グレードアップ
週明けの月曜日の放課後、今日も今日とて清楚系の見た目の割には存外賑やかな三条先輩が現れた。
そんな奇妙な風景にも若干小慣れだしてきたクラスメイトの視線を浴びつつ、部室である実験室に連れてこられた訳なのだけども、そこにそびえ立つ物に思わず目が点になった。
部外者が開けると噛み付くと噂の冷蔵庫の横に、整理棚が増えていたのだ。そして惹き付けられるようにそこに飾られていた包丁をそっと取り出し、見つめた。
「こ、この柳刃……最高級のやつじゃないですか……」
当時俺が使っていたものとは雲泥の差がある一級品の業物。それも職人さんが一本一本丁寧に仕立て上げた超がつく程の物だ……。これだけの品物、値段にしたら俺の給料三ヶ月くらい軽く飛ぶぞ?
思わず持つ手が震えたのだが、他の整理棚に入っている調理用品もよくよく見ると全て最高品質であり、いろいろな道具が増えていた。
「どう? 一応いいところの道具を揃えてみたんだけど?」
三条先輩がドヤしながら物申してきた。清楚系美人は何をしても様になりますね。
「いいところどころか……どれもこれも最高級品ですよ……」
しかしなぜ急に……はっ!? もしかして!!
「あら? 察しの悪い後輩君にしては珍しく気付いたようね。そう、この器具は後輩君の為に用意した物! つまり、このお料理サークルにくれば、超一級品の道具が使い放題! この環境に置かれたら毎日お料理したくなるわよね?」
初手にディスがあったような気がするが、まさか調理器具を一新させてくるとは。遂に金に物を言わせて俺を縛りにきたか!?
いや、まだこれは善意がある気がする。あくまでも三条先輩は力押しではなく、俺に選択肢を与えてはくれている。
金持ちパワーに戦々恐々している中、三条先輩はゆっくりと冷蔵庫を開けて中を物色し始めた。
「あら? こんなところにマグロの柵があるわ。誰かこれを刺身にしてもらえないかしら?」
先週までは何も入っていない冷蔵庫だった筈なのだが、そこからマグロの柵が取り出された。どうやら食材までもが仕込まれているようだ。
……くっ、腕がっ!? 俺の右手がうずいてやがる!! まさか料理人の血が騒ぐとでも言うのか!? 俺は今、この柳刃で無性に刺身を引きたい!! 引いて引いて引きまくってやりたい!!
ってなにさこれ!? 俺、中二病にかかってるじゃん!! でも冷静に考えるとこれってただの職業病だよね?
自動ドアが開いたら条件反射で『いらっしゃませぇ~』と反応してしまう。それと同じだ。
だけど刺身かぁ……いや、流石に生魚はダメだな。今日もあやかさんのところに持っていくお弁当を作るつもりだが、弁当のおかずに刺身を入れる訳にはいかない。確実に傷んでしまう。
「随分と葛藤しているわね。そんなにあのミュージシャンのお姉さんに持っていくお弁当の事を気にしてるのかなぁ?」
な、なん……だと? バ、バレてる……だと?
「私の胃袋を掴んでおいて、他所の女性に手を回そうなんて……お義母様に申告するわよ!?」
「なんかいつの間にかフレンドリーを通り越して、家族の一員っぽいニュアンスを感じるんですけど!? 今、お袋のことを絶対に義理の方の呼び名で呼んだでしょ!?」
「ええ、そうよっ! 呼んだわよ!」
「もはや一歩も引かないのね!?」
な、何だ、今日の三条先輩はやけにぐいぐい来ますね!? しかし残念ながら俺と三条先輩はカップルではないのだ。部長と部員の関係でしかないのにどうしてそこまで……胃袋を掴んでしまったからか?
「で、でもあの人、俺がご飯を持っていかないと餓死しそうで……」
「可愛いらしい服を着て、音楽してるんだから餓死なんてしないわ! 貴方は今『俺が鳩にパンくずをあげないとこいつらが死んじゃう』と同じレベルの話をしてるのよ!? 生きていけます! 自然の摂理があるからっ! 鳩はパンが無ければミミズを食べるわよっ!!」
ご、ごもっともでございます……。ぐうの音も出ねえっす。若干マリーアントワネット入ってます?
「はぁはぁ……ねえ、もしかしてあやかさんの事……好き、なの?」
急に真剣な表情で迫られた。見目麗しい子なので、真顔になられるとちょっとドキッとするな……。
「な、何を言って——」
「答えて……」
おろぉ? なにこの空気? JKが目を潤まして訴えてくるんですけど? 冗談言って回避出来る雰囲気ではなさそうだ。ここは正直に答えておくか……。
「た、確かに好きではありますね……」
「そう……っか……」
瞳の端にどんどん潤いが溜まって行くのが見えた。もう今にも零れ落ちてしまいそうだ。てか、なぜ泣きそうになる!? 俺、なんか変なこと言いました!? ええい、仕方ない! あまり未来のことを言うのは気が引けるけど!!
「分かりました! ちゃんとお話しますから! 彼女ね……実は将来、トップミュージシャンになる方なんですよ。音楽に疎い俺ですら知ってる程の有名人で、ゆくは国民的ミュージシャンになるんですよ。彼女の歌声が嫌いな人なんていませんよ」
「え?」
なにやら上目遣いのままフリーズしているが……どうしましたか?
「好きって……そっち? は、はは……そうだったの……。うん、そっか、そっちかぁ……。ねえねえ、このお刺身、今から調理して持って行ってあげましょうか。保冷バックに保冷剤ガンガンに入れて行けば大丈夫でしょ! 実は私もあやかさんの歌、結構好きなのよね♪」
なんか涙目ではあるが、急に元気になった。しかし、マグロの刺身なんてあやかさんが見た日には……白目向いてひっくり返るんじゃないかな?
「あ、そうそう! 他にもイカとか海老とか、いくらにウニもあるの! 折角だから海鮮丼にしてあげましょう」
冷蔵庫からバンバン取り出される高級食材達……今日はそんなに食材仕込んであったんだ……。
目を回すどころかそんな豪華絢爛な食べ物達を見たらワンチャン、ショック死するんじゃないか? あやかさん、今は超絶貧乏だからなぁ……。




