕は君が騎士の仕事を馬鹿にして、自分が別の場所なら役に立てると思い込んで、自分を鍛えることをせずに自分が輝けるフィールドを探してる間も鍛錬していた。剣を磨いていた。僕のために。他人のために生きている実感なんて、自分のために満足に生きられない言い訳だ。言い訳を欲してふらふらしてるやつは自分勝手だよ」

 若い騎士は作業に戻っていった。鎧の男は城を出た。

 海辺まで来て砂の城を振り返る。山の上から見たときはあんなに引き付けられた城なはずなのに、今はただの砂の山に見えた。夕焼けを浴びた影の長いその山は、黄昏の海水浴場を見るようだった。遠くの山から見たときにあふれたあの感情は、ただの一時のもので、人生をささげられるほどの感情ではなかったと鎧の男は気付いた。

「俺は、城にとって役に立たなかった」

 鎧の男はつぶやいた。寄せる波が靴を濡らした。鎧の男は流木を蹴った。中がスカスカで軽いそれは、二つに折れて一方は波にさらわれていき、もう一方は砂の上にとどまった。

「城は、俺にとって役に立たなかった」

 鎧の男は絞り出すように言った。涙が頬を伝っていた。中途半端な執着をあざ笑うような海風が、流木を城の方へ吹き飛ばしていった。


 鎧の男は海沿いを歩いていた。特にもう行く当てもなかったので、月明りの明るい方を漠然と目指して歩いて行った。

「君、ここから先は立ち入り禁止なんだ」

 声がして顔を上げると、銀色に光る鎧を着た男が立っていた。鎧の男が来ているものとは少し違うもののようだった。隣の砂の城まで来てしまったらしい。見ると、月夜に照らされて荘厳な雰囲気を持った砂の城がそびえていた。一目で引き付けられ、じっくりと細部を眺めてみると、非の打ちどころのないほど細やかな装飾が丁寧に創られていることが見て取れた。鎧の男が作っていた城と同じくらい風雨にさらされ、波に削られているはずなのに、その城は堂々とそこに建っていた。

「いい城ですね」

 鎧の男はその城の騎士に向かって言った。

「ありがとう」

 騎士は言った。騎士の鎧と剣は磨き上げられ、たゆまぬ鍛錬と手入れが見て取れた。

「城の感想を伝えたいんだけれど、なんて言ったらいいかわからないんだ」

 騎士が手で示したので、二人は海の方を向いて並んで座り込んだ。

「たぶん美しい、だと思う。あるいは嫉妬、羨望、後悔、諦念」

 鎧の男は騎士の顔を見る。

「君は俺の創り出した幻か?幽霊?それとも蜃気楼か何かか?」

 騎士は軽く肩をすくめるだけでその問には答えなかった。

「なあ、城の中に何があると思う?」

「さあ。君の城には君の信じるものがあると思うよ」

「君の城には何がある?」

「僕の城には、か。そうだな、僕の城には僕そのもの、言い換えるならば明日があると思う」

「わからないよ」

 騎士は腰を上げる。

「僕はもう行くよ。城を創らなくちゃならない」

「待ってくれ。もう少し教えてくれよ」

 騎士はそのまま城の方に歩いて行って姿が見えなくなる。

 鎧の男は海の方へ向き直る。水平線が明るくなり始めている。鎧の男は波の中に跪いた。

「俺に明日を。どうか、どうか」

 鎧の男はそこで祈り続けることしかできなかった。

砂の城は芸術のメタファー。

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