44話・オーナーの名前は?
女はオーナーを信じきっていた。疑う素振りもなかった。それが若者には異質に思われた。若者はその酒場のオーナーには会ったことがない。でも、女が言うほど善人にも思えなかった。
訳ありの女達を囲い込み、自分に全面的な信頼を寄せさせる。国で禁止されていた、精神に干渉する麻薬を扱っていたことからして、女達にもそれを盛っていたのではないかと推測される。
「その悪い人ではないオーナーが、おまえ達に何をさせた? あの店に通っていたお客の男達に薬を盛り、依存症にさせていたな?」
「あれは単なる気持ちの良くなる薬だし、あれを使うと我が儘なお客さんは、こっちの言うことを聞いてくれるようになっていたから、皆気分良く使っていた」
「聖女の微笑みだな?」
「素敵な名前よね? それがこの国で禁止されている麻薬だなんて知らなかった。向こうの世界では、天使の微笑みは使えば使うほど好感度があがるアイテムだったのに……」
女は遠くにある何かを望むような目をして言う。恐らく女の言う向こう側の世界とは、前世のことなのだろうと若者は思った。彼の身近な女性であるジオヴァナが、同じ素振りを見せたことがある。
彼女もまた、目の前の女と同じ記憶を所有していた。ジオヴァナにとってその記憶は不幸でしかなく、破滅を避ける為に生き急いでいるようなその身の危うさのようなものが見られたが、この女の場合は絶対的な根拠のない自信に満ちあふれていて、それが周囲を巻き込む危険度を孕んでいるように感じられた。
もう少し大人しく目立たないように生きていてくれれば、それなりに幸せになれたのだろうけど、本人は間違いなく破滅へとひた走っている。
女はオーナーに騙されている可能性は高かった。ひょっとすると女は、それ以上に何かそのオーナーにこの国の大事を漏らしていたりしないだろうかと、不安になってくる。
「オーナーの名前は何と言う?」
「オーナーの名前? あの人は──」
若者が問いかけると、その耳元で空気が震えた。その異変に気がつき、横に飛び去った彼のいた場所には矢が突き刺さっていた。それを見て女は悲鳴を上げ、若者は叫んだ。
「きゃあっ」
「侵入者だ! 捕らえよ!!」
数名の黒づくめの男達が、若者を取り囲むようにして姿を見せた。味方でないことに気がつき、若者は舌打ちした。




