38話・忘れがたい過去の人
「あの人、学園ではどんな感じだったの?」
「そうですね、物静かで読書好きな御方でしたわ」
「そう。やっぱり昔からそんな感じだったのね? 口下手だし、たいして話も面白くないし、こっちが分からない堅苦しい事ばっかり言ってさ。つまんない男だよね。唯一の取り柄と言えば顔ぐらいでしょ」
ロッサーナが物思いに沈んでいたら、目の前の女がお代わりの紅茶の中にドボドボと、角砂糖を6つも沈めてスプーンでクルクルかき混ぜていた。見ただけで胸やけしそうなそれを口にしながら、愉快そうに語る女に好意など抱けそうになかった。どうして彼は、こんな頭の悪そうな女性に、引っかかってしまったのだろうとしか思えなかった。
「あの人さぁ、前の奥さんとあまり仲は良くなかったみたい。あの人、あたしの働いている酒場に一人でお酒を飲みに来ていたの。それが寂しそうでね、放っておけなくなって一緒にお酒を飲んであげたら、酔った勢いで寝てしまってさ、翌朝、目覚めた彼が責任を取ると言い出したのよ。あの人、そういうところ妙に真面目だよね」
「……」
行儀悪くもテーブルの上に頬杖を突き、女はサロモネ男爵とのなれそめを語った。二人の仲は一夜の過ちから始まったようだ。
サロモネ男爵は、結婚してもあまり幸せではなかったのねとロッサーナは思った。
学園に通っていた当時、サロモネ男爵は、許婚だった亡き夫人とは、確かに仲は良くなかった。夫人には隠れて交際する相手がいたのだ。その相手と常に見比べられて彼はウンザリしていた。
そのことを彼の隣にいたロッサーナは良く知っている。彼とは図書館で出会い、本の話をしていくうちに仲良くなり、読書仲間となっていた。
「彼女とは家のために婚姻しなくてはならない」と、彼は嘆いていた。そして「もう少し早くきみと出会っていたのなら……」と、言い訳めいた事を言っていた。でも、そう思ったのはロッサーナも同じで、彼女にも父が決めた婚約相手がいた。
でも、その相手は頼りにならなかった。ロッサーナのお人好しの父が、他人に騙され借金の保証人となって、多額の負債を背負った事を知ると、婚約解消を求めてきて、ロッサーナ一家とは早急に手を切った。
ロッサーナ一家は困窮し、屋敷や領地を売り払い、爵位も返上して、平民になるしか道は残されていなかった。貴族だった両親は、誇りが徒となって平民となって満足な仕事にありつくことも出来ず、飢えて亡くなった。
後に残されたのは、ロッサーナと年の離れた妹の二人。ロッサーナは妹をお腹いっぱい食べさせるために、手っ取り早く家庭教師の道を志すことにした。
ピエラ学園では成績優秀者だったし、時々、先生に頼まれて後輩の勉強の指導をしていたこともある。当時お世話になっていた先生の口利きで、娘の家庭教師を探していたある大商人を勧めてもらい、そこで採用してもらうことが決まった。
仕事は思ったより上手く行った。家庭教師の仕事は、ロッサーナの性に合っていたようだ。熱心に仕事に打ち込んでいたら、その商人からロッサーナの教育の評判の良さが、他の商人達にも伝わっていき、どんどん仕事が舞い込むようになってきて、5年ほど経つとガヴァネスとしてのロッサーナの名前はこの界隈では、有名になっていた。
今では幼かった妹は成人し、騎士の詰め所の食堂で働くようになってから知り合った、平民出身の騎士に見初められて所帯を持った。可愛い姪や甥も生まれている。ロッサーナはその後、縁あってミラジェン子爵令嬢マリーザの、家庭教師となることになった。出会った頃はまだあどけない顔をしていた少女は、今や立派なご令嬢としてピエラ学園に進学した。
マリーザがピエラ学園に進んだことで、もうお役御免かと思われたロッサーナだったが、ある日、マリーザにある男性を引き合わされた。
──先生に会って頂きたい御方がいるのです。
その相手はロッサーナにとって、忘れようにも忘れがたい人だった。彼は久しぶりの再会に、あの頃と変わらぬ微笑みで彼女を迎えてくれた。




