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King & Queen 3  作者: 悠鬼由宇
4/8

タイムリミット

「今日は実に残念だった。あと一歩のところで暗くなってしまった…」

 山本くんが悔しそうに吐き捨てる。

「あと一歩? 全然じゃん。何しに来たんだか。ホント見つかるのかねえ?」

 営業部の大崎がしらけ切った目で山本くんを眺める。

「明日には必ず見つかる、いや見つけるっ あの人達なら…」

「ただ遊びに来ただけなんじゃね〜 さーて、飯前に風呂入って来るかな。おい、行くぞっ」

 営業部の村松が気怠そうに立ち上がると慌てて佐藤と大崎がそれに続く。


 どうやら今日の探索では何も収穫はなかったようだ。社長、迫田部長、上村課長、庄司の四人は宿に戻らず山中でテントを張って翌朝から再活動する手筈だ。

 この前線基地の城島司令曰く

「あかん、あの人達。あんだけ準備してったのに登り始めたら登山口からまず一気に頂上行ってもうて。それ探索ちゃうやろって言うても『本能が頂上を求めていたのだ』って。アホちゃいますかあの人達…」

 その後山腹に戻り例の土砂崩れの跡をドローンを飛ばしながら慎重に分け入ったのだが、

「先ず部長が『俺にもやらせろ』って。そんで課長も『僕の方がセンスがある』とか言うて。最後は社長が『ちょっと僕にも』言うてプロポ弄ってたら… 有り得ます? 肝心のドローンが行方不明って…」

 城島は深く項垂れながら、静かにノートパソコンを畳んだ。


 …… これでは営業部の彼等がキレても仕方あるまい。社長には自腹で弁償して貰おう。

「お疲れさん。夕飯前に温泉入ってきたらどうだい?」

 城島は苦笑いしながら、

「あーー、もう二回行ってますんで… 専務、どうぞー、めっちゃええ湯でっせ」

 おい。社長、部長ら上司が雪山で奮闘している最中、既に二回も温泉に浸かっていただと?

 これでは営業部の彼等がブチ切れてもしょうがあるまい… 後でそれとなくフォローしておかねば…

 既に日本酒の一升瓶を抱えて女子達や泉さんと飲み交わしている光子に、

「おい、俺たちも温泉行こう。中々良いらしいぜ」

「はいよっ んじゃテメーら、また後でな。それとポン酒足りねえから、買い足しとけや」

 こらっ 俺の部下をパシらせるな! 光子混同… いや、公私混同は役員としてあるまじき行為なのd―

「ガッテンでーす、姐御―」

「もうワンケース頼んでおきまぁす」

「早く戻ってきてくださいよぉー姐御」

 …… なんか俺より人気が…


 泉さんオススメの露天風呂は素直に楽しみである。先に営業部の村松課長と大崎が入っているので、どうせ嫌味の一つでも言われるだろうと覚悟して脱衣所から出る。

 既に辺りは闇に包まれており、昔ながらの行燈の柔らかい灯りが仄かに揺れている。何という風情だろう。俺は寒さに震えつつ思わず見入ってしまう。

 巨石をくり抜いて作られた岩風呂が薄闇の中で何人をも受け入れんとドッシリと待ち構えている。正に『器が大きい』とはこの事なのか。その中で営業部の村松と大崎が惚けた表情で湯に浸かっている。

「あーーー、金みちゅ専務――」

「おつかれちゃまでぇーす」

 どうした? 何が起きた?

 俺は軽く手を上げて返答し、ゆっくりと岩風呂に近づいていく。


 ハァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 極楽、とはこの場所の事なのか!

 行燈のみの間接照明なので外は殆ど見えないのだが、それがかえって落ち着いた雰囲気を醸し出している、さながら母親の胎内に包まれているかの如く。

 湯の温度も絶妙で、身体と心がじわじわと溶かされていく気分になってくる。同時に今日一日の蟠りが全て湯に溶け去っていく。いや、今日一日どころか今月、いや今年中の嫌な事が心から抜かれていく気分である。正にデトックス効果とはこの事を言うのであろうか。

 二人を見ると、やはり毒を抜かれたような惚けた顔をしてこの風呂の快楽に身を委ねている。


「専務ーー。いい湯ですねーー」

「そーーだなーー堪らないわーー」

「あーー彼奴らと角付き合うの、アホらしゅうなってきたわーー」

「ですねーー あー腹減ったーー」

「それなーー。夕飯何だろなーー」

「専務ーー、奥さん歌上手いっすねーー」

「げえーー、アイツまたーー。仕方ねえヤツだあーー、ごめんなーー」

「いーーえーー。後で紹介してくださいよーー」

「おっけーー。あ! 雪が降ってきたぞぉー」

「マジすか… うわー 何これ、超カンドーなんですけどーー」

「あーー、これで日本酒なんかあればなあーー」

「飯の後、また入りますかーー」

「いーーねーー、何度でも入りに来ようぜーー」


 城島は正しかった。これは何度でも入りたくなる湯である。後で城島も誘ってのんびりと浸かりにこよう。


     *     *     *     *     *     *


 極楽の湯のお陰ですっかり丸くなった彼等は酒が入ると聞くも涙語るも涙の営業部悲話を訥々と話し出す。

 自分達がどれ程頑張っても三ツ矢部長は絶対にそれを認めてくれない事。彼等が努力して得た結果を全て三ツ矢が持って行ってしまう事。やりたくない仕事を無理矢理やらされ抵抗すると倍ひどい仕事を押し付けてくる事。

 企画部の皆は呆然とそれを聞いている。俺は銀行時代にもっと苛烈な場面に遭遇していたので、なんだその程度かよとつい思ってしまう。あの頃は下手を打つと秘書が首を吊ったり車ごと港に沈んだりする案件もあった。上に行けば行く程更に卑劣な罠がそこら中に埋設されていた。俺の上司や部下の何人かはそのストレスに耐えきれず、職を辞したり自ら降格を申し出たりしていた。

 まだ死人が出てない分マシじゃないか、とは流石に言えず彼等の嘆きを聞いていると、女子社員の佐藤に対し、

『オンナはその身体使って男の倍仕事取ってこい!』

 と言い放ち得意先周りをさせているらしい。それだけでなく無理矢理接待ゴルフに連れて行き、生足生パンミニスカートで回らせたという。

 ブチッ。

 何かが切れる音がした。


「オイ課長。テメー自分トコの舎弟がそんな事言われてほっとくんか? コラ!」

 宴会場がざわめく。車亭? 社亭? 謝亭? 舎弟!

「テメー。今度この娘泣かせたら、木場に沈めんぞコラ!」

 更にざわめきが増していく。牙? 騎馬? 機場? 木場!

「俺だって… 俺だって言いたい事いっぱいあるんっすよお… あのクソ部長に… うっうっ…」

 突如、村松課長が咽び泣き始める。会場はシンと静まり返る。

「泣くんじゃねえ馬鹿野郎! 男が泣くのは親の葬式の時だけなんだぞコラ」

「す、すんません… で、でも俺…ひっく…」

「ったく仕方ねえガキだなテメーは。よし。今晩だけは泣け。アタシのこの胸の中で泣け!」

 と言うや否や、光子が村松の頭を胸に抱え込む。唖然とする。

「うわーーーーーん」


 流石にこれは… ドン引きだぞ光子おま… あれ? ど、どうしたみんな…

「さ、流石姐御…」

「なんと男らしい、いや女らしい!」

「伝説のクイーン。レジェンド降臨っ パシャパシャ」

 豪華な食事そっちのけで光子の周りに集まりだすではないか。

「こ、こら! 写真は止めろ! 人の女を写真撮るなー」

「ね、姐さん… 僕も泣いていいですか… ひーーーん」

「泣け泣けいっ 泣いて飲んで、明日を突っ走れコラー!」

「キャ〜〜 マジかっけー 私も抱いてえ〜〜」

 

 ったく… これが52歳になったばかりの大人のオンナのする事か…

「は? 52? ないない」

「四十代だってば。この肌の張り〜 キャ」

「姐さん、お誕生日だったのですか!」

「「「姐さん、お誕生日おめでとうございやんす!」」」

 止めろお前ら… これじゃまるで反社会勢力の…

「えー、では僭越ながらこの老人めが音頭をとらせて頂きましょう」

 い、泉さん… アンタまで… って、アンタ、光子のちょっと肌けた胸元ガン見してんじゃねーぞ…

「えーー、それでわ。光子姐さん。お誕生日、誠に、おめでとう御座いますっ」

「「「「「おめでとう御座いますっ」」」」」

 かつてない満面の笑みで、

「バッキャローー、ありがとよーー」


 豪勢な夕食をしゃぶり尽くした後。

 約二十名の俺らなのだが何故だか一升瓶が二十本ほど転がっている。乱痴気騒ぎ。あるんだ、悟り世代やZ世代でもこーゆーの… 昭和世代だけじゃなかったのだ。世代を超えて引き継がれるべきものがしっかりと受け継がれていく様子に少し感極まっていると…

「あ、姐しゃま〜 わ、ワタクシめぐみんちゃんが〜 占いしてあげましゅ〜 てへ」

 泥酔した営業部の佐藤が胸元が無駄に開いたまま光子に寄っていく。

「おおおおお! 営業部の幻の秘密兵器! 佐藤の相性占いが観れるのか!」

「なんだと… 金出しても占ってくれないんだぞ」

「めぐみん〜 頑張れえ〜〜 キャハ〜」


 相性占い… 全く営業部らしい。宴会好きの彼等にとって、格好の出し物なのだろう。見た目は地味でとても有能そうには見えない佐藤なのだが、こんな特技があるとは大したものだ。きっと三ツ矢の命令で無理矢理覚えさせられたのだろうが……

 周りに五人ほどを抱えた光子は最早半乳丸見え状態だ。いずみん氏はその膝枕で幸せそうに永眠していられる。

「よーし。やってみろコラ。しっかり占えや」

「めぐみん、頑張るぞー おーー では。お姐さん、生年月日を教えてくれますか」

 佐藤が豹変する。素人にしては中々いい雰囲気を出すじゃないか。さぞや毎晩鏡の前で練習したのだr―

「成る程成る程。では、金光さん。生年月日とわかれば生まれた時間を…」

 顔付きが違う。俺の知っている、少し疲れた自信なさげな佐藤ではない… なんだこいつは… 何かが憑依したのだろうか?


「成る程成る程。これはこれは。ふふふ。今日花さん。貴女ならわかるわね。お二人の誕生日と同じ、歴史上の人物と言えば?」

 突如振られた村上は頭を捻りながら、

「え〜〜と。姐御が十二月の一日ってーと。ああ、信玄じゃん」

「そう。そして?」

「キンちゃんが〜〜 二月一八日? アレ… まさか…」

 俺は思わずゴクリと唾を飲み込む。宴会場もシンと静まり返る。俺は堪えきれず、

「おい村上、何だよ、その顔… よせよ… で、何だよ、誰なんだよ?」

「ヒント。信玄の永遠のライバル…」

「まさか… 上杉… 謙信… か?」

 佐藤がニヤリと笑う。もはや全くの別人のようだ。


「そうです。お二人の相性は良くも悪くも、この国を代表する程に最強なのです!」

 ウオーーーー、と観衆がどよめく。俺もすっかり彼女の話に没頭してしまう。

「マジか…」

 佐藤は目を細め、遠くを見つめる表情で、

「二人はもう前世どころか、前前前世なんて目じゃない程の古からの結び付きなのです。時には信玄と謙信の如く血と血で争い合う二人。ある時はその愛で多くの人々を救済する二人。そんなあなた達はソウルメイトなんか目じゃない、宿命の運命を………」

 俺は思わず、

「お前酔っ払いだろう、そんなつまらん冗談はよせよ!」

 

 すると村上がゆっくりと首を振りながら、

「キン様。この子は代々陰陽師の家系の子なのです。今でも内閣が変わると呼び出される程の……」

「はあ? 何だって!」

「二年前だっけ? 矢部総理に呼ばれて東京オリンピックについて占ったらしいよ」

 嘘、だろ? 

 俺が呆然としていると、佐藤はバラバラになったゴキブリの死骸を眺める表情で、

「やめろ、と言ったのですが。占いでは凶と出ていたのです。そしたらクビになっちゃいました、てへぺろ」

再来年開催予定の東京オリンピックは失敗すると? 

「鳥羽っちはめぐみんのお告げを信じてるみたいですよぉ、だからオリンピック関連の営業は特に力入れないって」

 そ、そ、そんなバカな!

 そう言えば再来年のオリンピック関連の企画が確かに一つもないぞ。ガッツリ儲けどきだと言うのに……


 周りが騒いでいる中、佐藤が俺の目をしっかりと見つめそっと囁く。

「いいですか金光軍司。この島田光子とようやく今世で邂逅出来たのです。その出会いに感謝し決して離してはなりませぬ。この出会いは古より定められし約定なれど、いと簡単に散ってしまう儚きもの……」

 俺は訳が分からなくなり、頭を抱え込む。すると会場内が一瞬静まり返り、俺の気が遠くなっていく……

 ハッと気付くと周りはフツーにワイワイと騒いでいる。光子は最早上半身裸族と化し泉さんは笑顔で昇天済みらしい。城島と村松が肩を組んで盃を空けており、田所達は山本くんに馬乗りになって暴れている…

 佐藤を目で追うと元々そうであったかの如く部屋の端で大鼾をかいている。


 何だったのだ今のお告げは? 俺だけが聞いていたのか… 夢、だったのか… 俺と光子はずっと遥か彼方の昔から魂の結び付きを定められた存在だと?

 俺はスピリチュアルだとか霊的な事とかあまり信じない。それよりも己を信じ仲間を信じ上司と同期と部下を蹴落として生きてきた。

 だがこの半年程の俺の身の回りの出来事、そうズバリ光子との邂逅は偶然とは到底思えなくなってきている。

 佐藤のお告げのように、俺たちの出会いが必然であるのなら、話の辻褄が全て符合するのだ。では今世で俺たちは何の為に再会したのか? それも五十代を過ぎた今。俺たちが出会った意味は何なのか? これからじっくりと考えていこう。二人で…。


     *     *     *     *     *     *


 翌朝。庄司からお白瀬が入る。

『これより探索開始。14時までに発見出来なければ下山。雪やや厳し』

 部屋のカーテンを開けると、一面見事な雪景色だ。このまま温泉へ行きたい誘惑に駆られつつ、四人の健闘を一人そっと祈る。

 口を開けて胸元を惜しみも無くはだけて寝ている光子にちょっと欲情するも、公私混同はいかんと己の頬を叩き邪念を払う。そんな光子を叩き起こし露天の家族風呂に誘う。仕方ねーなーと寝ぼけながら胸元を閉めさせて部屋を出る。

 脱衣所に先に入らせて暫し外で雪を堪能する。こうして眺めている雪は都会とは現実離れした風情があり感動すら覚えるのだが、社長や庄司達は今この雪と悪戦苦闘していると思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 もーいーぞー、と声がしたので脱衣所に入り、浴衣を脱ぎ風呂場の扉を開ける。そこは銀世界の自然の樹々を背景に檜造りの立派な湯船から立ち上る湯気が幻想的な非日常世界であった。 そして湯煙に霞んで光子の白い背中が目に入る。


「サイコー、だな……」

 頷きながら静かに湯船に入る。

「社長達が頑張っているのに、俺たちは最高の気分なんて、申し訳ないな… でも、コレは今までで一番の風呂だよ」

「チゲーねー。人間生きてりゃ、こんないい事もあんだな。あの… ありがとう…」

出た! 突然の人格変化!

「ど、どうした急に…」

「ううん。本当に感謝してるんだよ… 軍司と会ってなかったらこんな景色見ることなんて出来なかった」

「お、おう」

「これからも… こうして一緒なの… かな…」

 あの光子が。地元や会社で人間凶器としてあれ程恐れられている光子が。今は清廉無垢な美魔女なのだ。俺の理想のお淑やかで品がある淑女。思わず声が震えてしまう。

「これからも。そして、来世でも…」

「ハアー? 何言ってんだアンタ。『テメーの名は』じゃねーっつーの」

 あ… 急に素に戻ってしまった。振り返ると、何故か泉さんと村上が入ってくる!


「いやー。お二人共、お早いですなー。どうです湯加減は?」

「ちょ、ちょっと泉さん、それに村上っ ここ、家族風呂…」

 あ… 使用中の札をかけるの忘れてた…

「えーー。いーじゃん。自分らだけずるいしー。姐さん、ご一緒にいいですよねー?」

「おーーー。よく来たな。さあ、入れ入れ。ビシッと入れ!」

 泉さんは良いとして。会社の部下、それも若い女子と共に入浴は流石にコンプライアンスに反する行為なのでは……

「えー、キン様と姐御、それにいずみんとお風呂一緒ってチョー最高じゃないですか! ねーいずみんっ」

 もしやこの子は流行りの『枯れ専』なのか?

「いやーー。この方は只の歴女、じゃあございませんよ。筋金入りの『歴史家』と睨みましたよ私は。何でも大学院まで行って歴史の研究をされていたとか」

 大学院だと? 俺の頭の中のファイルを開くと、……おおお、東陽大学大学院卒。

「すごいな村上。で専攻は?」

「日本統治時代の台湾でーす」

「外国かよ…」

 俺はちょっとがっかりしていると、目を輝かせながら

「いやー。金光さん。台湾ですよ、台湾。ほら、アンバサダーの李さんのいる!」


 な、なんと。俺のこの怪我の元になった日光への中学時代の仲間達との団体旅行でお世話になったアンバサダーホテルチェーンは台湾が本社だ。泉さんは台湾に存在するまだ誰も知らない秘湯を探し出すのがライフワークなのだと言っていたが。そしていつか李さんの協力の下、その夢を実現させたいと語っていたが。

「聞いた〜聞いた〜 いずみんの夢、私も手伝わせてくださいね〜 何でも知ってますよ、戦前の台湾のことなら」

 うーーん。実に微妙… どれだけ役に立つのだろうか。

 俺も出来るだけ泉さんのお手伝いをしようと思っている。そしてその成果をこの会社に還元できれば、一気に日本を代表する旅行代理店にのしあがれるかも知れない。上手くいけばアンバサダーグループの専属代理店になれるかも知れない、もしそうなったら今の会社生活は激変するだろう。ワールドワイドなグローバル活動が中心となって、世界中の観光地をリサーチし続ける、そしてその横には光子が……

 そんな妄想に耽っている横で、泉さんは村上と光子相手に温泉について語っている。掌に湯を掬い軽く口に含む様は正にベテランのソムリエの様な仕草だ。真剣に聞き入っている二人を残し、俺はそっと湯船を出る。


     *     *     *     *     *     *


「その後どうだ、四人は?」

 大広間は半分は布団がひかれ微動だにしないマグロ共、半分は布団があげられ探索隊の前進基地の様相。何故か営業の三人はノーパソを弄りながらしっかりと起きている。おい、企画部……

「相当すごい積雪の様です。幸いに風はそれ程吹いてない様ですが」

 真剣な顔つきで山本くんが言う。つい最近出来た彼女を心配している様子がありありと伺える。

「そうか。よし、交代で朝食取ってこい。宿には話通してある」

「わかりました。皆さん、どうぞ先行ってください!」

 半分が立ち上がり、食堂へ向かう。そんな中、営業部の村松課長が渋い顔をして俺に近づき、

「キンさん、ちょっと面倒なことになりそうです」

「どうした?」

「ウチの部長が昼過ぎにここに来るそうです」


 皆の耳がピクリと動く。何ならマグロ共もビクリと動く。

「は? 何しに?」

「それは… 決まってるじゃないですか。この企画の粗探しをしに、ですよ」

「…ヒマな奴だ」

 俺は呆れて大きく息を吐き出す。

「本当は僕らがこの前線基地の楽観ムードを部長に糾弾するはずだったんですが…」

 村松が頭を掻きながら言うと佐藤、大崎の両部員も

「なんかねえ、楽しいじゃないですか。この企画。夢もあるし」

「学生時代のサークルの合宿みたいだし。それに企画部の人達、ホント愉快な人ばかりで居心地いいし」

 村松は苦笑いしながら上目遣いで、

「そんな訳で僕らが良い報告をしないので、自らここに…」

 大広間に溜め息があちこちから木霊する。


「俺たちの、企画部の粗を見つけて、何がしたいんだ、彼は?」

「そんなの…」

「決まってるじゃないですか…」

 彼等三人は済まなさそうな表情で、

「キンさんの… 専務の失脚、ですよ…」

 

 不覚にも、深く溜息が出てしまう。こんな小さな会社でもやはりあるのか、足の引っ張り合い。前職の銀行員時代、俺は出世競争の先頭集団に入っていた、つまり先輩、同期、後輩の足を掬っては放り投げ、足蹴にして踏み躙りながら支店長まで登りつめた。

 妻、里子の死や愛人の告発で出世争いから呆気なく転がり落ちてしまい、今この会社に俺は居る。もはやその事に後悔はないが、同時にその様な争いも二度と味わいたくない。それが今の心境である。


 営業部長、三ツ矢智己。早大出、三葉物産営業部に在籍していた。2016年にこの会社に転職。今から三年ほど前である。以来営業部長としてこの会社を引っ張り、この規模にしては中々の営業利益を捻り出している相当なやり手。社長以下、趣味の延長の様な感覚で勤めている他の社員とは一線を画し、この会社を一企業として他に認めさせている本物の企業人だ。

 嘗ての俺なら相手にとって不足は無い、あらゆる手を使い地獄の底まで叩き落としていたであろう。しかし今は残りのサラリーマン人生を気の置けない仲間達と穏やかに過ごしていきたい。さて、どうしたものだろう…


「食事終わりました、代わりますから食堂行ってきてください」

「おお、有難う。よし、村松達も朝飯行こう」

「そうしますか。おい、行こう」

 俺は営業部連中と食堂へ向かう。その途中、村松が恐る恐る俺に、

「キンさん… なんか嬉しそうな顔してますけど…」

「ホントだ〜 私が占ってみましょう〜」

 あれ、無意識の内に三ツ矢との対決を待ち望んでいるのか俺?

「よ、よせ! そんなことよりさ、あの四人は上手く見つけられるかな、幻の湯」

 急に表情が変わり、佐藤が『陰陽師』モードに入る…

「その話なのですが。正直、今朝までは良くない卦が出ておりました」

「おい! 何だって…?」

「恵… それ早く言えや…」


 急に立ち止まり、仰々しく

「ですが。先程占いました所、思いがけない星の動きがあり、結果が好転しそうなのです」

「ゴクリ。それはどんな星の…?」

「ふふふ。それは秘密です、クックククク」

 ポカンとして立ち尽くす俺たちを後にし、佐藤は悠々と食堂に入って行く。是非、企画部に欲しい人材だ。三ツ矢から強奪するのも面白い。

「あの、なんで笑ってるんです?」

「いや、すまん、気にするな。さ、俺たちも朝飯だ」


 朝食を終え大本営(大広間)に戻り状況を聞くが特に進展は無いそうだ。朝食を摂ろうとしない山本くんのケツを蹴り上げ、無理矢理食堂に行かせる。探索のリミットである十四時まであと五時間。やや緊張と焦燥感が見られる後援部隊。未だピクリともせず冷凍マグロ状態の布団部隊。気分転換に宿の周りを散歩する事にする。

 光子を誘いに部屋に戻ると、(ガラ)携帯で電話中だ。どうやら真琴さんと話をしている様だ。程なく電話を切り、

「なんか、これからこっちに来るって。久しぶりに一緒に風呂でも浸かるかってよ」

「この雪の中を? 運転大丈… って、ああ、お前の娘だもんなー」

 いやいやいや、光子と違って勉強一筋だった筈、運転、しかも雪道運転なんて大丈夫なのか?

「ああ。ちゃちゃって転がして来るってよ。アンタも一緒に入ろうぜ」

「ああ。って、おいっ恥ずかしいわ!」

「んだよ、会社の若えーのとは入っても真琴とは入れないってかコラ!」

 正直、小っ恥ずかしい。光子には無い双丘の膨らみには多少興味はあるのだが。

「…… 真琴さんが嫌がるだろう?」

「平気じゃね? そーゆーの気にしねえ娘だからな。おう、それより雪山隊はどーなってんだよ!」

「まだ発見は無い。正直厳しいかもな今回は」

 少し表情に翳が入るも、

「そか。ま、家宝は寝て待ってっつう〜からな〜」

「微妙に違うぞ。何時くらいに来るんだ?」

「あと三十分くらいしたらって」

「じゃあ、ちょっと外散歩しないか?」

「…… お、おお。い、行くか…」


 若干尻込みをする光子。それでも二人で初めて雪の中を歩く。のだが、なんとも屁っ放り腰でいつもの様にキリッとしない歩き方に

「お前。雪、苦手とか?」

「あ、あんま得意じゃねえ… ぎゃっ」

「危ねえなあ。ほれ、掴まれ」

「お、おう悪い… ぎゃっ」

「ちょ、そ、そんなしがみ付くな! バランスが… まだ足が… ぎゃっ」

 二人して旅館の外の雪溜まりに倒れ込む。新雪に包まれ、互いに雪まみれだ。光子の髪にも、長い睫毛にも雪が付く。顔を見合わせ、互いに吹く。そして見つめ合う。そしてゆっくり唇を近付ける。冷たかった彼女の唇が徐々に熱を持ち始めた時、クラクションが二回鳴る。

「何やっているんですか。いい初老の二人が?」

 同時に連続シャッター音が聞こえる。犯罪の証拠写真を撮られた気がしてブルっと震える。


「全く… お願いですから、翔の前では節度を持ってくださいね。まだ思春期の真っ只中なのですから」

「申し訳ありません… 以後気をつけます…」

 真琴さんは光子を睨みつつ、

「金光さん。本当にこんな母でよろしいのですか? 余りに社会的格差が違うと価値観の違いによってその後…」

「っセーな。いーんだよ。だって、私ら、あれ、『運命の出会い』ってヤツなんだからよ。な?」

 呆れ果てた真琴さんは溜め息を吐きながら、

「またそんな抽象的でいい加減な話を… しかし、母さんが特定の男性とお付き合いするのは確かに久し振りね。私が二歳の時と四歳の時の二人以来かしらね」

「は? 二歳の時の記憶あるの?」

「ありますが。それが何か?」


 湯気の立つ湯を掬い顔にそっとかける。まあこの子ならそれくらいありそうだ…

「それにしても。昨日の金光さんのお話、深く感じ入りました。貴方の仰る通り、私は母に甘え、息子に甘え、自分の我を通してきた気がします」

「ふん。やっとわかったか、このバカ娘!」

「母さん黙ってて。私、決めました。来年の春には東京に戻ります。そして墓参りは鬼沢君の命日に行く事にします」

 思わず顔が綻んでしまう。昨日の俺の叫びがしっかりと彼女の胸に届いたようだ。

「真琴さん。それが良いよ。まだ遅くない。家族一緒が一番だよ」

「ええ。主人もあと五年以内には出所できそうですから」

「そうだってね。でもいいのかい? ご主人が甲府刑務所に入っているから甲府に住んでいるんだろう?」

 真琴さんは困ったような顔で、

「実は前々から主人には東京に戻り家族と暮らして欲しいと言われていたのです。しかし私がそれを拒んでいたのです、家族に甘えて… でも、もう甘えません。家族にも自分にも。主人が出所して戻るべき家庭を今から作ろうと思います」


 光子が掌に湯を掬い、真琴さんの顔にかける。何するの母さん、と叫ぶ真琴さんに

「へへへ。三世代同居か。賑やかになるじゃねーか。いひひひ」

 あ、これ。居酒屋を手伝わせる気満々の悪い表情じゃねえか……

「東京に帰っても弁護士続けるんだよね? 何処かアテはあるのかい?」

「そう広くない業界ですから。前々から誘われていた事務所に声をかけてみようかと思っています」

 そう言えば葵が法曹関係に少し興味を持っていたな、なんて思い出していると、

「お二人は同居されないのですか?」

 とんだ爆弾を放り込んで来る。油断も隙も無い。俺は赤面化を隠しながら努めて冷静に、

「んー、まだ子供がな。彼らが独立する頃…」

「いひひひ。いっそみんなで一緒に暮らすか! 磯野家みたいによっ」

 ちょっと想像してみる。え… 立ち位置的に俺が波平? 確か波平は五十四歳、もうすぐタメ年である、そ、それは御免被りたい…

 思わず頭を抑え、毛量を確認してしまう俺である。


     *     *     *     *     *     *


 真琴さんが宿を後にしたのと入れ替わりで三ツ矢部長が宿に到着する。大広間に入って来るなり、

「全く、ここはサークルの冬合宿か! 布団で寝てるヤツ叩き起こせ。仕事しろ、仕事。って言っても、今回はろくな結果が出ないだろうけどな」

 企画部は完全に無視。村松課長が立ち上がり、彼を部屋の外に連れ出そうとするが

「金光専務。随分と弛みきった様子ですねえ。遊びに来ているんじゃないんですよ、会社の金で働きに来ているんですよ。ちゃんとしてもらわないと困りますなっ」

 営業一筋の有無を言わせない強い声音で俺を威嚇する。

「この三日間で幾ら金がかかったかご存知ですよねえ。ちゃんと結果出してくれますよね。困りますよ、結局何も見つかりませんでしたーじゃ。ガキの探検ごっこじゃないんですから!」

 ほお。中々グイグイ来るねえ。若くてイキのいい事だ。

「さあ。あと二時間か? 終わったらとっとと撤収するぞ。村松、今回の経費、細かく計算しとけよ。責任は全て専務がとってくださるからな」

「そんな言い方ないでしょう。酷い!」

「遊びに来てる訳じゃねーよ。何なんだよっ」

 そんな非難の声に決然と、

「じゃあ、結果出せ。結果。山に入ってる四人のケツひっぱたいて、結果出せよ!」

 まあ、割と正論だ。普通の会社ならこれくらいは当然の発破だ。しかし普通でないこんな小さな会社ではこれは余り効果がない。皆膨れっ面で昼飯を食べに食堂へと向かう。


 広間にはそれでも微動だにしない三名の布団部隊と営業部の三人と俺、そして三ツ矢が残る。

「金光さん、これどう責任取るんですか?」

 三ツ矢が挑戦的な目付きで俺に食ってかかる。

「これで何も見つかりませんでした、じゃ済ませませんよ。今度の役員会で議題に載せますから。いいですね」

 いいもクソも、役員って社長、俺、田所常務の三人だけどな…

「最近の貴方の主導する企画、かけた経費の割にはリターンがどうなんですかね。その辺りじっくり考えておいてくださいよ。支店長さん」

「元、支店長な。それに今は専務だが。で? 役員会で議題に上げて、どうするの?」

「貴方の責任問題を徹底的に追求しますよ。この小さな会社で貴方がどれだけ横暴に振舞っているか。どれだけ会社の経営に負の影響を与えているか。ま、経理の数字を見れば一目瞭然ですがね」

「そんなヒマがあるんだったらお前ももっとマシな営業してこいよ。俺たちこれから忙しいんんだ。温泉にでも入って来なさいよ」

 三ツ矢は俺を睨みつけ、ああそうします、と部屋を出て行く。銀行時代なら徹底的に反論し叩き潰す所だが。まあ彼も若いし。その理念の半分くらいは彼の言う通りだし。あの素晴らしい湯にでもゆっくり浸かれば少しは丸くなるかも知れない。まあムリだろうけれど。


 昼食を終えたメンバーが続々と部屋に戻り、探検隊と連絡を取り合う。何でも雪が一時的に止んでいるらしく、残り時間目一杯探索を続けるという。

「なあ、俺は登山した事ないのだが、やはり雪山登山は体力的にもキツいんだろ?」

「そうですね。ですが四人とも錚錚たる面子ですからね。この山位ならハイキングに毛が生えた程度じゃないですか」

 まあ… エベレストだの劒岳だのに比べればそうかも知れないが。何せ経験がないものだから彼らが今どんな様子でどんな風に探索しているのか、想像もつかない。

「雪山で一番怖いのは雪崩ですかね。でも降り始めで気温が下がっているこの季節なら問題ないでしょう。それよりも…」

「それよりも?」

「彼等にとっては簡単すぎるこの山で、それぞれが夢中になって見つけるまで帰らない! とか言い出す方が怖いかな」

 俺はプッと吹き出してしまう。

「それなー 社長とか言いそう。『明日は会社休業にします』とか言いそう」

「バーカ。そんな事したら、誰かさんにあっという間に乗っ取られちまうぜ。油断も隙もねえ、アイツに」

「それなー。マジで狙ってそう」


 散々な言われようだな、三ツ矢は。このまま十四時まで温泉に入っていてくれれば良いのだが。十三時。残り一時間。誰かが晴れ間が見えてます、と言う。外に出てみると確かに雪は止み、雲の隙間から薄く太陽の光が差している。

 いつの間にか隣にiQOSを吸っている光子がいる。昼食を終えたのかと言うと

「ここのホウトウはうめえなあ。ウチの店でもやるかな〜」

 なんて言いながら旨そうに煙を吐いている。

「で。どうなんだい、山の連中は?」

「雪は止んでいるらしい。どちらにせよ、あと一時間だ」

 ふーん、と呟きながら紫煙を上に吹き上げる。

「アンタ、見つかると思う?」

「わからん。ちょっと厳しいんじゃないかな…」

 正直に今の現況を口にすると、

「バーカ。上に立つヤツがそんなんじゃ駄目だろーが。アンタが信じなきゃ下も動かねーぞ」

 流石、元不良集団を束ねただけの大器だ。

「…ハハハ、その通りだ。ちょっと尻引っ叩いてくるかな」

「そーしろそーしろ。このドS野郎! ギャハ」

 それ…いるか、彼氏に対して…


     *     *     *     *     *     *


「どうだ現況は?」

 昼食は喉を通らなかったと言う山本くんが首を振りながら、

「候補となっている辺りは全部見て回ったようですが… 残念ながら…」

「それって四人は今バラバラなのか?」

「そうみたいです」

 これでは見つけるまで帰らないコースだ、方向転換させねば。

「なら、一度集合させて、少し上に登らせるんだ」

「へ? どうして?」」

「雪は止んだのだろう、なら遠くからでも湯気が見えるんじゃないか?」

 山本くんは疲れ切った顔を少し輝かせ、

「…… 成る程、そうですね、成る程です! 『全員A4地点に集結 その後20メートル程登り、残り三十分、湯気を探せ』これでいいかな?」

 城島が悔しげな表情で、

「あと三十分か。クソ、ドローンが有れば…」

「今それを言うな。大丈夫だ。アイツらならちゃんと見つけるさ」

「ですかね… ですよね!」

「見つけろやー、畜生!」


「おいっ いい加減寝ている連中を起こせっ!」

 温泉から三ツ矢が戻ってくるなり、吠え始める。

「村松、佐藤、大崎。お前らは帰り仕度始めろ。二時にはここ出るぞっ」

 三人は顔を見合わせ周りを見、俺の顔を見る。俺は両肩を軽く上げ、軽く頷く。三人はノートパソコンを閉じ、重い腰を上げ部屋を出て行く。

「またこれから雪が降るんだろう? お前達も帰り支度始めてサッサと東京に帰るぞ。明日は朝一でうちとお前らでミーティングするからな。絶対遅刻は許さないからなっ」


 彼方此方で舌打ちの音が聞こえる。揺り動かされ目を覚ました二人に酔い覚ましに温泉に行けと伝える。最後の一人、田所は全く起きる気配を見せない。

 直属の上司の親類が故、三ツ矢はそれ以上は何も言わない。そして今回の企画が如何に会社的に無駄な物かを嫌味ったらしくブツブツ言っている。幸い泉さんは食堂で昼食を摂っているので聞かれることはなかったが、それは明らかに公私混同した俺と泉さん、そして社長を糾弾している内容である。


 そんな三ツ矢を無視して企画部の支援部隊は各々がラストスパートに入っている。天気図を注意深く見て今後数時間の予報を現場に伝える者。一昨日からの記録を画像付きでWeb用に下書きしている者。庄司と直接連絡を取り、数分ごとに状況を俺たちに伝える者。

 今やこの大広間は午睡に浸る一名を除き、完全に一つになっている。各々が役割を果たし、残りの時間まで全力を尽くしている。

 三ツ矢はそんな企画部の連中に苛立ちを覚えたのだろう、突如大声で

「ハイっ もう終わりだっ 諦めて撤収だ」

 全員が三ツ矢をキッと睨みつける。すると三ツ矢はニヤケ顔で

「あと五分だろ。もう無理ムリ。お前らが何したって、アイツらじゃムリだって。さあ、片付け始めろ!」

 全員が勢いよく立ち上がろうとした時、俺は三ツ矢の前に出て、彼の耳元でこう囁く

「またお前は同じ事繰り返すのか? 橋上さんの時のように!」


「は…? 何だって? 何ですか?」

「お前がかつて三葉物産の営業部でやった事を、ここでもまたやるのかって言ってんだよ!」

 三ツ矢は愕然とした顔で俺をみる。

「お前は昔、橋上さんの後方支援を約束して橋下さんを海外出張させ、何とか仕事を取ってきた彼女を裏切ったよな?」

「そ… それは…」

「部長に話を通しておくと言っときながらそれをせず、彼女が独断で契約してきた事にした。それを社内で吹聴し彼女を孤立させた」

「何… 言ってるんだ…」

「部長は激怒しその契約は白紙。帰国した橋上さんは居場所がなくなり、上司や仲間から疎まれ、自ら退職した。お前は後方支援どころか、かけた梯子を外したんだ。それを、また、ここでやるのか? と言ってるんだ!」

「……」

「疲れ果てた彼らが帰ってきてもここには誰もいない。明日に会議を開き、社長以下企画部がこれだけの経費を無駄にし会社の経営に損害を与えた。誰がどう責任取るのか。そして鉾先はそう、俺または社長に向けるんだよな?」


 企画部の皆が三ツ矢を取り囲む。三ツ矢は額から汗を流し始める

「先月の句会の責任と今回の責任を追及し、俺、そして社長の懲戒処分を提案する。そんな筋書きか?」

 怒りの輪が縮まる。無言の怒りが中心に収束していく

「会社のHPにその経緯をアップする準備も済んでいるそうだな。随分と準備の良い事で」

「私は… そんな事…」

「社内からと社外から。経営陣を追い落とすやり方、よく知ってんじゃねえか、ええ。ただな。お前は一つ見通しを誤ったんだよ」

「… なに?」


     *     *     *     *     *     *


「見つけた〜〜〜〜〜〜!」


 全員が振り向く。そう。あんな凄いアイツらがうまくやらないはずはない。幻の湯は見つかるのだ、必然的に! 皆の歓声が上がりかけた時、田所が布団から起き上がる。

「そんな夢を見た。…あれ?」


 三ツ矢以外の全員が腰砕けになりしゃがみ込む。勿論、俺もだ。時計をチラリと見る。二時だ。

「ぶはははは。そうか、見つかったか幻の湯は、夢の中で? これは傑作だ! これを読んだ顧客の皆様は何て思うかね。古文書? 幻の湯? なんかこの会社、怪しくない? この会社社長誰? 役員は? 来月の予約件数が見ものだよ本当に。ぶははははは」

 ただ項垂れるしか無い。俺も企画部の皆も。そんな中、欠伸をしながら田所がパソコンを覗き、再度叫ぶ


「見つけたぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 三ツ矢を含む全員がパソコンに群がる。そこには湯気が広がる八畳ほどの広さの池の写真がアップされている!

『十三時五十七分。迫田部長が薄っすらとした湯気を発見。十四時四分、現場を確認、涌き出でる湯を発見。湯の周りには人造物と思われる石組みも確認。以上より、幻の湯の発見を宣言する』


 一人ポツンと佇む三ツ矢を残し、全員が動き始める。山本くんは涙ながらにガッツポーズを決める。騒ぎを聞きつけた村松らもそれに加わり、大広間は騒然となる。

 苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨みつけ

「では、明日。会議は時間通りに開くので遅刻しないでくださいよ…」

 俺は三ツ矢を一瞥し、

「会議は昼からだ。ここにいる者は全員明日は半休を取る。これは専務の俺の業務命令だ。何か問題あるか?」

 三ツ矢は奥歯をギリギリと噛み締めつつ、

「…… いえ。では明日…」


 その夜。山本本館はお祭り騒ぎだ。栄光の帰還者達は真っ黒に日焼けし、全く疲れを見せずに元気だ。山本くんと庄司が抱き合って喜んでいる姿に皆から冷やかしのエールが掛かる。村松の発案で地元山梨のローカルTV局と新聞社に連絡をするとあっという間に彼らは駆けつけ、臨時の記者会見が開かれる。

 前線基地だった大広間を慌てて片付けし、五名ほど集まってくれた各マスコミに対し村松らが用意した本企画の資料、現場の写真、動画などを開示し会見は恙無く進行していく。


 俺と泉さんはそれを最後方から眺めながら感激に浸る。

「金光さん。いやーーー、何とお礼を言ったら良いか…」

「まさか、こんなに上手くいくとは。流石、超一流クライマー達です」

「社内でも色々あったとか。それでもこの結果。流石、金光さんです。改めて尊敬しますよ」

「ハハハ、そんな。そうだ、泉さんのもっと大きな夢、台湾の幻の湯。僕にも手伝わせてくださいね!」

 泉さんは俺の手を握り、そして僅かに瞳に涙を溜め、

「いやーー。いやーーー。何て心強い! 長生きはするものですな。貴方も健康には注意するんですよ、女王様と一緒に!」

「はい。そうします」


 光子が俺と泉さんに割って入ってくる。

「ああん? 女王様と何だって?」

「いやーー。貴女は幸運の女神だ、と話してたところです」

 満面の笑みで、

「んーーー、それ言うならよ、じーさんは私とコイツの幸運のジジイ、ってか!」

「これはこれは、幸運のジジイ、頂きました」

 光子が俺と泉さんに肩組みをする。おいジジイ、光子の胸元チラ見すんなって…

「これからもよ、もっともっと面白い事しよーぜ。みんなで、な!」


 如何にも一流クライマーらしい精悍な顔つきでインタビューに答える鳥羽社長を見ながら、俺は光子の問いに深く頷いた。


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