母と子と祖母と
「そうか… やはり景徳山と塩山は近いんだな?」
「はい。それが何か?」
物凄い勢いでパソコンを使って業務している庄司に、申し訳ないと思いつつ問いかけてしまう。
「実は来月の初旬の土日で甲府に行くんだが、」
「ソレって、『幻の湯』探索の頃じゃないですか」
「ああ。君達はまさか日帰りではないよな?」
「ハイ。金曜日の夜にバスで現地入り。土日の二日間で探索する予定ですが何か?」
全体会議で決定した予定では登山部隊のみ現地入りし、他の企画部員は自宅待機である。
「成る程。そうか。じゃあ、俺も土曜の夜は塩山に泊まろうかな」
パソコン入力の手を止め、俺に向き直り、
「金色夜叉…もとい。奥様…。もとい。あの、パートナーの方とご一緒ですか?」
「そうなんだよ。彼女の娘が甲府に住んでいて、土曜日塩山に墓参りに一緒に行く予定なんだよ」
「それでは、専務夫妻… もとい、専務方に部屋一つ取っておきましょう」
俺は満面の笑みで、
「ああ、そうしてくれると助かるな」
庄司はすぐに電話をかけ始める。本当に有能な部下だ。山本くんの後輩には勿体無さすぎである。来年、間違いなく俺の専属秘書に貰い受けよう。
「でもそんな急に部屋とれるのかい?」
「実は金曜日から日曜日まで、当社で空き部屋を全て確保したのですが何か?」
この子の口癖も、なんか特徴的…
「そうなんだ? でも登山部隊以外は自宅待機の筈だが?」
庄司はちょっと困った顔で、
「それが… 他の企画部の方々が、是非現地で我々を応援したいと…」
「え?」
「午前中に社長に相談しました所、それならば企画部全員で登山チーム、即ち実行部隊、輸送部隊、情報班、作戦統括所を作るべきでは、との助言をいただきまして」
俺はズッコケながら、
「マジで?」
「マジですが何か?」
社長、太っ腹だな… 一体部屋を押さえるのにいくら掛かると思っているのか…
「ですので、登山実行部隊でない他の部員の方には探索隊のベース基地の役割を担ってもらおうと。それとは別に、営業部からも数名人が出ますから」
営業部といえば三ツ矢部長の所だ。彼は上には調子良いが下には厳しく、部員からの評判はあまり良くない。どころか非常に良くない。
だが彼は俺と同じく中途採用者で、元は大手商社マンだった。その商社仕込みの営業力でこの会社をここまで大きくしたのは彼の功績が大、だそうだ。
俺がこの会社に来た当初は銀行から来た俺に矢鱈にペコペコしていたが、最近ではすれ違っても首を軽く曲げる程度の挨拶しか寄越さない。権威とか上位階級にしか興味を示さないイヤな奴だ。
企画部長の迫田とも仲が悪く、従って企画部と営業部の横の繋がりは必ずしも上手く行っていない。寧ろ足を引っ張り合っている感がある。
今回の企画にも営業部は余り乗り気でなく、本来ならマスコミに発表して耳目を集めても良さそうなのだがそんな素振りは微塵も見せずに『どうぞご勝手に』的な態度だそうだ。
企画部としては今回の探索をTV局に入って貰おうと考えていたのだが営業が反対したらしい。やるなら自分達で。撮影も自分達で。画が上がったらHPでどうぞご自由に、だそうだ。
中々一枚岩ではいかないものだな、こんなに小さな組織内でも。営業部は常務取締役の田所の担当なのだが、姪っ子が企画部に居るためか、営業部員からの評判は余り良くないらしい。
もし今回の企画で営業部と上手くことが運べば社内の空気も少しは良く通るようになるのでは、と愚慮する。
俺のそんな心配と裏腹に、『幻の湯』探索の準備は刻々と出来上がっていく。庄司に至っては事前に下見がしたいと言って今週末に現地に行こうとしたのを俺が止めた。彼女の目の下には隈が出来ており、このままでは探索決行日までに身体を壊す、と判断したから。
恨めしそうな顔で睨む庄司に
「お前の体は自分だけのものじゃない。俺たち全社員のものでもあるんだ。それぐらい今回お前は重要な役目を担っている。これは業務命令。今週末は、しっかり休め。いいな?」
「承知… しました」
悔しそうに回れ右をして自分のデスクに帰っていく。この様な憎まれ役なら幾らでも引き受けてやる。あとはー 誰だ、体に無理して頑張りすぎてる奴はー と見回すと皆一斉に下を向く。
「庄司だけじゃないぞ。お前ら今週末はしっかり休養を取る事。疲れた心身では決していい結果は出ないぞ。って、何が可笑しい、村上っ」
「キン様〜 それ、社長に言ってきてください。鳥羽っち、今週雪山行こうとしていますわ〜」
「な、なに? それはいかん。注意してくるっ」
踵を返して社長室に向かうと部員が腹を抱えて笑っている。
それを営業部の連中が冷たく見据えている。
これはこの数年内の俺の課題だな。水と油の融合。悪くない。やってやろう。
* * * * * *
「おーー、いーじゃねーか。塩山の高級旅館。アンタの部下達と一緒にガッツリ飲むかコラ」
その週末の金曜日。庄司と山本くんを『しまだ』に連れてくる。
「あ、姐さん、ど、ど、どうぞお手柔らからからかに…」
「山本先輩。何言ってるかわかりませんが」
山本くんは急に先輩風を吹かせながら、
「怒るなって庄司〜 確かにお前、頑張り過ぎ。専務の仰る通り、明日明後日はしっかり休めよ〜」
「おい小僧」
光子が目をギラリと光らせるとまたもや情けない山本くんに逆戻り。これ結構面白い。
「ヒーーー な、な、何でしょう…」
「仕事っつーのはよう、若いうちは、二、三日寝ねえで気合い入れてやるもんだろうがコラ」
庄司がドンとカウンターを拳で叩きながら、
「ですよね。ですよね姐御っ」
ど、どうした庄司… お前酒強かったよな…? てか、姐御?
「まーでもよ。コイツらが『休め』っつーなら、休め」
「え…?」
庄司は真顔で光子を見つめる。
「オメエの事、信頼してるコイツらが、オメーがぶっ倒れたらどんな思いするか、わかるか、ああ?」
「あっ…」
「テメーの仲間、心配させちゃいけねえ。悲しませちゃいけねえ」
「姐御…」
大きな瞳からポロポロこぼれ落ちる大粒の涙。そうだ。庄司、少し立ち止まれ。周りをゆっくり見ろ。一息着くんだ。それから大暴れしろ。
「わたし… 負けたくなかった。新人だからって言い訳したくなかった。社長のコネで入社したフツーのOLとして見られたくなかった」
「わかってるって。みんなお前のこと認めてるって」
山本くんが先輩らしく優しく言い諭す。
「オラはただの山バカ女どすて見られたくねがっただ」
「「「へ?」」」
「山さ登るすか脳のね、使えねへなとすて見られだぐねがったのよ」
「「「は、はい?」」」
俺の机にしまってある庄司智花のESを脳裏に引っ張り出す。出身地、山形県天童市……
「オラは鳥羽先輩さ、社長さ認めでもらいだぇっけのよ! うわぁああーーん」
俺は視線で、呆然と庄司を見ている山本くんに合図をする。
「あ、ああ、そうなん… でもさ、でもな庄司、みんなお前のことを本当に心配してんだよ。お前がメチャクチャ頑張ってるの知っているからさ。だからさ、ここでちょっと足を止めて、周りを見るんだ。ちょっと一休みしようよ、何なら俺が付き合うから、さ」
「せ・ん・ぱ・い…」
急に悪寒が走るー 何ならカウンターチェアーから半分落っこちかける… あービックリした…突然なんて言うことを…
光子を見ると、軽く口角を上げ俺を睨んでいる… ああ怖。
「それにしても、営業部との確執、どうにかならんのか?」
若い二人がいい感じになった頃合いに、俺もつい日頃の愚痴が出てしまう。銀行時代に組織や部下の悪口を他人に漏らした事はない、本当に俺も変わったもんだぜ。
「それは非常に難しいと思いますよ、マジで」
それに、こんな風に部下と愚痴り合ったりしたこともない。意外に楽しい。こんな事なら銀行時代もやっとけば良かったわ。でも支店長にはなれんかったろうな…
「何とかしたいんだけどな… 俺が」
山本くんが苦笑いしながら、
「あー、それは無理。絶対、無理ですねー」
「そうかも知れませんね。専務のお力ではちょっと…」
すっかり元気を取り戻した庄司もウンウンと頷いていやがる。
「な、何だよ二人とも… 俺じゃ無理って、やってみないとそんなのわからな…」
山本くんが首を振りながら大きな溜息をつく。そして、事もあろうか俺の肩をポンポンと叩きながら、こう言ったもんだ!
「だって。そもそもの原因が、専務なんですから!」
危うくこの店の恒例、グラス類の自由落下現象が生じるところだった。こら山本、酒席とは言え役員の肩を気安く叩くとは何事だ! まぁそれはさておき。はあ? 俺のせい? 一体どういう事なのだ、俺は別に営業部と確執なんて…
「金光さんがこの会社に来られる前、専務取締役は立川さんという社長の山トモ、だったんですよ。確か大学は別々だったけど一緒にヒマラヤ行ったりアラスカ行ったり〜」
俺の前任者、立川浩人。申し送りは受けているので名前だけは知っている。
「その立川さんは何故退社したの?」
「それは当然、『山が恋しくなったから』ですよ」
危うく椅子から転げ落ちそうになる。何とかそれから立ち直り、庄司に
「そ、そういうものなのか?」
「そういうものですね」
「お、おま、お前も『山が恋しくなる』のか? いつだ? 来年か? 再来年か?」
山本くんが俺の両肩を持ちながら、
「お、落ち着いてキンさん、大丈夫だよ庄司は、まだ大丈夫だよ、知らんけど」
酒席とは言え役員にタメ語…… まあよい、それはさておき。俺は息を整えてから、立川の後継人事について先を促す。
「はい。で、その後釜を狙っていたのが、営業部長の三ツ矢さん。僕らも三ツ矢さんが昇格すると思っていましたしー」
それは知らなかった… でも三ツ矢は俺と同じ転職組だよな… 大手商社からの… ってどこの商社だったんだろう。
「商社マンです、バリバリの。元三葉物産営業部」
光子が目を大きく見開いて、
「あれー、それってよー、リハビリ姉ちゃんの元の会社じゃね?」
なんと言う偶然なのだろう、それとも必然? リハビリで大変お世話になっているPTの橋上先生は、大学を出た後三葉物産に勤めていたと言っていた……
「それまであの人は学歴も一番、超有名企業出身、怖いもの無しだったんでしょうね。それが金光さんがいらして…」
「ハーン。男の妬み、ってヤツな」
「へえ。その通りで姐さんっ」
あれ。俺にはタメ語使うくせに、光子にはいつまでも尊敬語…… あれ?
「でも仕事は出来るじゃないか、彼。業界でも一目置かれているんだろ?」
「はあ。あんまり良い評判ではないんですけど…」
「どういう事?」
山本くんは虹色カメムシを噛み潰したような表情で訥々と語り出す。
「まあ、やり方が商社時代のソレって言うかー。よく言えば粘り強い、悪く言えばネチっこい営業でして。未だに交際費ジャンジャン使って、あと営業部の女子にハニトラ紛いのことさせたり…」
「何だって!」
「だから常務の姪っ子の田所さんは企画部なんだー、って言う噂も」
田所理恵は企画部に向いている。斬新な発想力は無いが抜群の古文書解読スキルを身につけている、企画部になくてはならない存在だ。とこないだ知った。
「…… まー、そうですかねー。そうそう、あとは当社の口コミを操作して…」
「えっ…?」
「安くしない宿をボロクソに評価下げたりとか。袖の下受け取って評価上げたりとか」
「まさか…」
「ま。噂話ですよ。こないだまでの金光さんもそうだった様な〜」
去年の四月に専務として入社して以来、俺には以下の様な噂が立っていたらしい……
・元三葉銀行支店長だったが妊娠した愛人を殴打し告訴された
・奥さんが倒れた日に隠し子の学校行事に参列していた
・若い女子が大好きで気に入ると正社員にして囲っていた
・支店長室であんな事こんな事をしたりさせていた
・借金に苦しむ顧客の若妻達を性奴隷にしていた
・部下の妻を性奴隷にしていた
「おいこら。俺の方が酷くないか…?」
俺がブルブル拳を震わせながら吐き捨てると、
「安心してください専務。私は半分も信じておりませんでしたが何か?」
「1/3は信じてたんだな…」
庄司はプッと頬を膨らませ、
「だって… ずっと不機嫌だったし… 私たちに話しかけることも無かったし…」
「そうだった… すまん、あの頃は…」
そんな俺に声をかけ続けてくれた唯一人の女子社員、庄司智花。俺はお前を絶対見捨てたり裏切ったりはしない。お前の夢を全力で応援してやるっ と決意しているその横で、山本くんがとんでもない暴言を言い放つ。
「で… 姐さんもキンさんの性奴隷なんっ…… んぎゃー」
グシャっという腐ったトマトが潰れる音がした。なんて事はない、光子のカウンター越しの正拳突きが山本くんの左の頬を直撃しただけだ。仰け反って倒れそうな山本くんをすかさず庄司が支える。
「な、なんて事を言うんですかせんぱいっ 姐御っ せんぱいが大変失礼な事を…」
「ったくこのクソガキが〜 オメエ、この週末、よーーく教育しとくんだぞコラ」
「は、ハイ! 了解しましたっ」
「じゃあ、とっとと連れて帰れいっ」
「へ? 何処へ…?」
光子がニヤニヤ笑いながら、
「オメーん家か、小僧ん家か、どっちでもいーわ。オラ、早く冷やさねーと青タン残んぞ!」
「ヒーー わ、わかりましたっ では取り敢えず、私の家にお持ち帰りますが何か?」
「よし。オメーん家何処だ?」
「船橋ですが何か?」
あはははは…… 我が職場にも明るい春の訪れか。まあこうしてみると、そこそこお似合いな気がするな。しっかり者の彼女にお調子者の彼氏。その二律背反性が長い目で見ると良好な関係につながるのでは。これからはこんな二人を生温かく見守ってやるとするか。
「よし。明日明後日が命だぞ。よーーーく冷やさねえと、コイツの痣は一生顔に残るからな」
「ヒーーー」
「これぞ『性拳』、なんちって」
アホかコイツ、とばかりに光子の頭をポカリと殴ると、唖然として俺を見続ける庄司なので合った。
* * * * * *
どうやら平成最後の師走に入る。この一年は本当にあっという間だった。そして余りにも多くの出来事があった。大きく言えば二つ。一つは残りの会社員生活をこの会社に埋めようという決心がついた事。もう一つは残りの人生の伴侶と出会った事。
この企画部的にも、ちょっと変わったことと言えば…… 今日の月曜日。どうやら庄司は俺の言いつけをしっかり守ったらしい。そして光子の言いつけもキッチリ守ったらしい。お陰で同伴出社の山本くんの幸せそうな左頬には痣一つ残っていないー
片や真っ黒に日焼けした社長が企画部に入ってきて、週末の天気について部長と議論を始める。なんかいつもより引き締まった顔だ。目も鋭い。日本のカリスマクライマー復活であるのだろう。
皆が揃ったところで、最早今週中は貸切状態の8階の貸し会議室へと向かう。もしこの企画が日の目を見て利益が上がったら、会議室のあるテナントに社を移すべきではないか、と密かに思っている。
何しろ五十名からなる社員がたかだかワンフロアに屯している状態なのだ。どうせネット販売が主なのだから、ちょっと郊外に2フロアぶち抜きの、何なら自社ビルを持ってもいいのでは? 平成が終焉を迎える頃にそれとなく社長に進言しよう、そう決める。
会議室には既に庄司がお茶菓子から大スクリーンの設置まで済ませておいてくれている。各々が席に座るや否や、会議室は議論討論の声に満たされていく。
週末に迫った平成最後の当社の大企画、『信玄最後の隠し湯 〜 幻の景徳の湯を探せ!』の打ち合わせは最初から暑すぎる熱気を孕んで始まった。
スクリーンに週間天気図が映し出される。皆が真剣に眺める。誰ともなく土曜は晴天、日曜は崩れそうだ、と呟く。そうなると土曜日に見つかれば日曜日にわざわざ雪山に入る危険は無くなる。
明日の火曜日に注文していたドローンが届くとの事。その試運転および装着するビデオカメラ試し撮りの為、庄司と山本くんが水曜日に高尾山に出張する事となる。
「お任せください。完璧な試運転をこなしてみせます」
…… だから、そんなに力まなくていいから…
そっと山本くんの背後に座り、その耳元に
(その晩、どっかに泊まってこい。二人とも木曜は午後出勤を許可する)
と囁くと、未だかつてない感謝の視線を俺に向けたものだ。この借りはいつか倍にして返してもらおうっと。
週末の我々支援部隊の宿泊先は『山本本館』という旅館だそうだ。本件のアドバイザー…… てか、言い出しっぺの泉さんがすかさず
「いやー、さすが皆さん。いい宿取られましたねー。あそこの露天が風情あって良いんですよ」
村上が妖艶な微笑みと共に、
「じゃあ知ってるいずみん。この旅館、ご先祖はだーれだ?」
泉さんはちょいと首を傾げ、
「いやーー、まさかまさかの?」
「その通りっ ピンポーン!」
ピンポーンって… 歴女には死語という概念がないのか村上よ…
「絶対… 見せて貰うんだ… 先祖代々伝わる甲冑とか槍とか…ハアハア」
「で。我々は何すればいーんですかー」
営業部の村松課長が白け切った表情で投げ掛ける。我が社のWeb関係を全て仕切っている男だ。高校生の頃ハッキングで検挙された過去を持つITのエキスパートだ。
「ああ、村松達には我々が撮影した画をHP用に作り直しUPして欲しい。出来るよな?」
企画部課長の上村が熱く暑く問いかける。高校時代はラグビーをしていたという独特の体育会系の匂いのする山男だ。
「まぁいいけど。せいぜい絵になる画、撮ってきてくれよな」
同じ営業部の中堅である大崎と若手女子の佐藤はつまらなそうに企画書を眺めている。企画部の熱気と明らかに一線引いた雰囲気を隠そうともせずに。
会議は一瞬空気が澱む。がすぐにまた熱く暑い空気が充満してくる。そして週末の『夢』に向けて着々と準備は進んでいく。
水曜日。二人の若き部下達のデート…もとい、出張の日。俺は週一となったリハビリの日。週末の車の運転のリハビリも兼ねて一人病院に向かう。
地獄のリハビリの後の極上のマッサージを受けながら、ふと思い出し。
「そう言えば、先生は三葉物産に勤めていたんだよね?」
「そーっすけど」
「所属は何処だったの?」
「何かの間違えで営業部だよ、フツーに」
俺は思わず起き上がってしまう。その拍子に先生の薄い胸の膨らみに顔を埋めてしまい、後日奥さんにバラすと脅迫を受ける。その口止めにいつか生ビールをご馳走することを約してから、
「同じ営業部にさ、三ツ矢って奴いなかった?」
橋上先生がマッサージの動きを止める。大きな目が潰れるほど細くなる。
「三ツ矢。知り合いっすか?」
「ウチの会社の営業部長なんだけど… 先生、知り合い?」
「あの野郎…」
かつて聞いた事のない地獄の底から湧き上がるような低い声に思わずブルってしまう。
「うわ… なんかゴメン…」
「あの野郎、金光さんになんかしたんすか?」
「いや。ただ、営業部の部員達にはあまり…」
犬の糞に混じっている未消化の蝿の羽を眺める目付きで、
「そりゃそーだろうな。フツーに」
「え? どういう事?」
彼女がかの超名門私立大学を卒業し入社後、新入社員研修を経て営業部に配属となった課の先輩が三ツ矢だった。十年前の話なので彼もまだ二十代、営業気質丸出しのイケイケ系の社員だったという。
「私がこんなんだからー あんま営業向きな性格じゃないから、最初から全く合いませんでしたーフツーに」
「だ、だろうね…」
「もうあいつのやることなす事全てがウザくて。向こうも私のやることなす事全てが面倒臭かったでしょうねー。純水と重油くらい合いませんでしたわー」
…… どんだけ合わねえんだよ… てか、純水ってフツーの水と違うの? とは聞けずに話を先に促した。
「まー、こっちも生意気だったんすけどー。下手に英語とか喋れっから」
「ま、商社マン…、いや商社パーソンだもんな。英検一級とか? TOEIC800点くらい取ったのかい?」
あー、そーゆーの得意じゃないんっすよ、と頭をポリポリかきつつ、
「私、帰国子女なんっすよ。フツーに」
ワオ。またもや先生の意外性発見…
「で。海外の会社との商談とかで、アイツが熱く営業するんですけど、あんま英語上手くないんでネーティブ話せる私がフォローするじゃないですか、」
ネーティブ英語。いつか聞いてみたい。そして我が社にヘッドハンティングしたい、俺の第二秘書として……
「ふむふむ」
「すると後で『俺の手柄横取りすんのかお前っ』なんて怒り出すんですよ。私がいなかったら契約取れなかったくせに」
ちょっ 先生、痛いっす、力入り過ぎです、あざになっちまいます… いててて
「あ。すんません… つい力が… ま、そんなちっちぇー野郎なんっすよ、フツーに。でもね、段々私が仕事に慣れてきてあの野郎抜きで仕事纏めるよーになってくるとー」
「ゴクリ」
「邪魔し始めるんですわ。変な噂流したりして。『橋上はオンナ使って仕事取ってる』だの、『部長のセフレらしい』とか。アホくさ」
思わず五秒ほど先生の尊顔を拝んでしまう。まあ、美人ではないが不細工では断じてない。どちらかと言えば、有り、だ。もし胸がもう少しあれば大有りだ。この思いは墓の下まで持っていこうと決める。で、それから?
「まー、シカトしてたんっすよ。相手にしないで。だけどある時、野郎やりやがったんです」
「ゴクリ。何、を?」
……
酷い。酷すぎる。流石の俺もかつてここまで酷いことはした事がない。あまりの重い告白に俺は頭が真っ白になる。リハビリを終え、車を家に置き会社へ向かう足取りが重くてしょうがなかった…
* * * * * *
「いーなー。ウチもそんな旅館泊まりたいなー」
エプロン姿で皿を拭いている葵に光子が
「ま、お前が孕んだら連れてってやるよ、ギャハ」
「ウザ。翔くんはホントに日帰りなの?」
その横で皿を洗っている翔が、…… おい、逆だろ。葵が洗ってお前が拭くだろう、フツー
「うん。すぐ正月には母さんこっちに戻ってくるそうだから」
「うわ… チョー緊張なんですけど… ウチのこと気に入ってくれるかな…」
まるで同級生を茶化すように光子が
「ウヒャヒャ〜 正月から修羅場かよ、ここ」
負けじと葵は
「お婆様、さっきからマジウザいっ 何さ、パパと二人でお泊まりだからってサカっちゃって。マジ、キモっ」
「ハア? 悔しかったらテメーも翔とパコパコやりゃいーじゃん。この意気地なしが」
「あの、五十過ぎでマジキモいんすけど」
「あああ?」
第三者視点から鑑みまして。中学生レベルの仲の良いマブダチ間の口喧嘩にしか見えないのだが……
「おまえらホントいい加減にしろ。あの、光子、期待させて悪かったけど、さすがに社員が半分近くいる宿で… それは… ちょっと、な」
途中から顔が赤くなり始めた俺。娘の前で俺は何を言っちゃってんだろう…… キモ。
「お、おお、まあ、そりゃそーだ。あ、あったり前だろ。な、なあ…」
恥ずかしさ隠しにジョッキのビールを一気に飲み干し、
「それと、葵。この期末の成績が一番大事だぞ。副教科も手を抜かず、しっかりやれ。わかったな」
ウザキモとか言い返されるかと思いきや、真顔で
「言われなくてもわかってる。正念場なのわかってる」
と自分に言い聞かせている。ほう、ようやくスイッチが入ったのかな?
「葵ちゃん、僕夜には戻るから徹夜で勉強しようね」
「キャ〜 ここで、ね!」
あれ、入ったスイッチがショートした?
「そ、それはちょっと… 二人っきりじゃん… 葵ちゃんの家で…」
「嫌。ここじゃなきゃダメ。大丈夫、そーゆーの期待しないからっ うふ」
あざとい。どうみても色気で誘っている風にしか見えない。こんなふしだらな娘に育てた覚えはない、俺は溜め込んだウザさを吐き出す。
「おい葵。なんだ最後の『うふ』は。お袋に言っておくから、ウチで勉強する事。いいな」
「ウザウザウザーーー。マジでウザー! 忍ちゃん、焼うどん! お腹空いたっ」
「ハイよっ 若奥さんっ 翔が行ってる間、電マ貸してやろーか? きゃは」
「何それ、キモ」
思い切り白豚の頭を叩いてやった。
「と言う訳で。明日、七時に迎え来るから。用意しとけよ」
そう言えば、時間に厳しいのは寧ろコイツの方な気がする。待ち合わせ時刻に遅れた試しはないし、店もキッチリ定刻に暖簾を下ろしているし。
「ありがとうございます。車あると助かるよねーお婆ちゃん」
期末試験はすぐなのに。本当にお前は凄いやつだよ。葵には勿体ないよ。益々この人徳溢れる青年の母親に会うのが楽しみになってくる。
「まーな。アンタ、疲れたらいつでも代わってやるからよっ」
「ああ、それは頼む」
忍が疑心暗鬼な視線ビームを光子に発射しながら、
「ちょっと姐さん。マジ日曜の夕方には帰ってきてくださいよ。一人じゃキツイんすから、この季節はっ」
忘年会シーズン真っ最中だ。そう言えばこの間の偽食中毒による予約キャンセル事案は、特に口コミに上がることもなく、その後は順調に予約満席状態が続いている。洒落でなく、忍一人ではとても店は回るまい。
「わかってるって。そん代わり、クリスマスは行ってこい、やってこい!ってか」
「もー、ホント頼んますよー」
俺は初めて忍に申し訳ない、と頭を下げ、
「ゴメンな忍ちゃん。お土産楽しみにしててよ」
「山梨のドンペリ、頼みますよ〜」
ねえわ。山梨にそれだけは。
* * * * * *
土曜日。朝七時に『しまだ』に車を付ける。墓参という事なので俺は紺のブレザーにデニムを合わせている。店から光子と翔が出てくる。光子は珍しく紺のジャケットにパンツ。金色のポニーテールと良く合っている。翔は鉄板の制服姿。今時ガチの学ランが逆に眩しい。
首都高を経て中央道に入ると光子が鼻歌を口ずさむ。俺ら世代なら誰もが知っている、中央道をモチーフにした曲だ。実にツッコミどころの多い曲で、まずこの道路は断じて『Freeway』では無い。『Express way』だ。ギリで『Highway』も有る。
元々この自動車道は『中央高速』の名称で開通したのだが、俺が五歳くらいの頃に『中央自動車道』と改称されたらしい。未だに俺より年配世代は『中央高速』と呼ぶ人も多い。
調布基地、なんて存在しない。1973年以前は旧日本軍、在日米軍が使用していた事もあり、基地としての機能を兼ね備えていたのは事実らしい。だがそれ以降は『調布飛行場』なのである。東京都営の飛行場だ。
この曲のせいで多くの間違った知識が広まってしまい、それが常識となってしまった。学生時代をこの道路沿いで過ごした故、昔から許しがたいものがある。
そんな俺の思いを余所に、気持ち良さそうに口ずさむ光子。ちょっと前ならば『その歌はおかしいんだ! 間違っている』と俺の考えを押し付けていただろう。でも今はそんなことより、隣で嬉しそうにハミングしている彼女が愛おしい。
談合坂SAで朝食を取る。翔は車の中でも期末試験の勉強、今も食べながら勉強。昔の俺を見ているようでつい口角が上がるのを感じる。
「ったく。オマエ折角旅に出てんだから、今日ぐらい息抜けやー」
「そうはいかないよ。なにせ、目の前に『伝説のキング』がいるんだから。学年一位は無理にしても、そこそこやらないと。ね、お父さん」
あれ以来、堂々と俺を父親呼ばわりし続けていやがる。俺はニヤリと笑いながら、
「なあ翔。お前が俺を『お父さん』と呼ぶと、俺は真琴さんと夫婦になってしまうのだが?」
翔は実に微妙な表情で、
「うーーん… 恐らく母は金光さんのタイプの女性では無いかと…」
おい。俺が真琴さんとどうにかしようと思ってるのか? 愛しい彼女の娘に手出しする訳ないだろうが、と翔の頭をこづいていると、
「あー、テメー今、親子丼っなんて考えてたんだろコラ!」
「それはお前が今食ってるヤツな。アホくさ」
どうみても母と息子にしか見えない光子と翔を眺めながら、大きく溜め息を一つ吐く俺である。
今日の天気は社の連中の予想通り、快晴だ。明日、雪が降るなんて俺には信じ難いほどの好天である。ただ吐く息は白く、すっかり平成最後の冬の本番到来である。
そういえば昨夜現地入りした彼らはそろそろ登山口に着いた頃だろうか。運転中ドライブモードにしていたスマホを解除するや否や、50件近くのラインがポップアップしてくる。
『隊長以下四名、これより宿を出発』
『隊長曰く 本日天気晴朗なれども山高し』
…何しに行くんだよ…
『決死隊の健闘を祈念す 弥栄!』
…爾霊山じゃねーし。景徳山だし。
『おーい、庄司〜 一緒に日本に帰ろー』
段々読むのがアホくさくなってくる。まるでサークルの新歓登山じゃないか。遊びじゃないんだぞ… もっと端的に事実を報告するべきだぞ庄司。その思いをラインのグルに送る。
『庄司。現場の状況だけを正確に白瀬ること』
…やっちまった… しかも既読が秒速で付いていく…
『白瀬る… ワオ まさかのキンさん爆弾投下〜』
『キンさま〜 ここで南極探検とは… 流石です〜』
『えー? 誰々? 白瀬何した人〜?』
『庄司了解です。現場状況を正確に白瀬ますww』
『庄司よりお白瀬です。間もなく登山口です』
スマホの電源をそっと切る。
勝沼を過ぎると甲府盆地が一望できる。北は秩父多摩甲斐国立公園の山々、西と南は八ヶ岳、そして北岳を含む南アルプスに囲まれ、箱庭みたいに佇む街並みが清々しい。笛吹八代スマートICを出てカーナビに従いながら、真琴さんの住む善光寺へと北上する。
「真琴さんはいつから甲府に住んでいるんだい?」
「僕が小学校に上がる時なので、十年ほど前でしょうか」
「という事は、それからずっと光子と二人で?」
走行中、遅え、たるいを連発していた光子は街並みをアホ面で眺めながら、
「はえーなー。もーそんなになるのかー。そーか、店始めた頃だったもんな、真琴が甲府に行ったのって」
「しかし… コイツに育てられて、あの名門中学に入るとは… 流石真琴さんの血が流れているっていうか… ゲッ」
俺は思わぬ事実に目の前が真っ暗となる。危うく赤信号を突っ切ろうとしてしまい、急ブレーキで何とか停車した。
「何ですか?」
「ちょっと待て。翔と真琴さんに… 光子の血が流れている事実を俺は冷静に受け止めることが出来ねえ…」
「ははは… あ、そろそろ着きますよ」
カーナビが目的地付近と告げる。光子が低層マンションの前に立っている女性を指差す。その女性の前に車を停める。
* * * * * *
「初めまして金光さん。島田真琴です。」
ショートヘアーで黒のスーツ姿の恰幅の良い小柄な女性が頭を下げる。慌てて車を降り俺も頭を下げる。
「母と翔から噂は予々聞いておりました。金光軍司さん。貴方が現在母と交際中であることは間違いありませんね?」
なんか裁判所で尋問を受けているようだ…
「我が息子の翔と貴方のお嬢さんとのお付き合い、率直にどの様に受け止めていますか? 今の心境を聞かせてください」
な、何と答えれば… なんなんだこの人…
「お母さんっ 金光さん困ってるから! さ、お墓参りに行こうよ」
「ではこの事案は一旦持ち帰って頂き後日裁判所に……」
「お母さんっ!」
助手席で光子が眠たそうに大きく一つ欠伸をする。ああ、三津浜の龍二君を思い出す… 頭の良い人と変人の紙一重の何とやら……
後部座席へどうぞと言うと、失礼しますとシートに座る。運転席からミラー越しに母と息子を比べ見る、どうやら翔は父親似なのだろう。俺は一人納得し、パーキングブレーキを解除した。
「真琴さん、一つ聞きたいことが」
「はい、何でしょう?」
ナビゲーションはカーナビに任せきりにし、俺は聞きたかったことをぶつけてみる。
「どうしてこの時期に、鬼沢さんの墓参をするのですか?」
彼女は一息つき、それから一気に
「鬼沢君の人生が狂い始めたのが十六年前のこの頃。それは私と主人が付き合い始めた事により齎された彼の悲劇の始まりの月だからです」
と流れるように話し出す。俺が首を傾げると、
「もし私があの時、寝込んでいた主人を見舞わなければ。もしあの時、鬼沢君の家に招待されていたら。私の決断が人一人の人生を奈落の底に落としてしまったのです。もっと早く主人の気持ちに気付いていたら。もっと早く鬼沢君に全てを誠意を込めて話せていたら。彼の悲劇は全て私の判断の甘さによって齎されたのです」
「そ、そんな…」
「よって。私は毎年、この月に彼の魂に謝罪しなければなりません。そしてもう二度と私の判断の甘さで他人を不幸にしてはならないという自戒の念を想起しなければなりません」
ミラー越しに俺の目をしっかりと掴まえながら、彼女はまるで検事の答弁のような叙述を俺に返すのであった。
俺は茫然としてしまう。どう見てもこの事件は鬼沢の心の未熟さが原因である。無論、人を殺めてしまった修君は必ず罪を償わねばなるまい。
「でも、君も被害者だ。そんなに自分を責めなくてもいいじゃないか?」
「彼は最早己を責めることさえ出来ません。そんな彼の代わりに私は自責を甘んじて受けるのです」
俺は溜め息をつき、グツグツと沸騰しつつある腹の底で踊っている思いを言い放つ。
「随分と勝手な考えだな」
「は? 何がでしょうか?」
「それで君が救われるのはわかる。でもな。君は親と子にも己と同じ思いを背負わせているんだ。それを自分勝手とは思った事はないのか?」
「え…」
真琴さんは絶句してしまう。俺は構わず突き進む。
「毎年毎年、君の母親と息子が君に付き添い墓参りをする。そして君が自らを責めるのを何も言えず見守っている。鬼沢君は死んだ。もう居ない、君の言う通りだ。しかしな、君の親と子は生きているんだ! 君が十六年前から一歩も進めない姿をずっと見て来ているんだ。それがどんなに辛いことか君はわからないのか!」
真琴さんは初めて俺から目を逸らし、光子と翔を交互に眺め、やがてその視線を窓の外の街並みに移していった。
「翔は六歳から母親の温もりを知らない。母親の味を知らない。母親の愛を知らない。それでも君はこれからも鬼沢君を通して自分を責め続けるのか? 自分の息子をそれに付き合わせていくのか? 自分の母親を……」
ガクリと項垂れてしまう。声を立てずに体を震わせている。翔がそっと母親の背中に手を添えている。俺は止めを刺す気分で次の言葉を探っていると、
「アンタ。そろそろお墓だわ。次を左な。ちょっと行くと駐車場あるから…」
「なんか… ゴメンな」
「いいえ。貴方はやっぱり『キング』です。お婆ちゃんにとっても、僕にとっても」
「は? 意味がわからん…」
あれから真琴さんは一言も話さず、俯いたまま車を降り、一人早足で墓地に向かってしまった。
「ま。いーんじゃね。アタシがこの十年言いたかったこと、あっさり言っちまってくれて」
「余計なお世話だった… よな…」
「ま。いーんじゃね。それがアンタなんだから」
それが俺、か。よく意味が分からないが、俺の叫びは少なくともこの二人にはしっかりと届いたようだった。
「もうかれこれ三十分経つけど… 真琴さん、まだお墓の前で…」
「ま。いーんじゃね。アイツも思う所があんだろ、きっと」
彼女には届いたであろうか? 光子の思い、翔の想いが……
光子が深々と煙を吸い込み、真っ青な空に向かって吐き出す。薄い紫煙はゆっくりとどこまでも深い青空に棚引いていく。俺と翔は真っ赤になった目でそれをボンヤリと眺めている。
翔の肩に手を置く。この細い肩に今までどれだけの哀しみや寂しさが乗っていたのだろう。きっと彼の祖母がそれらを吹き払って来たんだろう。どれだけ誠実で、どれだけ不器用な家族なのだろう。
それから更に三十分後。ようやく重たい腰を上げた真琴さんを乗せて鬼沢君の眠る恵林寺を後にする。来た時は余りに興奮していたゆえ気付かなかったが、この寺は甲斐武田家の菩提寺として余りに有名で、信長の甲斐攻めの時にはあの有名な『心頭滅却すれば火も亦た涼し』と叫んだ快川和尚は俺の大好きな人物だ。
本当はゆっくりこの寺を散策したかったのだが、これから翔が真琴さんの部屋の大掃除をするので今回はやむなく寺を後にした。またいつか皆で来るの事があるのだろうか。
真琴さんのマンションに着くと、あ、忘れ物、母さんちょっと待っててと言って彼女は部屋に戻っていく。数分で戻ると
「はい。誕生日おめでとう母さん」
と言って綺麗にラッピングされた紙袋を光子にわt… 何だと?
「おーーー。そー言えば〜。あんがとなー」
「ちょ、ちょっと待てい!」
「な、何だよ…?」
「聞いてねえよ」
「な、何がだよ…?」
「お前の誕生日? ハア? 今日なのかよ?」
頭が真っ白状態の俺は口をパクパクさせながら食ってかかる。そんな様子を苦笑しながら、
「いえ。母の誕生日は今月の一日です。金光さん、ご存知なかったの…」
「今初めて知った… おい翔。何で今まで黙ってたんだよっ」
翔は怯えながら、
「だって… 五十過ぎたらアタシの誕生日は忘れろ、思い出したら〆るって…」
アホだ。アホ過ぎる。
「アレだ、ほれ、人間五十年〜って言うじゃんか。だからアタシは永遠の五十歳なんだわ」
バカなのは知ってるが、まさかここまでとは… 俺は呆れ果てて、何も言えなくなる。
「ハハハ… じゃあ僕はこれで。お婆ちゃん、良かったね今年は、誕生日に旅行に行けてー」
「ひひひ〜 オマエも気を付けて帰れよっ ちゃんと着けろよっ」
「だーかーらー…」
何故この母親からこの娘が… この孫が…
「ちゃんと話せ! お前のこと、もっとちゃんと知りたい!」
すると光子は何故だか胸を張って、
「昔のことは忘れちまったよ〜 アタシは未来に向かって生きるオンナなのさっ」
と嘯くものだから、
「誕生日は未来も来ますから」
「お、おう…」
「ったく、何考えてんだか…」
えへへ、えへへと気味悪く笑いながら、
「で? アンタは二月一八日だっけか?」
ちょっとドン引きながら、
「そこで、何で俺の誕生日知ってんだよ!」
「そりゃ、昔から… あ…」
「昔って… は?」
「だから… 中坊の頃から…」
え…… それって…
『まもなく目的地周辺です〜 運転お疲れ様でした〜』
思わず目を疑った。今夜の宿、そして探索部隊の前線基地である『山本本館』。常緑樹の森の中に壮大にその姿を現したのだ。まるで中世の城のような威厳を保っている。助手席から口笛が鳴る。女王様もお気に召した様子だ。
車を玄関前に付けると歓迎の看板が目立つ。
『信玄最後の隠し湯〜幻の景徳の湯を探せ! 御一同様』
恥ずかし過ぎる…




