第28話 木の板を彫る
読んでくださる方々、いつもありがとうございます!
木の板を彫って印刷する作業を控えた金曜日の夕方、仕事を終えて部屋へ戻る。
日が長くなったからまだ部屋の中が見えるな、と思ったら、ヴィートが床にうつ伏せで転がっているのを発見した。
驚いて駆け寄ると、ヴィートはどうやら眠っているだけのようだった。
倒れていたわけではなくてよかった。
ヴィートの近くには、箱のフタと羊皮紙の端切れが半分くらい入った箱、それと箱から取り出された半分がある。
箱から出された羊皮紙の端切れは、さらに、2つの山に分けられていた。
どうやら、分別をしようとしていたようだ。
2つの山の分類基準は、印刷に使えるものと、そうでないもの、だな。
片方の山はある程度の大きさがあるきれいな状態のものが、もう片方の山には折り目や汚れがついているものや細長すぎたり小さすぎたりするものが集められている。
箱の中の端切れはまだ分類してないようだ。
箱の内側を覗いてみると、羊皮紙の端切れを入れる作業には性格が出ることがわかった。
端切れが出る度にどんどん箱に入れていく人だけではなく、ある程度の枚数を揃えてから入れる人もいる。
あとは、上に乗せられた端切れに潰されて折り目がついてしまっているものもあった。
ヴィートは、分ける必要があることによく気が付いたな。
俺は気が付かなかった。
それはそうと、眠くなったらちゃんとベッドに入ってほしい。
床で寝ると身体が痛くなるからな。
ベッドに運ぶために、しかし起こさないようにそっと抱き上げる。
そのとき、黒い髪の中から、1本の髪がキラリと反射した。
白髪だ。多分。
ヴィートを運んで布団をかけてから、反射した髪を摘んでみると、抜け毛だった。やはり若白髪だ。
ヴィートの髪の表側には白い髪が生えていないので、オリアーナさんが表側の髪を長く残すように切って、隠してくれている。
表の髪をめくると、かなり多くの本数で、白髪が生えている。他が黒い髪なのでとても目立つ。
栄養状態が良くなっても本数が減ってない感じがする。体質か、それともこの家に来る前のストレスで髪色を作る細胞が仕事をしなくなったのか。
若白髪は抜いても次に生えてくる毛の色はもとに戻らないなど、色々と聞いたことはあるが、これはもう抜けてるから気にしなくていいだろう。
次の日。
そう、木を彫る日である。
作業場となるのは俺が借りているアークイラ亭の1室だ。
既に、ミアベラ、ヴィート、俺の3人が準備万端の状態で揃っている。
印刷のための版を作るのはやったことがないのだが、うまくいってほしい。
「えー……まずは、ミアが描いてくれた絵を木に写すところからだな」
転写するとき、何か気をつけないといけないことがあったような。
何だっけな……。
「絵はもう写しておいたよ!
ヴィーちゃんに鏡を持ってもらって描いたの!」
鏡?
あ! そうだ、彫る絵は左右を反転させないといけないんだった。
絵を見たまま写して彫ったら、刷ったものが全て鏡文字になってしまう。
危なかった……。
5年くらい前に、似たようなことをやって親方に叱られたんだった。
ここにある3枚の板にはそれぞれ、ミアベラの言った通り、左右が逆になった絵が描かれている。
「本当だ。ありがとな」
「うん!
ヴィーちゃんがね、右と左を返さないとって教えてくれたんだよ!」
「鏡を見て描くことはおねえさまが思いつきました」
写し間違いようなミスをするのは俺だけだったという……。
2人ともしっかりしていて、すごいな。
「それなら、木の板を彫るところからか。
ミアもやるか?」
「うん! 私も彫るの手伝うよ!」
ミアベラは小さくガッツポーズを取る。
「わかった。ミアは手伝ってくれ。
ヴィーは……」
「わたしは1彫りしたいです」
失敗してもリカバリーしやすそうな、早い段階にやってもらうつもりなのだが……。
「もう彫るか!」
「はい!」
せっかくなので第一刀目はヴィートに入れてもらうことにする。
机の上に滑り止めになるシートを敷いた。
ヴィートには椅子の上で立膝をしてもらった。座ったら、机の上にある物は見えていても、作業はできないくらいの丈だったのだ。
絵の描かれた木の板を3つ見せて、ヴィートに聞く。
「どれを彫りたい?」
『宿屋アークイラ亭』という文字と目印である鷲の姿を描いた板、アークイラ亭の場所を示す地図を描いた板、女子会プランを宣伝する板の3つがある。
ヴィートは、アークイラ亭の名前と鷲が描かれた木の板を指差す。
「『ア』を彫りたいです」
重要な部分だ。
しかし、やりたいならそこをやってもらおう。
「あ、そうだ。1彫りしかできないからって、無理に沢山の場所を彫ろうとするのは駄目だぞ。
ケガするからな」
「……。そのようなことするわけないではないですか」
何だろうな、今の間は。
そして、やけにニコニコしている。
多分図星だったんだな。
笑顔を浮かべて乗り切ろうとしているようだ。
とりあえず事故を防げてよかったということにしておこう。
「ヴィーにやってもらうけど、ミアもやり方は見ていてくれ」
「うん!」
木の板は俺が押さえて、ヴィートにはノミのような見た目の彫刻刀と木槌を持たせる。
これで木の板に切り込みを入れるのだ。
「『ア』の文字を残したいから、周りを彫っていくぞ。
彫刻刀を『ア』の外側の縁に突き立てて……」
「はい」
「そうだ、そこで、木槌で彫刻刀の柄を叩くんだ。
自分の手を巻き込まないように気をつけるんだぞ」
「はい」
コンコンコン。
彫刻刀の柄と木槌がぶつかって、少しくぐもったような優しい木の音がした。
「こうですか?」
「もう少し力入れて叩いてみてくれるか?」
「はい」
コン! コン!
先程よりも大きな音が鳴った。
彫刻刀の刃先が板に入った。
ヴィートは楽しいらしく、笑顔になった。
一応、付け足しておくと、これは後ろめたさがない活き活きとした笑顔だ。
「うまいぞ。
そうだな……彫刻刀を下に押し付けながら木槌で叩いてみてくれ」
コン! コン!
刃先が木の表面より少し奥に入った。
まだ浅いとは思うが、そこは後で俺が何とかしよう。
「本当は1彫りだとここまでだけど、もう1彫りするか」
「いいのですか?」
「ああ。ミアにやり方を教える必要もあるからな。
次は、切れ込みに向かって斜めに彫刻刀を入れるんだ。最初は少し刃を寝かせたほうがいいな」
「寝かせるというのは、こうですか?」
ヴィートは横に傾けて見せる。
「あってるぞ。そこで、軽く叩いてみてくれ」
コン、コン。
2度目で、木の表面が、サリッという音を立てて薄く削げた。
それと同時に、『ア』の文字の側面となる場所に彫刻刀の先端が少し食い込んでしまった。
ヴィートは、何とも言えない表情をしてこちらを見上げた。
「ヴィー、大丈夫だぞ。そのまま引き抜いてくれ」
板に跡は残るが、表面を彫りすぎた時よりもずっと何とかなる。
「後で接着させれば問題ないぞ」
「そうなのですか?」
「ああ」
正直、自分のだったら接着剤も使わないで盛り上がった表面を押しておくだけかもな。
それで割れたら良くないので、今回はきちんとくっつける。
この板1枚の全体を彫り終わったら補強しよう。
「ミア、周りを彫っていくやり方はわかったか?」
「うん、わかったよ!」
「ヴィー、彫刻刀をケースに戻してくれるか?」
「はい」
ヴィートはそっと彫刻刀をケースに戻した。
「ミアも、彫刻刀を手放すときは、ケースに戻すんだぞ。転がるから落としやすいんだ」
「うん! 気をつけるよ」
ヴィートは木の破片を摘んで窓に向け、破片と窓の間にもう片方の手をかざしている。
「ヴィーちゃん、何してるの?」
「薄いので、光が透けています」
ヴィートが破片の向こうで手を横移動させると、指が通過するのに合わせて破片が明るくなったり暗くなったりする。
「ほんとだね! 薄いと木でも光が通るんだね」
「おもしろいです」
さっそく、ミアベラには直線が多い地図の板をお願いした。
直線の方が切れ込みを入れたり、周りを削りやすいからだ。
逆に曲線は少し難しい。変なところを削らないようにしないといけないからだ。
そこは俺がやればいい。
残したいところと彫ってもらいたいところを一通りミアベラに説明して、2人で彫り始める。
部屋の中ではしばらく木槌の景気のいい音が鳴り続けた。
できるだけ綺麗に仕上げたい。
ヴィートはミアベラと俺の手元を交互に眺めていたが、途中からは羊皮紙の仕分け作業を再開するために離れた。
途中、ミアベラは忙しい時間帯に店の手伝いをしながら、ヴィートは何度か眠って休みながら作業をして、すっかり日が暮れる時間になった。
集中すると時間はあっという間に過ぎるものだ。
「できた〜!」
ミアベラは彫刻刀をケースに戻し、座ったままで腕を上にして伸びをした。
「俺はまだかかりそうだ」
「フレッドは2つもやってるもん! すごく早いよ!」
「石と金属を何度か彫ったことがあるから、彫刻刀はある程度使えるだけなんだ」
ミアベラは俺が彫り終わった板を手にとって見る。
刃が入りすぎた部分ももう接着剤で補強済みだ。
「わ〜……! 上手! すごいね!」
「いや、こんなの全然……すごい方には入らないんだ。
本当は、彫り方が決まってないものは模様を活かした彫り方を選ぶんだ。でも、俺にはそういうセンスもなかったから……」
「職人さんの世界ではそうなの?
私から見たらとっても上手だよ! 大丈夫!」
ヴィートがいつの間にか近くに来ていたらしく、すぐ後ろで声がする。
「おにいさまは、おねえさまが感じた『上手』を否定してしまうのですか?」
「いや、そんなつもりじゃない」
そんなつもりはなかったが、そうなってしまったのかもしれない。
「ではそのまま受け取った方がいいと思います」
「そう、だな。そうする」
ヴィートが行っていた羊皮紙の端切れの仕分けは、全て終わったらしい。
分けた後の山が半々に見えるので、良い状態だったのは全体の半分くらいということだ。
ヴィートはミアベラがいる方に回ってきた。
そしてヴィートはなぜか俺に1歩近づいた。
「わたしはひらめいたことを言いましたけど、わたしだけでは形にする手立てがありませんでした。
どうやって印刷をするのかを知らなかったからです。知っていたとしても、1彫りでも難しかったので完成させられません」
ミアベラは座ったままだったのだが、気持ち的に1歩近づこうとしたらしい。
俺の膝に手を乗せて身を乗り出す。
「立て看板のときもだよ! フレッドがいないとできなかったよ!」
すごく顔が近い。ふわっと花ような甘い香りがした。
「ミア、近い近い」
俺がそう言うと、ミアベラの顔は、ボンッという音が立ちそうな具合に真っ赤になって、飛ぶように離れた。
「ご、ごごご、ごめんね!
えっと、あのね、フレッドはすごいんだよって私も伝えたくて、つい!
えっと、えっと〜……!」
ミアベラが慌てすぎている。
「ミア、落ち着いてくれ。言いたいことは伝わったから。ありがとう」
あ、ヴィートがニマニマとしながらミアベラと俺を見ている。
「ヴィーは何を面白がってるんだ」
「へ!? まさか笑いものにしたと思われているのですか? 誤解です。風評被害です」
「笑い者にしたとまでは言ってない。でも、なんかニマニマしてたから……」
「こういったものならいくらでも見ていられるのにと思っていただけです。こういったものなら」
なぜ強調したのか。
それと、こういったものってどういったものだよ。
「まあ、いいか。
……とにかく、2人とも、ありがとな」
「う、うん!」
まだミアベラは落ち着ききれてはいないようだ。
「自分を自分でおとしめると安く買い叩かれてカラカラに搾り取られますよ」
「損するぞってことだな。わかった。気をつける。
ヴィーも感謝の気持ちはそのまま素直に受け取った方がいいと思うぞ」
ヴィートは自分に返ってくると思わなかったらしく、瞬きを数回した。
それから、笑みを浮かべて口を開いた。
「ではわたしの答えもあなたと同じにしておきます」
俺の答え?
あ、そういうことか。『気をつける』か。
程なくして、俺は2枚目の板も彫り終わった。
印刷は明日行う予定だ。




