75話・元許婚VS現婚約者
マリーザはニコラスの時とは違う反響に多少、面くらってもいた。ニコラスは高位貴族子息の自分が、低位貴族の令嬢であるマリーザと婚約するのを、金で買われたように思っていたようで、マリーザには学園内で声をかけてこないように言っていた。その為、ニコラスとマリーザの婚約を知らない人の方が多かった。
「でも、良かったですわね。マリーザさまには前のお方より、シルヴィオさまがお似合いですわ」
「ありがとう。私もそう思っているわ」
ニコレは、マリーザとニコラスが婚約していたのを知っている数少ない理解者だ。元婚約者にはもう何も思う所はない。
「今日は刺繍の時間でご一緒出来ますわね?」
「楽しみですわ。ニコレさまは、今日は何の刺繍をなさいますの?」
「鳩の刺繍を……」
「まあ、ルアン先輩のご実家の紋章ですね? ニコレさまは刺繍がお上手だから羨ましいですわ。私は部分的に糸が緩んでしまって全然駄目です」
「慣れですわよ。わたしの場合は好きで幼い頃から刺していましたから。ではマリーさま。またあとで」
ニコレは二人に気を利かせたのか、先に校舎へと行ってしまった。後に残されたマリーザは、シルヴィオと挨拶を交わし、彼女の後を追おうとしたところで、藍色の髪に眼鏡をした男子生徒に声をかけられた。元許婚だったニコラスだ。婚約していた時は、彼と仲良くなりたいと、彼の好みそうなものを、あれこれと調べて自分に興味を持ってもらおうとした。でも、いつも空振りに終わり、いつも冷たい目を向けられて終わっていた。その彼を前にして何とも思わない自分に驚いた。
「マリーザ」
「セレビリダーデ侯爵子息。彼女はもう僕の許婚なので、馴れ馴れしく名前で呼んで頂きたくはない」
「……済まない。つい──」
マリーザの代わりに答えたのはシルヴィオで、彼は棘のある言い方をした。
「セレビリダーデ侯爵子息。マリーに何の御用でしょうか? 許婚の僕が代わりに伺います。じゃあ、ちょっと向こうで話し合おうか」
「えっ、あの……」
シルヴィオがニコラスを問答無用で、マリーザから離れた場所へと連れ出した。
「今更、取り逃がした魚は大きかったと気がついたのかな?」
「……!」
「駄目だよ。彼女はもう僕のものだ。王妃さまに泣きついてもどうにもならなかったんだろう? 諦めなよ」
くすりと笑ったシルヴィオの笑みは黒かった。ニコラスは、近づいてはいけない者に、接触してしまった自分の失敗を悟った。
「彼女に近づくなら容赦しないよ。宰相には止められたんじゃないの? それとも王妃さまの顔をまた潰すのかな?」
「いえ、ただ……、その……」
「もうきみと彼女の縁は切れたんだ。放っておいてくれるかな?」
紫色の中に青い色を含んだ瞳に見据えられて、ニコラスは一も二もなく頷いた。
「次は容赦しないよ。今回だけは見逃してあげる」
シルヴィオのこちらを見透かすような眼差しを受けて、ニコラスは身の危険を覚えた。彼を前にして膝から下がガタガタ震え出す。彼がまるで人の姿をした猛禽のように思えてきて怖かった。
「あ。あの……、失礼しますっ」
慌ててその場から逃げ出そうとして、足がもつれる。ニコラスとしては一刻も早くこの場から遠ざかりたい思いで足を動かし駆け出した。
「あの人、どうしちゃったのかしら?」
「それよりもマリー、そろそろ校舎に向かわないと……」
遠ざかっていくニコラスの背を見ながらマリーザが呟けば、さあねとシルヴィオが応える。そこへ始業ベルが鳴り響いた。
「あ。いけない。もう行かないと」
「行ってらっしゃい。マリー」
「行ってきます。ヴィオ」
校門前で挨拶を交わし合い、踵を返したマリーザが校門を潜って振り返ると、シルヴィオが手を振っていた。彼はマリーザが校内に入るまでその場から動かなかった。その彼に見送られながらマリーザは校舎へと駆けた。




