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第2話 髪を切って見えた顔

 エスト領フェルララの町にある、鷲が羽を広げた姿の旗が目印の宿屋、アークイラ亭。


 その1室、3階の角部屋に俺は泊まっている。


 俺が起きて横を見ると、昨日保護したヴィートは壁の一部にでもなるように距離を取って眠っている。


 俺が体を起こしたら、ヴィートは飛び起きて辺りを見渡した。


「ヴィー、おはよう」


 ヴィートはビクッと身体を震わせた。

 その後、服の胸の辺りをギュッと握って、体育座りをした。

 服越しに首から下げている小さな巾着袋を握っているようだ。

 大切な物らしく、お風呂に入るときも外さなかった。


 前髪で隠れていて目元は見えないが、こちらの様子を窺っている。


「よく眠れたか?」

「はい」

「そうか……よかった」


 声をかけたら、ヴィートの緊張状態は少し緩まった。


 俺が仕事に行く支度をしている間、ヴィートは静かに見ている。


 うーん、表情がわからない。


 昨日からずっと思っていたのだが、髪の毛、長いよな……。

 ヴィートの前髪は目が隠れるくらいまで、後髪は背中まである。


「ヴィー、嫌だったらいいんだけど、髪の毛を切らないか?」


 ヴィートは自分の髪に触れて迷って、「わかりました」と言った。


 ヴィートに洗面所に来てもらって、俺はハサミを持ったまではいいのだが……。

 どうやって切るんだろう。

 駄目だ、俺がやったら失敗しそうだ。


* * *


 俺はオリアーナさんを頼った。

 オリアーナさんは、宿屋アークイラ亭の亭主であるサムエレさんの妻だ。



 カチャ。

 ヴィートの髪を切ってくれていたオリアーナさんが、扉を開けて入ってくる。


「みんな、できたわよ」

 

 今の時間帯は約6時半で、宿屋の食事処は準備中で客がいない。

 だから、俺と亭主のサムエレさんと看板娘のミアベラが出入口に一番近い席に座ってソワソワと待っていたところだ。


「おいで」


 オリアーナさんに呼ばれて、ヴィートはそっとドアの奥から出てきた。



 伸び放題だった後ろの髪の毛は綺麗に肩の上で切りそろえられて、目を隠していた前髪は眉くらいになった。


 神秘的な印象を与える黒髪に、深夜のような青の瞳。

 それも綺麗なのだが、それよりも顔立ちが息を呑むほど美しく、それでいて可愛らしい。



「ヴィーちゃん、かわいい!」


 看板娘のミアベラが声を上げると、サムエレさんも静かに深く頷いた。

 ミアベラはあと一年しないくらいで成人になる14歳だ。


 ミアベラとサムエレさんは立ち上がってヴィートの近くへ歩み寄った。


「かわいいね!」

「は、はい……ありがとうございます」


 ヴィートは少したじろいでいる。


 これが実質、初の顔合わせとなるから無理もないか。

 アークイラ亭側は俺が連れてきたヴィートに関心があったが、ヴィートはお店の人くらいにしか意識してなかったと思う。



「フレッド君」


 オリアーナさんが俺の方に来て、呼びかける。


「ヴィート君の髪はこれくらいの短さでいい?」

「うん、大丈夫だ。オリアーナさん、ありがとう」

「いいのよ。

 これよりも短くするのは難しかったのだけど……長い方が可愛いものね!」

「……一応、ヴィーは男なんだけど」


 かくいう俺もヴィートを風呂に入れるまで女の子だと思ってたからな……。


 しかし、まさか顔つきまで女の子らしいとは思わなかった。



 オリアーナさんは、声を小さくして教えてくれる。


「髪の表面をめくったところにかなり若白髪が生えていたのよ。遺伝からか、栄養不足からだと思うのだけど」

「あー……なるほど」

「それと、ヴィート君に鏡を見せたらね、目を逸らしてしっかりとは見ないのよ。あまり好きではないみたいね」

「鏡か……」


 何か嫌だと感じるところがあるのだろう。


「ヴィート君は触れられるのが苦手なのよね?

 髪を切っている間、我慢してくれて、とても偉かったのよ」

「そうか。そうだよな」


 俺もヴィートの近くまで移動する。


「ヴィー、頑張ったんだって? 偉いな」


 俺がそう言ったら、ヴィートはどうしていいのかわからなかったらしい。

 少し目が泳いで、そしてそっぽをむいてしまった。



 不意にオリアーナさんは手をパンパンと叩いた。


「ヴィート君がかわいいのはわかるけど、そろそろ開店の時間よ」


 サムエレさんは無言で頷き、しゃがんでいたミアベラは「はーい」と返事をして立ち上がる。


 俺は衛兵の仕事がある。

 始業の鐘が鳴る前に城壁棟に着かないといけない。

 もうそろそろ出ないと。



 ミアベラは三角巾を装着する。


「フレッド、もう出る時間だよね!

 持ち物、確認するよ!」


 ミアベラは元気な声で俺に言う。


「兵服!」


 新項目だ。

 俺が昨日、私服で出勤したので増えた。


「着た」


 ミアベラは続けて確認する。


「お金!」


 俺は鞄の中身を見る。


「持った」


 ミアベラは最後の1つを口にする。


「身分証!」

「持っ……てない!」


 そうだ、昨日はクタクタになっていつもの鞄に戻さなかったんだ!


 兵服ではなく間違えて普段着で出勤して、その罰として追加の訓練が課せられたのだ。

 本当に……どうして間違えたのだろうか。



 ともかく身分証を取りに部屋へ戻らないと!


「ミア、確認ありがとう」

「身分証忘れで塔に通してもらえなくて遅刻したとき、目も当てられなかったもんね……」


 しかも、それもう3回はやってるし、昇級試験の日にもやった。



 身分証を取りに行き、1階へ戻ってきて、宿屋の重い木の扉を押して出る。


 ミアベラとヴィートが扉の外まで出てきた。見送ってくれるようだ。

 ミアベラは毎日こうして見送ってくれる。

 ヴィートは多分、ミアベラに誘われたから来た。


「いってらっしゃいフレッド! ほら、ヴィーちゃんも」

「……フレッドさま頑張ってください」


 ヴィートからは初めて名前で呼ばれた気がする。


「行ってくる」


 ミアベラは大きく手を振るので、三角巾から出た2つ結びが揺れる。

 ヴィートはミアベラを見て、俺へと小さく手を振った。


 妹が二人できたようだ。……片方は弟だな。

 顔が見えたら、より誤認しそうになるとは思わなかった……。


* * *


 すっかり暗くなって、街中で外に漏れるほどの光源がほとんど酒屋だけになった。


 昨日の疲れが残っているところに、隊長の思いつきで武器庫の在庫確認。

 武器庫の管理も大事なことだとは思うけど疲れた……。

 何回も数え直さないと数が合わなくて時間がかかってしまい、終業の鐘はもう1時間前に鳴らされた。


 フラフラとしながら、大きな木の板にアークイラ亭と書かれた宿屋に帰る。

 アークイラ亭の壁は、1階部分が白で、2階からは明るいオレンジで塗られている。


 それももうこの時間ではあまり差がわからない。



 ドアを引くと、左側には木でできた受付の台があり、そこにはミアベラがいる。


「いらっしゃいませー! あ、違ったね、おかえりフレッド!」

「ミア、ただいま」

「今ね、ヴィーちゃんが眠りに行ったばっかりだよ!」

「そうなのか」


 アークイラ亭は宿屋だが、食事処も併設されているため、仕事終わりの衛兵で賑わっている。

 酒屋ではないので夜の9時に閉まる。


 食堂から「オリアーナさん、こっちにビール3つ」と聞こえてくる。


「はーい。ビール3つね。持ってくるわね」


 そう言って、オリアーナさんは食堂から出てきて、俺と鉢合わせた。


「あらフレッド君、おかえりなさい」

「オリアーナさん。忙しそうだな。全然手伝えなくてごめん」

「この時間だけは人手不足なのよね……。

 後でこの時間からでいいから手伝ってもらえるかしら」

「わかった」


 オリアーナさんは奥の厨房に行った。


 俺は、正面奥にある階段を登る。



 部屋の前まで来た。

 鍵をガチャリと回して、黒い金属のノブをひねる。

 なるべく静かにドアを開けた。

 ヴィートが俺の泊まっている部屋にいるからだ。


 しかしヴィートはまだ寝てはいなかった。


「もうおかえりですか? お早いですね」


 ヴィートは目を見開いて、そう言った。

 居残りになったので、いつもより遅い帰りだが、ヴィートはそれを知らない。


「起きてたのか」

「明日の朝まで帰ってこないと思っていました」

「あ、朝まで帰ってこないってお前……! 俺、そんなことする相手いないから!」


 独身、恋人なし。彼女いない歴=年齢。

 自分で言ってて悲しい。


 しかしヴィートは、雲のない夜空のような瞳でこちらを見る。


 あれは、俺が何を言っているのかわかってない純粋な目だ。


「なんでもない。忘れてくれ」


 俺の心が汚れていたようだ。


「はい、忘れました」


 髪を切ったのが今日だから当たり前なのかもしれないが、ヴィートは今まで見たことないくらいにニコニコと笑った。


「あの、それでですね!」

「ああ」

「1日で2度顔を見ました!」

「そ、そうだな?」


 嵐が来たときに大はしゃぎする子どものようにやたらとテンションが高くなっている。


「何ですか、その反応は。

 1度お部屋を出たというのに、戻ってくるのが次の日の朝ではなくて、

 次の次の朝でもなくて、もっと後の朝でもなくて、今日なのですよ!」

「なんで朝に帰るのが前提なんだ!?」


 俺の疑問に、ヴィートは小首をかしげる。


「お部屋を出たら帰ってくるのは朝になるではないですか」


 午後7時の終業の鐘は仕事の終了を告げる。一般的には、鳴れば職場から帰る。

 例外としては、酒屋などの飲食店、鐘撞き、偉い人の警護、城と市壁の見張りの衛兵などだ。


 子どもは全てのことを自分のものさしで測ると聞いたことがある。

 ヴィートが元々いた家庭は、朝帰りが普通だったと考えるのが自然だろう。


 しかし朝帰りというのは、朝まで労働する夜勤か、仕事終わりにどこかで何かしているかのどちらかだ。

 毎日毎日、夜通し仕事を続ければ、どんなに健康な人でも体を壊す。

 仕事で毎回朝帰りというのは考えづらい。



 でもヴィートは察しがいい。

 俺の反応を見て、自分のものさしが常識外れであることを悟ったようだ。


 一旦口をつぐみ、そして、再びヴィートが口を開く。


「あ、いいことをひらめきました!

 フレッドさまが朝に帰るような相手がいると、

 サムエレさまとオリアーナさまとミアベラさまに言いふらしてきますね」

「やめろ! やめてくれ!」


 その意味わかってないだろ、お前!

 酷い誤解を生むから! 顔を合わせたときに気まずくなるやつだから!


「っていうか、その話、蒸し返すのか!? 忘れてくれるって話はどこに行ったんだ?」


 ヴィートは、こちらの腹が立つような悪い顔をになった。


「忘れてあげるなんて言ってませんよお」

「今さっき言ってくれてたって!」


 容姿の可愛らしさを上回る煽り顔のままヴィートは言う。


「証拠がないではないですかあ。

 口約束など、書面に残っていないので、約束していないのと同じですよお」

「そういうの、どこで覚えてくるんだよ!」


 悪徳商人のようなセリフだ……。


 善悪の判別がついていないと思っているのだが、あの表情……。

 実はわかってたりするのか?


 もしあのまま独りで生きていけてしまっていたら、見境なく自分の得を考えるような、手のつけようもない悪女に育ったかもしれない。

 あ、男だから悪男? に育ったかもしれない。


 これから軌道修正しよう。きっと間に合う。


「ほら、もう寝ようとしてたんだろ? 大人しくベッドに入ってくれ」

「はい」


 あっさりとヴィートは布団に潜り込む。


 すぐに、すぅ……すぅ……と規則正しい息使いが聞こえてきた。


 それはそうか。

 寝ようとしていたら俺が部屋に入ってきて、あれだけ興奮したんだもんな。燃料切れにもなるか。



 昨日、書類を書くときに必要だったので色々聞いてみたが、ヴィートはほとんど答えてくれなかった。

 どう見ても、都合よく『わからない』という言葉を使っていた。

 わからないと答えなかったのは、名前、身寄り、家だ。それだけははっきりと、ないと言い切っていた。


 しかし……。

 部屋を出たら帰ってくるのは朝、か。


 少なくとも、そういう人が身近にいたことになる。

 だからヴィートはそのことを追求をされる前に、はぐらかしたのだ。


 聞かれたくないことを無理に聞いたりしないのに……。


 眠っているヴィートを見る。

 ヴィートは壁側を向いて、布団に埋もれて小さく丸くなっている。


 きっとまだ安心できてはいない。




 アークイラ亭の手伝いに行こうと、俺は階段を下る。


 1階まで下りると、すぐミアベラがいた。


「フレッド、受付係、変わって!」

「わかった」


 ミアベラは受付台を離れるので、変わりに入る。

 ここは、受付と会計を兼ねている。


 ミアベラは食堂の開け放たれたドアの向こうへ、トントンと軽やかに歩いていく。三角巾から出ている薄紫色の髪も、疲れを知らずに揺れ動いた。


* * *


 アークイラ亭は、今日の営業を終えた。

 客がいなくなった食事処で、俺は謝る。


「サムエレさん、オリアーナさん、ミア、今日はあまり手伝いできなくてごめん」


 この手伝いをする代わりに、いつも朝食と夕食の代金をまけてもらっているのだ。


「気にしないで。最後は入ってくれたじゃない、大丈夫よ」

「そうそう、仕方ないよ! 帰ってくるの遅かったもん」


 オリアーナさんとミアベラはそう言ってくれた。

 サムエレさんは何も言わずに頷き、厨房へ消えていった。



 しばらくして戻ってきたサムエレさんは、コトンと俺の前にあった机にリゾットを置いてくれた。

 きのこと薄切りベーコンを使ったトマトベースのリゾットだ。


 でもいつもより量が多い。


「こんなに、いいのか?」

「余った」

「そうなのか。サムエレさん、ありがとう。いただきます」


 作りたてではないので熱々ではないけど、ふわりとオリーブオイルの香りがする。

 お米もポルチーニ茸の食感も楽しく、トマトがブイヨンの上に旨味を足している。

 ベーコンは価格が高いから、少しだけ入っている。小さいけどしっかりとコクのある肉の味と塩の味がする。


 疲れた心に、よく沁みる。

ここまで目を通していただきありがとうございます。

一応参考までに書いておくと、この話のヴィートは相当アレな性格をしてますが、

これよりもヴィートがうざくなることはありません。

少しずつマシになっていきます。

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