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短編集  作者: 岡倉桜紅
18/46

時間切れ

「残り一週間となりましたので、お知らせに伺いました」

 玄関先で、そいつは私にそう言った。しわの多い顔をしていたが、きっちりとしたスーツに身を包み、背筋はしゃんと伸びた老人だった。老人を見たのが久しぶりだったので、私は思わずその姿をまじまじと見てしまう。

「残り一週間」

 私は聞き返す。何かのサブスクリプションの期限だろうか。しかし、特に訪問販売の商品を定期購入している覚えはなかったし、このマンションの一室に住んでいるのは私だけで、私以外の家族が、私の知らないうちに何等かのサブスクを購入していたということも考えられない。

「ええ。寿命の話です」

 老人はビジネスバッグから一枚の紙を取り出して丁寧な手つきで私に手渡してきた。私は受け取る。

「去年の今日と同じ日に、こちらにサインいただいたのを覚えておいでですか?」

 その紙には、『進路意志表示書』とあり、たった一つの項目には、『子供』と『大人』という、どちらか一つにチェックマークを入れ、その下の署名欄に名前を書くようになっていた。『子供』というところに大きく力強いチェックマークが入れられ、署名欄に私の名前が私の筆跡で書かれ、丁寧に拇印も押してあった。

「ああ、もうそんな時期なんだ」

 この老人はきっかり一年前もこうして私の部屋にやってきた。そして、私は彼の差し出すこの紙にサインをしたのだ。

「お心変わりはありませんね?」

 老人は聞く。

「変わるも何も、一度サインしたことは変えられないって去年言わなかったっけ?」

「ええ、基本的にはそうですが、今になってどうしても変えたいという方もいらっしゃいますので」

「変えたいって言ったらどうなるの?」

「大人になっていただくだけです。大人になってこの世界で生きていく、それだけです」

 老人は淡々と言う。

 この世界は多くの子供と、そしてほんの少しの大人でできている。テクノロジが発展し、人間が生きていくのに必要なことのほとんどは機械がやってくれるようになった。そのため、人間は機械の功績にただ頼っているだけで一生を終えることができる時代が来たのである。人間は仕事というものをしなくてもよくなり、長い一生を仕事以外のことに費やし、時間を潰さなくてはならなくなった。今まで仕事を生きがいのようにしてきた人たちは当然発狂した。仕事をさせてほしい、と機械に懇願するものまで現れた。最初、世間はそんなワーカホリックたちをなだめ、「今までよく頑張ったね、これからは好きなことをしていいんだからね」と慰めた。しかし、そんな風潮も長くは続かなかった。自分のことをそこまで仕事中毒だとは思ってこなかった人たちもだんだんおかしくなっていった。仕事というものを省いた人生というのはその人たちの想像よりも長ったらしく、退屈なものだと気づいていった。大人は全員狂っていった。家庭に居場所のない父親、金儲けが生きがいの経営者、仕事に全てを費やしてきたために無趣味な人。

 しかし、そんな中でも狂わなかった人がいた。子供である。子供は遊ぶことこそが生きがいで、無限の時間の中で無限に遊んだ。与えられたものを純粋に、余すことなく楽しんだ。

 大人はほんの一握りの大人を除いてみんな自殺した。後には子供だけが残った。こうして子供の世界が誕生した。

 子供の世界で、大人は生きていけない。子供は、大人になったらこの世界から去るか、それとも大人のままでこの世界にとどまるか決めなくてはならない。

「あなたは何歳で大人になったの?」

 老人は表情をピクリとも動かさずに答えた。

「あなたと同じ歳、20歳です。少し遅い方でしょうか。そのころになってようやく、大人にならなくてはならないことを自覚し始めたような気がいたします」

「やっぱり、わかるものなんだね」

「いいえ、本当は何もわかっていなかったような気もしております。しかし、無限の時間の中に焦りを見出し始めたのは自覚していたと思います」

「死期への焦り?」

「まあ、ある意味そうとも言えるでしょう」

 私は寝巻のスウェットの袖の中に手をしまい込むようにした。開け放した玄関のドアから入って来る風が少し冷たかったからだ。話を切り上げてドアを閉めるか、老人を玄関の中に招きいれてもう少し話をしようか考えたが、どちらも気が進まなかった。まだもう少しだけこの老人とこの状態で話していたいような気がしていた。

「あなたはどうして大人になることにしたの?」

 老人は少し思案するように眉のしわを寄せた。

「諦めが良かったからでしょうか」

「諦めたんだ」

「はい。子供のままでいるのには限界がありました。しかし、できるのなら、この世界に留まっていたかったのです」

「辛くないの?」

「辛くないと言えば嘘になりますが」

 私は急に寂しくなって、叫び出したくなったがこらえる。

「あなたはどうしたいんですか?」

 老人が聞いてくる。

「あと一週間あるでしょ」

 私はドアに手をかける。

「もうちょっと考えてみるよ」

 どうせ考えられない、と心の中で思いながら私はドアを閉めた。細くなっていくドアの隙間の中で、老人が無表情でこちらを見続けているのがやけに記憶に残った。

自分がとうとう二十歳になると自覚して発狂しそう。

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