第38話 ドラゴンの信者に思うところは
切るには場所が微妙なので1話で書き切ったら、それなりに長くなってしまいました。
前回よりマシなのでセーフ。
何かできること……アルバーノ様を探すためにできることはないだろうか。
宿泊訓練から帰った次の日、部屋にある椅子に腰掛けて、ヴィートを膝に乗せながら、俺は考える。
領主様の末弟であるアルバーノ様は、既に行方不明から約6ヶ月。行方不明当時2歳8ヶ月だった。
行方不明者の捜索について肝要なのはスピードだ。行方不明になった時から時間が経つほど見つけられる可能性は激減していく。理由は単純である。行動範囲を絞れなくなるからだ。はじめの2週間でなんの手がかりも得られなかったことが痛手だ。
一人で色々考えてみたが、ここから特別に何かできることがあるのか。思いつかない。
思わず、何か意見がもらえないかと、ヴィートに相談しようとしてしまう。
「レオポルド様がアルバーノ様を探していて……」
ヴィートは、俺の膝の上に座り、上機嫌に足をぶらぶらと動かしている。
しかし、この話題には大して興味がなさそうに平淡な声で返事をした。
「へー、なんとかさまが、なんたらさまを……大変ですね」
「レオポルド様とアルバーノ様だって」
そうだった。ヴィートは、領主様に対して過激派だし、その周りの人の話題にも、わかりやすく興味がないと示すのだった。
「レオポルド様がアルバーノ様を探して回っててさ。俺にも何かできることないか考えてたんだけど、頑張って見回りするしか思いつかないんだ」
「会って数分話したくらいの人に、お給料も出ないのに何かするのですか?」
「これは給料がどうこうって問題じゃない。いなくなってしまって見つからない人は、見つかった方がいいだろ?
それに給料は出てるっていうか給料に含まれてるぞ」
「そういうものなのですか」
ピンと来てなさそうだな……。
「ヴィーに置き換えたら、ある日突然、ミアがいなくなったって感じだぞ」
ヴィートは自分に置き換えたことで、心配な気持ちが理解できたのか、ちょっと慌てる。
こちらを振り返るように見上げた。
「それはよくありません。迷子です。迎えに行かないといけません」
「ほら、そう思うだろ?」
「……そ、それとこれは話が違うと思います」
「同じだろ」
「その……そう、おにいさまにとって身近な人ではありません」
「誰かにとっては、身近な人のことだ。
アルバーノ様の件なら、レオポルド様とか、ウベルト様とかが心配してることなんだ。できることなら、元気な状態で見つかってほしい」
「へー。その人は見つかって幸せなのでしょうか」
「それはそうだろ、心配だから探してるんだ。心配なのは、愛情があるからだろ」
「……そうですか」
ヴィートが、少し暗い声で、そう言った。そうだ、ヴィートは、捜索願が出てなかった……。元の家族からは一切探されていないのだ。
アルバーノ様が探してもらえているという事実を、羨ましく感じているのかもしれない。
「ヴィー、もしヴィーがいなくなったら、俺も、サムエレさんもオリアーナさんもミアも、皆で探すからな」
「へ……? そ、そうですか」
「大丈夫だぞ」
ヴィートは、スッと顔を背けた。
耳が赤くなっている。
意外とわかりやすいよな……。
ヴィートは顔を背けたままで、誤魔化すように尋ねた。
「感情抜きでは、なんたらさまが見つかったら、どのようないいことがあるのですか? 通行税がなくなるなどのいいことはないですか?」
「魔物が活発じゃなくならないと、通行税は難しいだろうな。でも、アルバーノ様は、領主様のお家の人だから、曙の女神様の力で、とびきり頭が良くて、曙の女神様の魔法を使えるんだ。将来的には、きっと立派に町を守ってくれるはずだぞ」
「頭が良くて、魔法を……」
そこまで言うと、ヴィートはクスクスと笑い出す。何故か少し馬鹿にしている感じの笑いだ。
「ヴィーほど頭がいいかはわからないけど、笑っちゃ駄目だ」
「すみません」
それからヴィートは、俺に質問する。
「なんたらさまはいついなくなったのでしたか。3日前でした?」
ヴィートは、3日前ではないことは少なくともわかっているだろうが、わざと聞いてくる。
「2月だ。俺とヴィーが会ったのよりも1〜2か月前で、まだ水が凍るくらい寒い時期だ」
「随分と昔のことですね」
「まだ半年しか経ってないぞ」
あ、ヴィートにとっては人生の8分の1くらいか……。それは長いかもしれない。
「時間が経っていますけど、打てる手自体はまだ残っているのですか?」
「……最初の2週間でやれるだけのことやってるからな……。
誘拐された可能性が高いって言われてて、ドラゴンの信者が怪しいけど、確証はない。ドラゴンの信者の拠点も全く掴めてない。正直、有効な手はもう……」
「あるならもうやっているのですね。それでは今さら何かしたところで見つかるとは考えにくいです」
「そうだよな……」
ヴィートの意見はもっともだった。
「ところで、どらごんは、本ではとても怖いもののように書かれていました。崇める人がいるのですか?」
ヴィートにそう言われて、知っている前提で話してしまったことに気がついた。
「ごめん、説明不足で。ドラゴンの信者にも色々あるけど、基本的にはドラゴンがこの世の中を治めることを望んでいる人たちのことなんだ。そのために、ドラゴンの封印を解くことを目的にしていたり、信者を増やしてドラゴンの力を強くしようとする人たちなんだ。目的のためには手段を選ばない。
封印を解きたい一派は、封印した神様達や、その神様の一族……神様に関わりが深い人を狙ってるんだ。王族とか……俺達に一番身近なのは領主のウベルト様とかレオポルド様とかだな。そういう、神様と直接的に繋がりがある人の命を狙ってるんだ」
ヴィートは、ウベルト様の名前が出た途端に興味なさそうな声を滲ませた。
「へー、そうですか。領主はいくら狙われてもいいですけど」
「良くない。それ、不敬にあたるからな。絶対に他の人がいるところで言うなよ」
「言いません」
なんでそんなに領主様反対なんだか……。
はあ……。
「それと……それだけじゃないんだ、ドラゴンの信者は……。その場に居合わせただけの人の命だって平気で踏みにじる。すごく危険な集団なんだ」
ヴィートは、俺の顔を見上げた。驚いたように目を丸くしている。
「そうですか。もし見かけたら逃げます」
「見た目でわかったらいいんだけどな……。でも、もし相手がそうだって気がついたら、そうしてくれ」
ヴィートは頷く。
「信者を増やしてどらごんの力を強くしようとする人たちは何をしているのですか?」
「マッサージとか、自己啓発セミナーとか、入り口がわかりにくい形で勧誘したり、孤児院から子どもを引き取ったり、奴隷商から人を買ったり、そうじゃなければ拉致したり……らしい。
だから、孤児院の人たちもピリピリしてるし、奴隷商も禁止されてる。まだ取り締まり切れてないのがいるみたいだけどな……」
ヴィートは2回ほど頷き、人差し指を立てる。
「1つ、確認してもいいですか?」
「ああ」
「なんとかさまも狙われているのですよね?」
アルバーノ様がドラゴンの信者に連れ去られたか可能性があるって話をしていたので、会話の流れ的に、改めて尋ねられた『なんとかさま』というのは……。
「レオポルド様のことだよな?」
「はい」
「そうだな……狙われてる」
「そうですか」
ヴィートは少し考えてから口を開く。
「それはあまり良くないです」
「レオポルド様が狙われると、特に良くないってことか?」
「特に……? そうですね、そうとも言えます。領主が警戒しているくらいには、どらごんの信者とやらに、なんたらさまが狙われる可能性はあります。
ですけど、なんたらさまがいないことで、なんとかさまに揺さぶりをかけやすいはずです。なんとかさまの命を狙うのではない方法で何か仕掛けるかもしれません」
『なんたらさま』というのはアルバーノ様を指しているはずだ。『なんとかさま』がレオポルド様だから、微妙に差をつけて呼び分けしたのかもしれないが、聞いている俺は訳がわからなくなりそうだ。
「ヴィー、せめてどっちかだけでもちゃんと名前で呼んでくれないか?」
「……おにいさまが言うなら、乗り気ではありませんけど、仕方がないので、呼んであげましょう。おにいさまのために」
ヴィートは恩着せがましさを籠めてそう言い放った。
「バババーノさまは、亡き骸も見つかっていないわけです」
「アルバーノ様のことだよな?」
「そうそう、そういった名前でした」
わざとらしく、思い出したかのようにそう言うが、まともに呼ぶつもりはないらしい。訂正せずに続ける。
「どらごんの信者やその他の人たちがバババーノさまのことを本当にかどわかしていてもいなくても、嘘をついて、いかにも自分たちが捕らえていると言い張ることができます。
わたしなら、他の人に判断を仰げないような状況に追い込んで、思い通りに動かすために、なんとかさまに揺さぶりをかけるでしょう」
「そういうことか……」
貧民街で培ったからか、ヴィートの発想の治安の悪さは、俺の知り合いの中でも随一かもしれない。
「そうでなくても、なんとかさまに嘘を吹き込んで、それを通して領主に何かさせようとするかもしれません」
レオポルド様の純朴な性格は、いい子なのは間違いないのだが、嘘に騙されてしまいそうな感じがする。
周囲の人に止めてもらうのが理想だ。
ヴィートが、他の人に判断を仰げない状況に追い込むと言ったのは、裏を返すと、他の人の意見を聞ける状態であれば、レオポルド様は問題ない……騙されない、ということだ。
「バババーノさまを見つけるのはもう難しいとすると、おにいさまたち衛兵さまができるのは、二次的なものを防ぐことです。そうですね……町の中に怪しいところがないかを見回ることと、なんとかさまを一人にしないことと、なんとかさまに変な人を近づけないようにすることなのではないでしょうか」
「そっか……そうだな。レオポルド様には、常に護衛がいるから、怪しい人物との接触は防いでくれるはずだ。
だから、やっぱり……俺にできるのは見回りだよな」
「はい」
「ありがとう、ヴィー」
ヴィートはどこか安堵の表情をしているように見えた。
神官のオノフリオさんは第一印象より……いや、年相応になのか、はっちゃけてる人ではあるようだった。しかしあれは、周りに衛兵しかいない状況、謂わば警戒する必要性が低い仲間内だからできるおふざけだ。おそらく、警戒すべき場面では警戒できる人だろう。大丈夫なはずだ。
護衛兵のガインカルロさんは、ベテランの兵士だ。長年の勘とかで、レオポルド様と怪しい人物との接触を防いでくれるのではないだろうか。
あの3人ですごい数の魔物を倒していることを考えると、相当強いはずだし、変な動きをしている人にはすぐに気が付きそうだ。
魔物の討伐に関して、護衛対象のレオポルド様はあまり動いていない可能性が高い。実質的にはオノフリオさんとガインカルロさんが戦っていると見るべきだ。
オノフリオさんは、魔法使いだし、杖を振り下ろして物理攻撃をするような発言もしていた。魔法のことはわからないが、使える人がいるといないとでは天と地ほど戦いやすさが違うとかなんとか。
ガインカルロさんは頬にある傷痕が語るとおり、戦闘をゴリゴリにやってきた人だ。そして、その武勲から、レオポルド様の護衛を務めていると予想できる。
そういえば、レオポルド様の魔法や剣術の腕に関することは、一度も耳にしたことがない。確かなのは、ウベルト様が卒業した、ボローグナ魔法学校に通っていることである。
オノフリオさんも同じ学校に通っている。優れた魔法使いになる素質がある者しか入学が許されないと言われている学校だ。だからレオポルド様もすごい魔法使いであることは間違いない。
あれ? レオポルド様って杖を持っていなかったような……。
待て、魔法使いといえば杖、という発想は、俺が魔法使いに対する解像度が低いから出るものかもしれない。
そうやって思考の海に沈んでいると、ヴィートは、少し言い出しづらそうにしながら尋ねてきた。
「あの……蒸し返してしまうのですけど……おにいさまは、どらごんを崇める人たちのことを怨んでいるのですか?
険しいお顔をしていたので気になりました」
「……思うところはあるぞ。どうして恨みがあるか聞きたいんだ?」
「行き場のない怨みとどう向き合うといいのかわからないので参考にしたいです」
ヴィートには、誰かしらに恨みがある、と。
こういう話は、まだ幼いヴィートには良くないかもしれないのだが……誤魔化したり嘘をついてしまうのは違う気がする。
「……暗い話だけど、聞くか?」
「はい」
「俺の父ちゃんと母ちゃんは、ドラゴンの信者に殺された」
「へ!? おにいさまの父上と母上は神さまの一族ということですか!?」
「いや、そういう特別な家系とかじゃないぞ。普通の家だ。
父ちゃんと母ちゃんは、補修作業のために村のちょっと外れにある祠まで通う日が続いてさ……。ある日、帰りが遅いから、兄ちゃん達と様子を見に行ったんだ」
「流れからして嫌な予感がします」
俺は首肯する。
「酷い状態だった。血だらけで父ちゃんも母ちゃんも、倒れてた。
それをやった犯人は、その祠の中に納められていた物が欲しかったんだろうな。祠は荒らされてた」
「どうしてそれがどらごんの信者の仕業だとわかったのですか?」
「まだその時は、父ちゃんには意識があって、兄ちゃんにそう話したんだって。俺は、村の人たちを呼びに行ってたから、直接は聞いてない」
自分でも驚くほど、冷静に事態を語ることができた。
「祠には何が入っていたのですか?」
「足の形をモチーフにした、色んな小物だ。毎年、村の中の工房のどれかが作って納めるんだ。金属で作ったり、編み物で作ったり、工房ごとに色々だな」
「どうして足の形なのですか?」
ヴィートは、祀っている神様を代表するものが『足』なのが、不思議なのだろう。
フェルララの町では、曙の女神様が最も重要視されているため、身体の部位でモチーフにするなら、『指』なのだ。ヴィートは生まれ育ちがこの町なので、馴染み深いのは、曙の女神様だ。不思議に思うのは当然だ。
「ドラゴンにやられて食べられたって本に書いてあった神様、いただろ?
あれは、『天翔る神様』っていうんだ。曙の女神様でいう『指』にあたるような代表的な部位が『足』なんだ。その神様を祀っている祠だから、それにちなんでモチーフにしてるんだ」
「そ、そうなのですか」
複雑な表情で、何故か、ヴィートは服の胸元を握った。ヴィートの御守りである、首から下げた巾着袋を握っているのだろう。
不安なときなどによく握っているイメージだが、今は、そういう感情ではなさそうに見えた。
「いつの出来事でしたか?」
「えー……8年前だな」
「その、おにいさまは、どちらの出身でしたか?」
「王家の直轄地フォルル=チェゼン=リーミンの、リーミン村だな」
「祠から実際に何か持ち出されましたか?」
「ああ。きれいに切り出された宝石みたいな石だって」
「細かな特徴はわかりますか?」
「親方の話だと、確か……全体的には黒色で、ところどころに、赤とか青とか白とか、色んな色が混ざってる石なんだってさ。いつから祠の中にあって、どの工房が作ったのか、誰もわからないって聞いてる」
「そうなのですか」
ヴィートは硬い表情で相槌を打ち、その頬を汗が滑っていく。
暑いからだろうか。
「あの、もしかして……どらごんというのは、精神の檻のことですか?」
「そうだぞ。よく知ってるな」
精神の檻というのは、この島のずっと西で封印されているドラゴンの呼び名だ。
「ドラゴンの信者に、恨みはないって言ったら嘘になる。でも、復讐とか、そういうのは考えてない。町の人たちの安全が守られれば、きっと、そんな悲しいことは起こらないから、毎日きちんと見回るんだ。
俺は、そう思って仕事して、折り合いを付けてる」
参考になるだろうか。
「そうなのですか。わたしもそういった、気持ちの上での意趣返しを考えてみましょうか……」
「ヴィーには仕返しをしたい相手がいるってこと……だよな?」
「います」
「そうか……」
「ですけど、もう何かしようとは考えていません。わたしはここでぬくぬくと長生きする予定ですから。ただ心の中でくらいは仕返ししたことにできたらいい気持ちではないですか」
『もう何かしようとは考えていません』?
しばらくは仕返しに何かしようと考えていたような口ぶりだ。
俺は、冷や汗をかいた。
相手は誰だかわからないが……平和的な方に持っていきたい。
「ヴィーがここでのんびり楽しく過ごすこと自体、仕返しにならないか?
その人たちのために頭や時間を使わないっていうのも、小さい仕返しになると思う。それと、その人たちの関係ないところで幸せにやってるのが1番の仕返しって考え方もあるぞ」
それは考えていなかったのか、ヴィートが少し感心したように頷く。
「ここでのうのうと暮らすことが、報復になるのですか……。いいかもしれません。そういうことにしておいてあげましょう」
何故かちょっと上から目線な言い方だ。
「ヴィーは、誰を、どうして恨んでいるのか、聞いてもいいか?」
「相手と理由はお話しできません。
話せることといえばそうですね……わたしには、2つ別々のところに怨みがあることくらいでしょうか。しかも都合がいいことに、その2つは敵対しています。
今はするつもりがないので言えることなのですけど、この敵対関係を利用してうまくけしかけて、潰し合いをさせられないか考えていました」
考えてること、怖っ!
思わず「怖っ」と口をついて出た。ヴィートはいたずらっ子のようにクスッと笑った。
「このお家で過ごしていくと決めたからには、名を汚すようなことはしません」
「あ、ああ……」
「他に話せるようなことは……ありませんね。これだけです」
「話してくれてありがとうな」
「わたしもお話が聞けてよかったです」
俺の膝に座っているヴィートの表情は、穏やかだった。
* * *
その日の夜……いや、空が明るくなり始めた頃、夏場だからと開けっ放した窓辺からは少し涼しい風と様々なセミの鳴き声が入ってくる。
眠りが浅くなってきていたからか、俺の耳は、そこに混ざった微かな話し声を拾った。
「目的のものはもう8年前にどらごんの信者が持ち去って、リーミン村にはないようです。そのような極悪非道なセミだったなんて見損ないましたよ」
ヴィートの発した声だった。
衝撃的な言葉を拾ってしまい、意識がすぐに覚醒する。
俺は、内心、申し訳ないと思いつつ、聞き耳を立てた。 独り言? いや、誰かに話しかけているのだろうか。
それに極悪非道なセミってなんだ?
「冗談です。ですけど……実はもうないのを知っていて黙っていたのではありませんか? あまりにも時間が経っています。
それから、どらごんと精神の檻が同じということも、どらごんがとても危ないということも聞いていませんでしたけど?」
返事のような声は聞こえない。
「い……一般常識なのかもしれませんけど、部屋の外すらほとんど知らないわたしに一般常識を求めるのは無理があると思いませんか? ぼけたのですか?」
ヴィートは文句言いたげな気持ちを声色に込めてそう言うと、少しの間が流れる。
「……へ? 情報収集から全てわたしに丸投げするのですか?」
確実に返答をもらっているような受け答えに聞こえる。しかし、相手の声は全く聞こえてこない。
何の話をしているのか、気になったが、その後は話題が変わったらしい。
「いい関係を保っています。ご飯もおいしいです。お風呂もお布団も心地いいです。人も……ぽかぽかしています」
アークイラ亭のことだろうか。
「そ、それほど甘えていません。ほどほどです。甘えすぎたら父上と母上を横取りしてしまうようではないですか」
おそらく、サムエレさんとオリアーナさんのことだよな?
そんな風に考えていたのか……?
「できません。横取りする人は嫌いです。わたしに、これ以上わたしのことを嫌いになることをしろとでも?」
ヴィートは返答を聞いているのか、しばらく黙り、その間はセミの鳴き声だけが流れた。1匹だけ、近くに止まっているのか、鳴き声が近い。
「それはそうかもしれませんけど……」
ヴィートは小声ながら、納得してない声音だった。
「またそれですか。その言葉が好きなのですか?
わたしはまだ完全に明けたとは思っていません。きっと気を抜いたら転がり落ちるような場所にいます。わたしは、見込める範囲でしか希望を持ちません。
『真に恐れるべきは賢い敵ではなくおろかな味方である』とはよく言ったものです。気が気ではありません。
……そうです」
ヴィートは、数秒の後、「はい、ではまた」と言った。
すると、何かが壁にぶつかるような音がした。ビチッべチッのような。そう、セミが、建物の壁などにぶつかって落下するような音だった。
ヴィートは腰高窓の方へ向かったらしい。トコトコと足音がした。
俺は思わず、気になって、薄目で窓辺を見る。
見たことない黄金のセミが、窓の近くの床に落ちていた。
「飛ぶのが下手です」
そう言ってヴィートは、ひっくり返ってしまった黄金のセミを拾い上げる。
「おじじ、気を失っていませんか?」
そう呼びかけられたセミは微かな声で「ミ"ッ……」と、どこかうめき声のようにも聞こえる鳴き声で返事をした。
「そうですか。ではさようなら」
ヴィートは、腰高窓の外にセミを乗せた手を出して飛び立ちやすくしてあげた。
黄金のセミは、登る太陽の日を受けて、キラッと眩しく反射して飛び立った。
俺は、薄目を閉じて、寝ている振りをした。
ヴィートがこちらにやって来て、タオルケットに潜り込む。
俺にくっついたら、すぐに規則正しい呼吸が聞こえてくる。
セミのこと、『おじじ』って呼んでた? っていうか、セミと会話してたのか?
おじじっていうと……お爺さんのことだよな?
セミで鳴くのはオスだけだが、お爺さんって呼ぶか?
おままごと的なものなのか? その割には会話がおままごとらしからぬ内容だったような……。
ヴィートがセミとおしゃべりするくらい何らかの原因で滅入っているのか……?
そういえば『これ以上わたしのことを嫌いになることをしろとでも?』と言っていた。
つまり、ヴィートは、自分のことが嫌い……なのか?
それで滅入っているのかもしれない。
朝ごはんの前に、ヴィートにそれとなく、自分のことは大切にするんだぞ、と告げたところ、ヴィートからは「おにいさまは人のことを言えないと思いますけど」ととても冷静に返されてしまったのだった。
いつも応援、ありがとうございます!




