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第5話 逆立つ、絡まる

 ヴィートが来てから約2週間が経過した。

 ピチュピチュという鳥の声が外から聞こえてくる。



 将来あやかりたいと思えるほどに、有望に育ちそうな容姿の持ち主。

 眠たそうに目を擦りながら体を起こす。


「ヴィー、おはよ――」


 俺の口は途中で止まりかけた。


「――う」


 しかし、俺は言い切った。


「おはようございますフレッドさま。どうかしましたか?」


 その頭には大小さまざまな角のような寝ぐせが、それはそれは見事についていた。

 少し面白い。


 本人は自分の頭がどうなっているのかよくわかっていない。

 鏡を見るのが好きではないから、誰かに言われなければ把握できないのだ。


 睡眠時間が長いというのはミアベラから聞いていたが、予想してなかった事態である。いつも癖がついてないわけではなかったが、今日は一段と爆発していた。

 知らなかった。髪はそうまで重力に逆らえるものなんて。


 よく見て気づいたけど、髪が絡まった毛玉のようなものが3か所くらいできてる。


 これは……どうしようか。



 朝食をとってお皿を片付けた後、テーブルの近くに立ったミアベラは言う。


「私ね、ヴィーちゃんにはブラシが必要かなって思ったの」

「あー、その手があったか」


 しかしヘアブラシは基本、女性が使うもの。

 俺が購入すると雑貨屋などの店員に怪訝な顔をされること間違いなし。


「そこでね……じゃ〜ん!」


 ミアベラは後ろに隠していた手を掲げた。しっかりとブラシの柄が握られている。


「昨日、お母さんと雑貨屋さんに行ってね、ブラシを買ってきたよ!

 買おうと思ってもフレッドだと買いづらいでしょ?」

「すごく準備いいな。ありがとう。助かるよ」

「いいんだよ〜」


 昨日はヴィートが朝以降に起きなかったので、髪()きを決行できなかったそうだ。


 余談だが、櫛は男女関係なく使う。偉い人に仕える人ほどこまめに使っているイメージだ。

 俺は衛兵になるまで手櫛で済ましていたけど、今は使っている。

 2年前に上官が新入り全体に向けて身だしなみに気を付けるよう注意していたからな。上官はきっと毎年、春が来る度に言っているに違いない。



「はい、ヴィーちゃん」


 ミアベラはブラシをテーブルに置く。

 ヴィートは置かれたブラシへと手を伸ばして持つ。


 ためつすがめつ眺めて、首を傾げた。


「これは……パスタレードルですか?」

「ううん、これはブラシだよ!」


 ミアベラとヴィートのやり取りは、まるで外国語の研修だ。

 現実ではなかなかお目にかかることのない、

「これはペンですか?」「いいえ、りんごです」というような会話を見た気分になった。


 パスタレードルとは、パスタをお湯から上げるときに使うものである。

 サムエレさんが厨房の壁際に掛けている。


 言われてから見ると、パスタを引っ掛けるボコボコとした突起物とブラシの毛が、それらしいように感じる。


「形が似てるね、気付かなかった!

 あ、でもね、髪をとかす道具で、パスタレードルとは別物なんだよ」

「そうなのですね」


 ヴィートはピンとこない顔をしている。


 肩の上まであるヴィートの髪には、櫛よりもブラシがあっているのか。

 櫛にするかブラシにするかの実際の決め手はミアベラの好みかもしれない。


「ミア、使い方を教えてあげてくれ」

「はーい!」


 ヘアブラシといえば、祖母と妹が使っていたような記憶が微かにある程度だ。

 とりあえず、ここは使い慣れている人にお任せしたい。



 客に食事を出す場所で髪を梳かすのは憚られる。

 俺たちは食事処を出て、玄関ドアから真っ直ぐのところにある受付台の近くに場所を移した。


「見ててね、ヴィーちゃん!」

「はい、ミアベラさま。お願いします」


 ミアベラが2つに結んでいた薄紫色の髪をおろした。

 音にもならないような微かな音を立てて、フジの花でできた滝のようにサラサラと広がる。


「こうやって……」


 ミアベラが使い方を説明、いや、実演した。

 横髪へとブラシを通して、するする……するする……と梳かして見せる。



 なんだろう、女の子の支度の途中に居合わせたような居心地の悪さを感じる。

 そんな状況になったことはないけど!


 俺、離れた所で待とうかな。



 そう俺が思ったとき、ヴィートから「いっ」と悲鳴が上がった。


 ヴィートは実際に自分でやってみようとして、毛玉に引っかかったブラシを無理に下に引っ張ったらしい。

 頭皮を押さえてプルプルしている。


「ヴィーちゃん大丈夫!?」


 ヴィートはコクコクと頷く。


「優しく、優しくだよ?」

「はい……」


 ヴィートは真剣な表情になる。

 しかし、毛玉はうまくほどけず、髪からザリザリと音がする。


「ねえ、ヴィーちゃん。ヴィーちゃんの髪、ちょっと触ってもいいかな?」


 ヴィートは腕を下ろして、頷いた。

 目をギュッと瞑って震えているヴィートの前髪に触れて、ミアベラは目を丸くする。


「私、わかったかも! ちょっと来て?」


 俺とヴィートはミアベラについて行った。



 今、俺の前には2つに分けられている入口がある。木製のプレートにはそれぞれ男湯と女湯と書かれている。


 ミアベラはお風呂場を使いたいそうだ。


「ヴィーちゃん、行くよ〜」

「……? はい」


「ヴィー、いってらっしゃい」


 俺は2人を見送った。


 ミアベラに言われるまま不思議そうな顔をしたヴィートは女湯に消えた。

 ヴィートはまだ幼いからセーフだ。一般に母親に連れられて入ることもあるくらいの年齢だから。




 15分くらいすると、ミアベラと肩にタオルを掛けたヴィートが戻ってきた。


 ヴィートの髪は綺麗に整っている。

 黒い髪には、頭の形に沿った丸い反射光の輪ができていた。


「ヴィーちゃんね、昨日リンスをつけ忘れちゃったみたい」


 研究者によると、石鹸はアルカリ性らしい。

 つまり、髪を洗った後に酸性のもので中和しないと、ガビガビになる。


「昨日沢山眠った分、髪の毛が絡まったのかもな」


 ヴィートを見ると、もつれた髪や寝ぐせがあったことが疑わしいくらいに、すっかりなくなっている。


「ヴィー、髪を乾かしてから寝直すんだぞ」

「はい!」


 ヴィートは返事をした後に、はたと手に持ったままのブラシを見た。


「ミアベラさま、こちらのブラシはどうしたら良いのでしょうか?」

「もらって! ヴィーちゃんの髪のためにもあったほうがいいと思って

 買ってきたんだもん」

「わたし、一度もらった物は、返してと言われても絶対に返しませんよ。

 それでもいいのですか?」

「うんいいよ!」


 見上げるヴィートに、ミアベラは戸惑いなく答えた。


 しまう場所が必要だな。


「ヴィー、部屋の引き出しの2段目、使っていいぞ」

「ありがとうございます」


 そうお礼を告げたヴィート。

 おもむろにミアベラの手を見つめて、自分の前髪に触れた。



 この日からヴィートは、毎朝寝ぐせを直すようになった。

 ミアベラからもらったブラシで髪を梳かしている。


 後々、表立って宿屋の手伝いをする可能性もあるから、良い習慣になるかもな。

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