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第6話 求めていたのは

 今日も仕事の後にアークイラ亭を手伝い、宿泊している部屋に戻ってくる。

 満月でいつもより多く光が入ってくる中、歯磨きなどを済ませてベッドで横になった。



 ベッドの小さな先客は相変わらずその背中をこちらに向けている。


 俺はもう眠ろうと目を閉じた。

 視界からの情報が遮断されて、少しだけ音がよく聞こえる。


 そのとき、気が付いた。


 隣からわずかに聞こえてくる呼吸音が震えている。

 まるで、声を殺して泣くような――


 俺は落ちかけていた意識が、矢が刺さるようにヒュッと戻ってきた。


「あれ、ヴィー、泣いてる?」


 ビクッとヴィートの身体が動く。


「す、すみません……」


 声の揺れを必死に抑えて、ヴィートはどういうわけなのか俺に謝った。


「泣いてなど……いません。だから、許してください……っ」


 ヴィートは体を下にして、顔を自分の枕に押し付ける。


「許すも何も、ヴィーは悪いことなんて何にもしてないじゃないか。

 怒らない。安心してくれ」


「嘘です!」


 顔を伏せったまま、叫ぶように主張した。


「そんなの、嘘です……っ」


 声の震えが激しくなる。 


「わたしが泣いたら、迷惑だから……だから、泣いてはいけなくて、

 ……でも、誰も、来てはくれないのです……

っ」


 ギュッと握った枕で涙を拭って、黒い髪が横に振れる。


 発された言葉には支離滅裂なところがある。しかしその一端くらいは理解できるはずだ。

 順に考えて整理しよう。


 まずヴィートが何らかの要因で泣いてしまう。

 すると、迷惑だから泣くなと言われる。


 ここまでは間違ってないだろうが、誰も来てくれないっていうのはどういうことだ?

 少なくとも泣くなと言いにくる人がいるのではないか。


 いや、ヴィートが来て2日目に言ったことがある。

『1度お部屋を出たというのに、戻ってくるのが次の日の朝ではなくて、

 次の次の朝でもなくて、もっと後の朝でもなくて、今日なのですよ!』


 ヴィートの元の親は朝帰りで、家を数日は開けているのが日常的なんだった。


 元の親が帰ってきたときに、泣いていたら怒られた……とか?


 本当のところは本人も聞かれたくなさそうだし、仮に聞いても煙に巻かれて終わってしまいそうなので、あくまで予想だが。

 それでも、今の涙の理由は推測できる。


 普段過ごしているだけでは見えなかった心の傷の痛みが、何の拍子に蘇ってしまったのか。


「ヴィー、ごめん。淋しいときに独りにして。夜は暗いから余計に心細いよな」


 今ヴィートが口にした『誰も、来てはくれない』という部分だ。


 俺がその日のうちに帰ってきただけで、あのはしゃぎ方になったときに気づいてあげられればよかった。

 淋しい思いをしてないはずないのに、ヴィートの元の親のこととか、手を怖くないと思ってもらうにはどうするかとか、別のところばかり考えてしまっていた。



 ヴィートは息をいくつにも分けて吸い上げるようにして、しゃくりあげた。


「目が覚めて不安だったら1階まで下りて来てくれ。皆いるから」


 盛り上がった布団だけが断続的に大きく上下した。



 やがて、ヴィートは落ちてきた横髪の隙間から、こちらをチラリと見やる。

 怯えた瞳には、涙が浮かんでいる。


「俺もアークイラ家の人たちも、ヴィーが泣いたって全然迷惑に感じない。

 むしろ頼ってくれたことを嬉しく思うくらいだ。

 だから、ヴィー、俺たちのことをあと一歩信じてくれないか?」


 戸惑いを表しているのか、ヴィートの視線は彷徨っている。


「大丈夫だ。ヴィーの味方でいる」



 短く息を吸って吐く音が何度か繰り返されて、ヴィートは声の震えを呑み込む。


「どうして……邪魔だと、いないほうがいいと、言わないのですか……?」

「全くそんなこと思わないから」


 過去と重ねているのだろうか。


 いくら子どもらしからぬ発言をしていてもヴィートは幼い。

 以前と今の環境を切り分けて考えられるようになるのは、まだまだ先だろう。


「俺はヴィーが道を踏み外さないように見守るって決めたんだ。

 むしろ居てくれないと困る」


 どんな答えを予想していたのだろう。

 ヴィートはぽかんとした後、キュッと口を閉じた。


 肘で上体を支えると、足は置き去りに、腕で歩み寄るようにしてこちらに近づく。


 シーツに面している俺の左腕におでこを押し付けて、ひしっと袖を掴む。

 ヴィートは声もあげずに、一度は止まった涙を溢れさせた。



 泣いて疲れたのか、10分も経たないうちに、服の肩口を引っ張る力は弱まる。

 寝息を立て始めたヴィートの顔は見えないが、濡れて生まれた袖の染みはまだ冷え切っていなかった。





 キッという木が軽く軋む音がして、うっすらと意識が覚醒する。


 横になったまま、音がなった方へ目だけ動かして、捉える。

 大きな外開きの腰高窓の前にヴィートがいた。


 物が乗せられるくらいの余裕はある木の窓枠に指を乗せ、爪先だけで立って、まだ薄暗い外を眺めている。



 窓ガラスに映る、白み始めた藍色の空は、次第に東からみるみると赤くなってきて、太陽が地上に近づいてきたことがわかる。


「厚みがない言葉だと感じるほど、実感したことのないものだったのですけどね。

 明けない夜はない、だなんて」


 ヴィートの独り言は、夜と朝の狭間の静けさに小さく響いた。



 光が差してようやく、俺は寝ぼけた頭が澄んできた。

 体を起こして、ベッドに座る。


「ヴィー、おはよう」

「おはようございます」


 ヴィートの様子は落ち着いていて、特にいつもと変わりない。

 目を腫らすこともなく、昨晩泣いていたことすら嘘みたいだ。


「早起きだな」

「起きる時間を早めて、覚悟を決める時間を作ったのです」

「覚悟?」

「はい」


 珍しいことに、俺のすぐ近く、右脚の横までヴィートは歩いてきた。


「あと一歩信じてくれないか、という問いへの、明確で曖昧な答えを伝えるために」


 それは矛盾していないだろうかと思いつつ黙って聞く。


「わたしにとっては、皆さまが眩しくて……

 そう、思わず目がくらむほどに眩しいのです。

 ですからフレッドさまには、こうします」


 そう口にしたヴィートはクルリと背を向けると、俺の脚に手をついて、ひょいと片方の膝に乗った。

 さらに、ヴィートは横向きから背中向きになると、俺に寄りかかった。


「――これこそ高得点、でしょう?」


 得意げな声でヴィートは言う。


――信用と信頼が揃わなければ、背中を預けることはできない。


 以前ヴィートに話をした、衛兵の間で言われる教えのようなものだ。

 もちろん、物理的な意味ではない。


 なるほど、明確で曖昧だ。

 昨日の段階でも十分伝わってたのに、ヴィートという人間はこういう配慮をする。


「……高得点どころか、満点あげられる」


 だからこそ、発揮する場所を間違えてほしくない。


 俺の返答を予想していたとばかりに、怪しげな笑い声を出すヴィート。


「何かくれてもいいのですよ。

 ほら、お金とか……お金とか……お金があるでしょう?」

「お金しか言ってないぞ」

「あれはいくらあっても困りません。傷まないごはんです。

 あるほどいいと思います」


 求める物がお金なのはどうかとは思うのだが、幼いからかごはん扱いのようだ。


「何か欲しいものがあるってわけじゃないのか」

「はい、現状はありませんね」



 鳥の羽ばたきでも消えてしまいそうな声で「心の底から欲しかったものに手を伸ばそうと決めたのですから」と付け足した。


* * *


 前を進むヴィートがストンストンと階段を下ると、受付台を布巾で拭いているミアベラがいた。

 朝早くてもシャッキリとした声で挨拶してくれる。


「フレッド、ヴィーちゃん、おはよう!」

「おはよう」


 ヴィートはトタトタと小走りで、ミアベラのもとへと進む。

 ほんの少しの間に見えた、その横顔は緊張しているように見えた。


 ヴィートは足を止めると、ミアベラのことを見上げる。


「おはようございます、おねえさま」


 ミアベラは、目を丸くした後、顔いっぱいに喜色が込み上げて広がる。


「うん、うん……! おはようヴィーちゃん!」


 ミアベラは舞い上がっていて、なんだか見ていて微笑ましい。



 ヴィートは次に厨房へ行くつもりなのか、食事処から奥へと歩いていった。

 おそらく、オリアーナさんとサムエレさんの居そうな台所へ行ったのだろう。


 やわらかな声と低い声に続いて子どもの声がする。

 数秒後、はっきりと聞こえてきたのは「焦げた!」という、あまり聞くことのない慌てたサムエレさんの声だった。



 その日の朝ごはんは、黒くなって少し苦みのあるニンニクとやたら香ばしくなったタマネギの入ったリゾットだった。


 食事を済ませて、ミアベラといつもの通り服装や持ち物を確認した。


「兵服!」

「着た」

「お金!」

「持った」

「身分証!」

「持った」

「準備オッケーだね!」


 鞄にはベルトのような留め具が付いているので、それで口を閉じる。


 子供用の椅子に座ってオリアーナさんと話していたヴィートに、ミアベラは声をかける。


「ヴィーちゃん、見送りに行こ?」

「はい!」


 ヴィートはミアベラに返事をした後、椅子から降りて、一度、オリアーナさんと言葉を交わす。


「あの、おかあさま……本当に大丈夫でしょうか?」

「大丈夫よ。

 驚かせていらっしゃい?」

「はい……!」



 俺とミアベラが外へ出ると、ヴィートもこちらへ駆け寄ってきた。

 ヴィートの緊張した面持ちは、顔を上げるのと同時に笑顔で塗り替えられた。



「いってらっしゃいませ、おにいさま」


 それは、傍からでは、和やかな家族の1ページを垣間見る程度にしか感じなかった。

 しかしいざ自分に向けられると、相当な破壊力があった。


「フレッド? お〜い、フレッド?」


 ミアベラが声をかけても、俺はまだ固まったままだった。

 それを見たミアベラは、うんうんと頷いた。


「わかる、わかるよフレッド。びっくりするほどかわいいよね」


 それからミアベラは、しゃがんでヴィートと目線の高さを合わせた。


「どうするヴィーちゃん? フレッド動かなくなっちゃったよ〜」

「雷にでも撃たれたかのようです。

 そうですね……叩けば直るのではないですか?」


「俺は昔の魔道具か!」


 やっと思考回路の停止状態から抜け出せた。


 17年間生きてて初めてそういう呼ばれ方したんだよ!

 動作が止まったのは、やむを得ずなんだ!


「よかった、戻ってきたね!」

「ぼんやりとしていると、定刻の鐘に遅れてしまいますよ」


 ミアベラとヴィートの三者三様な、いや、二者二様な言葉を掛けてくる。


「あ、ああ……そうだな、行ってくる」


 俺がそう言うと、


「いってらっしゃーい!」


 薄紫色の髪が揺れるほど大きく手を振るミアベラ。

 ヴィートはそれを見てから、ヒラヒラと手を振った。

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