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King & Queen 3  作者: 悠鬼由宇
8/8

Life or Death

 そんな平成最後の新年は猛烈な忙しさの中であっという間に過ぎて行く。年末に一時業績を下げたものの、年を明けるとそんな事が嘘のように業績は戻った。いや、あの騒動以前に比べて更に売上は上がっているようだ。

 俺も流石に終電までとは言わないが、そこそこ遅くまでは会社に残ってあれこれ忙しくしている。それでも光子の店には毎晩顔を出すようにしている。

 正月に来ると言っていた相模さんは、急遽アメリカで仕事が入ってしまい、日本に戻るのは春過ぎてからになるらしい。

 気がつくと一月も残り少なくなってきている。葵はかつて見せたことの無い勉強への没頭ぶりだ。故に最近俺の小言は一切ない。お袋は変わらずノホホンと過ごし、正月明けにウチの会社が企画した温泉旅行に嬉々として行き、大満足な様子だ。

 月末の週末、久し振りに部下の山本くんと庄司と三人で仕事帰りに新橋の居酒屋に繰り出す。


「それにしても… この忙しさは何なんでしょう…」

「先輩。それは全て年末のアレ以来かと思うのですが何か?」

「そうだよなぁ、一気に有名になっちゃって。でもそれに今の人員じゃ追いつかないって感じだよな、今年は新入社員何人とったんだっけ?」

「新卒が三名です。専務、ハッキリ申して、全く足りません!」

 庄司がジョッキをドンと叩きつけながら俺に申す。いや、全くもってその通りなんだよ。

「ならば、既卒社員の採用など、人員不足に対して経営陣は何か具体策を検討されているのでしょうか?」

「それがさ、中途採用の話が出るとヤツが必ずイチャモンつけてくるんだよ…」

 俺が渋々と愚痴を垂らすと、

「ああ… 三ツ矢部長、っすか?」

「そう。経験者を採用すれば新人を教育するよりも即戦力だろうと言っても、もっと効率化を進めていけば今の人員で十分だとか。何故だか頑なに中途採用を拒むんだよ」


 庄司は大きく息を吐き出しながら、

「そうなんですか… 一体何を考えているのやら…」

「面白くないんですよ! こんな小さな会社が自分の思い通りにならないのがっ ボーッとしてた社長やヤル気なかった専務が最近活き活きしているのも!」

 おいこら。本人の目の前で言うか? しかも役員なんだぞ俺は。俺は吹き出しながら、

「それなっ 面白くないなら辞めちまえばいいのに!」

 庄司が物知り顔で、

「それらしい事は時折口にしている様ですよ。その内出て行くとか、俺はこんな小さい所は器じゃない、とか何とか……」


 ふと気になる。こんな小さな会社に不釣り合いな高い能力を持つキミはどうなんだ、庄司、と。それをさりげなく口にすると彼女は困り顔で手を左右に振りながら、

「それは… まだ入社して一年も経ってませんし。正直何も実績残していませんし」

「でも、他にチャンスがあれば庄司も…」

 ハッキリと首を振りながら、

「今はありません、全然。仕事が楽しいし自分が成長しているのを実感できておりますが何か?」

「そ、そっか。じゃ、山本は? ヘッドハンティングとかの誘い、無いの?」

「へ? 全然。有っても… 今は… えへ」

 

 庄司をチラリと見て照れ臭そうにしている。お前の仕事のモチベーションはオンナかよ? 一人溜息をそっと漏らす。

「でもね、キンさん。三ツ矢には気をつけて下さいよ。アイツ絶対何かやらかしますよ、揚げ足取られない様に気をつけて下さいよ…」

「お前の予感なんて気にしないわ。当たる訳ないし。もういいから飲め、もっと飲め」

 能天気な笑顔で、

「アザース、すみませーん、レモンハイお代わりくださーい」

「先輩、飲み過ぎですっ」

 俺はニヤけ顔で、

「こいつ潰れたら又よろしく頼むぞ庄司」

 顔を真っ赤にしながら、

「それは… 当然… あの、私もおかわり頼みますが何か?」

 逆ギレする庄司に腹を抱える俺なのであるが何か?


     *     *     *     *     *     *


 翌週、二月に入り、当たりそうもない山本くんの予感が見事的中してしまう。

「…… という訳で他に何もなければ役員会を終えます」

「一つ、よろしいでしょうか?」

 三ツ矢がサッと手を上げる。その目は挑戦的かつ好戦的である。俺は思わず身構えてしまう。

「社長。当社は今年で創業何年目ですか?」

「えーと。2009年創業なので、丁度10周年ですね」

「成る程。それでは今年重要な事項がありますよね、専務お分かりと思いますが?」

 突然振られても、俺がこの会社の事をそこまで知る由もない。

「えーと… 10周年記念行事、とか?」

 三ツ矢はバカにしきった顔で、

「フッ ご冗談を。それでは社長、お分かりですよねぇ?」

 鳥羽社長も目を白黒させながら、

「えーと…… 三ツ矢さん、何をおっしゃりたいか、わかりかねます…」

 三ツ矢は演技がかった仕草で、

「…… この社長といい、専務取締役といい… おい、課長。今の発言を議事録にしっかり残しておけよ?」

「…… はあ」


 社長は呆気にとられている。三ツ矢のいう所の今年の重要事項とやらを本当に理解していない様子だ。俺もこの会社に来て二年目。何のことかさっぱり見当もつかない。

「では。金光専務。当社は、何ですか?」

「は? 株式会社『鳥の羽』、だろう」

「言い方を変えます。当社は旅行業法上の何という会社ですか?」

 そう言えば二年前、この会社に転籍する時に色々資料を貰って一通り眺めた気がする。昨年の四月頃まではこの仕事に全く興味もやる気もなかったので、そんな資料の事すら忘れていた。

「以前資料に目は通したが、忘れた」

 三ツ矢が大袈裟に天を仰ぐ。

「皆さん。これが当社の現実です。実質社のナンバー2である専務取締役が法的な当社の立ち位置すら存じ上げないっ」


 皆さん、と言っても社長に俺、田所常務以外は執行役員兼務の二人の部長に書記役の課長。彼らもハア? という顔をしている。

「迫田部長。金光専務に代わってお答えしろ」

 三ツ矢を睨みつけながら迫田企画部長が答える。

「第1種旅行業者」

 俺をせせら笑いながら三ツ矢は続ける

「なんですよ、専務。我々は第1種、なんです。どうです、思い出されましたか?」

 流石に耳が赤くなってくるのを感じる。ここまでバカにされるのは入社一年目の銀行員だった頃以来か…


「では専務。我々第1種とそれ以外の2種、3種などとの大きな違い、思い出されていますよね、当然?」

 醜悪に歪んだ顔が忌々しい。当然俺が知らない事を知った上で徹底的に甚振ろうという魂胆がよく見える。腹が立ってきたので

「すまんね。勉強不足で。旅行業法とかはよく知らないからこの機会にご教授願いたいね、是非に」

 開き直って逆に睨みつける。一瞬三ツ矢の目が泳ぐがすぐに立ち直す。

「そうですね。ゆっくりと教授したいのは山々なのですが、何せ会社存亡の危機なのでどうかご自分でよーく勉強なさって下さいよ」


 全員が三ツ矢の顔を見る。

「ははは、専務だけでないらしい。ここにいる誰一人、この会社がもうすぐ第1種旅行業社でなくなる事を認識していない、という事ですかねえ」

 皆が一斉に、

「は? 何言ってんですか?」

「意味がわからない… 三ツ矢部長、どういう事ですか?」

 三ツ矢は嘲りの表情で、

「村松、先程の僕の専務への質問。答えたまえ」

 村松営業課長が即座に答える。

「海外旅行を取り扱えるか否か、です」

 成る程――そう言えばこの会社は細々とだが、海外、それも近場の韓国とか香港、台湾の旅行も取り扱っている。

「では。旅行業法第六条の2。上村、その内容は何?」

 上村企画課長は三ツ矢を睨め付けながら、

「…… 旅行業の登録の有効期間、だったかと」

 へー、そうなんだ。登録制なのは薄々感じていたが、有効期間があったのか。それは何年間なのだろう?


「鳥羽社長。当社の第1種旅行業社としての有効期限はいつですか?」

「それは… えーと…」

 おい社長。そんな大事なこと忘れるなよ!

「今年の三月三十一日です!」

 迫田企画部長が助け舟を出す。

「ふん。で。その登録の更新に必要な事は何ですか? 去年の役員会で私は念を押しましたが」

 俺は全く記憶がない。

「えっと… 確か管理者の研修が必要に…… ゲッ…」

「受講が義務付けられたって、アレか…… しまった…」

 

 鳥羽社長がバタンと立ち上がった

「し、しまったーーー」


     *     *     *     *     *     *


 どうやら当社は本当に第1種旅行業社としてヤバい事になっているようだ。三ツ矢達の話をまとめるとーー

 旅行業社には大まかに第1種から3種まであり、それぞれ『旅行業務取扱管理者』という資格を持つ者がいなければならない。第1種の場合は『総合旅行業務取扱管理者』という最も難易度の高い資格者が最低一名必要である。

 そして旅行業の登録更新の為にはその旅行業務取扱管理者は五年に一度、制度改正や旅行業法ならびに関係法令に関する最新の知識を確認し能力を向上させる為に研修を受けなければならない。

 と言うのが大筋であった。俺はすかさず、

「その研修、受けてくればいいんでしょ。誰なんですか、当社のその管理者は?」

 社長が俯きながらボソボソと呟く

「それが… 金光さんの前任だった、立川元専務だったんです…」

 鳥羽社長の山トモだった人物だ。二年前、山が恋しくなって退社したらしい。

「成る程。では彼以外にその資格を持っている人は? いるんでしょ?」

 三ツ矢以外の者の頭が更に下がる…

「そんな… ウソだろ? いるだろう一人くらい…」


 後で知るのだが、この資格には『国内旅行業務取扱管理者』と『総合旅行業務取扱管理者』の二つがあり、前者は国内旅行のみ取り扱える。試験の難度も合格率30〜40%以上程度の比較的簡単に取れるものだ。

 しかし国外旅行を取り扱える総合旅行業務取扱管理者試験は10%前後の難易度である。十人に一人の合格率なのだからちょっと勉強しただけでは合格は困難なのだろう。

 それにしても…


「何故今までこんな状況を看過していたのですか… って私も全く知らなかったんですけど」

 鳥羽は悲嘆にくれた表情で、

「その辺りのーー資格の事とかは全部立川に任せっきりだったんです… 僕もすっかり忘れていて…」

 まあ、銀行員で公認会計士の資格持っている者がほとんど居ないのと同じなのか。それにしてもこれは余りにーー

「それならば急いで誰かに勉強させて、すぐに資格とらせなきゃ… その試験はいつなの?」

 上村課長が済まなそうな顔で、

「秋です」

 間に合わない… このままでは三ツ矢の言う通り、第1種どころか旅行業社としての登録更新が出来ずに、秋まで業務停止…

 俺たちが頭を抱えていると、徐に三ツ矢が甲高い声を張り上げ、

「こうなったら、当社、いや、当社の社員を守る方法は一つしかありません」

 三ツ矢が俺と社長を交互に見下しながら、こう宣言する。

「同業他社との合併です!」

 全員が呻き声をあげる。


「この会社には大勢の有能な社員がいます。それぞれ情熱を持ち、高いモチベーションで職務に励んでおります」

 シンとなった会議室に三ツ矢の声が低く木霊する。

「ですがこの会社の経営陣はいかがなものでしょうか? 社の存続に必要な資格管理も出来ない。その資格管理をする部署も無い。管轄官庁への対応部署も無い。まるでこの会社はー」

 俺たちを見回し、一呼吸置いて、

「同好会、いやサークルレベルの組織なのですよ」

 俺は一人その通りだと思ってしまう、悔しい事なのだが。

 前職の銀行時代、職員の資格管理専門の部署があった。管轄官庁である財務省に対して専属のチームがあった。

 こんな小さい会社なのだから、と言う言い訳は出来ない。少なくともこの会社は国土交通省観光局の認可の下で営業している一企業なのだから。

「そんなサークル活動レベルの経営陣にこき使われている社員達は可哀想だと思いませんか? 現にこうして経営陣の無知蒙昧によって会社が営業停止となってしまうのですから」

 鳥羽が涙目で歯を食いしばっている。

「そんな彼らの救済策として、私は同業他社との合併を提案しているのですよ。これ程熱意があって有能な若者達を救う手段として、ね」

 側から聞けば、まるで救世主のような言い草である。そんな三ツ矢は俺と鳥羽社長に向かい、

「勿論その際には主たる経営責任者である鳥羽社長、金光専務には責任を取っていただきますよ」

 正に三ツ矢の三本目の矢がグサリと的に突き刺さったのを実感した。


     *     *     *     *     *     *


「…… と言う事で、俺はもうすぐ無職になるかもしれない」

『居酒屋 しまだ』のカウンターでジョッキを口にしながら光子に正直に今の状況を伝える。光子は食器を洗いながら、

「そか。ま、アンタのせいじゃないんだから。人生色々あるってことよ。な、隼人」

 去年末から隼人はずっとここに入り浸っている。俺から見てもショボくれた格好をしているので一般客があのHayatoと気付く事はない。

「そーそー。人生色々〜っすよ。キングさんー」

 新年の諍いなんて何処吹く風、このひと月で彼と俺の距離はかなり縮まってきている。聞くところによると、こう見えて彼は大変な人見知りな性格らしく、軽口は叩くが本音で話し合える友人知り合いはごく僅か、とのこと。

 隼人とよく話すようになって思った事は、彼の姉や兄ほどの知識教養は感じられないが、また表面には一切出さないが、底知れぬ知性を持っているのでは、と言う事である。俗に言う、地頭が良い、と言うやつだ。

 話し方やその表現は今風のチャラい若者風なのだが、俺の話を一聞けば十返してきたり、ちょっと話しただけで俺の思っている事考えている事を即座に見抜いてしまうのだ。そう言えばあの忌々しい寝物語『キングとおばちゃん』の主人公を即座に見抜いたのも彼である。

 彼の歌の歌詞を吟味すると、頭が良くなければ書けない表現がよく見られる。また、即興で歌詞を口に出来るのは相当頭の回転が早くなければ不可能だ。

 姉や兄とは違った、異能の持ち主。それが俺の隼人に対する素直な感想である。


「まー、いざとなったらママに食わしてもらうとかっ ヒモってヤツっすか」

 この歳で母親をママ…… 異能過ぎるぜ。

「よーし。この店でこき使ってやるよ。早くその足治しなっ ケッケッケ」

 それだけは絶対に御免被りたい。

「キングさん、歌詞とか作れない? そんで俺が曲付けてさ、そしたら印税入るよお〜」

 この店の奴隷と化すよりはまだマシかも知れないのだが俺は理系なのだ… 未だかつて文章を上手いと褒められた記憶は、無い。

「オレのことより、自分の事はどうなんだい?」

 思わず聞き返し、しまった、と思う。隼人はこの数年極度のスランプ状態にあると言われている、俺如きに突かれたく無いよな……

「んーーー。それがさあ、」

 両手に顎を乗せ、目をクリクリ動かしながら、

「ここに来てさ、ママとかキングさんとか見てたらさ、なんかちょっと書いてみよっかなーなんて。あ、ちょっとこれ見てみてよ〜」


 隼人がバッグからタブレットを取り出し、指を何回か滑らせ画面を俺に向ける。そこには曲単位の歌詞というより、数行の殴り書きが数ページにわたり羅列している。

「思い浮かんだのをさ、こーやって書き込んどくの。どお? なんかピンとくるヤツあった?」

 どれもこれも… 彼らしいと言うかなんと言うか… 葵が知ったら又気絶するだろうな、あのHayatoのネタ帳を見ているのだからな…… いやいや、葵に限らずヴォルデモートファンに知れたら、即死呪文をかけられてしまうだろう。自然と笑みが溢れつつ指を動かしてHayatoの歌詞を手繰っていく。俺の世代の歌詞ではないなと思いつつ眺めていると数行の歌詞が目に留まるーー


♫ ずっと無理だと思っていた 叶うはずなんてないと思っていた

  それが夢というヤツなんだ そういうもんなんだそう思ってた

  それでもどうしてもどうやっても何をしても 忘れられないこの気持ち

  何故だろう どうしてだろう 何十年経っても瞼に浮かぶキミの笑顔が〜 ♫


♫ 昔見た君の面影Oh yah その時は何も感じなかったなのにどうして

  昨日見た君の笑顔 Oh no 何故だかとても懐かしいんだよなのにどうして

  今まで気付かなかったんだろう 思い出せなかったんだろう 何かが

  僕の Soulを揺り動かした 僕の過去生を掘り起こした そして〜 ♫


「♫フフフ〜♫ 曲はこんな感じ〜 やっぱソレっしょ〜 先週さー、ふと出てきたんだよね〜 キングさん? あれ…」


 なんだろう… 心が、いや魂がピクピク動くのを感じる。去年の春からのことが走馬灯のように脳裏を駆け巡る… やっとお前を見つけた。やっとお前に出会えた。この事に比べれば今の悩みが霧散していく… 瞼に熱いものを感じる。気がつくとカウンターに水溜りが出来ている…

「…ねえ、これ、歌って… いい?」

「…… 頼む」

「へへ。任せといて」

 Hayatoのハミングを聞きながら、俺は涙を拭い烏龍茶のグラスを空にする。


     *     *     *     *     *     *


 翌日。珍しく社長に誘われて二人きりで昼食に出る。店は山本くんが手配してくれた高級天麩羅屋の個室。

「こうして昼飯一緒にするの、金光さんの入社の頃以来でしょうか」

「そうですね。丁度二年ぶりくらい?」

 昨夜は一睡も出来なかったのか、げっそりとした顔を温かいおしぼりでそっと拭いている。

「実は今年に入ってから、同業他社から合併の話を受けていたんです」

「それって…?」

「ええ、恐らく三ツ矢さんがウチの内情を漏らして…」

 外堀に内堀。三ツ矢は着々と策を講じていたのだ。俺はその動きに全く気づくこともなく……

「ははは… 完全に社長失格ですよ… 大事な役所絡みの事は全部他人に任せて… 挙げ句の果てに…」

「それは… 今後十分に気をつけて…」

「でも社員の今後を考えたら… 合併が最もいい手なのかな、と… 金光さんには本当に申し訳ありませんが……」

 言葉を失った鳥羽の目に涙が浮かぶ。


 襖が開き料理が運ばれてくるとほんのりと胡麻油の香りがする。腹がクーッと鳴る。こんな状況でも腹が減るのが人間なんだ、そう思うと少し笑える。

「まあ、社長… 鳥羽さん。俺のことはどうでもいいです。まだ五十二歳、何とかやっていけるから。それに鳥羽さんもこれで大借金抱える訳でも無いし、まだ若いし。幾らでも巻き返せるよ」

 鳥羽は俺をぼんやりと眺め、まあそうですかねと呟く。俺は天丼の蓋を開けながら、

「でもね、もう少しだけ今の状況を粘ってみない?」

 ハッとしながら顔をあ上げ、

「粘る… とは?」

 吸い物を啜りつつ、

「きっとさ、なんかあるはずだよ。何か、が。俺たちが気付いていないだけでさ。だからあと少し、二人で頑張ってみようよ」

「金光さん…」

 俺は割り箸をぱきりと二つに割り、

「それでさ、ギリギリまでやってやっぱりダメだったらさ、スッパリ諦めて、また新しい事始めようよ。お互いにさ」

 鳥羽の腹がキューっと鳴った。顔を見合わせた。同時に噴き出した。

「これ、割り勘ですか?」

「経費で落としましょ」

「ですね」

 胡麻油で揚げた天丼の美味かったこと。俺たちはものも言わずにあっという間に丼を空にしたのであった。


 その日から俺は徹底的に関連法を勉強した。三ツ矢の言う事は実に最もな事なのだ。旅行会社の役員なのに旅行業法すら何も知らないとは。前職の銀行員だった頃には考えられなかった怠慢であった。

 そして法を理解するに従い如何にこの会社が甘々だったかを痛感する。最低一名必要な旅行業務取扱管理者が退職している事に誰も気付いていなかった事。旅行業社としての登録更新に誰も気をとめなかった事。

 通常こういった役所絡みの事を専門に処理する部署があるはずなのだが、当社にはそういった部署は無く役員がその場凌ぎで対応していた事。

 特に経営陣が本業からかけ離れた役所案件に無関心であった事。これでは社員の資格管理なぞ到底不可能である事。

 その辺りの問題点をまとめてレポートにし、二月の役員会で発表する。


「金光専務。どうして今頃なんですか? 貴方は銀行から送られてきた人材でしょ、この様な小さい会社に来たら真っ先にコレをするべきだったんじゃないですか!」

 三ツ矢が俺のレポートを机に叩きつける。

「ハッキリ言ってここに座っている者は経営の素人。大学のサークル活動の延長のノリで会社経営している事は貴方もすぐに気付いたはずでしょ?」

 社長、各部長が深く俯く。

「それを今更――もう遅いですよ。今度当社を吸収合併する会社はこの位の事は当然やっている、ちゃんとした会社組織ですから」

 ゆっくりと三ツ矢は俺の前に歩いてくる。

「この会社を潰したのはーー貴方ですから!」


 鳥羽がガタンと立ち上がる

「それは違う! 金光さんがいたから、ウチは去年から最高の仕事をしてきているっ!」

「その通り! 今まで知る人ぞ知る程度の会社が、日本中に大勢のお客様を抱える会社になれたのは金光専務の力だっ!」

「去年の春からの専務のお陰で… それをそんな言い方ないだろ!」

 三ツ矢が役者掛かった仕草で皆に振り返る

「大した御人気で。それは重々承知しておりますよ。しかしです。どうするのですか? 今後の当社は? 社長。どうされますか?」

「……」

「田所常務。四月からのこの会社は立ち行けるのですか?」

「……」

「迫田部長。このままではキミも僕も失業しちゃうよーー」

「……」

「どなたか。四月以降もこの『鳥の羽』が営業できる可能性を持った妙案をお持ちの方はいないのですか?」

 一同が深く溜息をつく。社長の鳥羽が再度席をゆっくりと立つ。

「皆さん。先月三ツ矢部長が言っていた、他社との合併についてですが… 先日、さる同業他社より具体的な案を受けました…」


 その案によると、三月三十一日をもって『鳥の羽』は消滅。社員と田所常務は四月一日より神田にある旅行代理店『神田トラベル』に転籍。鳥羽社長と俺は三月三十一日付けで退職。

 回された資料によると、『神田トラベル』は創業四十五年の老舗で従業員八十名程。添乗員付きツアーを長らく提供してきたが、近年ネット販売に力を入れつつあるのでウチのスタッフはそのネット販売要員として受け入れられるという。

 待遇は当社よりも少し下がるが福利厚生が非常に充実しているので社員の不満は大きくはなさそうである。

過去五年の企業会計をみてもなんら問題の無い優良企業であることが分かる。


 この話は翌週末までには全社員の知るところとなり、ちょっとしたパニックになっている。社員達には会社清算の理由を伝えておらず、あくまで経営陣の判断という事になっている。

 特に企画部連中のショックは大きく、連日誰かしらが俺の所にやって来てはあれこれ意見を吐き出していく。

「待遇は少し良くなるかもしれないけど… でも一体なんでこんな事になったんですか?」

 本当の事を言ってしまいたいのだが。心を鬼にして彼らにこう言う。

「お前、旅行業務取扱管理者試験、受けたか?」

「えーっとー、まあそのうちー」

「ダメだ。九月の試験に備えて、今から勉強始めろ!」

「は、はあ…」

 特に中堅社員以上は他業種からの転職が多く、この資格についてちゃんとした認識を持つものが少ない事に気付く。

「城島、お前みんな集めて勉強会開け」

「えええー、なんで今更… もおええですわ勉強なんて…」

 心を鬼にして怒鳴りつける。

「ダメだ! 馬鹿野郎! 村上や田所達のケツ引っ叩いて勉強しろ。させろ。いいなっ?」

 城島は初めて聞く俺の怒声に慄きながら、

「は、はいー、わ、わっかりましたあー」

 お前の為なんだぞ、心で呟きながら廊下の自販機に向かう。


     *     *     *     *     *     *


 今更ながら、部下達に勉強させる、一方で受験間近の我が娘――

「パパお願い息しないで勉強の邪魔」

 帰宅してリビングで勉強している葵を眺めた瞬間排斥されてしまう。何も言わず俺は家を出て『しまだ』に向かう。今は葵の正念場。父は黙ってそっと見守ろう。吐く息が白いこの『しまだ』への道すがら。去夏骨折した左脚は順調に回復しており、通常の歩行にはほぼ支障はない。数日後の試験明け、早く娘を隣に歩みたいものだ。

 それにしても、葵の豹変振り。あれ程勉強を嫌っていたのがこの有様だ。地元の二流都立にでも入れれば御の字と思っていたのが、まさかの名門日々矢高校狙いとは。もし本当に合格したのなら、俺はどれほど舞い上がってしまうだろう。同時に、天国の里子にどれ程自慢してしまうだろう。生前は全く子育てに関与しなかった俺が、あの名門都立に葵を導いたのだぞ!

(え? 誰が導いたの? 貴方ではなくて、翔くんのお陰じゃなくて?)

 あはは…… いや全くもってその通りなのだ、面目ない……

(貴方、一つだけお願いがあります、どうか…)

 俺は唾をゴクリと飲み込む。

(連れてって 合格発表 会場に)

 俺は危うく転けそうになる。だから、季語がないっつうの!

 そんな白昼夢に酔いしれながら、『居酒屋 しまだ』のドアをガラガラあk―


「ハッピーバースデー!!!」

「おめでとうございます! 52歳ですか…」

「キンちゃん良かったねえ、みんなに祝って貰えてっ」

「ったく、いつからこんな人気者なの軍司さんよお」

 呆然… 何が… 一体…?

「やっとアタシに追いついたね。ふふふ。どーよ、52の気持ちはよ?」

 唖然… どうして…?

「ったくー。パパ歩くの遅いっ 危うく追いついちゃうとこだったじゃん!」

「あ、葵…… お前… 勉強――」

「うっさい! 今夜くらいいいじゃん!」

「で、でもさっき…」

「へへ。ここに誘導させるた…… うわ…ちょ、ちょっと… パパーー」

「コイツ最近涙もろいかんなあ。おい青汁! 試験落っこちてオヤジ泣かすなよコラ!」

「青汁じゃねーし。ぜってえ合格するし。あ、お祖母様、合格祝い楽しみにしていますわ〜」

「よしよし。0.01mmってヤツを一年ぶ… アイタっ 忍――テメーー」

「姐さん、生々し過ぎっす」

「よーーーし! 葵ちゃんの合格祝いはこのおっちゃんがパーッと旅行に連れて行ってあげ…」

「犯罪です、健太さん。やめましょう」

「ハイ… なんか翔の目が一瞬クイーンの目に見えたぞ… こわ」

 

 ようやく涙が収まり、カウンターに座る部下二人に話しかける。

「お前ら… なんで? ここに?」

「へへへ。来なかったら埋めるって言ったからなあ小僧!」

「ヒーーーー」

「島田の姐御、嘘はやめましょう… 彼のPTSD振りは私からみても相当…」

「オメーがもっとビシバシ鍛えてやれよ。雪山にでも引き摺ってってよ」

「成る程。それは名案と思われますが何か?」

「ひーーーーーーー」


「それより。これ、私達から専務への誕生日プレゼントです。どうぞ」

 亡き里子と葵以外から誕生プレゼントを貰うとは…

「なんか…… 有難う。開けていいかな?」

「どうぞどうぞっ」

 丁寧にラッピングされた袋からメッセージカードが顔を出す。そこには全企画部員のメッセージが書かれている。殆どが『勉強頑張ってます』的なものだ。なんだコイツら…

 そして肝心のプレゼントは…


「は? 国内旅行業務取扱管理者試験問題集 過去五年の傾向と対策〜 なんじゃこれ…」


 俺が目を点にしていると横から光子が、

「そりゃアンタが最近勉強サボってっからコイツらからの愛のムチってヤツだろ」

 庄司がニヤリと笑いながら、ってこの子本当に光子と合うんだよなあ……

「流石姐御。最近金光専務が我々にしつこく勉強を迫るものなので」

「言っときますけど、これ城島さんのアイデアですからね! 僕や智花じゃないですからね!」

「ハハハ… そうだな。お前らにやらせっぱなしっつうのもな。よし。いっちょやるか。お前ら、勝負だっ 落ちた方が受かった方に鰻奢り、いいなっ ハハハ!」


 久しぶりに心の底から笑ってしまう。久しぶりに本気を出すか、こんな若造どもに負ける気は一切ない。

「山本先輩。頑張ってください。冥福をお祈りいたします」

「おう、天国から見守ってやるからーって、こら!」

 会社では一切見せない仲睦まじい姿に心がポカポカしてくる。

「ハハハっ 庄司、お前とも勝負だからな。国立大卒を舐めるなよ、お前より上の成績で合格してやるから覚悟しておけ!」

 山本くんがキョトンとした顔で、

「そら無理ですよキンさん。絶対智花には勝てませんって。てか、勝負になりませんって」

「は? 何でだよ?」

 俺が首を傾げると山本くんも首を傾げる。

「あれ… 智花――専務ガチで知らないみたいだぞ…」


 庄司がバツの悪い顔で、

「そう言えば、報告しなかったかも、です」

「??? 分からん。何故俺が庄司と勝負できないんだよ?」


「だって。コイツ、去年の秋に『総合旅行業務取扱管理者』を取ってますから」


     *     *     *     *     *     *


 その週末。葵の勝負の日。予報では大雪だったのだが幸いそんなに積もらず無事に葵の受験は終わった。発表は来月の二日。やるべき事を全てやり尽くしたと言う彼女は本人曰く『白い灰』になったそうだ。『しまだ』のカウンターで確かに翔と嬉しそうに『ハイ』にはなっている。

 テーブル席で鳥羽社長と二人、俺はお猪口を酌み交わしている。

「金光さん… 全く貴方って方は……」

「イヤイヤ。これは貴方の大学の後輩の功績ですから。本当に良い後輩を持って幸せですね」

 鳥羽は感動と感激で目を潤ませながら、

「庄司さん。ウチには本当に勿体無いです」

「さて。今後の事ですが。昼にちょっと社で言った方向で。よろしいでしょうか?」

「三ツ矢さんの放逐… ですか…」

 俺はしっかりと頷く。

「そう。今切らないと、ヤツは永遠に我々を攻め続けますよ。それでもいいんですか?」


 鳥羽はハーと深い溜息をつく。

「僕はね、みんなが仲良く、楽しく仕事できれば、と思ってずっとやって来たんですよ。でもその結果がこうなってしまったんですよね……」

 俺は否定も肯定もせず盃を口に含む。そして、

「組織はね、大きかろうが小さかろうが必ずこの様な諍いはあるんですよ。だって、組織に属するのが人間なんだから」

「人間――だから…」

「そう。悲しいけど、人間ってみんなで仲良く楽しくって、出来ない生き物なんですよ。逆にもし皆んなで仲良く楽しくやっていたら、あっという間に外敵に滅ぼされてしまうんですよ」

「そう、なんですかね…」

 鳥羽の目を見据え、俺は熱く語る。


「ええ。人の進化の過程には必ず戦いがあるんです。逆説的に、戦いがあるからこそ、我々はここまで進化し得た、と」

「ええ……」

「電子レンジだって、インターネットだって。元は軍事技術。戦争が生活の質を向上させてきたんです」

「…… はあ」

「ですから。この会社の為。社員の為。僕らは三ツ矢と戦わねばならない」

 鳥羽は暫く言葉を発せずじっと一人考えていた、そしてゆっくりと顔を上げ、

「分かりました。社員の為、一緒に戦いましょう」

 俺達はお猪口を軽く重ね合わせた。


 二月の末。今年もそろそろ花粉の季節だ。インフルエンザも大流行しており、会社の行き帰りにはマスクが欠かせない。

 二月最後の役員会議は静かに幕を切る。


「統合先から社員の詳細なデータが欲しいとのことですので、営業部は僕が手配しますので企画部は迫田、宜しく頼む」

「…はあ」

「おいおい。大丈夫か? もう一月ちょっとなんだぞ。しっかりしてくれよ!」


 俺は軽く咳払いをする。社長が俺をじっと見詰める。いよいよ戦闘開始だ。

「それについて、少し意見があるのだが」

「何でしょう金光専務。いや、金光さん」

 三ツ矢が蔑んだ風に俺を見下す。

「鳥羽社長は今回、『神田トラベル』との合併を拒否することにしたそうです!」


 全員が社長を振り返り見る。社長の顔が紅潮している。逆に青ざめた三ツ矢が呻くように、

「それは… どういう事ですかな。鳥羽さん」

 鳥羽がスッと立ち上がる。

「先日。日本旅行業協会主催の定期研修に企画部の庄司智花さんを派遣する手続きを行いました」


 一瞬全員の息が止まる。その後――

「それって… 庄司を派遣するって… 彼女――」

「はい。彼女は去年の秋、独学で総合旅行業務取扱管理者試験を受験し、見事合格されていたそうです!」

 全員が、いや俺と社長と三ツ矢を除き、歓声を上げていた。


 三ツ矢は顔色を失い、俺の前にやって来る。

「どういう… 事なんだ…」

 俺は立ち上がり、

「どうって。そういう事さ。彼女は去年の秋、旅行代理店の社員として所持すべきと考えこの資格を猛勉強の末取った。それだけの事さ」

「そんな…」

「良かったな。これで当社は四月以降も今まで通り第1種旅行業として営業できるからな」

「……」

「皆さん。ちょっと聞いてください」

 俺は改まって経営陣に向かい直る。

「実はこの経緯を先方の『神田トラベル』に昨日伝えに行ったのです」

「金光…… アンタ…」

「お前――三ツ矢。お前、四月から新設予定の新部署担当の常務取締役になる予定だったんだってな?」

「ハア?」「何だそれ!」「知らねえよ!」

 彼方此方から非難めいた声が上がる。

「田所さんは部長待遇。お前、あっちの会社で一人美味しい思いする筈だったんだよな!」


 営業部の村松が椅子を倒す勢いで立ち上がる。

「三ツ矢さん… アンタ… 俺たちを向こうに売ったのか!」

 企画部長迫田も立ち上がる

「俺はアンタの下なんかじゃ絶対働かないからな!」

 営業担当常務取締役の田所が座りながら三ツ矢を睨みつける

「三ツ矢さん。僕は今まであなたが何をしようと目を瞑ってきました。でも… 今回だけは許せない。俺たちの会社を… 俺と鳥羽と立川が作ったこの会社を… 」

 田所はゆっくりと立ち上がり、真っ赤な顔で叫んだ。


「出て行け!」


 己の立ち位置の急激な変化に思考が追い付かず呆然としていた三ツ矢は田所の解雇命令の後、クックックっと笑いだした。

「そうですか… そうかい。そういうことかい。流石、『引き摺りの金光』。未だ健在、って事だった訳だ…」

 なぜコイツが俺の銀行時代の思い出したくない二つ名を知っている?

「すっかり騙されたよ、去年までの腑抜けぶりにな。でも、そうでなくっちゃ面白くないからな、フッフッフ」

「正直。お前から色々勉強させてもらったよ」

「フン。まあ俺がアンタの実力を見くびったのが間違いだったのは確かだ。今回は、まあアンタの勝ちって事だ」

 コイツは何を言っているのだ? 今回は、とは一体?

「ああ。俺は四月から『神田トラベル』に行く。そして、全力でアンタを、この会社をぶっ潰してやるっ」

 突如、この男が可哀想になってくる。誰にも認めてもらえず褒めてもらえず。他人を他者を突き落とす事でしか己の立ち位置を確認できない哀れな男……


「三ツ矢」

「…何ですか?」

「無理は… するなよ」

「ハア?」

「俺は銀行時代に学んだんだ」

「へ?」

「誰かを引き摺り落とすヤツは必ず誰かに引き摺り落とされる。ってコトを」

「……」

「お前も三葉物産で学ばなかったのか? 誰かの手柄を独り占めするヤツは誰かに自分の手柄を取られる、とか」


 怯えたような顔となり、真っ青な顔で、

「だ、黙れ!」

「優秀な後輩部下を排除すれば必ず自分に不運が降りかかるとか」

「う、うるさいっ! 何様なんだよアンタは! いつも人を見下しやがって! 自分だけが悟りきった聖人君子ヅラしやがって! 雑魚社員にいい顔して人気取りしやがって」

 口角の脇に白い泡。目は尋常でない精神状態を表している。

「実際、お前は優秀だったよ。でもな、」

「……」

 俺は昨年橋上先生から入手していたスマホ内の画像を三ツ矢に突きつけながら、

「こんな事繰り返していたら必ず、又同じ事の繰り返しになるぞ。そしてこれ以上こっちにちょっかいかけてくるなら、次はコレを使ってでも、完全に貴様をぶっ潰す!」

 青かった三ツ矢の顔が真っ白になり、やがて真っ赤になる。目も真っ赤に充血してくる。その目で俺を突き刺すように睨みながら、

「アンタ… それどこから…… ハッハッハ、おもしろい… やってみろよ」


 三ツ矢は睨み合いから目を逸らすと自分の鞄を引ったくり会議室から出て行った。


     *     *     *     *     *     *


 葵の運命の日。平日の月曜日なのだが俺は脚のリハビリの為に病院へ行き、その帰りに葵と校門の前で待ち合わせをする事になっている。葵には内緒なのだが亡き妻里子の遺影を鞄に入れてある。俺は約束を守る男なのだ。

 発表は十時からなのでその時間に間に合うようにリハビリをこなす。


「センムー、なんか今日は上の空だねー」

 リハビリの担当の橋上先生。先日の三ツ矢放逐の話をすると、

「あは。ちょっとは役に立った? アレ」

「ありがとうな。今度奴がなんかやらかしたら、その時に」

 先生は頷きながら、冷たい笑顔で

「ま、どこに行ってもあの性根変えない限り、アイツはダメっしょ」

「だよ、な」

「センムーみたいに」

「おいっ」

 先生はケタケタ笑いながら、

「へへへ。この後お嬢さんの発表なんっしょ。上手くいくとイイね!」

 気もそぞろなリハビリを終え、タクシーを拾い都立日々矢高校へ向かう。学校に近づくにつれ緊張した顔付きの親子連れが増えてくる。


 校門の少し手前でタクシーを降り、ゆっくりと校門に向かう。葵がスマホを弄りながら一人佇んでいる。

 この学校は大昔の超名門都立。俺の頃には凋落し東大合格者がゼロの年がずっと続いていたのだが、十数年前から実績が回復し、今やかつて程ではないが都立の中では復活の名門校として名高い。

 当初葵の学力では夢のまた夢であったのだが、夏休み以降の彼女の学力の上昇は異常とも言えるレベル(と翔が真顔で言っていた)で冬休み明けの模試でB判定まで持ってきた。試験は水モノ、本番に強い(と本人曰く)のでワンチャンある! と豪語してこの高校を受験したのだ。


 十時丁度。スマホから目を上げ俺を確認すると目で行くぞ、と合図する。

 肩を並べて合格発表の掲示板にゆっくりと歩いて行く。

 その表情はまるでこれから戦場に赴く戦士そのもの、こんな真剣な顔つきは生まれてこの方見たことがない。

「番号、何番だっけ?」

「213」


 人集りのする掲示板に更に近く。結果は既に貼り出されている。

 俺は拳を強く握る。手汗が滴り落ちる感だ。

 横を見ると強く鋭い視線を掲示板に送る娘が居る。


 鞄にしまってある遺影を祈るようにそっと握りしめた。


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