Happy New Year
「でよ、この二、三年マジ調子悪いみてーなんだわ隼人のヤツ」
翌朝。マンドリアホテルの朝食ビュッフェを楽しみながら、光子は正月に来る隼人の事を語り続ける。
「ったく若けー頃チョーシこいてっからこんな事になんだっつーの。って、何笑ってんだよっ」
「いや別に」
光子は膨れっ面で、
「嘘つけ。何だよ!」
「ぷっ いや、昨夜とのギャップが… クックック」
「ば、馬鹿じゃないの… ったくよっ」
あ。混じった。コレも有りだなうん。いかん、さっきから笑いが止まらない。
「気持ちわりーなあ、ったく。あ、お代わりしてこよっと〜」
右手を上げて、コーヒーのお代わりを頼む。
初めての夜、初めての朝。夢が現実となり更に色が輝き始める。
朝食後、チェックアウトを済ませ外に出ると太陽が顔を出している。一面の銀座の銀世界に二人言葉を失う。
「こんなん… 初めて見たわ… 綺麗…」
「ああ。凄い… これからも、さ、」
「え?」
俺は光子の肩をそっと抱きながら、
「これからも二人で… いっぱい初めて、見つけような」
「ウフフ。それと。いっぱい、初めて、しようね」
思わず唇を奪う。銀座のど真ん中で、公衆の面前で。かつてこんなシーンは経験した事がない。あ。また一つ、初めてが増えた。
* * * * * *
流石に大晦日は会社は休みだ。数名の顧客との連絡係は出社するが役員は皆休みである。俺はこの一年働き通した… 気がする。実際には四月頃からだろうか、転籍して以来仕事に身を入れ始めたのは。
大掃除を俺とお袋、そして光子が一日がかりで終えた。受験生の葵は今年は免除してやった。来年はキッチリやって貰うぞと言うと、その労働の対価がどうのこうのと文句を言うので初詣は翔呼ばないぞ、と脅すとキモいと言い放ち自室へ上がっていく。
「みっちゃん、助かったわー。ホントありがとうねー」
見事なまでに下町の掃除のおばさん姿の光子が、
「まーなー。おばちゃんも初詣、行くの? ホントに湯島天神まで?」
お袋は腰をトントンと叩きながら、
「まーねー。可愛い孫の為ですもん。それにこの子が車出してくれるって言うし〜」
「へ? アンタこれから飲まねえの?」
骨折をしてからすっかり飲酒習慣が無くなった。意外に辛くなく、むしろ健康状態は改善され体重も落ちている。
「明日にとっとくわ。今夜はいいわ」
「そか。エライ。じゃあ翔のこと頼むわ〜」
「おう。紅白終わった頃に迎え行くから」
大晦日の夜は炬燵で紅白歌合戦。これだけは絶対に外せないらしい、島田家では。
「りょーかい。ほんじゃアタシこれで〜 今夜と明日の仕込みしねえと。じゃーおばちゃん、良いお年を!」
「はーい、みっちゃんもね。来年もよろしくね!」
「はいよっ」
颯爽と光子は帰っていく。
毎年初詣は深川不動なので今年はちょっと裏切り感があるのだが、娘の受験成功の為なら止むを得まい。葵はここに来てよく頑張っているが、最後は菅公に頼るしかない。
平成最後の紅白歌合戦が終わり、平成最後の除夜の鐘を聞き、平成最後の年を越す。そう言えば来年からの元号は何なのだろう。そんなどうでもいい事を思い浮かべながらお袋と葵を乗せて車を出し、『居酒屋 しまだ』に向かう。
住居兼店舗なので翔を迎えに行くと年越しの客で店は溢れていた。流石に三が日は休むのだろうと聞くと、
「は? 毎年二日から開けてっけど」
とアッサリ言い放つ。そう言えば以前もそう言っていた、一体どんだけ働き者なのか。
翔を乗せて車を走らせていると、ポツリと翔が
「店の休みが極端に少ないのは多分、僕の学費の為かと…」
私立の中高一貫校。一体幾ら学費が掛かるのだろう。
「祖母は本当に働き者です。僕の知る限り、三日以上店を閉めた事は無いはずです。頭が下がります…」
「でもさ、春には真琴さん、君のお母さんが戻って来るんだろう?」
「そうですね。そうしたら母の稼ぎもありますし、もう少しのんびりしてくれれば、と」
コイツは本当に祖母を愛しているのだな。思わず微笑みながら、
「お母さん、凄腕の弁護士だもんな。東京では個人でやるのかな? それとも何処か事務所に所属するのかな?」
「どうでしょう。まだ聞いてませんが… 後で聞いてみましょう」
「あ、いいよいいよ、俺が直接伺うよ、」
俺は真琴があまり得意ではない。あ、別に体型が好みでないとか顔が好みでないとかそんなのではなく…… いやいやいや、光子の娘、翔の母親にオンナなぞ求める訳がない。本当は直接聞きたくないのだが、まあ仕方あるまい。
「そうしてください、お父さん」
「んぐっ おお」
だからそれだと俺と真琴が夫婦に… それはちょっとかなりマジで勘弁して欲しい、ああややこしや…
凍える寒さの中二時間並んでようやく初詣を終え、翔を家に送っていく。おいおい、まだ店開いているし… どうせ身内のヤツらばかりだろう、健太とか健太とか、あとは健太など。捕まると面倒なのでとっとと車を出し家に帰る。年末までみっちり仕事をし、昨日は一日大掃除。身も心もクタクタの俺は風呂も入らずベッドに入り、即落ちる。
目が覚めると昼前だ。大きく伸びをしキッチンに降りるとお袋がお節料理を並べ正月らしい雰囲気を感じさせる。食事の準備ができた頃葵を起こしに行く。まだ寝こけていると思いきや、一心不乱に机に向かって勉強している。やる時は、やる。娘の受験合格を早くも確信する。
「それで何時頃『しまだ』に行くー?」
「それはお前に合わせるよ。どうしたい?」
目の下にクマをこさえた葵が天井を睨みながら、
「んーーー… 夕方までみっちりやって、それから、かな」
これがあの葵なのか? ウザとダルいしか言わなかった葵なのか?
「オッケー。じゃあ、五時頃に家出るか」
「わかった。じゃ、それまで。むんっ お婆ちゃん、ご馳走さま〜」
「はいよっ 頑張ってね〜」
俺は雑煮を啜りながら、
「母さんも五時に出るから用意しとけよ」
「はいよっ お年玉は翔くんだけの分でいいのかねえ?」
あ。俺も翔に落としてやらねばならない、のか…… でもよかった、もし忘れていたら葵が春先まで口をきいてくれなかっただろう。さすがお袋、助かったぜ。
「いいと思うよ。そう言えばお袋、葵以外にお年玉用意するの初めてじゃないか?」
俺は一人っ子、葵も一人っ子。お袋にとって孫は一人だけ。
「そうだねー。最近は、ね」
俺は首を傾げ、
「最近? え、昔は?」
「うふふふ」
まあ、どうでもいいか。
小さな会社ではあるが、我が社は大手企業にはない現代的な合理性を持つ慣例が幾つかある。その一つに『年賀状の自粛』がある。これは本当に助かる。上司がいた頃は書くのが本当に面倒だったし、部下を持ってからは返信するのが本当に苦痛だった。
今の世の中、SNSが普及し、知ろうと思えば友人知人の最新の日常データを入手することができるので、写真付き年賀状で彼らの家庭の成長を確認することは不要になりつつある。一番かったるかったのが、宛名に鈴木マロンだの山田ムギなどペットの名前を含めるか否かだった。
今時はペットも家族の一員だと言うことで、年賀状の差し出し人の所にレオだのカカオ、ココって入っている。初め見た時、外国人の養子を貰ったのかと慌てて電話したのは俺だけか?
幸い我が家は犬猫はおらず、そんな手間はかからないのだが、今後はどうか分からない。葵が受験に失敗し、心を癒すために犬が欲しいなぞ叫べばお袋ははいよっとどっかから貰ってくるに違いない。まあそんなことはどうでもよい。
その年賀状の手間が大いに減ったことの代償として。ウザいほどのメール、ラインなどの『あけおめ』への対応が死ぬほど面倒臭い。今朝も起きるとスマホから溢れるほどの『あけおめ』や賀正スタンプを受信している。その返信には定型文をコピペし葵に教わった賀正スタンプを送りまくる訳なので、押し並べて考えてみれば年賀状とやっている事は一緒なのかも知れない。
SDGSが叫ばれる昨今、紙資源の削減としてこのSNSでの挨拶と言うのは有効な手段なのだろう。手間としては然程変わらん、いやむしろ面倒な気もするが。
それでも時代の流れ。しみじみと感じる歳になってきた。
* * * * * *
夕方。正月からみっちり勉強して疲れきった葵が見違える程元気、と言うか妙なハイテンションなのが微笑ましい。家族公認の恋人と正月を彼の家で迎える訳で、もし俺なら変な緊張で手汗まみれになってしまうところなのだが、彼女のその辺の感性は父親の俺には理解不能で、緊張感なぞ微塵も見せず、本当に楽しそう、嬉しそうである。
お袋は昼からお屠蘇を飲み過ぎてさっきまで鼾かいて寝ていた。未だ半分寝ぼけているのかヨタついて歩いている。
正月の下町の空気を胸一杯に吸ってみる。いつもよりも騒々しくない穏やかで静かな空気だ。去年までは家から出る事もなく、朝から酒を飲んで昼過ぎには酔い潰れて過ごしたものだったが、まさか今年の正月を島田家の皆々と過ごす事となろうとは。
光子の子供達―山梨で弁護士をしている長女の真琴、伊豆で獣医をしている長男の龍二、そして初めて会う次男隼人。一堂に会するのは実に楽しみであるー ああ! そうか、そう言うことか…
葵のこの異様なハイテンションは、有名芸能人である隼人と会えるからか…
このミーハーな所はお袋そっくりだな、とよちよち歩いているお袋を見下ろすと、
「早くHayatoに会いたいわあ」
なんて顔を赤くしていやがる。
我が家から『しまだ』まで歩いて十五分ほど。もう殆ど普通に歩ける俺の足なら十三分程である。ただ今日はヨロヨロ歩く老婆と両手に持ったお節料理のせいで、いつもよりも時間がかかっているが、その内に暖簾がかかっていない『居酒屋 しまだ』が見えてくる。
ドアを開けると想定以上の人の熱気を感じる。あれ、親族以外の人も来ているのか?
「せんぱーい! お久し振りです〜 あけおめですぅ、きゃ」
ちょっと待て。何故間宮由子がここに…
「おう。おめでとさん。で、足の調子どうだ?」
青木… どうしてお前がここに…
突然のカオスに動顚する。間宮由子、かつて光子の後輩で『赤蠍』と呼ばれた不良少女、今では日本を代表する女流俳人。十一月にさる事件に巻き込まれTVの露出は極端に減ったが、逆にネット上では『女神』扱いされ大いに崇拝されているという。
青木裕紀。俺の大学時代の親友。バスケサークルで共に汗を流した。卒業後警察庁にキャリア警察官として入庁、今は静岡県警の刑事課に勤務。十一月の事件で八面六臂の活躍をして由子にかけられた詐欺疑惑を丸一日で解決。
俺は二人を唖然としながら交互に眺め、二人のテーブルに近付いていく。
「明けましておめでとう。で。二人の関係は?」
由子が口を窄めながら、
「それがせんぱーい、ヒロくん中々手強いんですうー」
本人の前で言うかそれ…
「だから… そんな急に付き合えとか一緒に住もうとか… もう少し時間をおいて互いをよく知り合って…」
青木がここまで困り切っているのは学生時代も見たことがない。
「ねーー。こんな感じ。あーー面倒くさ」
「な、なんだとっ」
「うふ。でもそんな所もいいかも〜」
陥落までカウントダウン状態だな。お前に意外と合ってると思うぞ、青木。
「で、由子ちゃんは今修善寺だっけ?」
「そーなんです〜 純子に子供ができたら一緒に住もうかな〜って」
突如、奥のテーブルから懐かしい声が響いてくる。
「と言うかママ。その前に私達は人として世間体として通過せねばならない儀式があると言ってるでしょ! そうよね龍二さん」
「純子の言っている事は吝かでない。婚姻とは家と家の結び付きでもある事を鑑みると十全な準備が不可欠と愚慮するぞ」
おおお! 更にコミュ力の発展が見られるぞ龍二くん。まさかあの彼がここまで人と話せるようになるとは…… つい感慨に耽ってしまう。
「と言うか、今日それを互いの母堂に奉上するのが我々の目的ではなくて?」
「重畳なり。新年の祝いも兼ねて家人への報告を忘るるなかれ」
ははは。龍二純子コンビ、健在なり。それを呆然と見守る家人たち…
「金光さん、新年明けましておめでとうございます」
満面の笑みだが目が全く笑っていない真琴が丁寧に新年の挨拶をしてくれる。俺は硬い笑顔で
「真琴さん、おめでとう。春からここに住むって聞いたのだけど…?」
彼女に最も聞きたかったことをズバリ聞くのだが、彼女は全くその話題に応じず、
「貴方に伺います。一体全体、龍二のこの豹変ぶりは何なのですか。この彼の外的かつ内的な変心振りは金光さん、貴方が原因であると言う証言があるのですが?」
彼女の息子もそれに被せてくる…
「ホントビックリ、あの龍二叔父さんが人とこんなに… あ、お父さん、お祖母様、葵ちゃん。明けましておめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いいたし…」
すかさず母親が突っ込んでくる。
「翔ちゃん。貴方の今の証言に不正確な点があったのを指摘します。この方をお父さんと呼称した事案についてー」
葵が唐突に、
「お母様。初めましてっ 私、翔くんとお付き合いしt―」
間が悪いぞっ と叫ぶ間も無く、
「被告人は口を慎みなさい!」
店内が静まり返る。息子の彼女の初めての挨拶を一刀両断である。流石にこれはあんまりだ、娘の父親として愕然としてしまう。葵は相当ショックを受けたに違いない、だが俺は真琴と葵を交互に眺めながら口をパクパクさせるしか出来ない… 葵は呆然とした様子だったが、ポツリと一言
「え… 被告じゃないし…」
般若顔の真琴が何故だか俺に向かって、
「裁判長、翔ちゃんの発言および被告人の挨拶の差し戻し請求を要求いたします」
え? 何? はい? 裁判長って何?
「差し戻されちゃった… どうしよう… ひっ… ひっく…」
あざとく泣き真似をする葵。馬鹿だなそんなの逆効果だろうに…
「裁判長。我が母、島田真琴の自身の立場を利用したパワーハラスメントを糾弾の上謝罪を要求いたします」
笑いながら翔が俺に振ってくる。やるなこの若い二人のコンビ。
「ううう… 慰謝料… 心に傷が… PTSDかも…」
息子と彼女に一方的に責められた真琴は葵を一瞥し、
「な、何と… 人の大事な息子に手を出しておきながら慰謝料まで請求するとは… ところで貴女。この示談金で手を打つのはどうかしら?」
そう言うと懐からお年玉袋をほいと渡す。
「うわーーー! 有難うございますお母様! 翔くーん、お年玉貰っちゃった♫」
真剣に娘と彼氏の母親との衝突を心配した俺がバカでした……
「金光。ちょっと、こっちへ…」
店の隅に俺を誘った青木が眉を潜めながら、
「金光。俺の下調べによると。島田龍二、獣医師、沼津市三津浜動物病院勤務。間宮純子、間宮由子の一人娘、元出版社勤務。ここはよく知っている」
先月、伊豆名旅館『あおば』で開催された間宮由子の句会での騒動の際、じっくりと調査したのだろう。
「島田真琴、弁護士、甲府市在住。島田翔、開聖中学三年、祖母光子と東京都江東区で同居。ここまではわかるのだが…」
どうやら真琴の夫についてまで捜査は追いつかなかったようだ。
「お前の捜査ファイルに付け足しておけ。滝沢修、2004年殺人で起訴、現在甲府刑務所で服役中。島田真琴と事実婚関係。島田翔の遺伝子上の父」
青木は鋭い刑事の目そのもので翔を眺めながら、
「むううー。で。金光葵、江東区立深川西中三年。金光軍司の一人娘。島田翔とは… 成る程…」
「大分整理出来たんじゃないか?」
「ああ、お陰様で。しかし… 何だ、その…」
メチャクチャ言いにくそうにしている青木に、
「何となくわかる気がするが、言ってみろ」
「島田光子、江東区立深川西中卒、飲食店経営。の子供達の… その… 学歴って…」
だよな、そうだよな。本当に今だに謎なんだよ、どうして一体……
「俺も一時期理解に苦しんだよ。ただ今思うに…」
「思うに?」
「もし光子自身の成育環境が違っていたら、案外俺やお前、子供達と同じ道を辿って…」
「おいーーーっす! おお、ヒロ坊、よく来たなコラ。やったか? 由子とドピュッとやったか? アイツまだアガってねーから純子の弟でも作ったれやコラ!」
厨房から金色の女王… いや、反社会勢力風情の女性が大声で叫びながら近付いてくる。
「…… 金光」
「…… ああ。それはなさそう、だな…」
* * * * * *
光子がいつもよりは少―しフォーマルな出で立ち− 赤のセーターにスリムフィットのジーンズ、で店に降りてくる。
後ろからもう一人光子に続いて降りてくる…
「パパ… ホンモノだ… ウソみたい…」
「ああ。ホンモノだ… 信じられない…」
モサっとした感じの若者がオドオドしながら店内を見回しているのだが、その容貌は俺ですら見たことのある……
「成る程。彼が次男、島田隼人、人気グループ『ヴォルデモード』ボーカル兼作詞作曲。か」
青木が鋭い目で彼を一瞥する。その横で由子が目を垂らしながら、
「やだ… 超イケメン… ちょ、ちょっと純子、アンタこっちにすれば?」
純子ちゃんはそんな母をジロリと睨み、
「ママ。と言うか、私は外見で男の人に好意を持とうとは思いませんので」
オーラが違う。間宮由子もそうなのだが、人前で芸や技を披露する人種はその風体に纏わりつく空気が俺ら凡人とは全く異なる。
「おめーら、初対面だわな。コイツ、隼人。まあよろしくしてくれや」
なんだか疲れ切った目で俺らを見回してから、
「ちーっす。お袋が世話になってますー あああ! 女神紅蠍ゆうこりんじゃん! ちーーす! やっぱ生で見ると、チョー綺麗じゃん♪」
由子は妖艶な表情で、
「あら… やだ〜 よろしくね〜 こちら、娘の純子」
「どーもー」
「どうも」
「こちら、私の彼の青木さん」
「えー、ゆうこりん彼氏いんだ〜 マジショックーー」
「… それはどうかと… 青木です。宜しく」
青木がダンゴムシを噛み潰した表情で応える。隼人は軽く頷くと葵に視線を向け、
「んで〜 翔、この子は〜?」
「ヤバ、ヤバ… 翔くん、ヤバいって…」
「まあまあ。隼人叔父さん、こちら金光葵ちゃん。僕の彼女。叔父さんの大ファンなんだよ」
隼人はパッと表情が明るくなり軽く口笛を吹きながら、
「どーもー 翔、オメーもやるじゃんよ、こんなイケてる子〜」
葵が失神する。
「葵ちゃん、ちょ、ちょっと大丈夫…? で、こちらが葵ちゃんのお父さんの金光さんと金光さんのお母様」
隼人は俺の顔を穴が開くほど凝視し、徐に
「なあお袋……」
「んだよ?」
「この人って… まさか、『キング』さん?」
おい… 何故その恥ずかしいあだ名を知っている…?
「んで、この婆さんって、まさか『おばちゃん』さん?」
何だよそれ…
「そーそー。それそれ キャハハ」
「えええええ?」
「な、な、なんと此れはしたり…」
ど、どうした長女と長男…?
「何だぁお母さん。そう言う事だったのね。納得したわ。うん」
真琴が納得顔で何度も頷くと、
「お袋よ。この『貴様』が、あの… そしてこの母堂があの… 肺腑に染み入ったわ」
龍二もそれはしたりと表情を綻ばす。
「それにしても隼人。初対面で直ぐに認知したその根拠を述べなさい?」
「隼人弟。この愚兄にも教授して貰おうか?」
隼人はポカーンと口を開け、両手の掌を上に挙げ、
「何となく〜 それよか、龍二、マジどったの? 普通に喋ってるし〜 ウケる〜」
「そうなのよっ ねえ今ならまだ間に合うわ。姉さんにその因果関係を話してごらんなさい!」
「その件に関しては我が未来の伴侶に尋ねるが良かろう。閑話休題、真琴姉はこの春より江戸に上るのは嘘か真琴か?」
「え、マジマジ? そーなの?」
「そうよ。『キング』さんに諭されてね。生き方を変えてみようかと。それより隼人。貴方最近テレビその他で見かけないわね。体調か精神か才能の不調なのかしら?」
「昨晩の紅白戦にも参戦していなかったようだな。若隠居と見たが?」
…… 俺は一人っ子なものだから、兄弟の会話のスタンダードを知らない。確か青木は弟と妹がいたはず…
「いや。普通ではない。それに尋常ではない。恐るべし島田光子の子供達…」
「だよな。三人とも巧みに話を逸らすもんな。お前なら落とせるか?」
青木はゾウリムシを丸呑みした表情で、
「そうならない事を願うばかりだ。と言うか、尋問は当分懲り懲りだ…」
「ぷっ それって…」
「なーに二人でコソコソと〜 今私の悪口言ってたでしょお〜?」
吹き出しながら、三人の子供達に向き直り、
「まあまあ。それはさておきさあ、三人共何で俺とお袋の事知っていたの?」
三人がキョロキョロ見回し、光子がお袋と共に料理の準備で厨房にいる事を確認する。
「母が子供の頃の私達を寝かしつける時に、」
「古の故事を寝物語にしてくれたのですが、」
「それが〜『キングとおばちゃん』ウケる〜」
俺は真剣にずっこけた。
「母には昔初恋の素敵な同級生がいました。文武両道、正義の男〜」
「光源氏もかくありけりか、という程の美丈夫―」
「 ♫ いつも遠くから貴方だけを見ていた そんな私の気持ちは貴方に届くはずはないよね
貴方が投げたボールがリングをくぐる時 切ない思いや苦しい痛みは飛んで消える〜
貴方の隣にいるのが私じゃダメな事 わかってるよそんな事自他共に〜
それでもいつかずっと先でもいいから 少しだけ居させてよ貴方の左側〜♫ 」
「……」
おい光子。何じゃこれは? 俺は顔を真っ赤にしながら唖然として彼らを見つめる。隣の葵はあのHayatoの思いがけない生歌を聴き、
「きゃ〜 ハヤト〜」
再度、失神してしまった。
「大人は誰も自分を自分達を信じてくれない、母は世間を憎み、諦め、無聊を託っていました」
「そんなある時、母は邂逅したのです、信頼出来ると端倪した人と…」
「 ♫ 歩き続ける虚しさに悶え苦しみ傷付いた そんなあの頃アンタは言った〜
立ち止まってごらん 荷物を降ろしてごらん 肩の力を抜いて歩き出してごらん
自分のたーめーだーけーに生きる事をーーー
恐れないーでーそれがあなたのぉー Destiny ♫ 」
それにしても上手い。母親の光子も軽く町内カラオケ大会優勝しちまう程の喉の持ち主なのだが、しっかりと遺伝されている様で…… まあ、コイツはプロの歌手なのだから当然か。隣で意識不明の葵に、
「……… おい。葵。生きてるか?」
「ムリムリムリ。夢でもいいっ 幸せ〜」
青木がポツリと呟く。
「この兄妹… 恐るべし…」
俺は青木の肩を軽く叩きながら、
「成る程、わかった… ような、わからないような… 要するに、子供の頃から俺とお袋の話を寝るときに聞かされてきた訳なんだ?」
真琴が首を傾げて弟達に問いかける。
「寝物語にしてはやけにリアルな話だったわよね?」
「異議無し」
「だねー」
真琴は俺に向き直り、
「兎に角。『キング』さんは母にとって永遠の憧れの男性であった事は疑いようの無い事実と看做されます。仮に初恋に時効があったとして、その時効が経過した後にその男性と巡り合った時、時効成立故に諦めてしまう事は道義的に否定せざるを得ません」
何言っているかサッパリ分からん……
「真琴姉の供述に吝かでない。生物学的及び人道的観点からしても、貴様とお袋が同衾しても何の差し支えもあるまい」
お、おお。同衾済みだがな既に……
「なんか〜 キングさんとさぁお袋の恋バナ? なんかスッゲー歌になるかも… あは、King and Queenなんてどーよ?」
ヒーーと呟き、三度目の失神に至る葵。やめてくれ、それだけは絶対……
* * * * * *
要するに。娘息子たち三人とも、俺と光子が一緒になることは全く問題ない、と言ってくれているようだ。そうならそうと普通に言えば良いのに… 頭良すぎて面倒くさいなこいつら…
それはそうと… 前から大いに気になっていた事を聞いてみたい。光子はまだ厨房の中。今なら……
「しかしだな… 君達には、その… それぞれ生みの父… いや、実の父がいるじゃないか。その辺りの事はどう思っているの?」
真琴は遠い空を眺める表情で、
「アンタのお父ちゃんは事故で死んだと聞かされました」
おい。嘘はいかんだろ、光子… 真琴が可哀想じゃないか…
「物心ついた頃に自ら調査した結果、未だ健在。検察庁を退官した後実家のある島根で弁護士事務所を開いています」
おお、さすが有能な弁護士。
「その人に会ってみたいと思わないかい?」
真琴はハッキリと首を振りながら、
「死んだと聞かされましたので、特には。また穏やかな老後を送っているそうなのでわざわざ事を荒立てたくもないですし」
「成る程… ところで翔はお祖父さんに会いたいとは?」
翔はキョトンとした顔で、
「最初からいないものと諦めていますので、特には」
これが本音とは到底思えないのだが。だって実の父親に実の祖父だぞ。自分の中の半分はその人の血が入っているんだぞ?
「そうなんだ…… 龍二くんは? どう?」
龍二は淡々とした表情で、
「僕の場合。病気で死んだと聞かされて育ったので」
またかよ… おい光子、これどうなんだよ!?
「僕は別に父を知りたいとも調べようとも思いません。母子家庭が普通と思っていましたし特に不自由した記憶も」
うわ…… 今時のZ世代、案外冷たいのね… ちょっとビックリしていると龍二は僅かに寂しい表情となり、
「然し乍ら先月貴様に述べた通り、この歳になってくると人生の先達たる父と酒を酌み交わし諸行無常を語り合いたい胸中ではなくも無い、かと」
ああ、確かそんな事言ってたな。今時のZ世代、中々じゃないか! 俺は満面の笑みで、
「いつか、祇園でな」
「ふふふ、流石、貴様」
彼も実の父にそれ程拘りは無いらしい。ただ彼は血縁上の父親よりも現実的な父親、を欲しているのはよくわかる。俺が何気にロックオンされている事も……
「隼人君は流石に… 実のお父さんはあんな有名な方だし、たまに会ったりしているんだろう?」
隼人は頭をポリポリと掻きながら、
「いや。父親はアンタ生まれる前にオンナ作って海外で暮らしてるって言われて育って。実の父があの人って知ったの確かデビュー後かもー」
「ええ、そうなんだ! でもそれからは親子関係…?」
葵が目を皿のように大きく開きながら、
「ウチ知らないよー てかHayatoの家庭の話ってあんまファンの間でもNG的な…」
翔も頷きながら、
「そうなんです。だから『ヴォルデモード』なのだという説もある程で。ね、隼人叔父さん」
「あーそれウチのマネさんが決めたんだよ。何? ヴォルデモードって? って感じ」
うわ…… 深いぞバンド名に秘められた島田家の賢者の石、じゃねえや、秘密の部屋……
「うわ… バンド名の誕生秘話ゲットだよ翔君… ヤバヤバ〜」
隼人は葵の肩を抱きながら(イラッ)
「翔の彼女ちゃん〜 口チャックヨロ〜」
「はーーーーい! 私、口は堅いでーす」
「いいね! で、貞操は?」
翔は真っ赤になり、
「叔父さん! ちょっ…」
葵はオンナ顔で、
「そっちも、バッチリ堅いですよお〜」
隼人は後ろから葵を抱きしめながら、
「いいねー ノリいいじゃん。翔には勿体ねー」
翔にも天敵というか、絶対に勝てない相手が存在するのを微笑ましく感じる。
「だからさー、あの人が父親ってさー、全くピンとこないんだよね。向こうは何かそうでもなさそうだけど」
「光子もちょくちょく合ってるようだしね…」
胸にチクリと痛みを感じながら呟くと、
「ん〜 でもソレって別により戻すとかさ、一緒に住も、とかな感じじゃなくって〜」
「なくて?」
隼人は満面の笑みで、
「単なるセフレじゃね? ヒャハ〜」
一瞬店内がシンと静まり返る。
その静寂が過ぎるや否や島田家の遺伝子が即座に反応する。真琴が隼人の胸ぐらを掴み上げると隼人は軽々宙に浮きそこに龍二がすかさず割り箸の先を左目に添える。あ! そこに何と島田家来筋も乱入だ、由子が隼人の背後に回り込み後ろから焼き鳥の串を鼻の穴に差し込んで、
「コラ小僧。チョーシこいてっとマジぶっ殺すぞオラ!」
うわ…… あの事件以来の由子のヤンキーモード…… これが普段のギャップが大きく、メチャクチャ怖いんですけれど…… 案の定隼人は顔面蒼白となり、
「ひーーーーー た、助けてー ごめんなさいごめんなさいごめんなさいー」
青木が由子を後ろから羽交締めにしながら、
「や、やめろ『赤蠍』これ以上罪を重ねるな!」
「ウッセーバカヤロウ。アンタも漢ならこんくらい見逃せクソマッポが。それにあたしゃ『紅蠍』が良かったんだよ!」
葵を羽交締めにする隼人を羽交締めにする由子を羽交締めにする青木…… それでも大きなカブは抜けません。俺は一人、腹筋が崩壊する程笑ってしまう。
* * * * * *
「まあ昔から能天気というかお調子者というか。空気を読めないというか自由気ままというか… 気を悪くなさらないでくださいね、キングさん」
「その通り。仮父よ」
何だよ、仮父って。結構重いぞソレ…
「そーですよせんぱいっ 光子先輩に限ってそんな事無いない〜」
すっかり素に戻った由子が有り得ないと言った表情で否定する。
「まあ。コイツは昔から器の大きいヤツだったから。こんな事気にしないよ、な?」
その通りだよ青木。つい先週から、な。
「いいんだよ、みんな。有難うな。もし光子と相模さんがそうだとしてもそれは光子が決めた事だから。アイツが決めた事なら何か訳があるだろうし。俺はそれを尊重するよ。きっとアイツ自身の為でなく相模さんの為なのだろうから」
「何と…」
「聖人か仮父は…」
「きゃ〜〜〜 やっぱりせんぱい、ステキ!」
「流石金光」
正直、100%とは言えないが、70%は本気でそう思う。それから五人は恋と愛と家族の奥義について深く語り始める。真剣に耳を傾けている青木に思わず口角を上げる。
純子ちゃんが呆れ顔で由子に、
「それよりママ。と言うか、はしたない。なんで人の鼻に焼き鳥の串を刺そうとするのか、理解に苦しむわ。子供出来ても同居しないし預けない」
「いや〜〜〜ん 龍ちゃ〜ん ごめんなさ〜い」
龍二は心底困り顔で、
「仮義母よ… 蛙の孫は蛙、と相成らんことを切望す…」
反対側のテーブルでは何やら反省会モードとなっている。翔が目を釣り上げてネチネチと叔父をいたぶっている様は裁判所での彼の母親を想起させる。
「いいですか。人には言っていい事と悪い事が有りますよね?」
「グスン。ハイ…」
「むかーしから、結構痛い目に会ってきましたよね?」
「クスン。ハイ…」
翔は目を釣り上げながら隼人を更に窮地に追いやって行く。
「どうしてあなたは失敗から学ぼうとしないのですか? でないとまた同じ過ちを繰り返しますよ。それでもいいのですか?」
「ヒック。いいえ…」
「では、金光さんにちゃんと謝る。出来ますね?」
「ウウウ。ハイ…」
さっきと完全に形勢逆転。裁判の流れは彼のものだ。おい葵、お前はこの男の伴侶に相応しい女になれるのか? そんな葵が無表情で淡々と、
「Hayatoさんは凄―い才能を持った天才。大ファンだよ」
「……」
「でも。人としてサイテー」
「ヒーーーーーーン ウエーーーーーーーーーーーーン」
本当に涙をこぼしている隼人に向かい、厳しい表情で
「泣いてもダメ。ちゃんとパパに謝って。じゃないと…」
「うっうっうっ?」
鬼の表情となり店内に響き渡る大声で、
「この動画、晒すぞこのタコ!」
「ぎゃーーーーーーーーーーー 許して許して許して許して許して」
ああ天国の里子よ。こんな様に育ってしまった葵を許したまえ。これは断じて俺のせいではないぞ、この環境がお葵を変えたのだかr―
「あ、お父さん。ここに座っ… え? なんで震えているんですか…」
「翔…… 俺はこれ以上娘の恐ろしさを知りたくない…」
「? さておき。さあ叔父さん。ちゃんと謝罪して!」
Hayatoこと隼人がグチャグチャの顔を俺に上げ、何度も何度も頭を下げる。でもその目が俺を睨みつけているのを見る。
その瞬間に理解する。そう、この子は俺を憎んでいる。あんな言葉では足りないくらい俺を傷つけようとしている−なぜならー
「隼人くんさ。大好きなんだよな、お母さんが」
店内の空気がサッと変わり、視線が俺に集中する。
「ずっと君のものだったお母さんを俺に取られたくないんだよな。そうだよね?」
隼人の顔が秘密を暴かれた小狐の表情になる。
「聞いたよ。このお店もキミがデビューして貰ったお金を全部注ぎ込んでお母さんに建ててあげたんだよな?」
隼人が小さく頷くと、微笑みながら由子が、
「そうなの? 知らなかった。あなたいい子じゃない。ウチの娘と違って〜」
「ママ… 空気読んでっ」
「あら失礼。でもその若さで親孝行できるなんてちゃんと芯が通ってんじゃねーかオイ。エライぞ小僧!」
「ママ。言葉遣い」
娘に叱られまくる美魔女がテヘペロをしながら龍二の肩にそっと手をおいた。
深く溜め息をつきながら真琴が呟く。
「私と龍二はなるべく早く親離れして一人で生きていく道を探し、事実そうなりました。勿論母一人腕一本で育ててくれた恩は今でも忘れません。しかしこの子は末っ子。いつまでも母に甘えてばかり。高校までは出たものの大学には行かず、ずっと母の元から離れなかったのでした」
「学業は不振なれど作文と音楽だけは幼少より卓越した才を有していました。母は勉強なんかできなくても良い。自分の好きなことをせよ、と此奴には言い続け、それを甘受していたのであります」
「自作の曲を路上で発表していた頃、とある音楽事務所の目に留まったそうです」
「此奴の実父が手を回した様だが」
「そこからこの子の人生は大きく変わりました。龍二の言う通り、一般の社会では何の役にも立たない塵芥同様の彼でしたが、芸能の世界でこの子の才能は高く評価され、後はご存知の通りです」
「陰では『親の七光り』と嘯かれている様だが」
「しかしキングさんの仰る通りなのでしょう。この子は私達姉兄よりも遥かに母に依存し母との繋がりを大切にしてきた様です」
「所謂、マザーコンポレっクす、と言えよう」
あ、噛んだ。横文字は不得意らしいな。しかしそんな末弟を優しく許容する姉と軽い嫉妬を持ちながら軽蔑する兄。どこにでもある普通の兄弟関係に思わず頬が緩んでしまう。
「ま。いんじゃね、それでも」
* * * * * *
厨房から大皿を抱えながら光子が現れる。その後ろではお袋がニヤニヤ笑いながら料理を作っている。
「オバちゃんによ、『アンタは人の為じゃなくもっと自分のために生きなさい』って昔言われてな。それからは『自分』と思えるヤツと『自分自身』の為に生きてきた。あ、オマエらは『自分』な」
お袋が後ろでウンウンと頷いている。
「でな、隼人。この『キングさん』ってえのはよ…… あのね、私が初めて『自分』って思えた男の人なのよ」
このヤンキーモードと山ノ手モードのギャップを知らない葵、青木ら数名が口を大きく開けている。
「オメーは一生アタシに甘えていい。曲作れなくなって解散して一文無しになっても一生養ってやる。でもね、私もこれからはずっとこの人に甘えて行きたいの……」
隼人の視線が母とその恋人を何度も往復する。
「だって… やっと逢えたんだから… この歳になっても忘れることが出来なかったあの人に、ようやく出逢えたんだから…」
お袋が少し手伝ったようだが、出てきたおせち料理はどれも目を見張るものばかりだ。まあ料理店を営んでいるのだが当然と言えば当然だが、所謂居酒屋メニューしか食べてこなかった俺は、光子の料理の手腕をこれまで以上に高く評価せざるを得ない。
三人の子供たちと翔は毎年の恒例なのか、それ程感嘆していないのだが、純子さんと葵が大きく目を開け、ポカンと口を開いている。
ふふふ。いいか君ら。君らが惚れた男たちは毎年正月にはコレくらいの料理を普通に期待しているのだぞ。今からでも遅くない、しっかり精進したまえ。
そんな見た目も味も中々のおせちを突きながら、真琴さんが、
「まあ直ぐには納得出来ないでしょうが。ですが徐々にこの子の精神的自立が促される可能性は少なくないと思いますよ、キングさん」
「待てば甘露の日和あり。然し乍ら仮父よ。貴様は実際本当にあのお袋で承知の幕なのですか?」
龍二が栗金団をつまみながら俺に伺う。
「側から見ていると女郎蜘蛛に絡め取られる哀れな蝶の様な… あいたっ」
光子が割と本気で龍二の頭を叩きながら、
「ば、バッキャロー この人の気が変わったらテメー責任取らすぞコラ」
「お義母さま。と言うか、今後はどの様に金光さんと過ごされるのですか? 一緒に住まわれるとか?」
純子さんが光子を少し見直したらしい、口調に尊敬の念が伺える。
「んーーー。真琴が春にここに戻って来て、取り敢えず三人で暮らして、そんで落ち着いてから考えっかなぁ」
「主人の出所はもう数年かかりそうですので。それまではここで三人で…」
「そっか。あれ… 真琴さんとご主人… 滝沢さんって、籍は入ってないんだよね?」
「ええ。彼の出所後、相談して。翔もその頃には分別ついた判断が出来るでしょうし」
それにしても長年滝沢さん一筋で通してきた真琴は、間違いなく光子の娘だ。中々その様な生き様を通す事は凡人には出来まい。
「翔は… 実のお父さん、会ったことは?」
「ありません。でも、会ってみたいです。この母を愛した奇特な男性ですし」
はにかみながら笑う翔の頭を撫でながら、
「ハハハ… まあ、もうちょっと先の話、だな」
その頃には俺と光子はどうなっているのだろう。同棲、入籍… ずっと一緒に居たいこの気持ちがこの先どんな形になっていくのか。
俺らだけではない。龍二と純子さん。今年中には籍を入れ式を挙げたい様な雰囲気を醸し出している。それが年内に実現するのが楽しみだ。
由子と青木。これは… 由子の押しに青木がどこまで耐えられるか、によるだろう。案外早く陥落しそうとも思えるが、例の詐欺事件の残務処理も忙しそうだし。恋多き女だけにまたぞろ別の男になびいて行くかもしれないしーー
翔と葵。これは葵の受験次第だろう。第一志望の都立高校に無事に合格できればきっと対等な付き合いが続くと思うが、そうでなければ翔の優しさが葵には重圧になってしまうのでは、と今から危惧している。
何れにせよ。決して止まることの無いこの『時』だけは淡々と進んでいく。その中でもがき苦しみ歓び楽しみ、我々は生きて行く。
今年もそんな一年が始まった。